いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第一章~婚約破棄~

五十八話

 夕日の差し込む教室で、ぼくと陽平は抱き合っていた。
 ああ、これは――親友だった陽平が婚約者になった日のことや。この日、初めて……ぼくは、陽平のフェロモンを知った。
 
「薔薇みたい……」
 
 ふわ、と淡く香る――華やかで、高貴な香り。
 陽平は、フェロモンのコントロールが得意で……ぼくの傍にいるとき、細心の注意を払ってくれていた。なのに、今の陽平からは良い匂いがする。
 
 ――もっと、近しくなれたからかな。嬉しい……
 
 ちょっとドキドキしながら、厚い胸に頬をくっつけてると、陽平が恥ずかしそうに言う。
 
「な……アホ。そういうこと言うな」
「あ、ごめん。ついっ」
 
 急に恥ずかしくなって、どちらからともなく、体を離す。見上げた陽平の頬は、夕日のせいだけやなくて赤い。……たぶん、ぼくも同じ。
 
 ――ずっと友達やったから……ちょっと照れくさいかも。
 
 ほかほかと熱る頬を両手で押さえていると、陽平が咳払いする。
 
「まあ……婚約するってことで。近々、父さんにお前のことを話そうと思う」
「!」
「そしたら、もう後戻りは出来ねえけど……いいな?」
「あ……」
 
 真剣な目で見据えられ、ぼくはどきっとした。
「お義父さんに話す」。その言葉に一気に現実が迫り、ぼくは大切なことを思いだしたんよ。
 
「陽平……ごめん!」
「……は!?」
 
 がば、と頭をさげたぼくに、陽平が素っ頓狂な声を出す。
 
「あのね、その前に言わなあかんことがあんねん。――大事なことなんよ」
 
 ぼくは、怪訝そうな陽平に、自分の体の事情を説明した。――子宮が未熟で、ヒートのコントロールをしていること。主治医の見立てでは、あと三年はヒートを起こせそうにないこと……
 陽平は、僅かに目を見開き――静かに頷いた。
 
「そっか」
 
 黙ってぼくを見ている陽平に、焦りが募る。
 
 ――『申し訳ない。やっぱり、後継ぎの望める人をと……』
 ――『すみません。今回のことは白紙にしてください』
 
 今まで、からだの事情を話したら――順調やったお見合いも、ぜんぶ破談になってしもたもん。
 ……オメガとの婚姻は、アルファの方に負担が大きい。やから、仕方ないのはわかってるんやけど、怖くてたまらへん。
 
「で?」
「……え?」
 
 顔を上げると、陽平は呆れ顔やった。
 
「他に、婚約ためらってる理由はねーんだな?」
「う、うん。無いよ」
「ならいいじゃん」
 
 あっさり言われてしまい、ぼくは慌てた。
 
「ま、待って……ほんとにいいの? もしかしたら、なかなか赤ちゃん出来ひんかも……」
「別に、ガキと結婚するわけじゃねーから。いいよ、いくらでも待てるし」
「……陽平」
「てか俺は、お前とだから…………言わせんなよ、成己のアホ」
 
 陽平は、照れくさそうに、悪態を吐く。荒っぽいくせに、あんまり優しい言葉に……ぼくはくしゃっと顔を歪めた。
 熱い瞼を、両手で押さえると――ほろほろと涙がこぼれ落ちる。
 
 ――ほんとにいいの?
 
 ぼくでいいんやって、言ってもらえて……胸の奥がほんわりと幸福に満たされる。
 しゃくりあげるのを堪えると、そっと頭を引き寄せられた。
 
「……泣くなって」
「……だって、嬉しい。ありがとう、陽平……」
 
 陽平のシャツをきゅっと握りしめると……また、ふわりと良い香りがする。
 それに包まれていると、おなかの奥まで、あったかくなっていくみたい。――陽平の腕のなかで、ぼくはうっとりと目を閉じた。
 
 ――陽平、ぼく頑張るね……成己で良かったって、言ってもらえるように。
 
 心のなかで、誓う。
 ぼくを選んでくれた陽平に……オメガとして、パートナーとして報いたいから。
 
「陽平っ……」
 
 涙を拭って、顔を上げる。
 すると――目の前に、陽平はいなかった。
 
 
 
 
「え?」
 
 教室には、ぼく一人。
 夕日は、すっかり傾いて――窓の外は、真っ暗闇が広がっている。
 
「陽平? どこ?」
 
 ぼくは、慌ててあたりを見まわした。
 すると……突然、脳を刺し貫くような、香りが充満し始める。
 
「うっ……」
 
 先までの、優しい香りじゃない。毒々しくて、むせかえるような香り……思わず、口を手で覆うと――目の前の景色が変化する。
 
「!」
 
 そこは、大学の演習室。
 ソファの上で、陽平が蓑崎さんと抱き合っていた。ギシギシと軋む音、熱っぽいかすれ声――そして、かわらず充満する香りに、全身の毛が逆立った。
 
「やめて!」
 
 熱っぽい瞳で、陽平は蓑崎さんを見つめてる。二人は……愛おしくてたまらないように、体を擦りつけあっている。
 どうして――ぼくは、泣きたくなった。
 
「やめて、陽平……! ぼくが、陽平のオメガやろ!」
 
 必死に叫ぶ。すると――陽平は、ぼくに目を向けた。
 そして……冷たい声で、言い捨てる。
 
「うるせえ、欠陥品」
 
 
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