いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第五章~花の行方~

三百二十三話【SIDE:陽平】

 俺は、さぼてん堂の絵を眺め、高校の頃に思いを馳せる。
 
 そうだ――成己の奴と話すのは、楽しかった。
 あいつはオメガだが、俺に色目を使ってはこなかった。
 
 ――『城山くん! 桜庭先生の新刊、読んだ?』
 
 ただ純粋に、桜庭が好きで。好きなものを共有できる友達が出来て嬉しい……そんな感じだった。
 それは、俺も同じだった。
 
『読んだに決まってんだろ! 今回は、オチが泣けたよな』
『ねっ。最後の友達とのやりとり、じんと来ちゃった』
 
 好きなものを、思い切り話せる相手がいることが、これほど毎日を楽しくさせるとは。
 成己は、桜庭の全てを読んでいた。地方の同人誌に寄稿した掌編や、雑誌のコラムに至るまで――それも、ただマニア的な収集欲でなく、ひとつひとつを大切に心に仕舞っていた。
 
 ――『こいつは、話しが解る!』
 
 好きなものへの向き合い方は、人となりに通じると、父は言う。その言葉の意味を、成己を見て実感した気がした。
 あいつのいる準備室に訪ねて行くのが、日課になっていた。
 
『城山くん、また明日』
『ああ……』
 
 放課後には、翌朝の登校が楽しみだった。――学校なんて、社交の一環でしかないと思っていたのに。
 
『うう、また犯人当て負けた~』
『はは。一昨日こいよ』
 
 成己は喜怒哀楽が、子どもっぽい。そんなあいつの前じゃ、俺も普通のガキみたいになってしまう。
 
 ――『でも、悪い気はしねえな……』
 
 俺にとって、成己は小さな革命だった。
 
『春日、他には何を読んでる?』
 
 そう尋ねるのは、それほど時間はかからなかった。
 桜庭を好きな成己の、桜庭以外の部分も知りたくなったんだ。 趣味の仲間――それ以外に、俺達に名がつけられるのかと、試してみたくなったのかもしれない。
 成己は、なんの気負いもなく笑い、答えを寄こした。
 
『ぼく、ローリングとウッドハウスが好きかなあ。あとね、恋愛小説も好きやで』
『ふうん。意外っつうか……春日っぽいか』
『えへへ。城山くんは、何が好き?』
 
 やわらかな声が、俺に質問を返す。
 それからだ――俺達は何気ないことも話す、友達になったんだ。
 
 
 
 
 
「……すみません、後ろ良いでしょうか?」
 
 遠慮がちに声を掛けられ、我に返る。
 子供を連れた女性が、俺の後ろに立っていた。
 
 ――そんなに考え込んでたのか……?
 
 俺は会釈して、その場を離れた。足を絨毯から引き剥がすように歩いていると、きゃあきゃあ、と幼児の無邪気な声を背中越しに聞いた。
「綺麗な絵だね」と和やかに話しかける母親の声も。
 本来なら、優しい絵なのだと思い知る。だが、俺にとっては――あまりにも苦い。
 
「……っ」
 
 唐突に――どうして、ここに来てしまったんだろう、と思う。
 桜庭のことは、今でも好きだ。
 ただ……成己に近すぎるんだ。桜庭は――俺と成己の楽しい時期を、共有し過ぎてる。
 
 ――別れた相手には、花の名前を教えろ、だったか。ざまあねえな……
 
 大昔の大作家の言葉を想い、自嘲したときだった。
 
「……なんだ?」
 
 にわかに、周囲が騒がしくなる。訝しく思い、振り返ったときだった。
 
 ふわり。
 
 えも言われない瑞々しい甘さが、鼻腔をくすぐった。懐かしく、甘い――花のような香り。
 
「……!」
 
 身体が、カッと燃える。
 喉が、カラカラになった。――砂漠のオアシスのように、胸を惹きつけてやまない。
 
「この匂いは……」
 
 面影が浮かんだとき、足音が近づいてきた。
 聳えるような体躯の男に抱かれ、淡い茶髪の華奢な少年が、姿を見せた。
 
 ――成己!
 
 俺は、その場に凍り付く。
 
「……宏ちゃん、ぼく大丈夫やから……」
「駄目だ。危ないんだから」
 
 ちょうど柱の陰になって、向こうから俺の姿は見えないらしい。
 通りすがりに、弱弱しい声で訴える成己を、野江が窘めているのが聞こえてきた。我が物顔に、華奢な体を抱きしめ、歩き去って行く。
 俺に、気づきもせず。
 
「……クソッ、なんだってんだよ!」
 
 屈辱で、頭に血が上り――俺は、柱を蹴りつける。
 鼻先を掠めていったご馳走が、憎くてならなかった。
 
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