いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第六章~鳥籠の愛~

三百六十話

 考える前に、外に飛び出していた。 
 雨の中を走って、陽平の元へ駆け寄る。水たまりを蹴りつけ、ばしゃばしゃと激しい音が立った。――前へ傾いだ長身に、必死に腕を差し伸べる。
 
「陽平……!」
「……っ」
 
 抱き留めると、氷のように冷たかった。
 空から降る雨が、陽平に染みこんだ水滴が、ぼくの服を一気に濡らす。
 
 ――つ、つめたい……!
 
 支えても、崩れてしまうかと思ったけど……思いの外、足に力がある。抱えた体ごと前へ押すようにして、なんとか立たせることが出来た。
 
「はぁ……はぁ……」
 
 間に合った。
 荒い呼吸をついていると……頭上で、呆然とした声が聞こえた。
 
「……なる、み?」
 
 濡れた前髪の下、紅茶色の目が見開かれている。――その瞳の奥に、驚愕とよくわからない強い感情が閃いたのを見て、息を飲む。
 ぼくは、急速に我に返った。 
 
「……ぁ……!」
 
 ばつが悪い気持ちで、蒼白の顔から目を逸らした。抱えていた体を離して、ぱっと二歩下がる。
 
 ――ばか。咄嗟に……
 
 陽平が倒れると思ったら、からだが勝手に動いてしまった。
 放っておこうって思ったのに、どうして……? 自己嫌悪で俯けば、水を溜めたアスファルトに、雨がばらばらと波紋を起こしている。
 すると、ぱしゃりと水を踏む音がした。
 
「……っ、こんといて!」
 
 陽平が、こっちに歩んで来ようとするのに気づき、鋭い声を上げる。……伸ばされた手が、びくりと空中で止まった。ぼくは、陽平をきっと睨みつける。
 
「……大丈夫なんやったら、もう帰って」
「……成己」
「うちに来るなんて、どういうつもりなんよ。この前のことだって、許してないんやから……!」
 
 ぼくは後じさり、はっきりと拒絶の言葉を告げた。
 陽平の目が、傷ついたように揺れる。――帰り道を見失い、途方に暮れる子どものような顔をしていた。ぼくは、うっと息が詰まる。
 
 ――なんで。そんな目、せんといてよ……!
 
 ぼくが酷いみたいやんか。
 雨に濡れる瞼が、じんと熱を持つ。――悲しいのか、悔しいのかわからない涙が溢れそうになり、歯を噛み縛った。
 陽平の顔が、苦し気に歪む。
 
「……俺は……、……」
 
 陽平が、掠れた声で呟いた。雨の音にかき消され、ほとんど聞き取れない。訝しかったけれど、ぜんぶ今さらやと思って、頬をゴシゴシ拭う。
 
「……はやく、帰って」
 
 冷たく言ったはずなのに、みっともなく震えてしまった。
 内心の動揺を押し隠すよう、息を思いきり吸う。
 
「宏ちゃんの大切なお家を壊して……ぼく、怒ってるんやから! ほかにも、いろいろ……!」
「……」
 
 そうだ。
 ぼくと陽平は、完膚なきまでに終わってる。……結婚しようって言ったのに、蓑崎さんを選んで。宏ちゃんと結婚したことまで、怒られて……挙句の果てには、失恋の八つ当たりまで。
 あんまりな結末すぎて――仲良しの友達だったことさえ、今は思い出すのは難しいんだ。
 
「もう、こないで……」
 
 陽平が、どんなつもりでここに来るのかは、わからないけど。
 ぼくは、もう……何も考えたくない。
 
 ――これ以上、陽平のことで苦しみたくない。
 
 涙を堪え、陽平を睨みつける。――ぶさいくな、鬼の形相かも。でも、もうどうでもいい。
 
「……」
 
 好き勝手に言ったので、怒りださないかと不安やったけど……陽平は黙りこくっている。
 
「さよなら」
 
 ぼくは踵を返し、お店の中に戻る。
 水を吸った靴がぐじゅぐじゅと音を立てて、気持ち悪い。拭いた床にも、靴跡がたくさんついてしまった。
 
「また、お掃除しなきゃ……」
 
 鼻をすんと啜り、後ろを振り返ると――陽平は、まだもたもたしてる。というより、ぼうっと立ち尽くす後姿は、ちっとも動いていないみたいや。
 見て見ぬ振りしようと、タオルで髪を拭った。
 
「……」
 
 けれど、無視しようとすればするほど、後ろ髪が引かれてしまう。
 
 ――ああ、もう……!
 
 ぼくは、お客さんに貸し出す用のビニル傘を引っ掴んだ。
 雨の中を逆戻りして、微動だにしない背に向かって、声をかけた。
 
「陽平」
「……ぁ」
 
 振り返った胸に、傘をどんと押し付ける。
 狼狽したように、目を瞠る陽平に、ぼくは言う。
 
「返さなくていいから」
「……成己」
「早く帰って……風邪ひかないうちに」
 
 もう一度、グイと押し付けると、陽平はのろのろと受け取った。その様子に、ホッと息を吐く。
 ぼくは、小走りに家に戻り――今度こそ、扉を閉めた。 
 
 
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