いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第三章~お披露目~

百七十九話

――ぴちゃ……

 お湯をすくって、肩にかける。じんわりと熱がしみて、深い吐息が漏れた。

「はあ……」

 ……あったかい。広々とした湯船で、どこまでも体が伸びてっちゃいそう。浴室は、大きな窓から昼の光が差し込んで、とても明るい。
 ぼくは、お湯の中で揺蕩う自分の体を見下ろした。

「……う~」

 ぱちゃん、と顔をお湯に沈める。ぶくぶくと息を吐いて、金魚になった気持でいると……さっきのことが頭に浮かんでくる。

――すっごい、ドキドキした……

 着物を脱がせてもらったときの、宏兄の目。――すごく熱かった。たくさん、キスしてくれるときみたいに……。

「うう~」

 恥ずかしくて悶える。パシャパシャとお湯が跳ねた。

「でも、宏兄も、ドキドキしてくれてるのかな。そやったら、いいな……」

 きゅ、と両肩を抱く。
 胸が苦しいくらい、高鳴ってた。これからのこと、すごく不安で、緊張してる。でも――同じくらい、期待してる自分がいて。

――こんな気持ち、はじめて。どうしちゃったんやろ……?

 なんだか恥ずかしい。宏兄が知ったら、はしたないって、思われるかな。

「……宏兄」

 ……でも、もっと側に居たくて。――抱きしめて欲しい。本当は、陽平から庇ってくれたときから、ずっとそうしてほしかった。
 ぼん、と頬が燃え上がる。

「……あかんっ。のぼせちゃう!」

 迷いを振り切るように、お風呂から上がった。
 ふかふかのタオルで、火照った体から水滴を拭い、髪を包んだ。
 人生初めてのバスローブを、素肌に羽織る。しっとりとして、安心感のある重みに、目が丸くなる。

「わあ……!」

 バスローブって、こういう感じやったんや。
 映画やドラマの登場人物になったようで、わくわくする。
 髪を乾かして、外に出ると――


「宏兄!」

 リビングのソファで、宏兄が腰掛けていた。まだ、お買い物かと思ってたから、どきりとする。
 宏兄は、大きなソファに悠々と、新聞を読んでいて。
 なんだか、すごく大人の男性に見えて、ドキドキしたん。

「おう。成」

 宏兄は、すぐにぼくに気づいて、新聞をぽいと放り出す。
 ぼくはハッとして、スリッパをぱたぱた言わせて、駆け寄った。

「ご、ごめんね! のんびりしちゃった」
「何言ってるんだ、ゆっくりしてくれ……それに俺も、今戻ってきたとこだぞ」

 宏兄は大らかに笑って、じっと目を細めた。眩しいものを見るように。
 ぼくは照れくさくて、もじもじと俯いた。

「あったまったか?」
「うんっ、すごく……」

 頷くと、宏兄は立ち上がった。ぼくの髪に触れるか、触れないか……大きな手が近づいてくる。
 どきりとして、肩を竦めると――宏兄は言う。

「髪、洗ったんだな」
「う、うん。お風呂やから」

 え。違うのかな? おろおろしていると、宏兄はくすりと笑った。

「いや、いつもと違う香りが新鮮でさ。バスローブ姿、可愛いな」
「……えへ。初バスローブ、快適ですっ」

 嬉しくて、ぱっと手を広げる。

「あはは。良かったなぁ。じゃあ、俺もさっぱりしてくるかな」
「うん、ゆっくりしてきて! お風呂、すごく良かったよ。眺めもよくてね」

 ふざけて、背中をお風呂まで押して行くと、宏兄はくすぐったそうに肩を震わせる。

「そうか、そうか。あ……新しい下着と服。クローゼットにあるから」
「わ、ありがとう」
「俺としては、そのままでいいけどな」

 えっ。

 ぼくは、ぎしりと固まる。宏兄は、横目にほほ笑んで、お風呂場に入っていった。








 どう言う意味ですか、宏兄さん……!

「うう……」

 初めてのウォークインクローゼットやけど、感動する心の余白がないっ。
 パンクしそうな頭で、ぼくは衣装棚を漁った。すでにタグの切られた服と、下着が丁寧に納められてる。

「……」

 ぼくは、新しい下着を手に取る。
 着てきたものは、ランドリーに出してくれるそうで……実はいま、何も履いてないん。
 下着無しは落ち着かないから、凄くありがたい。

――俺としては、そのままでいいけどな。

 顔が、ぼっと熱る。
 ぎゅう、と下着を握りしめて、へたり込む。

「ど、どうしたら。でも、裸でいるのも恥ずかしいし……」

 というか、シンプルに意味が気になる。やっぱり、"そう言うこと"なの?
  どっどっ、と早鐘を打つ心臓が、飛び出してきそう。

「じゃあ、履いたら……なんか拒否したみたいになるかな? でも、万一開けたら、恥ずかしいし……」
 
 うんうん悩んでいると、大きな姿見が目に入る。映ってるのは――下着を握りしめて、難しい顔をしてるぼくで。

「ひえ」

 シュールな絵面に、ちょっと恥ずかしくなる。
 ぼくはおずおずと、小さな座椅子に腰をかけた。……シャワーの音が聞こえてくる。
 この隣が洗面所だから、近くに宏兄が。
 落ち着かなくて、視線を巡らすと……眩い白が目に飛び込んできた。

「……あっ、やっこさん」


――お義母さんの、お着物。

 壁面のハンガーフックに、大きく腕を伸ばした格好で、着物が干されていた。帯や長じゅばんも。

「……わあ」

 近づいて見ると、しわなく伸ばされた布地が淡い照明の光を受け、しっとりと光ってる。

「お義母さんがしてあったみたい。……宏兄も、着物着るんかなあ」

 そんなことを、ふと思う。
 顔を寄せると、かすかに森の香りがした。たくさん、抱きしめて貰ったからかも……
 きゅう、と胸が震える。

「――どうした?」
「ひゃあ!?」

 しっとりと熱を孕んだ、芳しい木々が香る。いつの間にやってきたのか、宏兄が後ろに立っていた。

「も、もう出たん?」
「もうってこともないぞ。何かあったか?」

 大きな笑みを浮かべ、宏兄が言う。ぼくと同じ、バスローブを纏ってる。湯上がりの浅黒い肌を直視できなくて、着物に向き直った。

「う、ううん! 綺麗にしてくれて、ありがとう。ごめんね、脱ぎっぱなしで」
「いいよ、これくらい」

 何でもないみたいに言う宏兄に、少し尋ねてみる。

「えと。宏兄って、着物着るの?」
「ん?」
「なんか、慣れてはるなあと思って」
「ああ……子供の頃、母さんの趣味でな。性に合わないから、家を出てからは全然だが」
「そうなん? ……初めて知った」

 ぼくは、目を真ん丸にする。長い付き合いなのに、知らなかったなんて。
 そう思って、はっとする。

――ぼくって……宏兄のこと、知ってるつもりで。全然、知らないんや。

 結婚することになるまで……宏兄のご家族にも会ったことなかったし。
 お兄さんが結婚してたことも、今日、来られなかったお姉さんの、事情のことも――宏兄と過ごした十五年の間に、起こったことなのに。

――宏兄は、家のことあまり話さなくて。たぶん、ぼくの家族がいないの、気にして……

 わかってたのに。
 宏兄は、夢の話も、好きなものも……宏兄のことは話してくれるから。
 今、眼の前にいる宏兄だけ知れていればいいって、言い訳して。――本当は、ぼくが傷つきたくなかっただけなのに。

『……あんまり、仲良くなったら辛いよ』

 優しい声が甦り、胸が軋む。これは忠告やった。――ぼくが、いつか苦しまないように。
 だから、宏兄が言わないでくれることに、甘えてた。
 ……ずるい。
 すると、そっと背を抱き寄せられた。

「成、どうした?」
「宏兄……」

 あたたかい腕に抱かれて、長い息が漏れる。泣きたくなって、ぎゅっと腰に抱きついた。
 宏兄は、本当に優しい。
 子供の頃から、ずっと変わらない。

「宏兄……!」

 優しく背を撫でてくれる大きな手は、お兄ちゃんの……ううん、ぼくの旦那さんのものやった。

――そうや。今は、もう違う……

 ぼくは、宏兄の顔を見上げた。

「あのね、宏兄」
「うん?」

 優しい目が、見下ろしてくれる。ぼくは、勇気を得て……ぎゅっと背を抱いた。

「ぼく、宏兄のこと、もっと知りたい……!」
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