いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第七章~おごりの盾~

四百三十八話

 午後の穏やかな陽のさす台所いっぱいに、甘い匂いが満ちていた。
 
「……わぁっ、いい焼け具合!」
 
 オーブンからトレイを引き出して、歓声を上げる。そこには、こんもりと丸いチョコチップクッキーが、ほかほかと湯気を立てていた。
 
「美味しそう……はやく食べたいなあ」
 
 こんがりときつね色の生地から、ぼこぼこつき出た板チョコが食欲をそそります。トレイを持って、いそいそと居間に向かえば、いい匂いも一緒について来るみたいや。
 
 ――この甘い湯気って、お家でお菓子を作ったときのいちばんのご馳走な気がするなぁ。
 
 つまみ食いの誘惑にさらされるけど、ぼくは自制心をフル活動させて、クッキーを休ませてあげる。先に焼き上がっていたレーズンとフレークのクッキーをお皿に並べると、テーブルの上はちょっとしたお店屋さんになった。

「ふふ……われながら、なかなかの出来栄えですっ」
 
 クッキーを眺めて、ちょっぴり悦に入っていると――にわかに、テーブルの片隅に置いたスマホが振動する。

「……っ!」

 こわごわと発信者を見れば、お義母さんからやった。ぼくはホッとして、受話器を上げる。

『ああ、成くん。いま良かった?』
「はい、お義母さん。だいじょうぶですよ」

 電話越しにもはきはきしたお義母さんの声を聞いていると、動揺が落ち着いてくる。連絡の内容は、明日のフラワーアレンジ教室のことやった。

『明日は全員参加するって。例のもの、出来てたら持って来てくれる?』
「わかりましたっ。教えて下さって、ありがとうございます」
『あはは。固いな~!』

 通話が切れたあと、賑やかな笑い声の余韻を残すスマホを手に、ぼくはため息を吐いた。

 ――はあ、よかったぁ……あの人じゃなくて。

 そう思ったとき、ドアが開く音が聞こえた。

「成」
 
 宏ちゃんが居間の入り口に、ひょいと顔を出す。
 一瞬、ドキリとして――ぼくは、すぐににっこりと笑いかえした。

「宏ちゃんっ。お仕事、ひと段落?」
「うん。いい匂いがしてたから、”させた”」
「あら」
 
 原稿用紙の束で肩をトン、と叩いて笑う夫に、ぼくはきょとんとする。
 腕を開いて近づいてきた宏ちゃんに、ぎゅっと抱きしめられてしまう。頬を埋めたシャツからは、やさしい森林のようなフェロモンが香る。

「おっ。成から、甘いにおいがする」
「ほんま? ずっと焼いてたからかなぁ」
「うん。すごく美味そうだよ」
 
 頭頂部に鼻先を埋め、宏ちゃんがすんすんと鼻を鳴らす。くすぐったくって、ぼくは首を竦めた。宏ちゃんってば、クッキーを前にして、ぼくやなんて。天然さんなんやからねぇ。
 広い胸に抱きついて、笑う。
 
「ねえ、宏ちゃん。クッキー焼けたから、一緒に味見してくれませんか?」
 
 
 
 粗熱の取れたクッキーを二枚ずつお皿に乗せて、あったかいお茶と、冷たい牛乳も用意して。宏ちゃんと、居間のテーブルに向かい合った。
 
「おお、でっかいなあ。美味そうだ」
 
 拳くらいの大きさのクッキーをつまみ、宏ちゃんは面白そうに眺めてる。驚いてもらえたのが嬉しくて、ぼくは「ありがとう」って身を乗り出した。
 
「こういうクッキーがね、出てくる絵本があるんよ。こないだ静子さんのおうちで見せてもろて、作ってみたいなって思っちゃったりして……」
「ああ! たしかにこいつ、ガキの頃に憧れた顔してる」
「えへ。チョコが溶けてるかもやから、気をつけて食べてね」
 
 香ばしいチョコクッキーに、二人同時にかじりつく。まだほんのりと温かい。さくさくほろほろの生地から、チョコレートがとろりとあふれ出て、舌が甘みにしびれそうになる。
 
「おいしいっ」
「うん、美味い! なんだか懐かしい味だなぁ」
「ほんまやねえ」
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