いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第七章~おごりの盾~

四百四十六話

「ふぅ……良いお湯でした~」
 
 お風呂上りに、ほかほかと湯気を立てながら、廊下を歩いた。一日の終わりのお風呂は、疲れごと気分がリセットされるみたいで最高です。ぼくは、書斎のドアをとんとんと叩いた。
 
「宏ちゃん、お疲れさまですっ。お風呂、お先に頂きました」
「おう。お疲れさん、成」
 
 宏ちゃんが、くるりと振り返った。おっきいゲーミングチェアを回し、大きく伸びをしている。拍子に大きな欠伸を一つ。ぼくは笑いをかみ殺しつつ、歩み寄った。
 でもね、近くで見た宏ちゃんは目のくまがすごくって、シャツもよれていたん。
 疲労困憊……! と、ぼくは衝撃を受けた。
 
「宏ちゃん、今日はもうお休みするやんね?」
「ん……そうだなぁ。もうちょっと進めたい気もするが……」
「だめ。そう言って、昨夜も遅かったよっ」
 
 机から離すように、ぎゅっと背に抱きついたると、宏ちゃんが慌てた。
 
「こらこら。風呂上りに、やめなさい」
「ぼく、気にせえへんもん。それより、宏ちゃんにも休んで欲しいのっ」
 
 ぼくの為にも頑張ってくれてるんやから、無理させへんのがぼくのお仕事。大きな背に蝉みたいに抱きついていると、宏ちゃんは観念したように両手を上げた。
 
「わかったよ、奥さん。今日はもう寝ます」
「はい。よろしいです」
 
 ぼくがえらそうに胸を張ると、宏ちゃんはふき出した。ぼくの腕を外し、大きな手がそっと肩を撫でてくれる。
 
「じゃあ、風呂に行ってくるが……お前は、先に眠ってるんだぞ。湯冷めしちまうからな」
「うん。ゆっくりしてきてね!」
 
 お風呂場に向かう背を見送り、ぼくは机の上の消しゴムのカスを集めてチリ紙に包み、マグカップを回収する。宏ちゃんは自分で何でもできる人なので、こういうタイミングを逃さへんようにしなくては。
 
 ――ここに来たばっかりの頃は、どうやって役に立とうって途方に暮れたけど……小さいことからコツコツとなんやって、わかってきました。
 
 ふんふんと鼻歌を歌いながら、部屋を出る。ちょっと考えてから、電灯のスイッチも切る。つけておいたら、うっかり仕事しちゃうかもしれへんからね。
 
 
 
 明日の朝食の支度をしてから、お布団に潜り込む。かけ布団を顎の下まで引っ張り上げれば、お日様の匂いがした。
 かすかに聞こえてくるシャワーの音に耳を澄ませながら、ぼくは枕元のスマホを操作する。
 
「~♪」
 
 宏ちゃんは先に寝てなって言うてくれたけど、待ってたい。
 待ってる間に、色々できるしね! フラワーアレンジ教室の、連絡用プリントの下書きをしたり。綾人や友菜さんのSNSに遊びに行って、いいねをつけたり……
 
「……あれ?」
 
 友菜さんの投稿に映りこんでいるポスターを見て、ぼくは目を瞬いた。
 
「えっ、これ椹木さんと違う? ……新薬について、講演会!?」
 
 ちょっとボケてるけど、間違いない。友菜さんとご学友たちの手に握られているパンフレットには「特別講演会」の文字があった。
 友菜さんの投稿には、「新薬についての想いを聞かせて下さいます。椹木家のファミリーヒストリーって、気になるよね?!」と楽し気なコメントがくっついている。
 
「すごいなあ……いろいろと動き始めてるって感じや」
 
 そのまま、椹木製薬のアカウントも遊びに行くと、新薬についての記事が沢山上がっている。そのどれもに、たくさんのコメントが寄せられている。
 オメガの抑制剤のニュースに、たくさんの人が注目して下さってるんやって、胸が熱くなる。
 
 ――なんだか、いい方向に向かっていきそう……!
 
 嬉しい気持ちで投稿を遡っていくうちに、パーティについての記事を見つけた。

「わあっ、どれどれ……?」
 
 タップすると、椹木さんの写真がぱっと表示される。その下に「抑制剤の必要性と、弊社の願い」と、真摯な言葉で綴られるインタビュー記事が続く。
 じーんとしながら読みすすめていると、「愛するパートナーへ」と見出しが出て、ぎょっとする。
 
「ええっ!?」


 
 パ、パートナーって、もしかして。
 ぼくは恐る恐るスクロールして、その内容に唖然としてしまう。
 
「あ……”愛するパートナーの為にも、新薬開発は悲願でした。パートナーがずっと苦しんできたのを側で見てきたために、なさねばならない一大事業だと心得ていました。”……”新薬の誕生を伝えると、パートナーが笑ってくれたのが何よりの喜びでした。”……」
 
 読み上げる声が、次第に小さくなるのがわかる。
 
「これって……蓑崎さんのこと……やんね」
 
 手の中のスマホが、ズシンと重くなった気がした。
 読みすすめるほどに、椹木さんのパートナーへの深い愛情が伝わってくるんやもん。半ば呆然として、スクロールしていくと、一枚の写真が目に飛び込んできた。
 
「……っ!」
 
 淡い藤色のスーツを纏った蓑崎さんが、椹木さんに寄り添うように立っていた。椹木さんと二人で、新薬の箱を分け合うように持ち、はにかんだ笑みを浮かべている。
 一枚、二枚と連なる写真には、肩を抱かれ頬を染める蓑崎さんや、照れたように椹木さんの胸を押す蓑崎さんなど、差分が色々と出てくる。
 どの写真も、蓑崎さんは綺麗やった。自信に満ちた笑みと――色白の肌が光輝くみたいなのが、写真からでもわかるほど。
 
 ――しあわせ、なんや……
 
 そう納得できる笑顔やった。

「どうして……」
 
 なんだか泣きたくなって、ぼふりと枕に顔を伏せる。スマホの画面を消し、遠くへ置いた。ぽかぽかと枕を叩く。
 ……別に、不幸になってほしいなんて思ってへん。
 けど、あんまり幸せそうやから、なんだかやるせなくて――。雨に打たれていた陽平の、迷子のような瞳が思いうかび、唇を噛みしめる。

 ――それで、やったんかぁ……

 陽平のお母さんが、必死になっていた理由がわかった気がした。陽平は、蓑崎さんの為にすごく頑張っていたものね。このまま、ふたりが結婚するんだって、ぼくも思っていたもの。
 蓑崎さんが、椹木さんと上手くいったとは聞いていたけど、目の当たりにすると――
 
「陽平……ショックやろな」

 ぽつりと呟いて、はっとする。枕から顔を上げ、ぶんぶんと勢いよく頭を振った。しんみりした気分を吹き飛ばすように。
 
「ぼくには、関係ないし……! 陽平が失恋してようが、傷心していようがっ」
 
 陽平とはとっくに終わってるんだから。今更、あいつの選択を気にかけても仕方ないやんね。
 蓑崎さんのことは、大分ムカッとせんでもないけど、どうせ二度と関わらへんのやし。
 
 「何より、ぼくには大切な人がいるんだもん」
 
 だから、もう関係ない――そう頷いたとき、寝室のドアが開いた。
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