53 / 505
第一章~婚約破棄~
五十二話
「成!」
ロビーに戻ると、宏兄がソファからパッと立ち上がった。
「宏兄、ごめんね。長い時間、待っててもらって……!」
ぼくは、宏兄に駆け寄った。
今朝、ぼくをセンターまで送って来てくれて、それからずっと待ってくれてたん。有難さと申し訳なさで、眉がへにゃりと下がる。
「なにを。お前の大事に、当然だろう」
「宏兄」
力強い言葉に、じんと胸が熱くなる。
「で――どうだった」
宏兄は、ぼくの肩に大きな手を置いて、ソファに座らせると――静かに問う。灰色がかった目が、怖いくらい真剣や。
ぼくは、中谷先生の診断を、どう伝えようって悩みながら……まごまごと口を開いた。
「あの……いっぱい、検査してもらってね? まず、病気とかではないんやって。ちょっと色々疲れがたまってて……それで、ホルモンが乱れて、体調悪くなったんちゃうかって」
さすがに、フェロモン値のことまでは言えなかった。いくら、お兄ちゃんみたいな宏兄であっても、そういう部分を話すのは恥ずかしいもん。
「そうか……」
宏兄は、真剣な顔で何度も頷いて。病気じゃないことに安堵しつつ、体調不良を心配してくれた。
「成、ずい分無理してたんだな……悪かった、気づけなくて」
「そんな、何言うてんのっ。ぼくだって気づいてなかったし。宏兄、ずっと助けてくれてるもん」
心苦しそうな宏兄に、ぎょっとしてしまう。
宏兄がいなかったら、一人で途方に暮れてたかもしれへんのに。感謝の気持ちを込めて、宏兄の瞳を見上げた。
「……成」
にっこり笑うと、そっと肩を引き寄せられる。シャツにくっついた片頬が、ほわりとあったかくなった。
――宏兄は、穏やかな声で囁く。
「足りないよ、成。お前は、一人で抱え込みすぎてるくらいだ」
「えっ、でも……」
思わず、ぱちりと目を見開く。宏兄は、大らかにほほ笑んだ。
「もっと俺を頼ってくれ。俺は、お前のためなら何でもする」
「宏兄……!」
余りにも、あったかい言葉に、瞼が熱くなる。
ぼくは、宏兄の温かい腕に凭れて、鼻を小さく啜った。
――優しい、宏兄……ずっと、かわらへん。
そっとシャツを握ったとき、ふわりと森の香りが鼻先を掠めた。
ぼくは、はっとする。
――『アルファのフェロモンで、オメガは安定するから……』
突然、弾かれたように身を離したぼくに、宏兄は驚いていた。
「どうした?」
「う、ううん。何でもないねん……!」
ぼくは、笑顔で首を振った。――どくどくと、不穏に鼓動する心臓が、ばれへんように祈りながら。
帰り着いたマンションの部屋で、ぼくはため息を吐く。
――宏兄、へんに思ってたかも……
しゅんと肩を落とす。
あの後――ごはんを食べて帰ろうってなったんやけど、ぼくがつい、上の空になってしまって。心配した宏兄が、「早く帰って寝た方がいい」って、送り届けてくれたんよ。
「ほんまは、お仕事のお手伝いの打ち合わせ、したかったのに……」
今日も一日、お世話になって。宏兄の大切な時間をもらってるから――何か、返したかった。
新作のお手伝いも、改稿の打ち直しも。たぶん、始まってるはずやと思う。でも、宏兄は、ぼくの体調のことばかり気遣ってくれて……
「――えい! しっかりせなっ」
ぱちん、と頬を叩く。
ぐじぐじ悩んだって、仕方ない。元気にならなくちゃ、宏兄は心配してお仕事に関わらせてくれへんやろうし。
「やからこそ……元気になるために、出来ることをするっ!」
そうと決めたら、さっそく動き出す。
勝手知ったる陽平の部屋に入ると、クローゼットを開けた。
「ええと……なにか、まだ洗ってない服、なかったっけ……?」
ごそごそと洋服を物色するものの、なかなか「香りの強い」衣服が見つからない。
「うーん、どれも洗剤のかおりやわあ……」
着っぱなしの服、置いておくことってないもんね。
唯一、クリーニングに出す予定の春コートを発見したけど……それさえ、臭い消しのフレグランスがほのかに香るのみ。
困り果てたとき――天啓が降りる。
「あ、そうやっ」
寝室に駆け込んで、お布団を持ち上げた。――ふわ、と薔薇のような香りが香る。ぼくは、ぱあっと顔を輝かせる。
「よかった……! これさえあれば、大丈夫!」
ばふ、と顔を埋めると――薔薇のような陽平のフェロモンが香る。おなかがほっこりして、安堵感に息を吐く。
――陽平が帰ってきてくれるまで。具合が悪くなっても、これでしのげる……!
アルファのフェロモンで、オメガが安定するって先生は言ってた。
それで……昨日、体調が悪くなったとき――宏兄のおかげで、助かったってわかってん。
――でも、もう宏兄のフェロモンには、頼ったらあかん。
ぼくのアルファは、陽平やもん。
そういうの、宏兄にも……陽平にも、申し訳ないことやって思うから。
「……明日、陽平に会いに行ってみよう」
そして、お互いの思ってること言い合って。誤解もきちんと解いて……もう一回、笑い合いたい。
「体調のことも、話さなきゃやもんね。二人のことやもん」
ぼくは、ぎゅっと布団を抱えた。
ロビーに戻ると、宏兄がソファからパッと立ち上がった。
「宏兄、ごめんね。長い時間、待っててもらって……!」
ぼくは、宏兄に駆け寄った。
今朝、ぼくをセンターまで送って来てくれて、それからずっと待ってくれてたん。有難さと申し訳なさで、眉がへにゃりと下がる。
「なにを。お前の大事に、当然だろう」
「宏兄」
力強い言葉に、じんと胸が熱くなる。
「で――どうだった」
宏兄は、ぼくの肩に大きな手を置いて、ソファに座らせると――静かに問う。灰色がかった目が、怖いくらい真剣や。
ぼくは、中谷先生の診断を、どう伝えようって悩みながら……まごまごと口を開いた。
「あの……いっぱい、検査してもらってね? まず、病気とかではないんやって。ちょっと色々疲れがたまってて……それで、ホルモンが乱れて、体調悪くなったんちゃうかって」
さすがに、フェロモン値のことまでは言えなかった。いくら、お兄ちゃんみたいな宏兄であっても、そういう部分を話すのは恥ずかしいもん。
「そうか……」
宏兄は、真剣な顔で何度も頷いて。病気じゃないことに安堵しつつ、体調不良を心配してくれた。
「成、ずい分無理してたんだな……悪かった、気づけなくて」
「そんな、何言うてんのっ。ぼくだって気づいてなかったし。宏兄、ずっと助けてくれてるもん」
心苦しそうな宏兄に、ぎょっとしてしまう。
宏兄がいなかったら、一人で途方に暮れてたかもしれへんのに。感謝の気持ちを込めて、宏兄の瞳を見上げた。
「……成」
にっこり笑うと、そっと肩を引き寄せられる。シャツにくっついた片頬が、ほわりとあったかくなった。
――宏兄は、穏やかな声で囁く。
「足りないよ、成。お前は、一人で抱え込みすぎてるくらいだ」
「えっ、でも……」
思わず、ぱちりと目を見開く。宏兄は、大らかにほほ笑んだ。
「もっと俺を頼ってくれ。俺は、お前のためなら何でもする」
「宏兄……!」
余りにも、あったかい言葉に、瞼が熱くなる。
ぼくは、宏兄の温かい腕に凭れて、鼻を小さく啜った。
――優しい、宏兄……ずっと、かわらへん。
そっとシャツを握ったとき、ふわりと森の香りが鼻先を掠めた。
ぼくは、はっとする。
――『アルファのフェロモンで、オメガは安定するから……』
突然、弾かれたように身を離したぼくに、宏兄は驚いていた。
「どうした?」
「う、ううん。何でもないねん……!」
ぼくは、笑顔で首を振った。――どくどくと、不穏に鼓動する心臓が、ばれへんように祈りながら。
帰り着いたマンションの部屋で、ぼくはため息を吐く。
――宏兄、へんに思ってたかも……
しゅんと肩を落とす。
あの後――ごはんを食べて帰ろうってなったんやけど、ぼくがつい、上の空になってしまって。心配した宏兄が、「早く帰って寝た方がいい」って、送り届けてくれたんよ。
「ほんまは、お仕事のお手伝いの打ち合わせ、したかったのに……」
今日も一日、お世話になって。宏兄の大切な時間をもらってるから――何か、返したかった。
新作のお手伝いも、改稿の打ち直しも。たぶん、始まってるはずやと思う。でも、宏兄は、ぼくの体調のことばかり気遣ってくれて……
「――えい! しっかりせなっ」
ぱちん、と頬を叩く。
ぐじぐじ悩んだって、仕方ない。元気にならなくちゃ、宏兄は心配してお仕事に関わらせてくれへんやろうし。
「やからこそ……元気になるために、出来ることをするっ!」
そうと決めたら、さっそく動き出す。
勝手知ったる陽平の部屋に入ると、クローゼットを開けた。
「ええと……なにか、まだ洗ってない服、なかったっけ……?」
ごそごそと洋服を物色するものの、なかなか「香りの強い」衣服が見つからない。
「うーん、どれも洗剤のかおりやわあ……」
着っぱなしの服、置いておくことってないもんね。
唯一、クリーニングに出す予定の春コートを発見したけど……それさえ、臭い消しのフレグランスがほのかに香るのみ。
困り果てたとき――天啓が降りる。
「あ、そうやっ」
寝室に駆け込んで、お布団を持ち上げた。――ふわ、と薔薇のような香りが香る。ぼくは、ぱあっと顔を輝かせる。
「よかった……! これさえあれば、大丈夫!」
ばふ、と顔を埋めると――薔薇のような陽平のフェロモンが香る。おなかがほっこりして、安堵感に息を吐く。
――陽平が帰ってきてくれるまで。具合が悪くなっても、これでしのげる……!
アルファのフェロモンで、オメガが安定するって先生は言ってた。
それで……昨日、体調が悪くなったとき――宏兄のおかげで、助かったってわかってん。
――でも、もう宏兄のフェロモンには、頼ったらあかん。
ぼくのアルファは、陽平やもん。
そういうの、宏兄にも……陽平にも、申し訳ないことやって思うから。
「……明日、陽平に会いに行ってみよう」
そして、お互いの思ってること言い合って。誤解もきちんと解いて……もう一回、笑い合いたい。
「体調のことも、話さなきゃやもんね。二人のことやもん」
ぼくは、ぎゅっと布団を抱えた。
あなたにおすすめの小説
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
完結しました!ありがとうございました。
文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結保証】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる──
侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。
だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。
アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。
そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。
「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」
これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。
4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
幼馴染がいじめるのは俺だ!
むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに...
「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」
「はっ...ぁ??」
好きな奴って俺じゃないの___!?
ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子
ーーーーーー
主人公 いじめられっ子
小鳥遊洸人
タカナシ ヒロト
小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。
姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。
高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、
脳破壊。
千透星への恋心を自覚する。
幼馴染 いじめっ子
神宮寺 千透星
ジングウジ チトセ
小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。
美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている)
転校生の須藤千尋が初恋である
愛され方を教えて
あちゃーた
BL
主人公リハルトは自分を愛さなかった元婚約と家族のために無惨に死んだ…はずだった。
次に目が覚めた時、リハルトは過去に戻っていた。
そこは過去のはずなのにどこかおかしくて…
世継ぎは他の妃が産めばいい——子を産めない私ですが、帝の寵愛を独占して皇后になりました
由香
恋愛
後宮に入る女の価値は、ただ一つ。
——皇子を産めるかどうか。
けれど私は、産めない。
ならば——
「世継ぎは他の妃に任せます。私は、陛下に愛される女になります」
そう言い放ったその日から、すべてが狂い始めた。
毒を盛られても、捨てられず。
皇子が生まれても、選ばれたのは私だった。
「お前は、ここにいろ」
これは、子を産めない女が
ただ一つの武器“寵愛”だけで頂点に立つ物語。
そして——
その寵愛は、やがて狂気に変わる。