いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第三章~お披露目~

百五十話【SIDE:晶】

 ――鳥のさえずりが、やけに耳についた。 
 
「ん……っ」
 
 浮かされる様だった体に、重みが戻ってくる。――俺は、微かに呻き声を立て、目を開けた。
 
「……っ、まぶし……」
 
 カーテンを開け放された窓から、白い日差しが差し込んでいた。清潔な白いシーツに反射し、目が痛い。布団を引き上げて、目を覆うと……ふわりと白檀の香りがした。
 
「あ――」
 
 そこで、完全に覚醒した。俺はがばりと身を起こし、周囲を見回した。
 シックで上質な調度をあつらえた、二人には広すぎる部屋。そこを満たす、あの人の香り……どう見ても、婚約者との寝室だった。サイドボードの卓上カレンダーを確認する。――七月十六日。
 最後の記憶から、一週間経っている。
 
「……そうか。陽平の家から帰ってきて……」
 
 俺は、頭を抱えて記憶を手繰った。
 あの日は――陽平と少し諍いがあった。朝からも、体を散々貪られて……次に目が覚めたら昼過ぎで。
 陽平は、俺を抱くだけ抱いて、自分だけは大学に行ったらしかった。かろうじて朝食の片づけはしてあったけど――空しくなった。
 
 ――俺は、成己くんへの感情のはけ口かよ。
 
 確かに、陽平が成己くんと駄目になったのは、俺とのことが切欠だったかもしれない。だから、あいつの気持ちを受け止めてやらなきゃと、俺も思った。
 けど……弟分にこんな扱いされて、矜持が傷つかないほど、俺はオメガじゃない。
 ボロキレみたいな体を引きずって、シャワーを浴びて、陽平の家を出たんだ。
 
「……それで、大学に行こうとして……」
 
 けれど、異変に気づいた。
 体がやけに熱っぽく……乱暴に拓かれた腰の奥が、甘く疼くような痛みを訴えていることに。

『っ、はぁ……』

 ただ地を踏んで歩くことも、強い快楽になり――俺は道の端に座り込んでしまった。

『ねえ、君。大丈夫?』

 それで……卑しく顔を赤らめた男に、声をかけられたんだ。
 下心まみれの雄の目が、体に絡みつくようで――劈くような恐怖が体を走った。
 俺は必死に逃れ――朦朧とする意識で、送迎車を呼んで、この家に帰ってきていた。
 
「……っあ」
 
 家に帰りついたときの記憶が、戻り……俺は、きつくわが身を抱く。
 そうだ。
 玄関のドアを押し開いて……”あの人”の香りのする空間に入った瞬間――俺は、強烈なヒートを起こしてしまった。
 
『ああッ……!』
 
 淫ら極まりない声で叫んだ記憶が甦って、目の前が赤くなる。
 俺は、あのとき――事態を察知した使用人が、”あの人”に連絡するまで。床をつくばって、乱した衣服の中を必死にまさぐっていたんだ……
 ただ、欲しい。
 それだけしか考えられなくて……誰が見ていようと構う余裕もなく、痴態をさらしてしまった。

 
「……っクソ……」
 
 ……死にたい。
 ヒートはいつも前触れもなくやってきては、俺を惨めな獣にする。
 
 ――『……晶君!』
 
 やがて――朧な意識に、けたたましいスキール音が割り込んで。荒々しい足音と共に、「アルファ」が家の中に飛び込んできた。
 もがき苦しむ俺が、感じられたのは白檀の香りと……力強い腕だけだった。

『早く犯して……』

 それからは……どっぷりと泥に沈むような、数日間を過ごしていた。
 熱い、苦しい。
 気持ちいい――

 『もっと……!』

 腹の奥に、熱い飛沫を感じるたび、絶頂して。自分を組み敷くアルファを逃すまいと、逞しい腰に脚を絡めた。
 汚らわしいと感じる余裕もなく、本能に溺れて……自分を抱く腕に縋りついた、一週間だった。
 
 ――意識がはっきりしたら、酷い自己嫌悪に塗れることになると、解っているのに。



  
「……はは」
 
 乾いた笑いが零れる。
 布団の上で、拳が白くなるほど握りしめた。――ぽたぽた、と雫が落ちていく。

「……っ、ふ……」

 広い部屋に、俺の嗚咽が響く。

――この先どれだけ、同じことを繰り返せばいいんだろう? 俺がオメガだから。抑制剤が効かない体質だから……愛もない相手に抱かれて、惨めに泣き崩れるしかないのか?

 この絶望は、きっと誰にもわからない。陽平にも、あの人にも……父さんにも。

「……ぐすっ」

 鼻を啜り、パジャマの袖で乱暴に頬を拭う。――柔軟剤の甘い匂いが、鼻先をかすめる。

――あ。……綺麗になってる。

 布団もシーツも、俺も……酷い有様だったはずなのに。全てが清潔に整えられていた。
 ……誰が?
 そう考えて、頬が燃え上がる。

――『泣かないで……綺麗にしますから』

 そんな風に、励まされる幻を、何度も見た気がして。涙を唇で拭われ、慰めるように手ずから体を清められて……

「……っ、そんなはずない! どうせ、使用人にやらせたんだ。あの人が、俺なんかにそんな手をかけるわけない……!」

 甘えた感傷を振り切るように、頭を振る。
 愛のない結婚だ。大事な仕事を邪魔するオメガに、優しくする謂れはないんだから!
 
「……はっ。くだらねぇ」

 その証拠に――あの人の気配は、もうないじゃないか。
 多忙な人だから、もう仕事に向かったのだろう。ヒートが明けたばかりのオメガを置いて……
 ずき、と痛みを覚えた胸を、掴んだとき――大切なことを思い出した。

「あ!」

 俺は慌てて、ベッド脇のダストボックスを掴む。中を探り……目当てのものが、きちんとあったことに息を吐く。

「よかった……」

 掴み上げたのは、避妊薬のシートの残骸。ヒートの間の分……きちんと消費されている。

――ちゃんと、飲ませてくれたみたいだ。

 子供なんてごめんだ。
 でも、熱に浮かされている間、俺は飲むことが出来ない。いつも、あの人を信用するしかないのだけれど……今回も、きちんと約束を守ってくれたらしい。

「……」

 俺は、下腹に手を当てた。
 薄いそこに、命が宿っていることはない。ホッとしている。
 なのに……ガサ、と空のシートが、手の中で乾いた音をたてる。

――簡単に、飲ませるんだな……

 安堵と相反して、虚しい気持ちにもなる。
 オメガを孕ませることに……いや、俺に興味がないんだろう。

「別にいいじゃん。ガキなんか生みたくないし……」

 明るく、呟いてみる。――でも、我ながら無理して聞こえて、悔しかった。
 だから、嫌いだ。
 オメガも、アルファも。
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