いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第一章~婚約破棄~

四十話 

 滑るように住宅街を走る車の中、ぼくは和やかな思いで笑った。 
 
「宏兄。つれて来てくれて、ありがとう。ほんまに助かりました」
 
 運転席の宏兄を振り返り、ペコリと頭を下げた。宏兄は、ハンドルを操りながら、大らかな調子で言う。
 
「なんの。お安いご用だ」
「ううん、ほんまに。宏兄がいてくれたから、安心してここまで来れたんやもんっ」
 
 ぼくは、ぐっと拳を握って力説する。
 だって、本当のことやから。宏兄がいてくれなきゃ、友菜さんのお宅へも、お詫びの品物の調達に行くことも難しかったと思う。
 
「けど……朝早くに、ごめんね。ついカッカしてて……宏兄が寝てるかもって、頭から抜け落ちてたんよ」
 
 今朝、衝動的に宏兄に電話してしもてね。
 夜型の宏兄は、まだ眠ってるはずの時間やった、と思い至ったのは電話を切ってから。せやのに、ツーコールで出てくれて、頼みを聞いてくれた宏兄には、感謝してもし足りない。
 しょんぼりと肩を落とすと、宏兄は笑った。
 
「気にするな。俺は嬉しいぞ、電話かけてきてくれて」
「え?」
 
 きょとんとしていると、ちょうど信号が黄色になった。ゆっくりと停止する車の中、見つめていた横顔が、ふとこっちを向く。
 
「俺はお前に甘えられると、嬉しい」
 
 宏兄は、まぶしいほどの笑みを浮かべていた。あんまり清々しくて――見ているこっちが、何故か照れてしまうほど。
 
「……嬉しいの?」
「うん。覚えといてくれ」
 
 穏やかに念を押されて、胸がきゅっと詰まる。
 少し、灰色がかった宏兄の目には、優しさしかなかった。見ていると、瞼がじんわり熱くなってきて、ぼくは慌てて俯いた。
 
 ――ひ、宏兄は、優しいから……気にさせへんために、そういう言い方するのであって。
 
 やから、甘えすぎちゃダメ。
 そう思うのに……嬉しくて、胸がポカポカする。ぎゅ、と両手を握りしめて、気をつけて息を吐く。――吐息が震えたら、泣いてるみたいやから。
 
 ――陽平に無視されて、思ったよりこたえてたのかなぁ……
 
 ジーンズの膝ばっかり眺めていると、頭を大きな手に撫でられた。あたたかな重みに、胸がくすぐったい。されるがままになっていると、背後からクラクションが鳴る。
 
「あ、信号変わったな」
「……うんっ」
 
 また、車が走り出して――ここちよい風が、窓から車内を撫でるように吹きこんできた。
 宏兄が「なあ」と優しい声で問う。
 
「成、腹へってないか?」
「あ……そういえば」
 
 ぼくは、ぺたんこのお腹を押さえた。
 ずっと緊張してたのが緩んだせいか、ペコペコになってる。お昼におにぎり食べたのに、ちょっと恥ずかしいなぁと思ってたら、
 
「じゃあ、なんか食おう。握り飯の礼に、なんでもご馳走するよ」
「えっ? あはは、お礼って。大げさな」
「何を、成の手作りだぞ。大げさなもんか」
 
 きりっと顔を引き締めている宏兄に、笑いがこみ上げる。
 
 ――べつに、普通のおにぎりやのに。宏兄は、兄バカなんやから……
 
 昔からそう。
 宏兄は、ぼくが作ったごはんとか、書いた作文とか……めっちゃ褒めてくれるんよ。大げさすぎて恥ずかしいけど、よく言う「家族の欲目」って、こういうのかなあって、嬉しくもある。
 ぼくは笑いをこらえて、こほんと空咳を打つ。
 
「それやったら、リクエストがあります」
「おう、何だ?」
「カレー、食べたい。宏兄の」
 
 宏兄は、ぎょっと目を丸くした。
 
「えっ、あれ”で”いいのか?」
「あれ”が”いいの。あっでも……今日やなくていいねん! ただ、また食べたいなあって……」
 
 原稿が煮詰まってるときに、宏兄が大量に作るカレー。ぐつぐつ煮込んであって、野菜とかなくなっちゃってて……それがめっちゃ美味しいんよ。宏兄は「これは店に出せない」って笑ってるけど、ぼくはあれが賄いで出てくると、すっごい嬉しい。
 そう訴えると……宏兄は、大きな手で口を覆った。
 
「あー……そうか。じゃあ、また作るよ」
「うんっ。ありがとう!」
 
 珍しく照れているらしい宏兄に、ぼくはふき出してしまった。
 
 
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