いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第三章~お披露目~

百三十一話【SIDE:陽平】

 振り返ったその男は、僅かに目を丸め――すぐに、穏やかな笑みを浮かべる。
 
「城山くんじゃないか。久しぶりだな」
 
 悠然と腕を開いて立っている姿に、溢れんばかりの余裕が見て取れて、憤りが増した。
 殴りかかってきたら、ぶちのめしてやるつもりだったのに。
 
 ――こいつは、成己に会いに来たに違いねえ。なら、あいつがどんな状況にいるか、わかっているはず!
 
 あいつを捨てた俺を見ても、へらへらした笑みを浮かべていられるとは。大した「優しいお兄ちゃん」だ。
 不快感から、奴を鋭く睨みつけてやると、その背後の職員が「ひっ」と引き攣れた声を上げた。
 野江は片眉を跳ね上げ、その職員を背に庇うように移動する。
 
「城山くん、無差別に威圧するのは止すんだ」
「あんたこそ、俺に説教なんて僭越な真似はやめろ……それほど、センターの職員に気に入られたいのか?」
 
 鼻で笑ってやると、野江は不思議そうに首を傾げた。
 
「ん? どういうことだ」
「とぼけんなよ。貧乏人が身の丈に合わねえ「買い物」するときは、店員に媚を売るんだろ? 野江家ともあろうものが、いじましい交渉術だな」
 
 野江の片眉がピクリと動く。
 
「気づいていなかったとでも思うのか? あんたが、成己を見る目ときたら! はっ、他人の家のメシを覗き込む犬みてえだったぜ」
 
 なにが「宏兄」だ。なにが、「弟」だ!
 婚約者の顔を潰していることにも気づかず、この野郎に馬鹿みたいに懐く成己に、どれ程むかっ腹がたったか。
 
 ――身の程を思い知れ、三流アルファが!

 てめえでオメガにありつけねえからって、人の婚約者の周りをウロチョロしやがって。 
 絶対に、分際を弁えさせてやる。――残酷な感情が、胸の奥でふつふつと煮えたぎっていた。
 俺は一歩近づくと、野江の腕を軽く叩く。
 
「稼ぎがねえと惨めだな。俺の捨てたもんを、満足に拾う事さえ出来ねえんだから。――ひとつ忠告しとくと、センターの職員に媚を打っても、雇われのそいつらに値下げなんかできねえぞ」
「……」
 
 野江は、きつく唇を結んでいる。大方、悔しさを堪えているのだろう。

 ――ほら見ろ。分別ぶっても、所詮はこんなもんだ。

 俺は、大の男の矜持を踏みにじる残忍な喜びに、笑わずにはいられない。
 
「無駄なあがき、ご苦労さん」
 
 ぐっと顔を近づけて、せせら笑った。自分の目が、ぎらぎらしているのがわかる。胸をせり上げる衝動のまま、このクソ野郎を甚振りつくさなきゃ、気がすまなかった。
 
「惨めだな。成己みてえな「安物」でも、あんたは指一本触れられねえ。……ああ、でも。ひょっとしたら、城山が寄付した分で、少しは値下げされてるか。婚約破棄されたオメガは、市場価値が下がるしよ」
「……っ、なんてことを……!」
 
 野江の後ろの職員が、ついに声を震わせる。
 怒りで真っ青になった顔を一瞥してやれば、ハッとして口を噤んだ。義憤に燃えるなら、最後までやれよと白けていると、野江がそっちを向いて口を開く。
 
「向さん、そのお土産なんですが。アイスクリームなので、お手間ですが冷凍庫に……」
「あ……畏まりました!」
 
 向と呼ばれた職員は、袋を持って事務の奥へ消えていく。この場から逃がしてやったのが見え見えで、俺は鼻白んだ。
 
「君子気取りか?」
「……そんなんじゃないさ」
 
 野江は押し殺した声で、応えを返す。防御するように腕を組んでいるさまは、尻尾をまいた犬だ。俺は、再び興が乗ってくる。
 
「まあいい――野江さん。あんた下らない賄賂なんかやめてさ。なけなしの財産はたいて、足りねえ分は兄貴にでも頼んでみろよ」
「……っ」
 
 野江は言葉もなく、息を詰まらせる。
 情けない姿に満足し――もう一度、腕を叩いてやろうとしたときだった。
 
「……っ……くくっ」
「……?」
 
 野江は肩を小刻みに揺らし、喉を低く鳴らしていた。その姿は、泣いているというよりむしろ……
 
「くく……ああ、もうだめだ!」
 
 怪訝に思って、覗いた顔の下半分は――なんと笑っている。
 
 ――何だこいつ。何を笑ってんだ?
 
 俺は当惑のままに、尋ねた。
 
「なんだ、あんた。おかしくなったのか」
「ふふ。そうだな、おかしいんだよ」
 
 侮辱され、怒るどころか――肩を震わせ、くつくつと笑い続ける野江に、俺はカッとなる。
 
「何がおかしい?!」
 
 野江は、平素通りの穏やかなほほ笑みを浮かべている。しかし、その表情に言い知れない不快を覚えていると――野江は言った。
 
「いや。君こそ、どんな顔してるか解ってるか?」
「……はぁ?」
「無理か。自分で、自分の顔は見えないものなあ。ふふ」
 
 心底愉快そうに肩を震わせる野江に、頭に血が上る。掴みかかろうとした手をするりと躱し、奴が身を寄せてきた。
 
「君はまるで、宝物を失くした子供みたいだよ」
「!」
 
 俺は、息を飲む。
 野江は笑んだまま、俺の肩に手を乗せる。
 
「でもな――」
 
 耳元に囁かれた言葉に、俺は息を飲み――万力で野江を突き飛ばした。
 
「おっと。危ないじゃないか」
「……っ、てめえ……」
 
 怒りで視界が狭くなる。心臓が耳の横に存在するかのように、激しく脈を打つ音が聞こえた。
 
 ――この、クソ野郎……!
 
 野江は変わらず、穏やかな笑みを浮かべている。
 
「俺に八つ当たりするのはいい。だが……くれぐれも、成のことは苦しめないようにな?」
 
 そう言い残し、ゆるやかな足取りでその場を去って行く。二階へ続くエレベータに乗り込む奴を、刺し殺したい気持ちで睨みつける。
 ぎり、と指の骨が軋むほど、拳を握りしめた。
 
 ――あの野郎、よくもぬけぬけと言いやがったな……!
 
 胸の内に、屈辱と憤怒の炎が燃え上がる。
 あいつは、俺にだけ聞こえるように。善人らしい響きの忌々しい声で、こう言ったのだ!
 
『泣いても喚いても、成は戻ってこない。あの子はもともと、俺のものだからな』
 
 
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