いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第四章~新たな門出~

二百一話【SIDE:陽平】

 しばらくウダウダしていたが、腹が空腹を訴え始める。
 寝込んでいる間、水とゼリー飲料だけは飲んでいた。それも、キッチンまで取りに来るのが面倒で、満足ではなかったから。
 
「なんか、食うか……」
 
 ベッドから下りると、空のペットボトルをぐしゃりと踏みつける。捨てに行く気力もなく、放り出したものがそのままになっていたらしい。
 ……動けるようになった途端、片づけかよ。億劫で、気が塞いだがどうしようもない。
 ひとりで体調を崩すと、こんなことにも煩わされるのか。
 
「だる……」
 
 何にせよ、ゴミ袋をとってこないといけない。それなら、まず何か食って、掃除はそれからだ。
 のろのろと寝室を出れば、寝込む前と大差ないダイニングに迎えられる。投げ飛ばしたティッシュ箱さえ、そのまま落ちていて、三日前にトリップしたような錯覚に陥った。
 
 ――……晶の持って来た食材を冷蔵庫に突っ込んだ自分を、褒めてやりたい。
 
 放置していたら、寝室どころじゃない惨状に迎えられただろう。
 冷蔵庫を開いて、さらにため息がでた。

「……」

 食えるもんがない。
 牛乳は、期限が切れてるし。つまみ用のチーズやハムなんて、病み上がりに食うにはヘビーすぎる。
 期限間近のヨーグルトを取って、椅子に座った。大して食いたいものじゃないけど、手ごろに食えそうなもんがこれしかない。
 
「……いただきます」
 
 無糖のすっぱいヨーグルトを、機械的に口に運んだ。冷たいもったりした食感が、何度も喉を滑って、胃に落ちる。
 美味くはない。……本音を言うと、ただ寒い。病み上がりに、何食ってんだろうと思う。
 
『……陽平、つらい?』
 
 心配そうな、やわらかい声がふと甦り、スプーンを握る手が止まる。
 体調を崩したとき、何度も聞いた……成己の声だった。

『なにか食べられそう?』

 そう聞かれて、「なにが食いたい」と言えば、にゅうめんでも雑炊でも、なんでも出てきた。一度、何気なく「ざる豆腐」と伝えたら、それも。

――そんなもの、一度だって食いたいって言ったこともなかったのに……どうして。

 成己は、センターで構われてきたせいか……誰よりもまめまめしく、俺を看病した。
 体を拭い、汚れ物を片付けて、俺の飯を作って。――なのに、魘されて目を覚ますと、いつも傍にいた。
 
『しんどいねえ。すぐ良くなるからね……』
 
 そう言って、額を撫でる手は、水につけたように冷たくて。それが俺の熱で、じわじわ温もっていくのを感じると、胸が苦しくなった。
 どこかへ帰りたいと、強く願うような……泣きたいような感情にさらされて。
 
「……っ」
 
 喉が、ぐっとつまる。
……ホームシックなのだと、思っていた。あの実家でも、離れれば恋しくなるのだと。
 だって、ここは俺の家じゃないから。

――なのに……なんで、今も同じ気持ちになるんだ。

 スプーンを、きつく握りしめる。無理矢理に、ヨーグルトの残りをかきこんだ。
 これ以上、くだらない感傷に浸りたくない。――とんでもない答えに、辿りつきそうで、怖かった。





 ソファに寝転んで、ダラダラしているうちに、夕方になる。
 結局、掃除もしていない。怠惰だ――そう思うものの、どうにもしんどい。

「……」

 積んでいた電子書籍を消化していれば、時間は過ぎた。返信を急ぐ連絡なんかも、殆ど来ていない。強いて言うなら母さんくらいだが、

『返事は?!』『なんで連絡しないの!』『ひどい』……

 かなりヒステリックな文面に、今はまだ触れたくないと思う。
……俺が体調を崩しているとか、そういう風に考えてくれないんだよな。
 それが、俺への母さんの評価なのかもしれない。

「……はぁ」

 逆に、晶の奴からは一切の連絡がないのも、滅入る。
 喧嘩したとはいえ、俺の体調が悪いのを、知ってるはずなのに。おおかた、俺が謝るまで連絡しないつもりだろう。
 喧嘩をして、向こうから謝ったことはない。

――いつでも俺が悪いんだ。晶も、母さんも……

 俺はアルファだから、当然だ。
 二人は大変だから、俺が守ってやらなきゃ……そう思おうとして、以前より断固とした決意にならないことに驚く。

「……なんで」

 あんなに強く、思えたのに。
 ……成己が居たときは。

「……っ!」

 考えたくない!
 寝返りをうつと、スマホが新しく通知を鳴らす。
 SNSからだ。西野さんの投稿があったという――消すはずが、タップしてしまい、俺は息を飲む。 

「……成己?」

 西野さんの投稿した写真のなかに、成己がいた。
 後ろ姿だが、わかる。華奢な背中と、エプロンの紐の絡む細い腰……いつも、キッチンで見ていた光景だ。

「なんで、成己が?」

 西野さんの投稿を確認すれば、『七月の試験帰りに、芽実と友人の家を訪ねたときの』とある。

『美味しいのご馳走になっちゃった! 新婚さんの二人にも』

 数枚ある写真は、コーヒーとホットケーキ。結婚指輪が光る、白く華奢な手と、浅黒い肌のでかい手。頭がカッとなる。

――んだよ、この当てつけみたいな……!

 苛々と画面をスクロールすると、西野さんと佐田と、成己の写真が現れた。

「……っ!」

 目元はシールで隠れているけれど、にっこりと笑った口元。見慣れた成己の笑い方だった。

――成己。

 何故か、目が離せない。
 呆然としていると、新規コメントがついた。

『あーこれ。美味しかった』

 と、佐田らしきアカウントから。すると、

『だよね! お店再開したら、絶対行くんだ~』

 すぐに西野さんからの、返信がつく。
 俺は、そのやり取りを見るともなしに眺め……アプリを閉じた。
 なんとなく……本当になんとなく、成己の写真を保存してから。
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