いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第三章~お披露目~

百六十四話

 ピンストライプのスーツを纏った彼は、ドアに軽く凭れるようにして、立っていた。鋭いまでに綺麗な顔に、人懐っこい笑みを浮かべ――長い指の間で、ワイングラスを揺らしている。
 久しぶりに見た蓑崎さんは、やっぱり凄く綺麗で……胸が潰されそうになる。
 
「久しぶり、成己くん。まさか、こんなところで会うとは思わなかったなぁ」
「……お久しぶりです」
 
 蓑崎さんは、ぼくらの間には不釣り合いに、朗らかな声音で話しかけてきた。
 
 ――ふつう、話しかけてくる……? どうなってるん、この人。
 
 ぼくは、ぐっと唇を噛み締める。 
 
「……成己。この人、知り合いか?」
 
 綾人がわずかに警戒の滲んだ声で、言う。ぼくの態度で、好ましくない人やと感じてくれているみたい。
 心配してくれる友だちの存在に、ぼくは平常心を取り戻した。
 
「うん。この人は、蓑崎さん。友達の友達で」
「ともだち!? へえー、そうなんだ」
 
 綾人に説明していると、素っ頓狂な声に遮られた。
 
「なんですか?」
 
 ぼくは、ムッとして、反射的に問い返す。蓑崎さんは、片頬をつり上げて笑うと、皮肉っぽい口調で言った。
 
「別に? 成己くんにとって、陽平って友達でしかなかったんだなあって、思っただけだよ。やっぱり、恋人は”別にいる”って認識だったんだね。可愛い顔して、怖いなあ」
「……はい?」
 
 ぴく、と米神が引き攣った。
 この男……わざわざ揚げ足取りして、何がしたいんよ。まるで意味が分からない。
 
――ていうか、なんでぼくが嫌味言われてるん? 言いたいことがあるのは、ぼくの方やけど。
 
 むかむかしてきて、ぼくは蓑崎さんをキッと睨みつけた。
 
「何なんですか? 言いたいことあるんやったら、はっきり言うたらどうですか」
「……ふうん? やっぱり太いねー、成己くんて。猫被ってるより、話しが速くていいけどさ」
 
 蓑崎さんは、すうと目を細めた。
 言うてることと裏腹に、「不快」――その感情が、顔一杯に浮かんでいる。
 
「じゃあ、言わせてもらう。成己くんさあ、自分が恥ずかしくないの? よくお綺麗ぶって、結婚なんか出来るよね」
「――あ?」
 
 綾人の目つきが、剣呑になる。ぼくは「大丈夫」と頷いて、蓑崎さんに向き直った。
 
「はい。少なくとも、あなたに恥じたりしません」
 
 ぼくと宏兄の結婚に、蓑崎さんは関係ないんやから――そういう気持ちを込めて、見返してやる。蓑崎さんは、一瞬鼻白んだようやったけど……すぐに、にっと唇が撓った。
 
「はは、凄いね。婚約者を隠れ蓑にして恋人を咥えこむには、それだけ鈍感じゃなくちゃってことか。陽平も可哀そうだよなあ」
「……っぼくは、陽平を隠れ蓑にしたことなんて、ありません。してもないことで、申し訳なく思ったりできませんから……!」
 
 酷い言いがかりに、腕をきつく握る。――引っ叩きそうになるのを、堪えるのに必死やった。
 この人は一応、お義母さんのお客さんや。それに……殴ったりしたら、陽平が怒ってくるかもしれへん。
 ぼくの不始末で、野江家に迷惑をかけたくなかった。
 
「えーっ、本当かなあ?」
 
 蓑崎さんは、顔を寄せてきた。――獲物を甚振る猫のような顔で、笑う。
 
「だったら、陽平の言う通り――成己くんって、結婚出来れば誰でもいいんだ! だって、陽平にしたように、あの人に甘えて。あの人の子どもだって、産めちゃうんだろ? いやー、凄い凄い。オメガの本能、丸出しだね!」
「てめえッ。黙って聞いてりゃ、いい加減にしろよ!」
 
 ぼくより先に、綾人が叫んだ。
 
「綾人……!」
 
 気色ばんで、蓑崎さんに掴みかかろうとするのを、ぼくは飛びついて止める。
 蓑崎さんは、余裕の笑みで見ていた。――わざと、挑発しているんや……そう気づいた瞬間、頭のどこかで「ぶちり」と音が鳴る。 
 
「……綾人、待って!」
「成己、でも――」 
「いいの。ぼくのためにありがとう……大丈夫やから」
 
 にっこりとほほ笑むと、綾人が目を丸くする。……「うん」と頷いてくれて、腕の中の体からこわばりが抜ける。
 ぼくは、蓑崎さんに向き直った。
 
「蓑崎さんこそ。腹割った途端に、意地悪ばっかり言いますね」
「……は?」
 
 蓑崎さんは怪訝そうに、片眉を跳ねさせる。
 ぼくは、にっこり笑う。
 考えてみれば、陽平と別れたいま――この人とぼくには、何も関係がない。だったら、言いたいこと言ってやるんやから!
 
「でも、してもいないことで責められても困ります。この際、はっきり言わせてもらいますけど、迷惑です」
「なっ……」
「ぼくを悪者にしたら、気持ちが楽になりますか? 本当は、悪いことしてる自覚があるんでしょう。だから、自分のやったことを、ぼくにもしてて欲しいんですよね?」
 
 婚約者がいながら。ただの友達だといいながら……陽平と関係を持っていたのは、どこの誰なん?
 言外に含ませると、蓑崎さんの白い頬がさっと紅潮する。わが身を庇うように抱きしめ、ぼくを射るように睨みつけてきた。
 
「……幸せな成己くんに、何がわかんだよ。いつでも、ぬくぬくと守られてるくせに……!」
「わかりません。でも……陽平が、貴方をどれだけ思っているかは知ってます」
  
 だって、陽平は……あなたを守るためにぼくと別れたんやもの。
 蓑崎さんの事情は、それは大変なものかもしれへん。それでも……ぼくに八つ当たりするなんて、お門違いにも程がある。
 キッ、と蓑崎さんを睨み返す。
 
「ぼくはもう、あなたと関係ありません。あなたの問題は、あなたが自分で解決してください!」
 
 ぼくは、ぴしゃりと宣言すると――綾人を振り返る。
 
「ごめんね、綾人。行こっか」
「お、おう!?」
 
 綾人は、ちょっと呆気に取られていたようで、慌てて頷いてくれた。
 もう、言いたいことは言ったから、蓑崎さんの横をすり抜けようとする。
 
「……っ、ふざけるなよ! お前の方が、汚いオメガのくせに……!」
「……えっ?」
 
 怒声に振り返れば――憤怒の表情で、蓑崎さんが持っていたグラスを振りかぶっていた。とっさに、綾人をどん! と押しのけて――
 
 ――ばしゃっ!
 
「成己!」
「あ……」
 
 髪から落ちる、赤紫の雫が床を汚す。
 鏡に映ったぼくは、酷い有様やった。頭からワインをかぶって……髪も、桜色のスーツも、赤紫に汚れてしまっていた。
 
 
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