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第二章 淫紋をぼくめつしたい

お隣さんとの攻防⑨

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 お隣さんと並んで、流しで手を洗う。ジャバジャバ、って水音の上に、重い沈黙が乗っかっとった。
 
「……」
 
 き、気まずーい!
 お隣さん、さっきからずっと無言やし。全然、目ぇ合わへんもん!
 
 ――うう、おれのアホ! せめて独り言は止しとけばよかったぁ……!
 
 きっと、けったいな奴やと思われたんやっ。
 お便所でひいひい言うとるやつが、隣の部屋で夜ごと騒いどるやつやってんもん。声をかけたこと、後悔してはるんかも。
 
「うぅ~……」
 
 神様の意地悪! 三日前に、おれと晴海であんぱん持って謝りに行ったのに。なんで、そのときに会わせてくれへんかったん。
 ひっく、と嗚咽を噛み殺したとき――ぴた、と冷たい感触がほっぺに当たった。
 
「――!?」
「……泣くほど辛いの?」
 
 ぎょっとして顔を上げれば、お隣さんがじいっとおれの顔を見下ろしとった。水に濡らしたハンカチが、ぽんぽんとおれの目の下に押し当てられとる。
 子供にするような優しい手つきに、きょとんとしてしもた。
 
「ふえ」
「おなか気持ち悪い? 熱とか測ってみた?」
「え、あっ」
 
 お隣さんは、しんみりしたお声で色々と聞いてくれる。
 なんか、めっちゃ心配してくれてるような気がするんですが……。
 思いがけない親切に、どう反応したもんか――オロオロと見上げとったら、長い前髪の隙間から、心配そうに見下ろす目とかち合った。
 おれは、息を飲む。
 
 ――うわあ、綺麗な目! みどり色してんねや。
 
 思わず、戸惑いも忘れて、まじまじと見入ってまう。
 ほしたら、お隣さんはなんか気づいた顔した。それから、両腕を振り上げて、ずささーっと一気に五歩くらい後じさる。
 ポカンとするおれに、見える部分の顔を真っ赤にして、お隣さんは早口に言うたん。
 
「ご、ごめん。つい、いっつも友達にやるみたいに……!」
「えっ、いえっ。心配してもろて、すみません」
 
 恐縮仕切りのお隣さんに、おれは慌てて頭を振った。
 
「おれ、大丈夫ですっ。先輩、気にせんといて」
「そ、そう?」
 
 ぎゅっと拳を握って見せると、お隣さんはほっとしたらしい。
 
「ああ、よかった」
「……へへ」
 
 でっかい人があんまり慌てとるもんで、ちょっとおかしい。
 うふふと笑っとると、お隣さんはなぜか、じーっと見てくる。ていうか、ほぼ凝視や。
 
「あの、何か」
「……やっぱ、かわいい」
「へっ?」
 
 なんて言うたん?
 ふいに伸びてきたでっかい手に、もふもふと頭を撫でられた。不思議に思って見上げたら、お隣さんはニコって笑う。
 そしたら、でっかい背の威圧感が一気に失せて、のんびりした雰囲気になった。
 
 ――はっ……! もしかせんでも、今が謝るチャンスと違う?
 
 これまでの騒音被害とか、いろいろ謝って。そんで、ご近所付き合いを改善させるんや!
 おれは、意を決して一歩踏み出した。
 
「あ、あのっ……!」
 
 歩いた拍子に捩れたパンツが、おけつに食い込んだ。――さっき、慌てて下着を直したから……いつもより上げ過ぎたんやっ! ぬるぬるする穴を強く擦られて、眼の奥が熱くなる。
 
「ひっ……」
 
 忘れてた火照りが戻ってきて、足の力が抜けてへたり込んでまう。
 すると、お隣さんは慌てた様子でしゃがみ込み、顔を覗いてくる。
 
「あっ、ごめん。具合悪いんだったね。立てそうにない?」
「だ……だいじょうぶ」
 
 それより、もっぺんトイレに――と言おうとしたときやった。
 
「ちょっと、我慢してね」
「えっ!?」
 
 ぐい、と腰に手を回されて、目を見開く。あれよあれよと抱えあげられて、視界が高くなった。ちょうど、お隣さんの胸に横向きに抱えられた状態――いわゆる「お姫様抱っこ」をされ、おれは動転する。
 
「ちょ、ちょちょお、何するんっ!?」
「保健室。運んでくから、じっとして」
「えーっ!」
 
 決然と言いきられ、絶句する。こんな、高校生にもなって、ほとんど知らん人に抱っこされるなんて……! そのままトイレから出てかれそうになり、おれは慌てた。
 
「まって、歩ける! 歩けるから下ろしてっ」
「まあまあ。遠慮しないで」
 
 恥ずかしさで半泣きになって、必死に胸を押す。けど、全然びくともせえへん。
 さ、さっきは謝ってくれたのに。めちゃくちゃ強引やないかい!
 ガチャ、とドアノブに手をかけられたとき、おれはパニックの極みに至る。
 
 ――いやや~! こんな格好、見られたないっ!
 
 ぶわーって、両眼から涙があふれ出た。
 
「うわー! 晴海~っ」
 
 叫んだ途端、ドアが思いきり開いた。
 
 
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