いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
439 / 485
第七章~おごりの盾~

四百三十八話

しおりを挟む
 午後の穏やかな陽のさす台所いっぱいに、甘い匂いが満ちていた。
 
「……わぁっ、いい焼け具合!」
 
 オーブンからトレイを引き出して、歓声を上げる。そこには、こんもりと丸いチョコチップクッキーが、ほかほかと湯気を立てていた。
 
「美味しそう……はやく食べたいなあ」
 
 こんがりときつね色の生地から、ぼこぼこつき出た板チョコが食欲をそそります。トレイを持って、いそいそと居間に向かえば、いい匂いも一緒について来るみたいや。
 
 ――この甘い湯気って、お家でお菓子を作ったときのいちばんのご馳走な気がするなぁ。
 
 つまみ食いの誘惑にさらされるけど、ぼくは自制心をフル活動させて、クッキーを休ませてあげる。先に焼き上がっていたレーズンとフレークのクッキーをお皿に並べると、テーブルの上はちょっとしたお店屋さんになった。

「ふふ……われながら、なかなかの出来栄えですっ」
 
 クッキーを眺めて、ちょっぴり悦に入っていると――にわかに、テーブルの片隅に置いたスマホが振動する。

「……っ!」

 こわごわと発信者を見れば、お義母さんからやった。ぼくはホッとして、受話器を上げる。

『ああ、成くん。いま良かった?』
「はい、お義母さん。だいじょうぶですよ」

 電話越しにもはきはきしたお義母さんの声を聞いていると、動揺が落ち着いてくる。連絡の内容は、明日のフラワーアレンジ教室のことやった。

『明日は全員参加するって。例のもの、出来てたら持って来てくれる?』
「わかりましたっ。教えて下さって、ありがとうございます」
『あはは。固いな~!』

 通話が切れたあと、賑やかな笑い声の余韻を残すスマホを手に、ぼくはため息を吐いた。

 ――はあ、よかったぁ……あの人じゃなくて。

 そう思ったとき、ドアが開く音が聞こえた。

「成」
 
 宏ちゃんが居間の入り口に、ひょいと顔を出す。
 一瞬、ドキリとして――ぼくは、すぐににっこりと笑いかえした。

「宏ちゃんっ。お仕事、ひと段落?」
「うん。いい匂いがしてたから、”させた”」
「あら」
 
 原稿用紙の束で肩をトン、と叩いて笑う夫に、ぼくはきょとんとする。
 腕を開いて近づいてきた宏ちゃんに、ぎゅっと抱きしめられてしまう。頬を埋めたシャツからは、やさしい森林のようなフェロモンが香る。

「おっ。成から、甘いにおいがする」
「ほんま? ずっと焼いてたからかなぁ」
「うん。すごく美味そうだよ」
 
 頭頂部に鼻先を埋め、宏ちゃんがすんすんと鼻を鳴らす。くすぐったくって、ぼくは首を竦めた。宏ちゃんってば、クッキーを前にして、ぼくやなんて。天然さんなんやからねぇ。
 広い胸に抱きついて、笑う。
 
「ねえ、宏ちゃん。クッキー焼けたから、一緒に味見してくれませんか?」
 
 
 
 粗熱の取れたクッキーを二枚ずつお皿に乗せて、あったかいお茶と、冷たい牛乳も用意して。宏ちゃんと、居間のテーブルに向かい合った。
 
「おお、でっかいなあ。美味そうだ」
 
 拳くらいの大きさのクッキーをつまみ、宏ちゃんは面白そうに眺めてる。驚いてもらえたのが嬉しくて、ぼくは「ありがとう」って身を乗り出した。
 
「こういうクッキーがね、出てくる絵本があるんよ。こないだ静子さんのおうちで見せてもろて、作ってみたいなって思っちゃったりして……」
「ああ! たしかにこいつ、ガキの頃に憧れた顔してる」
「えへ。チョコが溶けてるかもやから、気をつけて食べてね」
 
 香ばしいチョコクッキーに、二人同時にかじりつく。まだほんのりと温かい。さくさくほろほろの生地から、チョコレートがとろりとあふれ出て、舌が甘みにしびれそうになる。
 
「おいしいっ」
「うん、美味い! なんだか懐かしい味だなぁ」
「ほんまやねえ」
しおりを挟む
感想 261

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。

しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。 友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。 『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。 取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。 彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

私と幼馴染と十年間の婚約者

川村 あかり
恋愛
公爵令嬢ロゼリアは、王子アルベルトとの婚約を結んでいるが、彼の心は無自覚に幼馴染のミナに奪われていた。ミナの魔法【魅了】が無意識に周りの男性を狂わせ、アルベルトもその例外ではない。 それぞれが生まれつき得意な魔法があり、ロゼリアは見たものや聞いたものを完璧に記録できる【記録・再生】の魔法を持ち、二人の関係に耐えきれず胃の痛みに悩む日々。そんな中、彼女の唯一の理解者の冷静沈着なキースや毒舌のマリーが心の支えとなる。 アルベルトの側近であるガストンは、魔法【増幅】で騒動を盛り上げる一方、ミナの友人リリィは【幻影】の魔法を使ってロゼリアを貶めようと画策する。 婚約者と幼馴染の行動に振り回されるロゼリア。魔法が絡んだ恋愛模様の中で、彼女は本当の愛を見つけられるのか?

【完結】留学先から戻って来た婚約者に存在を忘れられていました

山葵
恋愛
国王陛下の命により帝国に留学していた王太子に付いて行っていた婚約者のレイモンド様が帰国された。 王家主催で王太子達の帰国パーティーが執り行われる事が決まる。 レイモンド様の婚約者の私も勿論、従兄にエスコートされ出席させて頂きますわ。 3年ぶりに見るレイモンド様は、幼さもすっかり消え、美丈夫になっておりました。 将来の宰相の座も約束されており、婚約者の私も鼻高々ですわ! 「レイモンド様、お帰りなさいませ。留学中は、1度もお戻りにならず、便りも来ずで心配しておりましたのよ。元気そうで何よりで御座います」 ん?誰だっけ?みたいな顔をレイモンド様がされている? 婚約し顔を合わせでしか会っていませんけれど、まさか私を忘れているとかでは無いですよね!?

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

処理中です...