いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第四章~新たな門出~

二百四十二話

 まずい――そう思ったときには、お兄さんは大股に近づいて、綾人の腕を掴んでいた。
 
「痛ッ!?」
「……ほとほと呆れたよ。お前は、ちょっと目を離せば、男と逢引きか?」
 
 苦痛の声を上げる綾人に、お兄さんは冷たい言葉を投げつける。綾人は、目を丸くし……それから、反論する。
 
「何を言ってんだよ、オレは何もしてねぇ!」
「はっ。このアルファと抱き合っておいて、よく言う。お前にとっちゃ大したことはないのか?」
「な……!?」
 
 綾人の顔が、怒りで紅潮する。
 
 ――だめ! またケンカしちゃう!
 
 ぼくは、慌てて二人に駆け寄った。
 
「お兄さん、待ってください!」
「……成己さんか」
 
 お兄さんは綾人の手首を掴んだまま、振り返った。――黒い炎みたいに、怒りに燃える目に見据えられ、膝が震えてしまう。それでも、きちんと弁明しなくちゃいけない。
 ぼくが、綾人を守るって決めたんだから!
 
「お兄さん、違います! 椹木さんは、宏章さんを訪ねていらっしゃったんです。さっきのも事故で、お兄さんがご心配されることは、なにも――」
「宏章はどこだ?」
 
 お兄さんは、ぼくを遮って宏ちゃんを呼んだ。
 宏ちゃんの姿を見る前から、殴りかかっているような声。
 
「宏章さんは、お仕事で出ていらっしゃいます」
 
 狼狽えて答えると、鼻で笑われてしまう。
 
「話にならない。あいつが「ちゃんと監督する」と言うから、綾人を任せたのに。その結果が、不用心に他のアルファを家に引き込むという事なのか? やっぱり、あいつは信用ならん」
 
 ぼくは、さっと血の気が引いた。
 宏ちゃんが、ぼくの手落ちのせいで責められている。綾人のためにあれだけ心を砕いてくれたのに、ぼくが台無しにしてしまうんや。焦燥に衝き動かされ――深く、頭を下げた。
 
「申し訳ありません! 宏章さんは、悪くないんです。ぼくが、言いつけを守らなかったんです。ご心配をおかけして、申し訳ありません。でも……」
 
 誓って、やましいことはない。
 ……そう訴えようとしたけれど、強い怒りの眼差しを浴びせられ、二の句が継げなくなる。
 
「成己さん。勿論、あなたにもがっかりした。もう少しちゃんとした人かと思ってたよ」
「申し訳ありません……」
 
 失望に満ちた声音に、唇を噛み締める。
 でも、お詫びのしようもない失態やった。巻き込んでしまった椹木さんにも申し訳ないやらで、泣きたい気持ちになる。
 すると――綾人が、声を上げる。
 
「違うだろ! 成己は何も悪くない。オレが勝手に、椹木先生を家に入れたんじゃん!」
「綾人……?!」
 
 ぎょっとして振り返ると、綾人は眉を寄せて、お兄さんを睨み上げている。
 
「……なんだと?」
「大体、朝匡は勝手なんだよ! 成己も宏章さんもなぁ、いきなり訪ねてきたオレにずっと良くしてくれてたんだ。椹木先生だって、宏章さんを訪ねてきただけなんだぞ……いちいち勘ぐって、失礼なことばっか言うなよ! このアンポンタン!」
「……ッ、綾人!」

 綾人の言葉に、お兄さんは気色ばんだ。

「いっ……! 離せ!!」

 腕を握る手に力を込められたのか、綾人が顔を顰めた。けれど、お兄さんは綾人の手を引いて、猛然と歩き出した。

「朝匡!」
「とにかく帰るぞ。話は後で聞いてやる」
「お兄さん、待ってくださいっ」

 このままじゃいけない――そう思って、追いすがろうとしたぼくの前に、さっと影が差す。

「待って下さい」

 静止の声を上げたのは、椹木さんやった。お兄さんの肩を掴んでいる。

「何です? 離してもらえませんか」
「野江さん、どうか冷静に。乱暴な真似はいけません」

 成り行きを見守るように、ずっと黙っていた彼は、静かな調子で諌める。
 お兄さんは、片眉を跳ね上げた。

「ほう――人のオメガに近づいておいて、自分は行儀の良いふりですか。大したものですね、椹木さん」
「お腹立ちはごもっともです。すべて、迂闊な真似をした私に責任があります。ですが、お二人は人として、親切に振る舞われただけ……どうか怒りの矛先は、私にだけお向け下さい」

 誠実な声で言うと、椹木さんは頭を下げた。彼の体から溢れる白檀の香りが、あたりに満ちる。

――あ……すこし、息がしやすく……?

 フェロモンに圧迫されていた喉が軽くなり、目を瞬く。
 椹木さんは、言葉を続けた。

「ご自身のオメガを……綾人さんを、信じてあげてください。――オメガである前に、あなたと対等のパートナーなのですから」
「椹木先生……」

 凛とした言葉に、綾人が涙ぐんでいる。
 ずっと不安やった気持ちが緩んだような、そんな顔やった。
 肩を抱いてあげたくて、傍に行こうとする。そのとき――お兄さんが乾いた笑い声を上げた。

「……部外者が、言わせておけば。番である俺を差し置いて……人のオメガの世話を焼くなぞ、礼儀知らずにも程がある」

 お兄さんの目が、真っ黒に燃えている。危険信号を読み取って、ぼくはサッと青褪めた。

「差し出た真似をいたしました。しかし……」
「黙れ! あんたにこいつの何がわかる!」

 お兄さんは激昂し、拳を振り上げる。

――だめ!

 椹木さんを殴るつもりやと気づいて、ぼくは咄嗟にふたりの間に飛び出していく。

「――成己!!」

 綾人の悲痛な叫び声が、聞こえた。
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