いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第五章~花の行方~

二百八十九話

 二時間後、ぼくはオーガニックの化粧品を取り扱うお店のカウンターに座っていた。 
 涼子先生に、お祝いを買いに来たん。
 
「わあ、良い香り!」
 
 試供品の入ったボトルを持って、ぼくはうっとりと目を細めた。店員さんが自信のある声音で、説明してくれる。
 
「こちらは天然の精油をブレンドしているんです。柑橘の香りが甘すぎなくて、爽やかでいいってご好評いただいてるんですよ」
「ほんとですね。うーん、さっきのフローラルも素敵やったけど……涼子先生は、こっちが好きかも!」
 
 涼子先生の溌溂とした笑顔を思い浮かべ、ぼくは心に決めた。
 
「このバスソルト、買いますっ。こっちのオイルと一緒に、ギフト用に包んで貰えますか?」
「ありがとうございます!」
 
 店員さんは床を滑るような足取りで、品物を包みに店の奥へと向かっていかはった。
 
「ふぅ……」
 
 ぼくは甘い香りの余韻に浸りつつ、バッグからお財布を探した。
 すると、ぽんと大きな手が肩に乗った。――ふわりと温かで、深みのある香りがして、振り返る前から誰かわかる。
 
「宏ちゃんっ」 
「よ。良いの見つかったみたいだな」
 
 にっこり笑う宏ちゃんの手には、細長い箱が数個握られていた。ぼくがゆっくりプレゼントを見れるよう、お店の中で別行動してくれてたんよ。
 ぼくはスツールから立ち上がり、店員さんに貰った商品説明の紙を掲げた。
 
「うん。あのね、このバスソルトとオイルにしたん。涼子先生、リラックスできるグッズとか好きやから」
「へえ、いいじゃないか。色々終わったら、ゆっくりして欲しいよな」
「そうなんよ! あ……でも、ちょっとだけ不安で」
 
 ぽろりと零すと、宏ちゃんは首を傾げた。
 
「何がだ?」
「ユウちゃんとタクちゃんがいるやん? 子どもさんも一緒に食べれる、お菓子とかも良かったかな……って」
 
 いつも、二人のお子さんのことを一番に考えてる、先生やから。そういうものの方が嬉しかったかな、という気もするんよ。むむと眉を寄せていると、宏ちゃんがあっけらかんと言う。
 
「いいんじゃないか? 立花先生へのお祝いなんだから」
「そ、そう?」
「ああ。お子さんのは先生が買うだろ」
 
 背中をぽんと叩かれる。温かな感触に、ぽっと胸に安堵の灯が点った。
 
「そっかあ……良かった!」
 
 満開の笑顔を向けると、優しい眼差しが見守ってくれていた。今すぐ飛びつきたいほど、宏ちゃんが頼もしくなったけれど――何とか堪えて尋ねた。
 
「えと。宏ちゃん、待っててくれてありがとうね。なにか気に入ったのあった?」
 
 宏ちゃんはにっこり笑って、手を返して見せてくれた。
 
「うん。そろそろ足りなくなってきたからな」
「そうなんや……って、これっ」
 
 見覚えのあるパッケージに、頬がぱっと赤らむ。
 
 ――これ、したあと……宏ちゃんが塗ってくれるやつ……?!
 
 宏ちゃんと深い仲になってからと言うもの、お風呂に一緒に入ることが増えたん。そういうことをしちゃうと、クタクタで動けなくなっちゃうから、宏ちゃんが嬉々としてお世話してくれるんよ。で、これはその……胸とかお尻とか、敏感になったところに塗ると、後でヒリヒリしないからって。
 
『やあ、宏ちゃん……ぼく、自分で』
『いいから、任せとけ。俺の楽しみなんだから』
『恥ずかしいんやってば~!』
 
 いつもの顛末を思い出し、口をパクパクさせていると、宏ちゃんはニッと笑う。
 
「いっぱい使うから、楽しみにしとけよ」
「……もう、ばか!」
 
 平手でばちん! と広い背中を叩いても、宏ちゃんはちっともこたえず、笑っている。
 このお店の香り、初めての気がせえへんはずやわ。
 店員さんが戻ってくるまで、ぼくの頬から熱が引くことは無かった。
 
 
 



 
 買い物を終えると、ちょうどお昼過ぎだったので、お蕎麦屋さんに入った。
 老舗のお店らしく、柱の色も渋くて格好いい。店内には香ばしい湯気と、お出汁の甘い匂いが漂っていた。ぼくはあったかい天ぷらそば、宏ちゃんは鴨南蛮そばを頼んだ。
 
「ぼく、おそば久しぶり」
「俺も。年越し以来だよ」
「楽しみやねえ」
 
 そば茶を頂きながら、わくわくしていると……宏ちゃんが目を細めて、こっちを見ていた。ガラスのコップが、宏ちゃんの手の中にあると小さく見える。
 
「どうしたん?」
「いや。機嫌が直って良かった」
「……っ。怒ってたんじゃないですっ」
 
 恥ずかしさがぶり返して、そば茶に顔がつかりそうなほど俯く。でも、実際に怒っていたわけじゃない。宏ちゃんがぼくの体を大切にしてくれていることは知ってるから。
 
 ――ちょっとだけ……そう、大らかなだけで。
 
 大人やから、ぼくほど恥ずかしくないのに違いない。
 宏ちゃんと経験した、到底誰にも口に出来ない記憶の断片を思い、耳朶までちりちりした。そば茶に逃げていると、宏ちゃんが苦笑した。
 
「成、戻っておいで。コップに吸い込まれそうだ」
「う……」
 
 しぶしぶコップを置くと、宏ちゃんがおかわりを注いでくれた。手に包んだコップから、お茶の冷たさが伝わってくる。
 
「あ……ありがとう」
 
 宏ちゃんは黙って、頬杖をついて笑っている。そこはかとない余裕を感じて、小さく肩を丸める。
 
 ――宏ちゃんは、大人やなあ……ぼくばかり大騒ぎして……
 
 そこまで考えて、ぼくはハッとした。
 大切なことを言ってなかった。
 
「あの、宏ちゃん。お茶だけやなくて、ありがとう。プレゼントも……!」
 
 さっきのお店で、宏ちゃんがプレゼント代も出してくれたん。あっという間に支払いが済んでいて、お礼を言うタイミングさえ逸してしまっていたことに気づき、汗が滲んだ。
 
「ん? それは当然だろ」
「でも……これはぼくの個人的な用――ふぎゅ」
 
 モゴモゴと口にすると、鼻を摘ままれた。
 涙目で見上げると、宏ちゃんは少し怒った顔をしていた。
 
「こら。水くさいこと言うんじゃない」
「ひろちゃ……」
「お前の家族は、俺にとっても大切に決まってるだろ」
「!」
 
 きっぱりと言われて、鼓動がとくんと跳ねる。目を瞠っていると、温かな手に頬を包まれた。
 
「俺とお前は家族なんだから。遠慮されたら、寂しいよ」
「宏ちゃん……」
 
 宏ちゃんとの生活で、何一つ不自由したことは無かった。自由にしていいカードを渡して貰っていて、節約だって何も言われたことない。
 それでも……涼子先生のことは、ぼくの個人的な事情やから。宏ちゃんに、お金を出してもらうのは厚かましい気がしてた。
 そんなぼくの遠慮を見透かしていたんやね。
 ぼくは熱を持った瞼を閉じて、頬を包む手に甘えるよう、そっと顔を傾けた。
 
「ありがとう……」
「うん」
 
 宏ちゃんの穏やかな応えが返る。
 胸がじんとするほど、有難かった。――同時に、ちくりと罪悪感が刺さる。
 
 ――ぼくだけ、いいのかな。ぼくは、お兄さんと距離を取って貰ってるのに……
 
 ぼくは、宏ちゃんの想いに見合えてるんやろうか。そう思わずにいられなかった。
 
 
 
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