いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
86 / 505
第二章~プロポーズ~

八十五話 ■【SIDE:中谷先生】 

 やわらかな相槌が聞こえなくなって、私は会話の相手が眠ってしまったことを知った。
 
「成己くん?」
「……すぅ」
 
 成己くんは、診察台に身を横たえ、すやすやと穏やかな寝息を立てている。
 せっかくだから、具合を診よう――と、私の診察室にやってきたのが、十数分前のことだった。
 立花くんが目を丸くし、声を潜める。
 
「あら。成己くん、寝ちゃったんですねぇ……」
「うん。起きて動いて、疲れたんだろう」
 
 成己くんと顔を合わせた時から、病み上がりの体をおしてセンターに来たと、すぐにわかった。診察と称し、休ませてあげたい気持ちもあったのだ。
 
「……」
 
 気を利かせた立花くんが、奥の部屋へブランケットを取りに行っている間――私は、診察台の脇に座って、成己くんを見守った。
 淡い色彩の、少年のあどけなさを残した、美しい顔だち。……派手さはないけれど、清楚で瑞々しい花のような男の子だ。
 オメガはその性質上、人を強く惹きつける容姿をしているものだが、成己くんも例外ではなかった。
 とはいえ、
 
「……よくお休み」
 
 小さく丸まって眠る成己くんに、目尻が下がる。
 私や立花くん……このセンターに勤めているものには、「彼がオメガであること」は表面的なことだった。
 成己くんは、小説と美味しいものに目がなくて。人懐っこくて、素直な……優しい子だ。
 ただ、幸せになって欲しい。
 子どもの頃と変わらず、あどけない表情で眠る成己くんの顔は、青白い。頬のラインも、痩せて尖っていた。――ここ何週間で、この子の身に起こった不幸を思い、目頭が熱くなる。
 
 ――いや……まだ、終わってはいないのか……?
 
 私は、昨日……野江さんの家を出て、センターへ戻ってからの出来事を思い起こした。
 
 
 
 
 
「何ですって!」
 
 電話口に向かって、私は驚愕の声を上げた。
 
『――ですから、見合いの話は無かった事にしていただきたいと』
「それが、何故ですか。そちら様が、春日を大変気に入ってくださっていたはずで……」
『では、今はもうお気に召さないというわけでしょう』
 
 冷酷に感じるほど、淡々とした声音で言い切り、「代理人」と名乗るものは通話を切った。ツー……と無機質な音が響く。
 
「どうして……!」
 
 私は受話器を投げ捨てるように置き、頭をかきむしった。
 仕事相手などの伝手を頼り、必死にかき集めた、成己くんの見合いの相手が……突然、続々と断りの連絡を寄こしてきている。
 しかも、先ほどの相手で、まだマシな方なのだ。こちらを罵倒するものもいる。
 事務長の山村くんが応対した相手など、「素行の悪いオメガを斡旋するなど、センターの信用問題だ」とまで、言ったらしい。
 
「今更、どういうつもりなんだ。成己くんの事情は、納得済みだったはず……それがどうして、今になって、手のひらを返すんだ?」
 
 もろもろの事情を汲んだ上で、「是非に」と申し出てくれたんじゃなかったのか。大体、素行が悪いなどと失礼千万だろう。
 焦りと困惑で、頭が熱くなる。

「せっかく……成己くんが頷いてくれたのに」

 野江さんの家で、顔を合わせた成己くんは……霞のようだった。
 あの子は、いつも通りに振る舞おうとしていたけれど……酷い打撃を受けているのは明白だった。
 この上、夢破れてはどうなるのかと……怖くて堪らなくて。必死に焚き付けて、「見合いをする」と約束してもらったのだ。
 それが――

「!」

 また、電話の着信音が鳴る。
 私は恐る恐る受話器に手を伸ばした。

「もしもし。中谷です――」

 それは予想通り、また断りの電話だった。
 しかし、今までと様子が、違った。――断りの理由が、わかったのだ。

『お力になれず、申し訳ない』

 通話の相手は、上原さんと言う実業家で……以前、私が受け持っていたオメガの患者の縁者だった。彼は私に信頼を置いてくれ――今回のことも、積極的に力になると申し出てくれていた。

「何故か……聞いても構いませんか?」
『……すみません。それは……』
「どうか、お願いします。大切なことなんです。理由もなく、見合いが断られていて……」

 さんざん食い下がると、彼は躊躇ったあと……「自分が言ったと他言しないで欲しい」と前置きし、話してくれた。

『城山家の元婚約者は……不品行甚だしい毒婦であり、さらに、肉体的欠陥を隠していたことが発覚し、離縁されたのだと……社交界でもちきりです』
「……なっ!? 馬鹿な、事実無根だ!」

 私はかっとなって叫んだ。
 成己くんは、包み隠さず身体的な事情を伝え、城山さんと婚約した。
 それに、不品行などと。他のオメガと関係を持ち、成己くんを追い出したのは、どこの誰だと言うのか――
 そこまで考えて、私は気づいた。

「上原さん。この噂の出処は……」
『……はい。城山の奥方様が……話好きのご友人方に、説明しておられました。噂は広まり……春日さんのことを、庇う方はいないようです』
「……なんてことを」

 絶句だった。
 あれほどの不貞を働きながら……さらに、成己くんを貶めようと言うのか?

――一度は、家族になろうと思った相手じゃないのか!?

 憤りに、息が詰まる。

『申し訳ない、先生。春日さんには、お会いしたことがありますし、噂は事実無根だと、わかっています。ですが、うちは……城山家とは、取引を続けていかないといけないんです。本当に、情けない限りですが……』

 沈痛な声の上原さんに、私は絶望的な気持ちになる。
 いつ通話を切ったか、わからないまま……呆然と頭を抱えた。

「どうしよう……」

 城山家は、どうしてこんなことを……。
 わからない。はっきりしているのは……成己くんに知られてはいけないことだ。
 あれほどの目に合わされたのに、こんな不名誉な噂を立てられているなんて……今度こそ、壊れてしまう。

「だが、どうしたら? 見合いができなければ、同じだ……」

 私は難題を受け――全身から、しとどに冷や汗を噴いた。
 不眠不休で、心当たりを当たった。それでも、増えていくのは、断りの電話だけだった……




「……今朝、君がセンターへ来たと聞いたとき、本当に辛かった」

 武士なら、切腹していたと思う。
 今朝のことを思い出していると……診察室のカーテンが開く。立花くんの後ろから、聳えるような長身の若者が現れ、私は目を見開いた。

「中谷先生、お疲れ様です。成はどうですか?」
「あ……野江さん! お疲れ様」

 威圧的なまでの美貌だが、大らかな笑みのためか、ただ好ましい印象を与える。野江さんは、幼いときからそういう子だった。

「成己くんは、そこで眠っているよ。疲れたみたいなんだ」
「ああ、本当ですね。お待たせ、成。――」

 いそいそと、診察台に近づいた野江さんが跪く。成己くんの頬を、驚くべき優しさで、撫でているのを見て……安堵に胸がはち切れそうになる。

――ああ、よかった……!

 絶望の感慨だったけれど。
 成己くんと、野江さんが結婚するのを聞いて、本当に嬉しかった。これで、成己くんに辛い思いをさせずに済むんだと――

「……いや」

 穏やかな気持ちで、寄り添う二人を見ていた私は、はっとする。

――野江さんにも、話しておいたほうがいいだろう。

 城山家が、成己くんに嫌がらせしていること……どうか知って、あの子の耳を塞いでほしい。
 成己くんの手を握る野江さんに、私は意を決して切り出した。

「野江さん、大事なお話があるんです。成己くんには絶対に言わないでほしいのですが、実は――」

感想 280

あなたにおすすめの小説

運命の番は僕に振り向かない

ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。 それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。 オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。 ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。 ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。 ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。 ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。 完結しました!ありがとうございました。

文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる── 侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。 だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。 アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。 そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。 「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」 これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。 ⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。 4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

幼馴染がいじめるのは俺だ!

むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに... 「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」 「はっ...ぁ??」 好きな奴って俺じゃないの___!? ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子 ーーーーーー 主人公 いじめられっ子 小鳥遊洸人 タカナシ ヒロト 小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。 姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。 高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、 脳破壊。 千透星への恋心を自覚する。 幼馴染 いじめっ子 神宮寺 千透星 ジングウジ チトセ 小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。 美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている) 転校生の須藤千尋が初恋である

愛され方を教えて

あちゃーた
BL
主人公リハルトは自分を愛さなかった元婚約と家族のために無惨に死んだ…はずだった。 次に目が覚めた時、リハルトは過去に戻っていた。 そこは過去のはずなのにどこかおかしくて…

世継ぎは他の妃が産めばいい——子を産めない私ですが、帝の寵愛を独占して皇后になりました

由香
恋愛
後宮に入る女の価値は、ただ一つ。 ——皇子を産めるかどうか。 けれど私は、産めない。 ならば—— 「世継ぎは他の妃に任せます。私は、陛下に愛される女になります」 そう言い放ったその日から、すべてが狂い始めた。 毒を盛られても、捨てられず。 皇子が生まれても、選ばれたのは私だった。 「お前は、ここにいろ」 これは、子を産めない女が ただ一つの武器“寵愛”だけで頂点に立つ物語。 そして—— その寵愛は、やがて狂気に変わる。