いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
422 / 505
第七章~おごりの盾~

四百二十一話

 台所の明り取りの窓を透かして、真っ赤な夕陽が部屋に入り込んでくる。
 
 ――夕焼け……
 
 チューブの絵の具を溶いたような鮮烈な赤いろ。
 ぼくは知らず、お芋を洗っていた手を止め、魅入られていた。……夏の気配が遠くなり、秋が深まって来たからやろうか。最近の夕焼けは怖いほどにあざやかや。
 先刻まで淡い青色だった空なのに――いまは赤く輝いて、火の玉みたいな太陽を抱えている。
 
 『陽平を捨てるなんて、許さない……!』
 
 鋭い怒声が、耳に蘇ってきた。
 真っ赤な空に、火のように揺らいでいた城山さんの目が重なる。ぼくはぞっとして、お芋に水をかけては、ごしごしと泥を落とした。

「……っ」
 
 それでも、ふとした時に手が止まってしまった。
 ザーッ、と水道の音が、雨の音にすり替わっていく。蛇口から流れる水の向こうに、歪んだ面影が映った。
 
「……陽、平……?」
 
 ぼくらの家の前で、ずぶ濡れになっていた陽平。――迷子みたいな、顔をしてた。どこに行ったらわからないって目をして、立っていたんだ……
 
 ――やめて! 何も考えたくないっ。
 
 必死に閉め出そうとかぶりを振ると……陽平は降りしきる雨の中で歪み、姿を変えていく。
 赤いランドセルを背負った、小さな影へと。
 
 『行かないで……――さん』
 
 か細い声が、ざあざあと打ち付ける雨の音にかき消える。
 ぼくは、ううと呻いた。
 
 『……』
 
 ひどい雨の音が轟いて、心の中がめちゃめちゃになる。きつく手を握りしめたその時――
 
「――成?」


 
 大きな手に、手首を掴まれた。ふわ、と深い森の香りに包まれて、ハッと目を見ひらく。
 宏ちゃんが、心配そうにぼくを見下ろしていた。
 
「……ひろ、ちゃん?」

 あたたかな体温に背を包まれて、ほうと息を吐く。書斎にいたはずの宏ちゃんが、ぼくに覆いかぶさるように抱きしめていた。

「どうしたんだ。包丁持って、危ないぞ」
 
 宏ちゃんは、ぼくの手から包丁を取り上げて、まな板の上に置く。
 
「え……」
 
 それで、自分の手元を見て、ぎょっとする。
 悶々としながらも、皮を剥きつづけていたのか――握っていたお芋が、小さく丸くなっていた。ボウルの中に皮と身が蛇のように重なってしもてる。
 
「わああっ。も、もったいないっ! ぼくったら……」
 
 折角のお野菜やのに、なんてことを!
 急激にわれに返り、ぼくはお芋の残骸を手のひらにかき集めた。
 
「ああ、ごめんねお芋さん……」
 
 大慌てで、せっせと食べられるところをより分けていると、宏ちゃんが苦笑する。
 
「今日は、肉じゃがだったかな?」
「うん。でも、どうしよう……こんなにしちゃって」
「そうだなあ……きんぴらか、いっそコロッケにでもしちまうか!」

 俺もやるよ、と宏ちゃんが腕まくりして、手を洗いだした。ぼくは申し訳ない気持ちで、冷たいボウルを抱く。

「ごめんね、お仕事中なのに……」
「なに言ってんだ、俺が一緒にやりたいんだよ」
「宏ちゃん……」

 穏やかな声で励まされ、涙ぐんでしまう。優しい、宏ちゃん。
 宏ちゃんはニコッとして、冷蔵庫にお芋を追加で取り出しに行く。大きな背中をじっと見つめていると、
 
「でも、どうしたんだ。このところ、心ここにあらずだが……」
「……っ!」

 思わず、びくりと肩が跳ねた。

「なにか悩んでるんじゃないか?」

 宏ちゃんは熱心にお芋を下ごしらえして、さも作業に夢中って雰囲気を醸してくれている。
 でも、肌でわかるん。彼が、ぼくの返答をじっと待ってくれていることを。

 ――ど、どうしよう……

 城山さんと偶然会ってから、既に数日が立っていた。
 けどね……まだ、会ったことを話せてないん。家に帰りつくまでは、すごく話したかったんよ。よくわかんないことを言われて、混乱していたから……宏ちゃんに「大丈夫だ」って笑ってほしかったん。でも、
 
 ――元婚約者のお母さんに、「会ってやれ」って言われたなんて、伝えられへんよっ!

 そんなん、不躾すぎるもん。万が一、未練があるなんて思われたら、いややし。どうしようって悩んでるうちに、言い出すタイミングがどんどん掴めなくなってしもたんよ……。

 ――結局、こうやって心配かけちゃってるし……ぼくってやつは!

 だらだらと、汗をかきながら思う。
 時間が経つほど、よけいに言い出しにくくなってるし。自白は早い方がいいのかもしれへん。
 ぼくは、ごくりと唾を飲み込んだ。
 
「成?」

 心臓が不穏にドキッとする。ぼくは指をもじつかせ、口ごもった。
 
「えと……えっとね」
「うん」
 
 宏ちゃんの切れ長の目は、ぼくを見つめてくれていた。優しさをたたえた灰色の瞳から、深い心配の色が見え隠れしてる。……これ以上、心配かけちゃ、いけない。
 意を決し、夫の目を見つめる。

「あのね、宏ちゃん!」

 声を張り上げた瞬間――続きの間で、テレビが緊急ニュースを告げた。

『――椹木製薬が、新しいフェロモン抑制剤の開発に成功しました!』 

 その情報に、ぼくと宏ちゃんは顔を見合わせた。

「ええっ!」
感想 280

あなたにおすすめの小説

運命の番は僕に振り向かない

ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。 それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。 オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。 ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。 ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。 ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。 ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。 完結しました!ありがとうございました。

文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる── 侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。 だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。 アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。 そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。 「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」 これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。 ⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。 4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

幼馴染がいじめるのは俺だ!

むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに... 「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」 「はっ...ぁ??」 好きな奴って俺じゃないの___!? ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子 ーーーーーー 主人公 いじめられっ子 小鳥遊洸人 タカナシ ヒロト 小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。 姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。 高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、 脳破壊。 千透星への恋心を自覚する。 幼馴染 いじめっ子 神宮寺 千透星 ジングウジ チトセ 小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。 美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている) 転校生の須藤千尋が初恋である

愛され方を教えて

あちゃーた
BL
主人公リハルトは自分を愛さなかった元婚約と家族のために無惨に死んだ…はずだった。 次に目が覚めた時、リハルトは過去に戻っていた。 そこは過去のはずなのにどこかおかしくて…

世継ぎは他の妃が産めばいい——子を産めない私ですが、帝の寵愛を独占して皇后になりました

由香
恋愛
後宮に入る女の価値は、ただ一つ。 ——皇子を産めるかどうか。 けれど私は、産めない。 ならば—— 「世継ぎは他の妃に任せます。私は、陛下に愛される女になります」 そう言い放ったその日から、すべてが狂い始めた。 毒を盛られても、捨てられず。 皇子が生まれても、選ばれたのは私だった。 「お前は、ここにいろ」 これは、子を産めない女が ただ一つの武器“寵愛”だけで頂点に立つ物語。 そして—— その寵愛は、やがて狂気に変わる。