いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第三章~お披露目~

百六十五話

「あ……」
 
 ――ウソ。宏兄が、贈ってくれたスーツが……
 
 全身から、さあっと血の気が引くのを感じた。
 
「大丈夫か、成己! ――何すんだよ、あんた!」
 
 ぼくに駆け寄った綾人が、血相を変えて叫ぶ。蓑崎さんは、荒い呼吸を繰り返しながら、満面に侮蔑を浮かべていた。
 
「馬ッ鹿じゃねーの……! 陽平の前で、これ見よがしに着飾りやがって……汚いお前には、それがお似合いだよ!」
「……っ!」
 
 彼の目の奥に、ぎらぎらと滾る憎悪を見て、ぼくは背筋が冷やりとする。怯んだ隙に、蓑崎さんは右手を高く振り上げた。
 
「成己!」
 
 ガシャン!
 
 床にたたきつけられたグラスが、粉々に砕ける音が響いた。わずかに残っていたワインが、大理石の床に血痕のように散る。
 綾人が抱きかかえて、後ろに飛んでくれてなかったら……ぼくに直撃していただろう。
 
「……な、なんなんだよ、あいつ……」
 
 ぼくを抱えたまま、綾人が呆然と呟く。驚愕で声も出せないまま、何度も頷いた。

――怖すぎる……なんで、こんなことするん?

 グラスに気を取られているうちに、蓑崎さんは駆け去ってったみたい。革靴の音が遠ざかるのを聞きながら……ぼく達は床にへたりこんでいた。
 
 
 しばらくして――綾人が、不安げにぼくの顔を覗き込んだ。
 
「大丈夫か、成己。痛いとこねーか?」
「うん。綾人のおかげっ……?」
 
 頷きかけて、ぎょっとする。ぼくに触れていたせいで、綾人のスーツまでワインに汚れてる。慌てて体を離したけれど、しっかりとシミになってしまっていた。
 
「ご、ごめんね……! 綾人まで、ぼくのせいで……」
「馬鹿、そんなわけないじゃん!」
 
 申し訳なくて半泣きになるぼくに、綾人がからっと笑う。「よっ」と手を引いて、立ち上がらせてくれた。優しさがしみて、すんと鼻を啜る。
  
「お前こそ、びしょ濡れだし。ひでぇ目にあったな……」
「あ……」
 
 ぼく達は、困り顔を見合わせる。
 ふたりとも、ひどい有様やった。せっかくのスーツがよれて、しみだらけ……。
 グラス一杯って、けっこう多いんやね……なんて、現実逃避したくなる。
 
 ――どうしよう……この格好じゃ、外に出て行けへん。パーティに水をさしちゃう。
 
 桜色のジャケットの裾をつまむと、ぽたりとワインが滴った。繊細な刺繍も淡い色の生地も、赤紫に染まってしまってる。

「……ううっ」

 悔しくて、目が熱く滲む。
 選んでくれた時の、宏兄の嬉しそうなほほ笑みが浮かんだ。
 
『成、すごく綺麗だ』
 
 優しい声も甦ってきて、ぼくは唇をきりりと噛み締める。
 宏兄には、こんな姿見せたくない――そう思ったら、めらめらと闘志が湧いてきた。
 
「……えいっ、負けるもんかー!」
 
 パチン、と両手で頬を叩いて、喝を入れる。綾人が「成己?」と目を見開いている。
 ぼくはくるりと振り返り、叫んだ。
 
「綾人っ、上脱いで! 応急処置しなくちゃっ」
 
 幸いにも、ここはパウダールーム。水はあるし、紙も机もあるんやもん。
 
「えっ。でも、落ちんのか?」
「わからへん……でも、何とかやってみよ! このままでいたら、蓑崎さんに屈したみたいやし。何より、楽しみにしてきた自分が浮かばれへんもんっ」
 
 そう言うと、綾人の目にも火が点る。
 
「よっしゃ、わかった!」
 
 ぼく達はジャケットを脱ぎ、机に広げた。紙とハンカチで、せっせと汚れた生地を叩く。
 たっぷりしみ込んだワインが、ハンカチに移っていくけれど……あんまりにも範囲が広い。
 
 ――でも、ぜーったい、負けたくないっ!
 
 綾人も、一心不乱に生地を叩いてた。――お兄さんにスーツを褒められて、そっぽを向きながら嬉しそうにしてたの知ってる。
 ごめん、綾人。巻き込んで。
 罪悪感で胸が軋む。――そのとき、バタバタと慌ただしい足音が近づいて来た。
 
「――綾人様、成己様! こちらでしたか!」
「……佐藤さん!?」
 
 佐藤さんが、パウダールームに駆け込んできた。
 ぼくたちの有様をみて、蒼白になり、がばりと頭を直角に下げる。
 
「申し訳ありません! 朝匡様と宏章様に、お二人をお守りするよう言われていながら……このようなことに!」
「えっ?」
 
 聞けば、佐藤さんはお兄さんと宏兄に頼まれて、こっそりと護衛してくれてたそう。
 でも、足の弱いおばあさんを休憩スペースに案内してるうちに、ぼく達を見失ってしまったそうで。
 
「お二人を危険な目に遭わせるなど……本当に、お詫びのしようもございません」
「いや、全然いいって! ……それよか佐藤さん、オレらこんなんで。どうしよう?!」

 土下座せんばかりの佐藤さんを、綾人が励ました。ぼくも、ハッとする。

「佐藤さん、来てくれてありがとうございますっ。どうか、助けて頂けませんか……!?」

 佐藤さんの助けがあれば、この難局を打開できるかも。
 じっと見上げると、佐藤さんは決然とした表情にならはった。

「わかりました。すぐに、ここから出られるように手筈を――」
「佐藤くーん。どしたの? えらい走ってっちゃって。お腹こわしたのかい?」

 佐藤さんの声に、のんびりした声が被った。
 展開にデジャヴを感じつつ、入り口を見れば……上品な和服の男の人。

「――お義母さん!」

 ぼくと綾人は、同時に声を上げた。

「ん?」

 お義母さんは、ひょこ、と佐藤さんの背から顔を出さはった。
 次の瞬間……常に笑って見える目が、カッと見開かれる。
 
「でえっ?! 綾くん、成くん……どうしたのそれ?!!」
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