いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第一章~婚約破棄~

四十一話 

「ひろにいちゃん、はやくはやく!」
 
 小さなぼくが、センターの廊下をぱたぱたと走っている。何度も振り返っては、宏兄を追い立てていた。
 
「ははは。メシも俺も逃げないからなー」
 
 ぼくに手を引かれながら……小学生の宏兄が、大らかに笑っている。
 センターで、月に何回か催される「合同ランチ会」。
 友だちになったばかりの宏兄が「来たい」と言ってくれて、ぼくは盛大に浮かれていた。
 
 ――はじめて、お友だちとごはん!
 
 逸る気持ちが、小さなからだを全力で追い立てていた。
 宏兄はぼくに合わせて、腰を屈めて走りながら、苦笑する。
 
「成ー。あんまり急ぐと、転ぶぞ?」
「だいじょうぶやもん……あっ!」
 
 宏兄の忠告どおり、何もないところで蹴躓いたぼくは、大きくつんのめる。じゅうたんが目の前にせまって――ぎゅっと目をつむったとき。
 
 ぽふっ。
 
「ほら、言わんこっちゃない」
「ひろにいちゃん……!」
 
 間一髪、宏兄によって抱きとめられて、ぼくは助かった。幼いぼくは、反省するどころか、目をきらきらさせて宏兄を振り返る。
 
「すごーい。ひろにいちゃん、いまのがバリツ?」
「ん?! バリツではないな、たぶん」
「なんやぁ」
 
 くすくす笑っていると、宏兄が抱き起こしてくれた。
 
「よいしょ。……痛いとこないか?」
 
 あちこち確認されて、にっこりする。
 
「うん、ありがとう」
「じゃあ、行こうか」
 
 顔いっぱいに笑って、宏兄が大きな手を差し出した。ぼくは手を伸ばして、ぎゅっと握りかえす。
 
「あのね、きょうはカレーの日やねん。おっきいおなべに、いっぱいつくったんやで。ひろにいちゃんも、たくさんたべてね」
「おう。楽しみだなあ、成」
「うんっ!」
 
 つないだ手を振りながら、ぼく達はゆっくり歩いた。
 
 
 **

 
「――成、ついたぞ」
「……あっ」
 
 肩を優しく揺らされ、ぱちりと目を開けた。
 
「あれ……宏兄、ランチ会は……?」 
「ん?」
 
 ぼくの問いかけに、宏兄は不思議そうにしている。その背後に、センターの門が見えて……やっと、時間がいまに戻ってくる。
 
 ――そっか……宏兄とセンターに来る最中やったんや。
 
 さっき、カレーは今度となったものの。話題に出したせいか、二人とも完全にスパイシーな口になっちゃってて。
 
「よし、カレー食いに行くぞ」
 
 って、宏兄が車を走らせてくれて――そこまで思い出して、ハッとする。
 
「わあっ。ごめんね、宏兄。ぼく、寝ちゃうなんて……!」
 
 慌てるぼくに、宏兄は穏やかにほほ笑む。
 
「気にするな。いい夢だったか?」
「へ?」
 
 頬を親指で撫でられて、きょとんとする。宏兄は、喉の奥で笑った。
 
「寝ながら笑ってた」
「――ええっ!」
 
 恥ずかしすぎて、顔が熱くなる。声を上げて笑う宏兄を、八つ当たりと知りつつ、睨みつけた。
 
「もう、ひどい!」
「なんでだ。可愛かったぞ」
「そう言う問題じゃなーいっ」
 
 ぷんぷんと両腕を振り上げたって、宏兄はニコニコしたまま。小さいころから変わらない慈しむような目に、脱力してしまう。
 
 ――まあ……宏兄からすると、ぼくは小さい子供のままなんやろうね。
 
 そう思ったら、恥ずかしがるのも馬鹿らしくなっちゃった。矛をおさめたぼくに、宏兄もシートベルトを外す。
 
「じゃ、行くか。ちょっと歩くけど、大丈夫か?」
「うんっ」
 




 十数分後――ぼくと宏兄は、センターの食堂にいた。
 センターの食堂は開放的で、大きな窓からさんさんと日が差していた。ぼくと宏兄は、窓際のテーブル席に、向かい合って座る。
 
「ここに来るのも、久しぶりだなー」
「うん、ぼくも」
 
 メニューを開きながら宏兄が言う。ぼくも、陽平の家に住むようになってからは、なかなか来る機会がなかった。
 久しぶりやし、色々メニューを見て……結局、お目当てのカレーライスと、バニラアイスを二つずつ注文した。
 
「なんか、懐かしいねぇ」

 コップに二杯目の水を注いでいる宏兄に、ふふっと笑いが漏れる。

「ん?」
 
 宏兄は、不思議そうに片眉を上げる。ぼくは、のんびりと頬杖をついた。
 
「センターにいたとき。宏兄と、こうして一緒にごはん食べたなあって。そんな昔のことちゃうけど」
 
 懐かしいのは、さっきの夢のせいかな。
 センターに住んでたころは、食事管理のために一人で食べる決まりやってんけど。ランチ会と……月に三回までは、面会のお客さんと食堂に行っても良かったんよ。
 しみじみと思い返していると、宏兄も目を細める。
 
「成、食堂の日、楽しみにしてたもんなぁ。俺が遅くまでいると、「今日は、帰っちゃうの?」ってそわそわしてて」
「ええっ……!? そんなふうに思ってたんっ」
「いやー、可愛かった」
 
 宏兄のあれ、確信犯やったん……?!
 むくれてたら、大きな手にわしわしと頭を撫でられる。
 
「悪い、悪い。俺の楽しみを、お前も楽しみにしてくれるのが嬉しくてさ」
「……!」

 そんな風に言われちゃったら、不機嫌なフリもしてられない。
 だって、宏兄は忙しいのに。本当にたくさん、ぼくとごはんを食べてってくれたから。……たぶん、ぼくがさみしい思いをしてるの、気づいてくれてたんやと思う。

――宏兄とごはんを食べられる日、嬉しかったなぁ……

 一人で食べる寂しさに気づけたんは、宏兄のおかげやもん。
 勝手にゆるんじゃう頬を両手で押さえつつ、思った。

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