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第七章~おごりの盾~
四百二十一話
台所の明り取りの窓を透かして、真っ赤な夕陽が部屋に入り込んでくる。
――夕焼け……
チューブの絵の具を溶いたような鮮烈な赤いろ。
ぼくは知らず、お芋を洗っていた手を止め、魅入られていた。……夏の気配が遠くなり、秋が深まって来たからやろうか。最近の夕焼けは怖いほどにあざやかや。
先刻まで淡い青色だった空なのに――いまは赤く輝いて、火の玉みたいな太陽を抱えている。
『陽平を捨てるなんて、許さない……!』
鋭い怒声が、耳に蘇ってきた。
真っ赤な空に、火のように揺らいでいた城山さんの目が重なる。ぼくはぞっとして、お芋に水をかけては、ごしごしと泥を落とした。
「……っ」
それでも、ふとした時に手が止まってしまった。
ザーッ、と水道の音が、雨の音にすり替わっていく。蛇口から流れる水の向こうに、歪んだ面影が映った。
「……陽、平……?」
ぼくらの家の前で、ずぶ濡れになっていた陽平。――迷子みたいな、顔をしてた。どこに行ったらわからないって目をして、立っていたんだ……
――やめて! 何も考えたくないっ。
必死に閉め出そうとかぶりを振ると……陽平は降りしきる雨の中で歪み、姿を変えていく。
赤いランドセルを背負った、小さな影へと。
『行かないで……――さん』
か細い声が、ざあざあと打ち付ける雨の音にかき消える。
ぼくは、ううと呻いた。
『……』
ひどい雨の音が轟いて、心の中がめちゃめちゃになる。きつく手を握りしめたその時――
「――成?」
大きな手に、手首を掴まれた。ふわ、と深い森の香りに包まれて、ハッと目を見ひらく。
宏ちゃんが、心配そうにぼくを見下ろしていた。
「……ひろ、ちゃん?」
あたたかな体温に背を包まれて、ほうと息を吐く。書斎にいたはずの宏ちゃんが、ぼくに覆いかぶさるように抱きしめていた。
「どうしたんだ。包丁持って、危ないぞ」
宏ちゃんは、ぼくの手から包丁を取り上げて、まな板の上に置く。
「え……」
それで、自分の手元を見て、ぎょっとする。
悶々としながらも、皮を剥きつづけていたのか――握っていたお芋が、小さく丸くなっていた。ボウルの中に皮と身が蛇のように重なってしもてる。
「わああっ。も、もったいないっ! ぼくったら……」
折角のお野菜やのに、なんてことを!
急激にわれに返り、ぼくはお芋の残骸を手のひらにかき集めた。
「ああ、ごめんねお芋さん……」
大慌てで、せっせと食べられるところをより分けていると、宏ちゃんが苦笑する。
「今日は、肉じゃがだったかな?」
「うん。でも、どうしよう……こんなにしちゃって」
「そうだなあ……きんぴらか、いっそコロッケにでもしちまうか!」
俺もやるよ、と宏ちゃんが腕まくりして、手を洗いだした。ぼくは申し訳ない気持ちで、冷たいボウルを抱く。
「ごめんね、お仕事中なのに……」
「なに言ってんだ、俺が一緒にやりたいんだよ」
「宏ちゃん……」
穏やかな声で励まされ、涙ぐんでしまう。優しい、宏ちゃん。
宏ちゃんはニコッとして、冷蔵庫にお芋を追加で取り出しに行く。大きな背中をじっと見つめていると、
「でも、どうしたんだ。このところ、心ここにあらずだが……」
「……っ!」
思わず、びくりと肩が跳ねた。
「なにか悩んでるんじゃないか?」
宏ちゃんは熱心にお芋を下ごしらえして、さも作業に夢中って雰囲気を醸してくれている。
でも、肌でわかるん。彼が、ぼくの返答をじっと待ってくれていることを。
――ど、どうしよう……
城山さんと偶然会ってから、既に数日が立っていた。
けどね……まだ、会ったことを話せてないん。家に帰りつくまでは、すごく話したかったんよ。よくわかんないことを言われて、混乱していたから……宏ちゃんに「大丈夫だ」って笑ってほしかったん。でも、
――元婚約者のお母さんに、「会ってやれ」って言われたなんて、伝えられへんよっ!
そんなん、不躾すぎるもん。万が一、未練があるなんて思われたら、いややし。どうしようって悩んでるうちに、言い出すタイミングがどんどん掴めなくなってしもたんよ……。
――結局、こうやって心配かけちゃってるし……ぼくってやつは!
だらだらと、汗をかきながら思う。
時間が経つほど、よけいに言い出しにくくなってるし。自白は早い方がいいのかもしれへん。
ぼくは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「成?」
心臓が不穏にドキッとする。ぼくは指をもじつかせ、口ごもった。
「えと……えっとね」
「うん」
宏ちゃんの切れ長の目は、ぼくを見つめてくれていた。優しさをたたえた灰色の瞳から、深い心配の色が見え隠れしてる。……これ以上、心配かけちゃ、いけない。
意を決し、夫の目を見つめる。
「あのね、宏ちゃん!」
声を張り上げた瞬間――続きの間で、テレビが緊急ニュースを告げた。
『――椹木製薬が、新しいフェロモン抑制剤の開発に成功しました!』
その情報に、ぼくと宏ちゃんは顔を見合わせた。
「ええっ!」
――夕焼け……
チューブの絵の具を溶いたような鮮烈な赤いろ。
ぼくは知らず、お芋を洗っていた手を止め、魅入られていた。……夏の気配が遠くなり、秋が深まって来たからやろうか。最近の夕焼けは怖いほどにあざやかや。
先刻まで淡い青色だった空なのに――いまは赤く輝いて、火の玉みたいな太陽を抱えている。
『陽平を捨てるなんて、許さない……!』
鋭い怒声が、耳に蘇ってきた。
真っ赤な空に、火のように揺らいでいた城山さんの目が重なる。ぼくはぞっとして、お芋に水をかけては、ごしごしと泥を落とした。
「……っ」
それでも、ふとした時に手が止まってしまった。
ザーッ、と水道の音が、雨の音にすり替わっていく。蛇口から流れる水の向こうに、歪んだ面影が映った。
「……陽、平……?」
ぼくらの家の前で、ずぶ濡れになっていた陽平。――迷子みたいな、顔をしてた。どこに行ったらわからないって目をして、立っていたんだ……
――やめて! 何も考えたくないっ。
必死に閉め出そうとかぶりを振ると……陽平は降りしきる雨の中で歪み、姿を変えていく。
赤いランドセルを背負った、小さな影へと。
『行かないで……――さん』
か細い声が、ざあざあと打ち付ける雨の音にかき消える。
ぼくは、ううと呻いた。
『……』
ひどい雨の音が轟いて、心の中がめちゃめちゃになる。きつく手を握りしめたその時――
「――成?」
大きな手に、手首を掴まれた。ふわ、と深い森の香りに包まれて、ハッと目を見ひらく。
宏ちゃんが、心配そうにぼくを見下ろしていた。
「……ひろ、ちゃん?」
あたたかな体温に背を包まれて、ほうと息を吐く。書斎にいたはずの宏ちゃんが、ぼくに覆いかぶさるように抱きしめていた。
「どうしたんだ。包丁持って、危ないぞ」
宏ちゃんは、ぼくの手から包丁を取り上げて、まな板の上に置く。
「え……」
それで、自分の手元を見て、ぎょっとする。
悶々としながらも、皮を剥きつづけていたのか――握っていたお芋が、小さく丸くなっていた。ボウルの中に皮と身が蛇のように重なってしもてる。
「わああっ。も、もったいないっ! ぼくったら……」
折角のお野菜やのに、なんてことを!
急激にわれに返り、ぼくはお芋の残骸を手のひらにかき集めた。
「ああ、ごめんねお芋さん……」
大慌てで、せっせと食べられるところをより分けていると、宏ちゃんが苦笑する。
「今日は、肉じゃがだったかな?」
「うん。でも、どうしよう……こんなにしちゃって」
「そうだなあ……きんぴらか、いっそコロッケにでもしちまうか!」
俺もやるよ、と宏ちゃんが腕まくりして、手を洗いだした。ぼくは申し訳ない気持ちで、冷たいボウルを抱く。
「ごめんね、お仕事中なのに……」
「なに言ってんだ、俺が一緒にやりたいんだよ」
「宏ちゃん……」
穏やかな声で励まされ、涙ぐんでしまう。優しい、宏ちゃん。
宏ちゃんはニコッとして、冷蔵庫にお芋を追加で取り出しに行く。大きな背中をじっと見つめていると、
「でも、どうしたんだ。このところ、心ここにあらずだが……」
「……っ!」
思わず、びくりと肩が跳ねた。
「なにか悩んでるんじゃないか?」
宏ちゃんは熱心にお芋を下ごしらえして、さも作業に夢中って雰囲気を醸してくれている。
でも、肌でわかるん。彼が、ぼくの返答をじっと待ってくれていることを。
――ど、どうしよう……
城山さんと偶然会ってから、既に数日が立っていた。
けどね……まだ、会ったことを話せてないん。家に帰りつくまでは、すごく話したかったんよ。よくわかんないことを言われて、混乱していたから……宏ちゃんに「大丈夫だ」って笑ってほしかったん。でも、
――元婚約者のお母さんに、「会ってやれ」って言われたなんて、伝えられへんよっ!
そんなん、不躾すぎるもん。万が一、未練があるなんて思われたら、いややし。どうしようって悩んでるうちに、言い出すタイミングがどんどん掴めなくなってしもたんよ……。
――結局、こうやって心配かけちゃってるし……ぼくってやつは!
だらだらと、汗をかきながら思う。
時間が経つほど、よけいに言い出しにくくなってるし。自白は早い方がいいのかもしれへん。
ぼくは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「成?」
心臓が不穏にドキッとする。ぼくは指をもじつかせ、口ごもった。
「えと……えっとね」
「うん」
宏ちゃんの切れ長の目は、ぼくを見つめてくれていた。優しさをたたえた灰色の瞳から、深い心配の色が見え隠れしてる。……これ以上、心配かけちゃ、いけない。
意を決し、夫の目を見つめる。
「あのね、宏ちゃん!」
声を張り上げた瞬間――続きの間で、テレビが緊急ニュースを告げた。
『――椹木製薬が、新しいフェロモン抑制剤の開発に成功しました!』
その情報に、ぼくと宏ちゃんは顔を見合わせた。
「ええっ!」
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