92 / 505
第二章~プロポーズ~
九十一話
「うん……これくらいでいいかなっ」
額の汗を拭い、リビングを見回した。
空気の入れ替えのために、開け放した窓から涼しい風が入ってくる。つやつやに拭き上げた床が、きらりと光った。使い終わった布巾をバケツをじゃぶじゃぶ洗う。
「それにしても……さすが宏兄、きれいにしてるなぁ」
張り切って掃除に臨んでみたけれど、拍子抜けするくらい綺麗やった。
本や置物、あちこちの壁にかかった絵を始め――このお家は物が凄く多い。なのに、全然ホコリも溜まってなくて、片付いてる。キッチンや水回りもぴかぴかで、清潔そのものやったし。
さすがに書斎だけは、宏兄のお留守に入れなくて、遠慮したけど……この分やと、散らかってなさそう。
――そういえば、宏兄は高校から家出てるし。一人で何でもできるんや……
ほう、と感嘆の息を吐く。
陽平とは、全然違う。……陽平は、まあまあ亭主関白というか、うちでは何もしなかったから。実家でも、お手伝いさんいるって言うてたし。
もちろん、器用やからやれば出来るんやろうけど……甘えんぼで、手がかかった。
――『成己ー、腹へった』
――『成己ー、タオルねえぞ』
――『成己ー、寒い。やっぱ暑い』
ぼくも慣れてなくて、至らへんせいか、よく「成己ー」って呼びつけられたっけ。奥さんって、こういう感じかなーって、思ったものやったけど……
「宏兄は……陽平と全然ちがうんや」
違う人やから、当たり前やけど。
仕事も家事も、きっちりしてて。本当に自立した大人の人なんやって、改めて感じる。
「……うぅ」
知らず、しょんぼりと肩が落ちた。
「し、正直……ちょっと寂しいような。――いや、なにを贅沢言うてるねんっ!」
弱気になる自分に、喝を入れる。
何でもできて、頼りになって。宏兄は本当に素敵な人なんやから。くよくよしないで、頑張らなくちゃ。
ぎゅぎゅ、と布巾を固く絞り、布巾かけに広げてかけた。
「とにかく……ぼくに出来ることをする。お掃除は終わったし、つぎはご飯っ!」
宏兄は、お店の冷蔵庫を日常用にも使ってるみたい。一階のお店まで降りて、ごそごそと中身を漁る。
「わあ、お肉も、野菜もいっぱいある。お豆腐に、麺類も……」
さすが、お仕事用の冷蔵庫だけに、大きい。たくさん食材が入ってて、何でもそろってる。その分、選択肢が無数に広がっていて――ぼくは首を捻った。
「えと……なに作ろうかなあ? 引っ越してきたから、おそば。夏やし、スタミナつけるために天ぷら。いっそ麻婆豆腐とかでも……」
うんうん唸る。
宏兄に、初めて作るごはんやから。やっぱり、「美味しい」って思ってほしいし、喜んでもらえるものにしたい。――今朝の、嬉しそうな宏兄の顔を思い出し、気合が入る。
「あっ、そういえば!」
ふいに、思い出す。
「いつやったか……ぼくが、センターで肉じゃがを習ったって話したら……宏兄、「食べたい」って言うてた!」
活路が見えて、ぱあっと目の前が明るくなった。
センターの肉じゃが、美味しいんよ。甘くて、お芋がほこほこしてて。
ぼくも小さいときから食べてて、大好きなメニューや。宏兄もきっと、小さいときに食べた味が、懐かしいのに違いない。
「そうしよっ。肉じゃがやったら、置いておくほど美味しいし。それと、なんか副菜二つくらい付けて……!」
冷蔵庫を見て、副菜はトマトサラダと、煮ひじきに決める。鼻歌を歌いながら、じゃがいもを取り出したところで……ぼくは「あっ」と声を上げる。
「糸こんがないっ」
ニ十分後、ぼくは糸こんを求めて、近くのスーパーへ来ていた。
「――買えたぁ、糸こんにゃく!」
エコバッグに品物を入れて、ほっと息を吐く。無くても作れるけど、せっかくやから、完全体で食べて欲しいもんね。
「ふふ。肉じゃがは、糸こんあってこそやもんね~」
お肉とじゃがいもに怒られそうなことを言いながら、出口へ向かう。今日は安売りの日のせいか、店内はお客さんで賑わってる。
青果コーナーのメロンに見惚れつつ、店内を横切ったときやった。
「――なあ、陽平。ここハーブとか揃えてる?」
――!?
突如、聞こえてきた声に、ギクリとする。
咄嗟に、高く積まれた買い物かごの影に、身を隠す。すると――声がもう一つ、聞こえてきた。
「知らねぇけど。売ってんじゃねえの」
ぶっきら棒な、甘い声……聞き間違えようがなかった。ぼくはこっそりと、様子を窺った。
――やっぱり! 陽平と。蓑崎さん……!
二人は寄り添って歩きながら、買い物をしてるみたいやった。ぼくは、心臓が不穏に鼓動するのを感じた。
――そういえば……ここのスーパー、マンションからも近い……
何も考えず、安さにつられた自分の迂闊さを呪う。
二人は、ぼくには気づいてないみたいで、楽しそうに談笑している。
「はあ? お前なー、どこの店が何置いてるかくらい、把握しとけって」
「んだよ。別に、困らねえだろ」
「俺が困んだよ。食材が足りねえと、やる気半減すんの」
蓑崎さんは、陽平の持つ買い物かごに、どんどん食材を入れている。文句を言いつつ、陽平の横顔は笑ってて。
――陽平……買い物に一緒に来たことなんて、ないのに……!
ずき、と胸が痛んだ。
笑い合う二人は、恋人のように睦まじい。ひょっとして……今から、二人は一緒にごはんを食べるんやろうか。
あのマンションで……あのキッチンで、蓑崎さんが作るごはんを。
「……っ!」
ぼくは、その場に居られなくて――走り去った。
宏兄の家に帰りついて、ぼくは荒い息を吐く。
「……はぁ、はぁ……」
二人の姿が、目の裏にこびりついてる。振り払いたくて、激しく頭をふった。
「もう、関係ないっ……!」
ぼくだって、宏兄と一緒にいるんやから。――終わったことなんやから!
そう、言い聞かせるのに。
――陽平……ぼくなんか、おらんくても元気そうやった……
自分が、惨めで仕方なかった。
やっぱり、ぼくは――陽平に「いらない」と思われたんやって、思い知らされて。
ぼくなんか居なくても、蓑崎さんがいるから。
彼は綺麗やし、ご飯も上手で。頭が良くて、社交も出来て……なにひとつ、ぼくが秀でる部分がなかったんやもん。
「……っ」
どうしよう。もう終わったはずなのに――すごく痛い。
胸を押さえて、ぼくは立ち尽くした。
額の汗を拭い、リビングを見回した。
空気の入れ替えのために、開け放した窓から涼しい風が入ってくる。つやつやに拭き上げた床が、きらりと光った。使い終わった布巾をバケツをじゃぶじゃぶ洗う。
「それにしても……さすが宏兄、きれいにしてるなぁ」
張り切って掃除に臨んでみたけれど、拍子抜けするくらい綺麗やった。
本や置物、あちこちの壁にかかった絵を始め――このお家は物が凄く多い。なのに、全然ホコリも溜まってなくて、片付いてる。キッチンや水回りもぴかぴかで、清潔そのものやったし。
さすがに書斎だけは、宏兄のお留守に入れなくて、遠慮したけど……この分やと、散らかってなさそう。
――そういえば、宏兄は高校から家出てるし。一人で何でもできるんや……
ほう、と感嘆の息を吐く。
陽平とは、全然違う。……陽平は、まあまあ亭主関白というか、うちでは何もしなかったから。実家でも、お手伝いさんいるって言うてたし。
もちろん、器用やからやれば出来るんやろうけど……甘えんぼで、手がかかった。
――『成己ー、腹へった』
――『成己ー、タオルねえぞ』
――『成己ー、寒い。やっぱ暑い』
ぼくも慣れてなくて、至らへんせいか、よく「成己ー」って呼びつけられたっけ。奥さんって、こういう感じかなーって、思ったものやったけど……
「宏兄は……陽平と全然ちがうんや」
違う人やから、当たり前やけど。
仕事も家事も、きっちりしてて。本当に自立した大人の人なんやって、改めて感じる。
「……うぅ」
知らず、しょんぼりと肩が落ちた。
「し、正直……ちょっと寂しいような。――いや、なにを贅沢言うてるねんっ!」
弱気になる自分に、喝を入れる。
何でもできて、頼りになって。宏兄は本当に素敵な人なんやから。くよくよしないで、頑張らなくちゃ。
ぎゅぎゅ、と布巾を固く絞り、布巾かけに広げてかけた。
「とにかく……ぼくに出来ることをする。お掃除は終わったし、つぎはご飯っ!」
宏兄は、お店の冷蔵庫を日常用にも使ってるみたい。一階のお店まで降りて、ごそごそと中身を漁る。
「わあ、お肉も、野菜もいっぱいある。お豆腐に、麺類も……」
さすが、お仕事用の冷蔵庫だけに、大きい。たくさん食材が入ってて、何でもそろってる。その分、選択肢が無数に広がっていて――ぼくは首を捻った。
「えと……なに作ろうかなあ? 引っ越してきたから、おそば。夏やし、スタミナつけるために天ぷら。いっそ麻婆豆腐とかでも……」
うんうん唸る。
宏兄に、初めて作るごはんやから。やっぱり、「美味しい」って思ってほしいし、喜んでもらえるものにしたい。――今朝の、嬉しそうな宏兄の顔を思い出し、気合が入る。
「あっ、そういえば!」
ふいに、思い出す。
「いつやったか……ぼくが、センターで肉じゃがを習ったって話したら……宏兄、「食べたい」って言うてた!」
活路が見えて、ぱあっと目の前が明るくなった。
センターの肉じゃが、美味しいんよ。甘くて、お芋がほこほこしてて。
ぼくも小さいときから食べてて、大好きなメニューや。宏兄もきっと、小さいときに食べた味が、懐かしいのに違いない。
「そうしよっ。肉じゃがやったら、置いておくほど美味しいし。それと、なんか副菜二つくらい付けて……!」
冷蔵庫を見て、副菜はトマトサラダと、煮ひじきに決める。鼻歌を歌いながら、じゃがいもを取り出したところで……ぼくは「あっ」と声を上げる。
「糸こんがないっ」
ニ十分後、ぼくは糸こんを求めて、近くのスーパーへ来ていた。
「――買えたぁ、糸こんにゃく!」
エコバッグに品物を入れて、ほっと息を吐く。無くても作れるけど、せっかくやから、完全体で食べて欲しいもんね。
「ふふ。肉じゃがは、糸こんあってこそやもんね~」
お肉とじゃがいもに怒られそうなことを言いながら、出口へ向かう。今日は安売りの日のせいか、店内はお客さんで賑わってる。
青果コーナーのメロンに見惚れつつ、店内を横切ったときやった。
「――なあ、陽平。ここハーブとか揃えてる?」
――!?
突如、聞こえてきた声に、ギクリとする。
咄嗟に、高く積まれた買い物かごの影に、身を隠す。すると――声がもう一つ、聞こえてきた。
「知らねぇけど。売ってんじゃねえの」
ぶっきら棒な、甘い声……聞き間違えようがなかった。ぼくはこっそりと、様子を窺った。
――やっぱり! 陽平と。蓑崎さん……!
二人は寄り添って歩きながら、買い物をしてるみたいやった。ぼくは、心臓が不穏に鼓動するのを感じた。
――そういえば……ここのスーパー、マンションからも近い……
何も考えず、安さにつられた自分の迂闊さを呪う。
二人は、ぼくには気づいてないみたいで、楽しそうに談笑している。
「はあ? お前なー、どこの店が何置いてるかくらい、把握しとけって」
「んだよ。別に、困らねえだろ」
「俺が困んだよ。食材が足りねえと、やる気半減すんの」
蓑崎さんは、陽平の持つ買い物かごに、どんどん食材を入れている。文句を言いつつ、陽平の横顔は笑ってて。
――陽平……買い物に一緒に来たことなんて、ないのに……!
ずき、と胸が痛んだ。
笑い合う二人は、恋人のように睦まじい。ひょっとして……今から、二人は一緒にごはんを食べるんやろうか。
あのマンションで……あのキッチンで、蓑崎さんが作るごはんを。
「……っ!」
ぼくは、その場に居られなくて――走り去った。
宏兄の家に帰りついて、ぼくは荒い息を吐く。
「……はぁ、はぁ……」
二人の姿が、目の裏にこびりついてる。振り払いたくて、激しく頭をふった。
「もう、関係ないっ……!」
ぼくだって、宏兄と一緒にいるんやから。――終わったことなんやから!
そう、言い聞かせるのに。
――陽平……ぼくなんか、おらんくても元気そうやった……
自分が、惨めで仕方なかった。
やっぱり、ぼくは――陽平に「いらない」と思われたんやって、思い知らされて。
ぼくなんか居なくても、蓑崎さんがいるから。
彼は綺麗やし、ご飯も上手で。頭が良くて、社交も出来て……なにひとつ、ぼくが秀でる部分がなかったんやもん。
「……っ」
どうしよう。もう終わったはずなのに――すごく痛い。
胸を押さえて、ぼくは立ち尽くした。
あなたにおすすめの小説
世継ぎは他の妃が産めばいい——子を産めない私ですが、帝の寵愛を独占して皇后になりました
由香
恋愛
後宮に入る女の価値は、ただ一つ。
——皇子を産めるかどうか。
けれど私は、産めない。
ならば——
「世継ぎは他の妃に任せます。私は、陛下に愛される女になります」
そう言い放ったその日から、すべてが狂い始めた。
毒を盛られても、捨てられず。
皇子が生まれても、選ばれたのは私だった。
「お前は、ここにいろ」
これは、子を産めない女が
ただ一つの武器“寵愛”だけで頂点に立つ物語。
そして——
その寵愛は、やがて狂気に変わる。
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
完結しました!ありがとうございました。
幼馴染しか見えない婚約者と白い結婚したので、夜明け前にさよならしました
ゆぷしろん
恋愛
公爵令嬢レティシアは、家同士の都合で伯爵アルフレッドに嫁ぐ。
けれど夫は結婚後もずっと幼馴染のシルヴィばかりを優先し、婚礼の夜から夫婦として触れ合おうともしなかった。名ばかりの妻として伯爵家を支え、領地経営まで立て直しても、彼にとってレティシアは“都合のいい伯爵夫人”でしかない。
やがて結婚一周年の夜、アルフレッドが自分を手放す気はない一方で、幼馴染を屋敷に迎え入れようとしている会話を聞いてしまったレティシアは、ついに決意する。
――もう、この結婚には見切りをつけよう。
夜明け前、彼女は離縁の準備を整え、伯爵邸を出奔。
身を寄せた北の港町で薬舗を手伝いながら、自分の力で生きる穏やかな日々を手に入れていく。そこで出会ったのは、身分ではなく一人の女性として彼女を尊重してくれる青年医師ノアだった。
一方、都合よく尽くしてくれる妻を失ったアルフレッドは、ようやく自分が何を失ったのかを思い知ることになる。
幼馴染ばかりを優先する婚約者との白い結婚に終止符を打ち、傷ついた公爵令嬢が新天地で本当の幸せを掴む、離縁から始まる逆転ラブストーリー。
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
いい加減観念して結婚してください
彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話
元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。
2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。
作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。
死ぬまでに叶えたい十の願い
木風
恋愛
「あなたを妻として、愛することはない。おそらく、生涯抱くこともないだろう」
三年間の白い結婚——捨て置かれた王太子妃エリアーナに、側妃が『死の呪い』をかけ余命一年を宣告する。
離縁を願うも拒否され、代わりに「死ぬまでに十の願いを叶えて」と契約する——
二人きりの外出、星空、海…ささやかな願いが王太子の心をほどいていく。
文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結保証】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる──
侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。
だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。
アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。
そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。
「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」
これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。
4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。