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第五章~花の行方~
三百二十二話【SIDE:陽平】
――その日から、俺は原稿展に通いつめることになった。
と言うのは、やはりサイン本が手に入らなかったことが理由だった。マナーの悪い客が、どっさりと買って行くせいで、在庫が直ぐに切れてしまうらしい。
「っとに、いい迷惑だよな」
と独り言ち、空になった棚を見る。
俺の周りにも、落胆の声を上げる客が幾人もいた。「団体客が来て、全部売れてしまった」と、腕章をつけた店員が平謝りしている。
「誠に、申し訳ありません!」
「県外から来たのに……」
「どうして、おひとり様一冊ずつって、書いておかないんです?」
ギスギスしている売店に居たくなくて、俺は展示スペースに戻った。
残念ではあったものの、店員を責めてもどうしようもねえだろ、というのが正直なところだ。
――展示もそろそろ終わるし、桜庭もそろそろ腱鞘炎だろうしな……ここらが潮時か。
かなり無念だが……なんとか踏ん切りをつけて、展示スペースを回った。
サイン本以外にも、見どころがある。だからこそ、あんな長い列にも並べるってもんだ。
「……ん?」
桜庭のスペースで知り合いを見かけ、足を止める。
白いセーラーブラウスに、黒のプリーツスカート。名門私立の制服を纏った少女は、真剣な面持ちでノートにメモを取っていた。
どうやら、展示の内容を書き写しているらしい。
――あれは……晶の妹だよな。桜庭ファンだったのか?
側には、お付きと思しきスーツの男しかいない。誰かの付き合い、ってこともなさそうだ。
正直、驚いた。
晶が言うには、蓑崎の当主は大の桜庭嫌いらしいから。彼女――玻璃は、原稿展なんかに来ていると知れたら、叱責を受けるだろうに。
「……」
声をかけるか迷ったが、無視して去った。
知人に見られたとあっちゃ、次は来られないかもしれない。――コソコソと隠れて、好きな本を読む。それくらい、後継者には許されてしかるべきだろう。
俺も両親に隠れて読んでいたから、気持ちはわかるつもりだ。
――そうだ。だから、誰かと桜庭を語ったことなんて無かった。
社交界で「桜庭を読んでいる」など言えば、夢見がちだと笑われる。
――『話題作りのために読んでるんでしょう?』
ふと、「桜庭の新刊を」と漏らしたときの、あの冷めた反応。
好きなものへの批判は、俺にも打撃を与えた。「恥ずかしい」と思った自分も嫌になったし、あんな思いは二度としたくなかった。
だから……親だけじゃなく、誰にも隙は見せまいと。
それなのに、なんでだろうな。
「……あ」
ある展示の前で、ピタ、と足が止まる。
「さぼてん堂」
摩訶不思議な古書店の物語。――桜庭の処女作の表紙絵の原画が、壁に掛けられていた。去年の展示で観た時も、思いのほか大きいことに、成己と二人で驚いた。
――『すごい迫力やねぇ。ぼく、この絵大好き……!』
興奮気味の声が甦り、拳を握りしめる。
複雑で幻想的な色味は、油彩画家が書き下ろしたもので……俺も気に入っていた。
――そうだ。だから……あいつが持っていたのも、すぐに「これ」だって、気づいたんだ。
教室移動のたびに、廊下をすれ違うだけの同級生。
学年で、唯一のオメガ。
それが俺の、春日成己への印象だった。
『……また、いる』
あいつは、決して派手じゃない。晶や母さんを見慣れている俺からすると、尚更。
なのに、曇り空から落ちてくる光のように、いつも眼を奪われた。
木陰のベンチで、うまそうに弁当を食っているところ。
落とし物を見れば、小走りに届けに行く背中。
ひとりで掃除をしているとき、いつも歌っている鼻歌。
『~♪』
『……下手な歌だな』
やっていることは何でもない事なのに、見かければ笑っている自分がいた。
それは、あいつが常に幸せそうだったからかも、しれない。
――『なんで、いつも笑ってるんだ……いったい、どんな奴なんだろう?』
見かけるたびに、興味は募った。
それなのに、なまじアルファとオメガであるばかりに……話すきっかけが掴めなかった。
――『俺は、ただ話してみたいだけだ。でも、向こうからすると……気を持たせたら悪いものな』
悶々としていた、ある日――図書室で、あいつを見かけた。
あいつの大事そうに抱えている本が「さぼてん堂」だと気付いたときの衝撃は、計り知れない。
だって、そうだろう。まさか……俺の好きな本を、好きだなんて!
――『これで気を持たせずに、話しかけることが出来る!』
それからは只管あいつを観察し、話すタイミングを探った。真面目な奴らしく、仕事中に雑談はしないらしいと、すぐに知ったからだ。
何日も機をうかがい……あいつが昼飯を終え、準備室に戻ってきたところを捕まえたんだ。
『それ、桜庭先生のデビュー作だろ?』
『……えっ?』
はしばみ色の目に見つめられ、緊張で汗が滲んでいた。
――『何だよ。急だったのか?』
だが、心配は杞憂だった。白い顔が、ぱあっと上気したんだ。
頬がやわらかな笑みにほころんだのを見て――胸がドクンドクンと騒いだ。
『そう、そうやで! 城山くん、知ってるん?』
純粋な喜びをあらわにする姿は、同級生にしては、あどけなかった。
けれど、「話しかけて良かった」と思わせる効果は抜群で。
『当たり前だろ! 知ってるどころか、推しだし』
絶対に言わないと決めていたことまで、話してしまった。本来なら、コンマ一秒で後悔する失態。実際、心臓は早鐘をうっていたが――
『嬉しい……! ぼく、同志に会うの初めてや』
あいつは、にっこり笑った。
その未来を、俺は何となくわかっていた気がする。そして……その期待を叶えてくれたあいつに、信頼を置いたんだ。
と言うのは、やはりサイン本が手に入らなかったことが理由だった。マナーの悪い客が、どっさりと買って行くせいで、在庫が直ぐに切れてしまうらしい。
「っとに、いい迷惑だよな」
と独り言ち、空になった棚を見る。
俺の周りにも、落胆の声を上げる客が幾人もいた。「団体客が来て、全部売れてしまった」と、腕章をつけた店員が平謝りしている。
「誠に、申し訳ありません!」
「県外から来たのに……」
「どうして、おひとり様一冊ずつって、書いておかないんです?」
ギスギスしている売店に居たくなくて、俺は展示スペースに戻った。
残念ではあったものの、店員を責めてもどうしようもねえだろ、というのが正直なところだ。
――展示もそろそろ終わるし、桜庭もそろそろ腱鞘炎だろうしな……ここらが潮時か。
かなり無念だが……なんとか踏ん切りをつけて、展示スペースを回った。
サイン本以外にも、見どころがある。だからこそ、あんな長い列にも並べるってもんだ。
「……ん?」
桜庭のスペースで知り合いを見かけ、足を止める。
白いセーラーブラウスに、黒のプリーツスカート。名門私立の制服を纏った少女は、真剣な面持ちでノートにメモを取っていた。
どうやら、展示の内容を書き写しているらしい。
――あれは……晶の妹だよな。桜庭ファンだったのか?
側には、お付きと思しきスーツの男しかいない。誰かの付き合い、ってこともなさそうだ。
正直、驚いた。
晶が言うには、蓑崎の当主は大の桜庭嫌いらしいから。彼女――玻璃は、原稿展なんかに来ていると知れたら、叱責を受けるだろうに。
「……」
声をかけるか迷ったが、無視して去った。
知人に見られたとあっちゃ、次は来られないかもしれない。――コソコソと隠れて、好きな本を読む。それくらい、後継者には許されてしかるべきだろう。
俺も両親に隠れて読んでいたから、気持ちはわかるつもりだ。
――そうだ。だから、誰かと桜庭を語ったことなんて無かった。
社交界で「桜庭を読んでいる」など言えば、夢見がちだと笑われる。
――『話題作りのために読んでるんでしょう?』
ふと、「桜庭の新刊を」と漏らしたときの、あの冷めた反応。
好きなものへの批判は、俺にも打撃を与えた。「恥ずかしい」と思った自分も嫌になったし、あんな思いは二度としたくなかった。
だから……親だけじゃなく、誰にも隙は見せまいと。
それなのに、なんでだろうな。
「……あ」
ある展示の前で、ピタ、と足が止まる。
「さぼてん堂」
摩訶不思議な古書店の物語。――桜庭の処女作の表紙絵の原画が、壁に掛けられていた。去年の展示で観た時も、思いのほか大きいことに、成己と二人で驚いた。
――『すごい迫力やねぇ。ぼく、この絵大好き……!』
興奮気味の声が甦り、拳を握りしめる。
複雑で幻想的な色味は、油彩画家が書き下ろしたもので……俺も気に入っていた。
――そうだ。だから……あいつが持っていたのも、すぐに「これ」だって、気づいたんだ。
教室移動のたびに、廊下をすれ違うだけの同級生。
学年で、唯一のオメガ。
それが俺の、春日成己への印象だった。
『……また、いる』
あいつは、決して派手じゃない。晶や母さんを見慣れている俺からすると、尚更。
なのに、曇り空から落ちてくる光のように、いつも眼を奪われた。
木陰のベンチで、うまそうに弁当を食っているところ。
落とし物を見れば、小走りに届けに行く背中。
ひとりで掃除をしているとき、いつも歌っている鼻歌。
『~♪』
『……下手な歌だな』
やっていることは何でもない事なのに、見かければ笑っている自分がいた。
それは、あいつが常に幸せそうだったからかも、しれない。
――『なんで、いつも笑ってるんだ……いったい、どんな奴なんだろう?』
見かけるたびに、興味は募った。
それなのに、なまじアルファとオメガであるばかりに……話すきっかけが掴めなかった。
――『俺は、ただ話してみたいだけだ。でも、向こうからすると……気を持たせたら悪いものな』
悶々としていた、ある日――図書室で、あいつを見かけた。
あいつの大事そうに抱えている本が「さぼてん堂」だと気付いたときの衝撃は、計り知れない。
だって、そうだろう。まさか……俺の好きな本を、好きだなんて!
――『これで気を持たせずに、話しかけることが出来る!』
それからは只管あいつを観察し、話すタイミングを探った。真面目な奴らしく、仕事中に雑談はしないらしいと、すぐに知ったからだ。
何日も機をうかがい……あいつが昼飯を終え、準備室に戻ってきたところを捕まえたんだ。
『それ、桜庭先生のデビュー作だろ?』
『……えっ?』
はしばみ色の目に見つめられ、緊張で汗が滲んでいた。
――『何だよ。急だったのか?』
だが、心配は杞憂だった。白い顔が、ぱあっと上気したんだ。
頬がやわらかな笑みにほころんだのを見て――胸がドクンドクンと騒いだ。
『そう、そうやで! 城山くん、知ってるん?』
純粋な喜びをあらわにする姿は、同級生にしては、あどけなかった。
けれど、「話しかけて良かった」と思わせる効果は抜群で。
『当たり前だろ! 知ってるどころか、推しだし』
絶対に言わないと決めていたことまで、話してしまった。本来なら、コンマ一秒で後悔する失態。実際、心臓は早鐘をうっていたが――
『嬉しい……! ぼく、同志に会うの初めてや』
あいつは、にっこり笑った。
その未来を、俺は何となくわかっていた気がする。そして……その期待を叶えてくれたあいつに、信頼を置いたんだ。
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