いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第六章~鳥籠の愛~

三百五十六話【SIDE:玻璃】

 医者にかかったところ、骨などに異常はなく、シンプルに打撲に留まった。アルファの体の頑丈さを誇るべきか、父も少しは理性が残っていたのだと安堵するべきか。
 痛み止めの座薬を入れてもらい、爆睡して、目が覚めたら朝だった。
 
「よっと」
 
 ベッドの中で、ゆっくりと体を伸ばす。一夜明けただけじゃ、生傷にも程があるけど……動けないことはない。
 私は身を起こし、ベッドを出た。寝巻を脱いで、軟膏臭い体にこざっぱりした服を纏っていく。――今日が日曜で、学校に行かなくて済むのはありがたい。
 
 ――まず、宍倉さんの見舞いに行かなくちゃ。それから、……兄の見舞いと。父への謝罪に。
 
 後の二つは、本当は腹がねじれるくらい嫌なんだけどね。
 でも、私も十三年もこの家で生きてきたなりの、処世術ってのは弁えててさ。ここで謝っとかないと、後でもっと面倒になるってわかっちゃうんだよね。
 
「若様! もう起きられたのですか?」
 
 寝室を出ようとしたときに、朝食のトレイを携えた奈央さんと、出くわした。彼女は、ぎょっとした様子で私を部屋に押し戻そうとする。
 
「まだお休みになりませんと! 酷い怪我なんですよ」
「大丈夫、頑丈だから。それより、宍倉さんは流石に出てないよね? 寮に見舞いに行きたいんだ」
 
 両手を合わせてお願いする。
 昨夜、顔を合わせた宍倉さんは、私以上に痛めつけられているみたいだった。私のせいで、あんな目に遭わされた彼を放っておけるはずがない。
 
「あ……」
 
 すると、帰って来たのは気まずそうな声だった。
 
「奈央さん?」
「若様、それが……朝から、使用人みなが噂しているのです。宍倉さんが解雇されたと」
「……え?」
 
 何を言われたのかわからず、私は一瞬呆けてしまった。
 
 
 
 
 ――宍倉さん!
 
 奈央さんが止めるのも聞かず、私は邸からほど近い社員寮に駆け込んだ。
 
「若様!?」
 
 まだ早朝のため、食堂では遅番の使用人たちが朝食を食べている。突然、駆け込んできた主の娘にぎょっとし、席を立った。
 私は走ったせいで傷むあばらを押さえ、怒鳴るように訊ねた。
 
「宍倉さんの部屋は?!」
 
 案内してもらい、向かった宍倉さんの部屋はすでに空だった。
 残っているのは、もともと備え付けの木製の枠のベッドに、デスク。本棚くらいで――塵一つなく片付けられている。
 
「嘘……」
 
 呆然としていると、案内してくれた使用人が声を滲ませる。
 
「昨夜、宍倉は旦那様に解雇処分を言い渡されたのです。彼はなんの弁明もすることなく、部屋を片付けて……今朝がた、出て行きました」
 
 あの父は、宍倉さんを痛めつけるに飽き足らず、職まで奪ったのか。
 
 ――昨夜なんて……じゃあ、病院に付き添ってくれたときには、もう去ることが決まっていたということ?
 
 宍倉さん。申し訳ないって、そういう意味だったんですか?
 昨夜の彼の様子を思い浮かべる。大怪我をしているのに関わらず、ずっと私のことを案じてくれていた。職を追われたなんて、ひどく不安だったに違いないのに、ちっとも感じさせないで……私の為に。 
 私は耳の横で、ざあと自分の血の気が引く音を聞いた。
 
「そんな……いったい何処へ? あなたは知ってる?」
 
 縋るような気持ちで尋ねても、誰も知らないようだった。
 そう言えば、宍倉さんは天涯孤独で、実家もないのだと、聞いたことがある。中学を卒業してすぐにうちに就職して、仕事に明け暮れてきたので、友人もいないとも……
 
 ――酷い怪我を負ったまま、すぐに頼れる人もいないのに。なんてことを……!
 
 居てもたってもいられず、駆け出した。母屋に戻り、父のもとに向かう。
 宍倉さんの解雇処分を撤回させなければ。
 その一念しかない。
 
「お父様!」
 
 食堂の扉を開くと、父はすでに食べ終えて、コーヒーを飲んでいた。
 父は声を上げない。ただ、不愉快そうにこちらを一瞥すると、またすぐにコーヒーを飲み始める。
 私は、傍らに駆け寄ると、足下に膝をついた。
 
「申し訳ありませんでした。心を入れ替えて、お兄様の為に尽くします。ですから、どうか宍倉さんへの処分は取り消してください!」
 
 冷たい床に額をつける。
 屈辱などと言っている場合ではなかった。大切な人を助けられるなら、私のプライドなんてどうでもいい。
 
「お願いします」
 
 ぴたりと畏まる私の頭上に、降ってきたのは嘲笑だった。
 
「ふん。お前なぞに傾倒し、晶をないがしろにする無能を、これ以上置いておく義理もない。それに、あの男はそもそも出自の卑しいベータだ。蓑崎には相応しくないと思っていた」
「……なんてことを。宍倉さんがどれだけ、蓑崎のために尽くしてくださったか!」
 
 あまりの言い様にかっとなり、顔を上げる。
 すると、顔面にばしゃりと冷たい液体をかぶる。頭上で、父が空のグラスを傾けているのが見えた。甘酸っぱい匂いが充満して、ジュースを浴びせられたと気付く。
 
「蓑崎ではない、お前のためだろう。お前はいつから蓑崎の当主になったんだ? 自惚れるのも大概にしろ!」
「うっ!」
 
 父は、傲慢に顎を突き上げ、スリッパを履いた足で私を蹴りつけた。昨日の打撲が残る肩を踏みにじられ、呻く。
 
「いいか、お前なぞ所詮、当主たる私が居なければ、何の価値もないのだ。ただの無能な餓鬼、生意気で粋がった小娘だ。これ以上、私と晶の機嫌を損ねれば、お前は何も与えられず、家を出て行くことになる」
「しかし……私は後継者です! その言い様はあまりにも――」
「黙れ」
 
 父から威圧のフェロモンが溢れ出す。体調が悪かったのもあり、もろに食らって、私は床に崩れ落ちた。
 
「この家には、私と晶さえいればいい。この家に居たければ、己の立場を省みることだ。でないと、お前は……第二、第三の宍倉をつくることになる」
 
 
 
 
 気が付くと、私は自室に戻っていた。
 
「……」
 
 そこは、あちこちをひっくり返したように、めちゃくちゃに荒れ果てていた。宍倉さんと一緒に仕事をした、楽しい記憶を思い出し、空しくなる。お気に入りのデスクも、セキュリティが解けなかったのか、強引に叩き壊されてる。
 
「物理攻撃に対応させとくんだったかな……」
 
 ぼやきは、一人の部屋に空しく響く。
 破壊され、ひっくり返された引き出しから、持ち出されたのだろう。大切な蔵書は一冊残らず、破り捨てられていた。床の隅に、こんもりと山を作る色とりどりの紙は、その残骸だった。
 全部、台無しになったんだな、と思う。
 
 ――結局、宍倉さんは助けられないし……私には、何も出来ない……
 
 悔しいのに、胸がしんと冷え込んでいる。
 
「……桜庭みたいには、なれないよな」
 
 桜庭の本に近づいて、一枚の紙片を取る。小さな紙くずとなったページををひっくり返し、ふと笑いが漏れる。
 そこには、たった二文字残っていた。
 『報復』と。
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