309 / 505
第五章~花の行方~
三百八話
「……あれ……?」
クラクションの音が聞こえる。しめった生温い風が頬を撫で、目を瞬いた。
「えっ?!」
急激にわれに返り、周囲を見回す。
そこは、ビル街みたいやった。薄暗がりの往来を、帰宅を急ぐサラリーマンや学生が、慌ただしく行きかっている。
身に覚えのない景色に、ぼくはぎょっとしてしまった。
――そっか。ぼく、宏ちゃんのお家を飛び出してきちゃったんや……
あの空気に居てもたってもいられなくて、逃げ出してきてしまったんやった。靴は履いているけど、鞄も持ってない。
どれだけ動転していたんやろうって、呆れちゃう。
「あれだけ、啖呵を切っておいて……なさけない……」
お兄さんと宏ちゃんの仲裁をしたかったのに。言い合いになった上に、ひとりで家を飛び出すなんて……どれだけ迷惑な奴なんや。
――ぼくの馬鹿。ぼくの事情に皆さんを巻き込んでおいて……食ってかかったりして。
でも、宏ちゃんが誤解されてるって思ったら、黙ってられへんかった。ぼくの大切な人やから。
『――宏章を捨て、城山陽平を選んだあなたに、知ったような口を聞かれたくはない!』
お兄さんの怒声が甦り、胸が軋む。
……そんなつもり、なかった。宏ちゃんは、ぼくにとって、ずっとずっと大切な人やもん。……だから、ぼくは。
「やっぱり、ずるいんかなぁ……ぼく……」
とぼとぼと、人波に乗って街を歩く。
ポケットには辛うじてスマホが入っていて、ほっとする。記憶にあるより、一時間ほど時が進んでるみたい。たくさんの着信履歴が並んでいて、そのほとんどが宏ちゃんやった。
「宏ちゃん……」
優しい顔が浮かんで、瞼が熱くなる。
――結局、心配かけちゃってる……ごめんね。
電話をかけてみると、繋がらない。移動中で、気が付いていないのかもしれへんかった。
ビルの隙間を、赤い光が僅かに顔を出すだけで――空はとっくに夜色に染まりかけていた。街を行く人たちも、とっぷりと影に飲まれている。少し奥まった通りの方で、居酒屋さんの呼び込みが聞こえた。
「なんか、甘い匂いしないか?」
「ああ。桃みたいな……」
「誰かの香水かな。頭がくらくらする……」
ぼくの後ろを通った、サラリーマン風の人達の言葉に、ハッとする。
ここに一人で居たら、宏ちゃんを悲しませてしまうと思った。
――そうだ。センターで送迎車を頼もう……! 連絡をつけるより何より、ともかく帰らなくちゃ。
ぼくは、煌々と明りを吐くドラッグストアの前に立ち止まって、スマホを取り出す。
「……あれって」
凄いスピードで移動する人波を眺めながら、呼び出し音を聞いていたぼくの目に――あるものが飛び込んできた。
「蓑崎さん……?」
彼らしき人が、二人の男性に肩を抱かれ――裏通りに入っていったのが、見えたん。ぼくは思わずスマホを下ろし、まじまじと彼の消えた先を凝視した。
「見間違い……? ほんの一瞬やったしな……」
でも、夜目にも艶やかな黒髪に、白い横顔――細身の長身は、あまりに目立っていた。
――本当にあの人なら、事件に巻き込まれてるって可能性もある……?
蓑崎さんは、抑制剤が効かへんって言うてたし。――男の人に、人形みたいに肩を抱かれていた。もし、ホントに蓑崎さんなら、大変なことになるんじゃないやろうか。
ぼくは、気がつけば後を追ってしまった。
とても明るい看板で、小さく区切られたお店の通りを、恐々と通り抜ける。
こういう通りは初めて来たけれど――明るくて賑やかやのに、なんだか暗い感じがする。ぼくは、バッグの紐をきつく握りしめ、早足に蓑崎さんの後を追った。
「……あっ!」
しばらくすると、ぴたと足が止まる。
蛇行するような人の動きに、ぶつからないように苦労しているうちに、見失ってしまったん。
「しまった……いったい、どこに」
慌てて辺りを見回せば――「休憩」とか「宿泊」と書かれた看板のついた建物が並んでる。
ぼくは思わず、「あ」と呟いた。
――こ、ここって、噂の……?
現実感のなさに、頭がくらりとする。
一人で、とんでもないところにきてしまったような気がして、脚が震えだした。
――お、落ちついて! とにかく、人の多いところに、いったん戻らなきゃ……!
慌てて踵を返す。
すると、悪いことって重なって――後ろから来た人に、ぶつかりそうになった。
「おっと」
「あ……ごめんなさいっ」
サラリーマンらしき男の人に、頭を下げた。
男の人は、どこかぼんやりしていて、眼鏡のレンズの奥の目が赤く潤んでいた。どことなく、息が荒い。
「……えと、本当にすみませんでした!」
なんだか怖くなって、もう一度頭を下げる。
足早にその場を離れようとしたんやけど……足音が、付いてくる。トコトコと、どこまでいっても。
「……!?」
おそるおそる振り返ると、さっきのサラリーマンの人が、鞄を振りながら追いかけてきていた。
――うわあ……!?
泣きたい気持ちで逃げた。でも、人の動きに苦労する内に、遂に肩を掴まれてしまう。
「やっ!」
「追いついた。何で逃げるんだよ」
ねばっこい声に囁かれ……走馬灯が見えた。
宏ちゃんごめんなさい。こんなところに来たから、罰が当たったんだ。
「放してください!」
なんとか振り払おうとしたとき――唐突に、腕を引き寄せられた。
「!」
ふわりと、柑橘のように爽やかな香りが鼻を掠める。
間近に、真黒い制服の襟が見えて、ぼくは目を瞠った。
「おっさん、嫌がってんだろうが。離しなよ」
「いだだだ!」
おじさんの苦悶の悲鳴が、辺りに響く。
ぼくを庇うように立った、背の高い女の子に、腕を捻り上げられていたん。
クラクションの音が聞こえる。しめった生温い風が頬を撫で、目を瞬いた。
「えっ?!」
急激にわれに返り、周囲を見回す。
そこは、ビル街みたいやった。薄暗がりの往来を、帰宅を急ぐサラリーマンや学生が、慌ただしく行きかっている。
身に覚えのない景色に、ぼくはぎょっとしてしまった。
――そっか。ぼく、宏ちゃんのお家を飛び出してきちゃったんや……
あの空気に居てもたってもいられなくて、逃げ出してきてしまったんやった。靴は履いているけど、鞄も持ってない。
どれだけ動転していたんやろうって、呆れちゃう。
「あれだけ、啖呵を切っておいて……なさけない……」
お兄さんと宏ちゃんの仲裁をしたかったのに。言い合いになった上に、ひとりで家を飛び出すなんて……どれだけ迷惑な奴なんや。
――ぼくの馬鹿。ぼくの事情に皆さんを巻き込んでおいて……食ってかかったりして。
でも、宏ちゃんが誤解されてるって思ったら、黙ってられへんかった。ぼくの大切な人やから。
『――宏章を捨て、城山陽平を選んだあなたに、知ったような口を聞かれたくはない!』
お兄さんの怒声が甦り、胸が軋む。
……そんなつもり、なかった。宏ちゃんは、ぼくにとって、ずっとずっと大切な人やもん。……だから、ぼくは。
「やっぱり、ずるいんかなぁ……ぼく……」
とぼとぼと、人波に乗って街を歩く。
ポケットには辛うじてスマホが入っていて、ほっとする。記憶にあるより、一時間ほど時が進んでるみたい。たくさんの着信履歴が並んでいて、そのほとんどが宏ちゃんやった。
「宏ちゃん……」
優しい顔が浮かんで、瞼が熱くなる。
――結局、心配かけちゃってる……ごめんね。
電話をかけてみると、繋がらない。移動中で、気が付いていないのかもしれへんかった。
ビルの隙間を、赤い光が僅かに顔を出すだけで――空はとっくに夜色に染まりかけていた。街を行く人たちも、とっぷりと影に飲まれている。少し奥まった通りの方で、居酒屋さんの呼び込みが聞こえた。
「なんか、甘い匂いしないか?」
「ああ。桃みたいな……」
「誰かの香水かな。頭がくらくらする……」
ぼくの後ろを通った、サラリーマン風の人達の言葉に、ハッとする。
ここに一人で居たら、宏ちゃんを悲しませてしまうと思った。
――そうだ。センターで送迎車を頼もう……! 連絡をつけるより何より、ともかく帰らなくちゃ。
ぼくは、煌々と明りを吐くドラッグストアの前に立ち止まって、スマホを取り出す。
「……あれって」
凄いスピードで移動する人波を眺めながら、呼び出し音を聞いていたぼくの目に――あるものが飛び込んできた。
「蓑崎さん……?」
彼らしき人が、二人の男性に肩を抱かれ――裏通りに入っていったのが、見えたん。ぼくは思わずスマホを下ろし、まじまじと彼の消えた先を凝視した。
「見間違い……? ほんの一瞬やったしな……」
でも、夜目にも艶やかな黒髪に、白い横顔――細身の長身は、あまりに目立っていた。
――本当にあの人なら、事件に巻き込まれてるって可能性もある……?
蓑崎さんは、抑制剤が効かへんって言うてたし。――男の人に、人形みたいに肩を抱かれていた。もし、ホントに蓑崎さんなら、大変なことになるんじゃないやろうか。
ぼくは、気がつけば後を追ってしまった。
とても明るい看板で、小さく区切られたお店の通りを、恐々と通り抜ける。
こういう通りは初めて来たけれど――明るくて賑やかやのに、なんだか暗い感じがする。ぼくは、バッグの紐をきつく握りしめ、早足に蓑崎さんの後を追った。
「……あっ!」
しばらくすると、ぴたと足が止まる。
蛇行するような人の動きに、ぶつからないように苦労しているうちに、見失ってしまったん。
「しまった……いったい、どこに」
慌てて辺りを見回せば――「休憩」とか「宿泊」と書かれた看板のついた建物が並んでる。
ぼくは思わず、「あ」と呟いた。
――こ、ここって、噂の……?
現実感のなさに、頭がくらりとする。
一人で、とんでもないところにきてしまったような気がして、脚が震えだした。
――お、落ちついて! とにかく、人の多いところに、いったん戻らなきゃ……!
慌てて踵を返す。
すると、悪いことって重なって――後ろから来た人に、ぶつかりそうになった。
「おっと」
「あ……ごめんなさいっ」
サラリーマンらしき男の人に、頭を下げた。
男の人は、どこかぼんやりしていて、眼鏡のレンズの奥の目が赤く潤んでいた。どことなく、息が荒い。
「……えと、本当にすみませんでした!」
なんだか怖くなって、もう一度頭を下げる。
足早にその場を離れようとしたんやけど……足音が、付いてくる。トコトコと、どこまでいっても。
「……!?」
おそるおそる振り返ると、さっきのサラリーマンの人が、鞄を振りながら追いかけてきていた。
――うわあ……!?
泣きたい気持ちで逃げた。でも、人の動きに苦労する内に、遂に肩を掴まれてしまう。
「やっ!」
「追いついた。何で逃げるんだよ」
ねばっこい声に囁かれ……走馬灯が見えた。
宏ちゃんごめんなさい。こんなところに来たから、罰が当たったんだ。
「放してください!」
なんとか振り払おうとしたとき――唐突に、腕を引き寄せられた。
「!」
ふわりと、柑橘のように爽やかな香りが鼻を掠める。
間近に、真黒い制服の襟が見えて、ぼくは目を瞠った。
「おっさん、嫌がってんだろうが。離しなよ」
「いだだだ!」
おじさんの苦悶の悲鳴が、辺りに響く。
ぼくを庇うように立った、背の高い女の子に、腕を捻り上げられていたん。
あなたにおすすめの小説
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
完結しました!ありがとうございました。
文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結保証】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる──
侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。
だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。
アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。
そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。
「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」
これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。
⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。
4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。
私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。
小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。
「マリアが熱を出したらしい」
駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。
「また裏切られた……」
いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。
「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」
離婚する気持ちが固まっていく。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
幼馴染がいじめるのは俺だ!
むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに...
「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」
「はっ...ぁ??」
好きな奴って俺じゃないの___!?
ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子
ーーーーーー
主人公 いじめられっ子
小鳥遊洸人
タカナシ ヒロト
小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。
姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。
高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、
脳破壊。
千透星への恋心を自覚する。
幼馴染 いじめっ子
神宮寺 千透星
ジングウジ チトセ
小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。
美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている)
転校生の須藤千尋が初恋である
愛され方を教えて
あちゃーた
BL
主人公リハルトは自分を愛さなかった元婚約と家族のために無惨に死んだ…はずだった。
次に目が覚めた時、リハルトは過去に戻っていた。
そこは過去のはずなのにどこかおかしくて…
世継ぎは他の妃が産めばいい——子を産めない私ですが、帝の寵愛を独占して皇后になりました
由香
恋愛
後宮に入る女の価値は、ただ一つ。
——皇子を産めるかどうか。
けれど私は、産めない。
ならば——
「世継ぎは他の妃に任せます。私は、陛下に愛される女になります」
そう言い放ったその日から、すべてが狂い始めた。
毒を盛られても、捨てられず。
皇子が生まれても、選ばれたのは私だった。
「お前は、ここにいろ」
これは、子を産めない女が
ただ一つの武器“寵愛”だけで頂点に立つ物語。
そして——
その寵愛は、やがて狂気に変わる。