いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第六章~鳥籠の愛~

三百五十四話【SIDE:晶】

 帰りたくないと願っても、無情にも車は走り続ける。
 一時間もたたず、久しぶりの家に帰り着いた。父は、なんて言うだろうか。考えただけで、膝から下に力が入らなくなってしまう。
 
 ――怖い……
 
 車から降りられないでいると、椹木さんが手を差し出してくる。
 
「大丈夫です。お義父さんは、とても心配されていますよ」
「……っ」
 
 そんなわけないだろ。
 あの父さんが、息子の不祥事を許すはずがない。善良すぎるものの見方に、唇を噛み締めた。
 
「……行きます」
 
 俺は、やっぱり一人なんだ。手を避けるように立ち上がり、外に出た。
 すると――
 
「晶様!」
 
 使用人達が、駆け寄ってくる。皆一様に青褪めて、俺の周りを取り囲んだ。
 
「ご無事で戻られてよかったです……!」
「お体は、大丈夫ですか?」
「え……うん」
 
 あれやこれやと矢継ぎ早に聞かれて、混乱する。うちの使用人は過保護だとは思ってたけど、なんか異常に心配されてるような。
 
――え、急になに……? こんな感じだっけ?
 
 戸惑っていると、椹木さんが間に入ってくれた。
 
「皆さん、ご心配をおかけしました。晶さんも疲れているでしょうから……」
「あ……椹木様。申し訳ありません」
 
 使用人達は、我に返ったのか囲みを解く。圧迫感が消えて、ほっと息をつくと――家の中から、父が出てくるのが見えた。
 
「……っ、父さん」
「晶……」
 
 厳しい顔をしている父に、体がかたかたと小刻みに震えだす。
 どうしよう、怒ってる。ずっと逃げ回って、大学も行っていない。
 
 ――家に入るな、って言われるかも……
 
 覚悟をしてきたはずだった。
 けれど、実際に父の顔を見ると、怖くて怖くて、仕方ない。今すぐに踵を返して逃げ出したくなってくる。
 椹木さんが、俺の背を支えるように手を出した。はっとして見上げれば、穏やかな光を宿す目が、見下ろしている。「大丈夫」だと言われているようで、思わず足が釘付けになってしまう。
 
「晶っ……!」
 
 目の前で、父の腕が大きく開く。――艶やかな薔薇の香りの胸に、苦しいほどに抱かれて、俺は目を見開いた。
 
「え……」
「大丈夫なのか。怪我などしていないのか」
「……っ?」
 
 冷たい手が、体のあちこちを確かめるように触れていった。父さんの目にも声にも、恐れていた怒りや軽蔑は見当たらない。ただ……迷子の子どもの無事を喜ぶような、温かく優しい振る舞いに、安堵よりも驚愕が先立つ。
 
 ――な、何これ……!? 怖いんだけど……!
 
 身をぴしりと強張らせていると、父は我に返ったらしい。身を離し、いつもの厳しい顔に戻ると、椹木さんに目を向けた。
 
「貴彦くん。一応、礼を言っておくが……忘れてくれるなよ。晶を追い詰めたのは君だということを」
「ええ。私が至らぬばかりに、晶さんを危険な目に遭わせてしまいました。その責任は果たしていくつもりです」
「ふん……それも、晶次第だがな」
 
 傲岸に顎を上げ、父さんは言い放つ。
 一体、父さんと椹木さんは何の話をしてるんだ。責任を取るって……なんだか、思いかけない方に話が進んでいる気がするんだけど。俺は、慌てて口を挟んだ。
  
「あの、待ってください。俺と椹木さんの婚約は、破棄するんですよね?」
 
 瞬間、周囲に沈黙が落ちる。使用人たちは顔を見合わせ、椹木さんは何故か沈痛そうな面持ちだ。父さんはと言うと……憤怒の形相で椹木さんを睨みつけ、俺の手を引いた。
 
「えっ……」 
「ともかく中に入りなさい。大変な目に遭ったのだから、ゆっくりと休むといい」
 
 父さんが使用人に目配せをすると、彼らは一斉に動き出した。「お風呂と軽食の準備を」と慌ただしく年配の使用人が指示し、俺も「こちらへどうぞ」と取り囲まれる。
 
「あ……」
 
 背を押されながら、俺はふと後ろを振り返る。――椹木さんと目が合うと、頷くのが見えて、知らず安堵の息を吐く。
 
「晶、行きなさい。貴彦くんとは私が話をする」
「父さん……」
 
 苦虫を噛みつぶしたような顔の父さんに、促される。もたもたしていたので、やはり不快だっただんだろうか。俺は一礼し、大人しく言うとおりにする。






「お帰りなさいませ、晶様」

 もう二度と敷居を跨げないと思っていた家に、足を踏み入れた。邸内で待ち構えていた使用人たちが、礼を取る横を通り過ぎ、奥に進む。
 久しぶりなので、ルームフレグランスの香りが懐かしかった。

「先にお風呂に入られますか」
「ん……」
「晶様?」

 いつもなら一も二もなく頷くので、使用人が訝しがっている。俺は慌てて、「そうする」と伝えた。

 ――……あの人が洗ってくれたの消したくないとか、馬鹿みたいだよな……

 最後になるかもって、感傷的になってるなんて。全部今さらだってのに。
 切ない気分で浴室に向かっていると――
 
「――あ」
 
 玻璃の付き人と行き会った。
 なぜか、顔面をぱんぱんに腫らしていて、ぎょっとする。スーツにまだらに散る赤は、血らしい。目を瞠る俺に、彼は端正な一礼をし、壁際に避けた。
 
「……」
 
 通りすがりながら……俺は、下げられた頭を見下ろした。 
 彼――宍倉は、今は亡きおじい様に目を掛けられて、この家に入って来た男だ。同じく目を掛けられていた玻璃の付き人に任じられたはずだけど。
 
 ――凄い怪我だな……あいつ、もしかして配下を虐待してるのか?
 
 気性の激しい妹のことだから、ありえる。若の付き人にあんな折檻、誰も出来ないだろうし。
 宍倉は腫れあがった顔のまま、忠実そうに頭を下げている。――本当に、玻璃は寄せられる思いに鈍感だ。当たり前に持っているから、気づかないのだろうか。
 
「……ねえ、大丈夫?」
 
 妹の配下と言うことで、なんとなく苦手にしていたけれど……放っておけなくて、声をかけてしまった。
 肩がぴくりと震え、腫れた顔がわずかに持ち上がる。
 
「頭なんて下げなくていいから。はやく手当てした方がいいよ」 
「……」
 
 宍倉の目が、微かに瞠られた。その目に驚愕が浮かんでいる気がして、俺は首を傾げる。当たり前のことを言ったはずなんだけど……何か違ったわけ?
 宍倉は、また深々と頭を下げた。
 いや、礼儀よりも手当てに行って欲しいんだけど。呆れていると、使用人に急かされる。
 
「晶様、参りましょう。宍倉には、別のものにちゃんと手当てをさせますので」
「あ、そう……ならよろしく」
「はい」
 
 なんとなく釈然としないながらも、俺は歩をすすめた。
 最後にもう一度振り返ったとき、宍倉は駆け寄ってきた若い使用人に支えられ、よろよろと廊下を歩んでいた。
 
 
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