いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第五章~花の行方~

二百五十三話【SIDE:陽平】

 キッチンには、出汁の匂いが漂っている。
 陽光が差し込み、やたら白く見えるまな板に向かい、俺は包丁を握った。

「えー……次は薬味を刻む、か」

 カウンターに立てかけたレシピ帳を見ながら、昼飯作りに勤しむ。
 自分でも何やってんだかと思うが、必要に駆られてのことなのだ。
 なにせ、とっくに出来合いのもんも、外食も飽きちまっていて。残暑がきつく、バテた体はもっと穏やかなものを欲していて……だから、仕方なく。

――『はい、陽平。お待ちどおさま!』

 ……あいつのメシは、バテていても食えたから。
 マジで、仕方なく……成己の置いていったレシピ帳で、料理なんかをしているわけだ。
 
「大葉とミョウガは千切り……梅は叩く。生姜はすり下ろす……あいつ、ゴマもいれてなかったか?」

 薬味を刻んで、小皿に移していく。
 包丁の扱いや、キッチンの勝手もわかってきた。最初は、おろし金の場所もわからなくて、おろおろと探し回ったっけ。

――成己、ねえぞ……って、聞くわけにいかねぇからな……

 家の事は全部あいつだった。
 なんでも、成己を呼べば解決していて、それが当たり前だと思っていたから。

『はーい。待っててね』

 成己は、いつも俺が呼ぶと、嬉しげで……少しくすぐったそうな顔をしていた。

「……はぁ。今更だろ」

 思い出を払うよう頭を振ると、猛然と生姜をおろす。
 結局――調理台に備え付けられた、一番上の引き出しに、おろし金はあったけど。「使い手の気持ちになれば当たり前」の場所にさえ気付けない自分に、少し呆れた。

「よし、薬味できた。次……」

 冷蔵庫で冷やしていた出汁と、卵を二つ取り出す。
 ちなみに、今日のメニューは、天ぷらそうめんに、茶わん蒸しだ。
 料理は素人だから、あいつの献立を参考にしてんだけど……工数が多くて、なかなかに面倒くさい。

「……卵液を濾してって、必要か!? そもそも、そうめん茹でて、揚げ物に茶わん蒸しも、とか人手足んねぇよ」

 もさくさと文句を言いながらも、出汁をボールに注ぎ、調味料を混ぜる。

「……しょうゆは、このスプーンに半分くらいか……」

 レシピ帳を頼りに、味を決めていく。――このレシピ帳は、成己がセンターで習ったメニューを書き写したものだ。大学ノート一冊分あるそれを、あいつは大切にしていた。

――『これね、ぼくのご家庭の味やねんっ』

 ……たぶん花嫁道具、ってやつだろうな。
 今は、俺の手元にあるわけだが。
 別れたいま、あいつに返してやるべきかと、悩みながらも……手放せないでいる。
 俺は、黒いペン字で書かれたレシピに書き足された、赤い文字を目でなぞる。調味料の分量を「醤油を少し減らす」とか、「みりんを多めに」と訂正しているそれを、最初は「何のことだ」と思ってた。
 けど、作っているうちにわかったんだ。
 赤い文字に従ったほうが、俺の好みの味になるんだって。

「……クソっ」

 思わず、出汁を混ぜる手が止まる。
 成己がいなくなってから――こんなにも、あいつの優しさに気づかされちまうなんて。

――だから、今更だって……! 成己はもう、野江と結婚したんだぞ。

 だが、晶とのことがなければ、今でも一緒にいたはずなのに。悔しくてたまらない。
 せめて――よすがくらいは、置いていって欲しかった。







「いただきます」

 何やかんやで、完成した昼飯にありつく。
 途中で力尽きて、天ぷらは出来合いのものを買った。成己だったら、あともう一つ小鉢をつけていたかもしれないが……まあ上出来だろ。
 強引に納得し、箸をつける。

「……うま」

 夢中でそうめんを啜り、茶碗蒸しを食べた。
 ……なつかしい、成己の味だ。優しい出汁の風味が体に染み渡っていく。
 美味い。美味いぶん、胸が痛かった。
 何気なく食ってきた成己の飯が、こんなにも恋しいなんて。

――『陽平、美味しい?』

 嬉しそうに尋ねる、あいつの笑顔まで見えるみたいなのに。
 ぐっと胸にこみ上げるものを堪えながら、箸を動かしていると――スマホが着信を知らせる。
 発信元は、「父さん」。

「――!」

 一瞬で、我に返る。
 俺は息をついて、受話器を上げた。

「もしもし、父さん」

 とはいえ、用件はすでに予想がついている。

――明日のことで、確認の連絡だろう。

 城山と、蓑崎と椹木と……三家が顔を合わせての、話し合いが行われるから。

 
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