いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第六章~鳥籠の愛~

三百六十四話【SIDE:陽平】

 ――ザァァ……
 
 しきりに降り続く雨のなか、茫然と歩いていた。
 礫のように大粒の雫が吹きつけて、傘を持つ手が痺れそうだ。――だから、俺は命綱のように強く、柄を握りしめる。
 
 ――『帰って。風邪ひかないうちに……』
 
 脳裏には、あいつの声がくり返し再生される。
 怒ったような、悲しい声だった。だけど、こうして雨風をしのいでくれるのは、あいつのくれた優しさのおかげだった。
 家に帰り着き――玄関に足を踏み入れたところで、母さんが飛び出してくる。
 
「陽平ちゃん!」
 
 ばたばたと駆け寄ってきた母さんは、両手を握り合わせ、高い声で叫んだ。
 
「どこに行っていたの! 急にいなくなって、心配していたのよ!」
「……」
 
 成己のところへ行っていた。
 そう言いかねて、口を噤んでいると、母さんはハッと息を飲む。
 
「……今は、そんなことはいいわね。ともかく、お風呂に入って頂戴。あなた達、温かいスープでも作って……陽平ちゃんにタオルはまだ?」
「はい、ただ今!」
 
 母さんの号令で、使用人達が一斉に動き出す。
 彼らが影のように俺に世話を焼こうとするのを、避けるように俺は身を竦めた。
 濡れた靴下のまま、押されるように家の中に入った。
 
「陽平様、その傘はこちらへ」
 
 年嵩の使用人が、手を差し出した。
 俺は、はたと左手に持ったままの傘を見下ろす。――水滴をたっぷり含んで、部屋に持って入るに適さない有様だ。
 けれど、
 
「……いい」
 
 俺は、傘を持ったまま、部屋に向かう。
 水滴が、磨き上げられた廊下に、斑に模様をつけていった。
 
 ――預けたら、どこにやられるかわからない。
 
 俺は、傘の柄をきつく握りしめる。……狂って見えるかもしれないが、構わなかった。後をついてこようとする使用人を退け、部屋に戻った。
 
「……はぁ」
 
 ドアをしっかり閉め、息を吐く。背で壁を滑り、床に座り込むと……傘を膝に乗せた。
 
 ――……成己。
 
 ビニル地から流れる水滴が、パンツに染みこむ。だが、すでにずぶ濡れだから、さして気にならない。――いや。
 むしろ、その冷たささえも成己がよこしたものだと思うと、切なくなる。
 
「……っ」

 押しつけるように、渡された傘に触れた。

「成己。どうして、お前は……」

 胸が苦しい。
 ……実家に帰ってから、半分死んだように暮らしていた。何をするにも気力がわかなくて、大学すら行かず、うすぼんやりした意識の中で、日々をやり過ごして。
 アルファと程遠い腑抜け――まさに、そんな状態だった俺を、正気付かせたのは成己だった。

――『陽平ちゃん。今日、あの子に会ったわ……』
 
 母さんが、気晴らしに向かったワークショップの日に成己に会ったと聞いて……死んだ心に、稲妻が走ったみたいだった。
 会えると思うほど、厚かましくはない。けど、会いたかった。
 ただ……ひと目だけでも、と。
 何かに取り憑かれたように、足があの店に向かっていたんだ。
 雨に打たれて死のうとか思ったわけじゃなかった。成己がここにいるのだと思ったら、離れがたくて。……けれど。

――『陽平!』

 成己は血相を変えて、飛び出してきた。
 細い腕に、しっかりと抱きとめられた感触が、まだ残っている。

『陽平っ……!』

 必死な様子で、俺を心配していた。一緒にいたときと、何一つ変わらなくみえるほど。……俺が触れようとすると、怒って、身を離してしまったけれど。

「はは……」

 俺は、くしゃりと前髪を掴んだ。喉の奥から、なぜか笑いがこみ上げてくる。
 胸が、引き絞られるように、痛い。

「……なんで、優しくするんだよ」

 お前は野江のものになったのに。

――『成は雨の中、どこにも行けずに蹲っていたんだぞ……!』

 俺は、お前を捨てたのに。
 どうして、こんな俺に……お前は優しくできるんだ。

「……くっ」

 喉の奥で、嗚咽がこみ上げる。歯をかみしめて、肩を震わせていると……

「――陽平ちゃん、風邪をひくわ」
「陽平様」

 部屋の外から、母さんや使用人の声がする。気遣いの籠もった声音だった。

――情けねえ……俺は……

 俺は涙を零し、傘を抱いた。
 成己の泣き顔を、浮かべながら……
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