いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第六章~鳥籠の愛~

三百五十五話【SIDE:玻璃】

 ……自分の呼吸音だけが、いやに大きく聞こえた。
 何度か深い息を吐くうちに、朦朧としていた意識が、次第にはっきりし始める。
 
「……痛ッた……」
 
 殴打された背が、メチャクチャ痛い。
 罰と称し、布団です巻きにされて、杖で袋叩きにされたからだ。痛いし、暑いし、屈辱だし――気分は最悪だった。
 
 ――あのハゲ……普通に虐待じゃねーか!
 
 確かに、手落ちだったかもしれないよ。まさか、兄が男としけこんだ部屋に、椹木さんがやって来るなんて。なんとか、椹木さんの有責で議論を進めたい父にとって、許せないミスだったようだ。
 そりゃ、私がきちんと監視していれば、防げた事態だよね。
 
 ――でも、ここまでやるか普通?
 
 憎い面を浮かべ、身じろぐ。……布団の上から、念入りに何重にもロープを巻かれているせいで、芋虫みたいに這うしかできない。
 あのくそ親父が、使用人の皆に命じてやらせたんだ。罰する間、私が咄嗟に威圧フェロモンで反撃しないようにって。
 勿論、抵抗しようとしたけどさ。
 
『大人しくしろ! お前が反抗すれば、職務怠慢の罪で使用人を解雇する』
 
 人間のカス。
 皆をクビにさせるわけにいかないから、耐えるしかなかった。そもそも首だなんだって、なんで簡単に口にできるのかわかんないよ。言えないよ――一緒に働いてる人に対して、愛情があれば。
 痛みに呻きながら、なんとかロープを解こうと身じろぐ。ごろごろと床を転がり、ちっともうまく行かない。「ああもう」と苛立った時に、がさりと紙くずを踏みつける。
 
「……あ」
 
 それが何か気づいて、心が凍る。
 頭の上に開いた隙間から、うっすらと床と――紙の山が見えた。白、赤、白……桜庭の新刊は、燃えるような夕陽の写真がカバーになっていて、とても綺麗だと思っていた。
 それが、今はこんな無残なことになっている。
 
 ――桜庭宏樹の、サイン本。
 
 ……あの、ハゲ親父は。
 説教がストレス発散だから、怒り続けるための火種を嗅ぎ当てる嗅覚が、ずば抜けてるんだ。
 真っ先に、使用人に私の鞄を漁らせた。
 
『くだらんものを読んで……ばかな夢を見るのは、やることをやってからにしろ!』
 
 サイン本を引き裂いて、父は使用人たちに命じた。
 
『他にも隠し持っていないか、部屋を改めろ。見つけたら全て燃やせ!』
 
 うう、と苦悶の唸り声が胸をせり上がる。

――くやしい。壊された……

 家に帰るまでは、あれほど嬉しかったのに。諸行無常にも程があるだろ。
 命令を遵守した使用人のみなを、責めることは出来なかった。彼らは、当主命令で仕方なくて、「申し訳ない」と泣いていたんだから。
 守るべき使用人に悲しい顔をさせるのも、その元凶にぶちのめされるしかないのも。
 死ぬほど悔しくてならないだけ。
 
「……うぐ……」
 
 歯を食いしばり、涙を堪える。 
 こんな不当な目に遭って、泣きたくなかった。目を瞠り、荒い呼吸を吐いていると――足音が近づいてくる。二人いるらしい。片方はよろよろと、覚束ない足取りだった。
 誰だ? 身を固くすると「若様」と聞き馴染みのある細い声がした。
 
「奈央さん?」
「若様……宍倉さんが」
「!」
 
 宍倉さん。
 
――『どうか、若様をお許しください。私が若様のお仕事の邪魔をしたのです……!』
 
 彼は、私を庇おうとして父に酷く殴打され、どこかへ連れていかれてしまった。
 ひどい目に遭ったことだけは想像に難くない。不安にきしむ心臓を持て余していると、そばで、誰かが膝をついた気配があり、それから衣擦れの音が響く。――ぱらり、と音がして、全身を締め付けていた圧迫感が消えた。
 
「……あ!」
 
 私は布団から這い出し、人影を見上げた。
 そして、ひゅっと息を飲む。
 
「宍倉さん……!」
 
 縄を手に持ったまま、宍倉さんは私を見下ろしていた。その顔は、もとは端正な面影がないほど腫れあがっている。
 
 ――ひどい。
 
 思わず、言葉を失う私の前で、宍倉さんは顔を歪める。――失敗の笑顔と分かったのは、長年側に居た勘だった。
 
「若様……何と酷い目に遭われて。お辛かったでしょう……」
 
 少ししゃがれた声が、問いかける。常と変わらず、心いっぱい気遣われて、瞼が熱くなった。
 
「宍倉さん!」
 
 私は身を起こし、彼の手を取った。手のひらも打ち据えられたのか、白い手袋に血が滲んでいる。私は、歯を噛み縛り、頭を下げた。
 
「ごめんなさい……私のせいで、ひどい目に遭わせてしまいました」
 
 私が我儘を言ったせいで、宍倉さんまで。
 右手に額をつけて項垂れていると、肩を支えられる。
 
「私は問題ありません。それより、若様です」

 宍倉さんが、私を抱え布団の上に横たわらせた。労わられて、怪我が本格的に痛み出す。声も出せないでいると……宍倉さんは励ますように手を握ってくれた。
 そして、奈央さんに指示を出す。

「車の準備を。病院で若様のお怪我の具合を、調べなければいけません」
「はいっ」

 力強く頷いた奈央さんが、部屋を駆け去って行く。心強い反面――私の側に居て、彼女は大丈夫なんだろうか、とふと不安になった。すると、宍倉さんが見透かしたように言った。

「大丈夫です。若様は、なにも心配なさらずとも」
「……」
「今はお休みください」

 怪我でしゃがれてはいても、いつもの宍倉さんの口ぶりだ。
 私は少し安堵して、目を閉じた。――開けているのも、億劫だったので。

「若様……申し訳ありません」

 眠りに落ちる直前、宍倉さんが呟く。
 
――なんのこと?

 おかしく思ったけど、寝てしまったので聞けなかった。


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