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第二章 淫紋をぼくめつしたい

お隣さんとの攻防⑧

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「今井~、大丈夫か?」
「……はっ」
 
 竹っちに声をかけられて、おれは机に突っ伏しとった体を起こした。
 ――いまは休み時間や。ざわざわする教室で、竹っちは心配そうに眉を顰める。
 
「さっきの授業も、ずっと突っ伏してたろ。風邪でもひいたんか?」
「あ……大丈夫! ちょっとダルいだけ」
 
 慌てて、ぶんぶんと首を振る。竹っちは、「そうかなあ」と訝しげに唸った。
 おれのほっぺに、タラーと冷や汗がつたう。
 
 ――うう。竹っち、心配してくれてる。ごめん、そんなんちゃうねん……
 
 お腹を、両手できゅっと抑える。
 お腹の奥が、ずっと熱っぽくて、むずむずして……授業に集中できひんかっただけなんよ。
 昨夜、薬塗ってもろてから、おれのお腹ずっと変やねん。なんか、ムラムラが治まらへんし、他にも色々と……困ったことがあって。
 頭が「わーっ」てなる感じはないから、発情とはちゃうみたいなんやけど――
 
「シゲルー」
「ひゃ」
 
 ぴた、と冷たいもんがほっぺに当たって、飛び上がった。振り返ると、晴海がポカリのペットボトルを、差し出しとった。
 
「飲んどき? 朝もあんま食べてへんだやろ」
「あ……晴海、ありがとぉ」
 
 ペットボトルのポカリ、別棟の購買にしか売ってへんのに。わざわざ買いに行ってくれたんや、って嬉しくなる。
 ひとくち含むと、爽やかな甘みに、熱々のほっぺが冷やされるみたいや。
 
「おいしー」
 
 ぎゅっ、と冷やっこいボトルを抱きしめる。
 と、竹っちがニヤニヤしながら、晴海の脇腹に肘鉄を食らわせた。
 
「溺愛だな、有村」
「ばっ……からかうなて。なあ、シゲル。ほんまに無理してへんか?」
「うんっ。大丈夫やから」 
 
 晴海は、「ううむ」と呻いた。おれが変やからって、今朝からずっと心配してくれてるんよな。「発情」のことがなかったら、強引に休まされてたと思う。
 
「いけるか、今井ー」
「次、体育だけど。保健室いっとくか?」
 
 どやどやとやってきた上杉たちに、へらっと笑ってみせた。
 
「大丈夫っ。おれも着替え――!?」
 
 気合一発、立ち上がった拍子に、椅子の足にけつまずく。
 
「ひええ!」
「シゲルッ」
 
 スッ転びそうになったおれを、晴海が電光石火の動きで抱き留めてくれた。腰をしっかりと抱かれ、ほっぺに晴海の厚い胸を感じる。おれは、一瞬にして煮え上がった。
 
「あ……っ!」
「ナイスキャッチ、有村!」
 
 そそっかしいなあ、と笑う竹っちらの声が、遠く聞こえる。心配そうに見つめてくる真黒い目を見上げた瞬間――お腹の奥が、きゅうっと痛くなった。
 
「大丈夫か? シゲル」
「う……うあ」
「シゲル?」
 
 再度、不思議そうに問われて我に返る。おれは、顔から火が出そうな気持で、晴海の胸をドーンと突き飛ばした。
 
「と……トイレ行ってくるから、先行っててっ!」
「おい、シゲル!?」
「今井!?」
 
 脱兎の勢いで駆け出したおれの背に、晴海とみんなの声が跳ね返る。
 
 ――うう、みんなごめん。でも、おれ……もうパンツがあかんねん!
 
 情けなさと申し訳なさでいっぱいになりながら、おれは人波をくぐり、トイレを目指した。
 
 



 
「ふぐ……っ」
 
 飛び込んだトイレの個室で、おれはそろそろとパンツを引き下ろす。
 太腿まで下ろすと――にちゃ、とねばっこい音がして、おけつから汁が零れでた。パンツに敷き詰めていたトイレットペーパーは、すでにどろどろになっとる。
 
「やっぱり……! うう、前の時間に、替えたばっかやのに……!」
 
 情けなくて、鼻の奥がツーンと痛くなる。
 ……昨日の夜から、ずっと濡れるのが止まらへんねんっ。朝起きたら、パンツがめちゃくちゃになってたから、死ぬほどびっくりしたんよ。晴海にバレへんように、こそこそパンツ履き替えて、トイレットペーパーで補強してるんやけど……
 
 ――さっき、晴海にぎゅっとされたとき、いっぱい出てしもたんや……!
 
 晴海のぬくもりを感じたら、おなかが期待するみたいに、甘く痺れた。――晴海は、おれを助けてくれただけやのに。
 
「うう……もういややあ」
 
 おけつを拭きながら、ひーんと泣き声を漏らす。
 友達との何気ないスキンシップで、パンツをいっぱい濡らしてまうなんてっ。なんかもう、とんでもない変態になった気がして、めっちゃつらい!
 嗚咽しながら、新しいペーパーをくるくる丸めてたら、隣の個室で水の流れる音がした。気づかへんかったけど、先客がいたみたい。
 誰もおらんと思って、めっちゃ独り言うてたやんけ。おでこに、じわっと汗が滲んだ。
 
 ――べえべえ泣いてるし、恥ずかしいから出てかはるまで、じっとしとこ……
 
 ふぐふぐと嗚咽を堪えながら、先客が出てくのを待つ。ジャバジャバと手を洗ってるらしい音が聞こえてきて……やがて、蛇口の締まるキュ、て音が聞こえてきた。
 
「……?」
 
 けど、いっこうに出てく気配が無い。
 おれは鼻をずびっと啜って、パンツとズボンをなおす。それでも、気配が消えへん。それどころか、トイレ内を、さ迷うような足音が聞こえてくる。
 
 ――なんで、出てかへんのやろ……?
 
 ちょっと不安になって来たとき――にわかに、おれの個室がノックされる。
 トントン、て二回。礼儀正しいノックやったけど、おれは飛び上がった。
 
「ひい!?」
 
 怖い怖い! あわわと、咄嗟に武器になりそうなもんを探すけど、トイレットペーパーくらいしかない。怖くて、半泣きになりながら、トイレットペーパーを外しとったら……きれいな声が聞こえてきた。
 
「あの……大丈夫ですか?」
「えっ」
 
 思いのほか、優しい問いかけに動きを止める。すると、重ねて声がかかる。
 
「すみません。吐いてるみたいな声だったから、具合が悪いのかと。誰か呼んできましょうか?」
「あ――ご、ごめんなさい! 大丈夫です!」
 
 ノックの主は、普通に心配してくれてるらしかった。――ええ人やん。申し訳なくなって、おれは慌ててトイレットペーパーを戻すと、鍵を開けた。
 
「すみません……えと、どうも」
 
 きぃ、とドアを開けて、おれは固まる。相手も、ぎくりとしたみたいに、動きを止めた。
 そこに立ってたのは、ヤシの木みたいな背を、丸く屈めた人。
 
 ――お、お隣さん……!
 
 
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