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第40話 春香の誘い
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そんな訳で、俺の介護施設勤務は概ね問題がなかったのだが……悲しいことに、問題ゼロ、とまでは行かなかった。
どんな職業でも、どんな職場でも、ある程度は仕方がないとはいえ、非常に困った現場に立ち会うことになってしまったのだ。
それはいそいそと自販機でコーヒーを購入し、外で飲もうとした時のことだった。
「……ねぇ、いいじゃん、ハルカちゃん? 今度の日曜さぁ……」
そんな声が聞こえてきた。
春香ね。
涼石春香しかこの施設にはハルカという名前の人は……いや、山田ハルカさん(89)もいるか。
しかしまさかそっちのハルカさんに今度の日曜日どう?なんて聞くような剛の者はこの施設にはいないと思う。
そもそも施設の規則で外出には許可がいるからこんなにフランクに誘うことはないだろう。
爺さん婆さんでそんな話を冗談まじりにしている時はあるけれどな。
「そう言われましても、困ります……」
次に聞こえてきた声は聞き覚えのある、鈴の鳴るような声であり、ただいつもとは違って若干か細い。
明らかに涼石春香のものだった。
一瞬、出ていこうかと思ったが、俺が今出て行って恋人たちの逢瀬を邪魔した感じになってはどうかなと思ってとりあえず足を止める。
もう少し様子見をしてもいいだろう。
決してデバガメ的なアレではないのだ。
春香の言葉に、男の方が言う。
「いやぁ、正直さぁ、断らない方がいいよ? わかってるでしょ。俺ってさ……ほら、あれじゃん」
あれってなんだ。
ちゃんと明確な単語を言え。
そう突っ込みたくなったがそれをしては俺がここにいるとバレてしまう。
黙ってまだ聞く。
春香が困ったような声で、
「それは……」
と言い、それに若干の優越感を満たしたような声で、男が、
「……ま、考えておいて。まだ何日かあるしね。後でメッセ送ってくれればいいから」
「……」
そしてスタスタと人が歩いてくるような音がしたので、俺もまた、音を出して歩き始めた。
すると、向こう側から来た人物の顔が明らかになる。
あれは……近藤智樹《こんどうともき》、だったかな。
俺と同じく介護職員で、数ヶ月先輩になる。
働きぶりは……何とも言えない。
全然何もしないという訳ではないのだが、勤勉かと言われると首を傾げざるを得ない。
そんな感じなのだ。
やる気はあまり感じられない人物だな。
そんな彼が俺とすれ違った時、
「……ッチ。ゴブリン野郎が……」
と、あからさまな敵意と共に舌を鳴らしてきた。
そしてそのまま施設の方に戻っていく。
俺はそんな近藤の反応をちょっと面白く感じた。
何せ、今の時代そこまでの反応は珍しいからだ。
向こうの世界だと大抵の人間が俺たちに対してそんな感じだったから、懐かしさを感じるまである。
まぁ、もちろん腹が立つ、というのもあるが、近藤はあれでそこそこ賢い。
誰も聞いているような人間がいないところでしかあんな態度で振る舞わない。
だからやる気はそこまで感じられないが態度もそこそこ普通の人物、という風に見えている。
一番いないで欲しいタイプだな、職場において。
普通なら一瞬で殴り合いが発生するぞ。
ともあれ、俺はトコトコとそのまま進んでいき、そして施設の外、ベンチの設置してある空間にまで行った。
そこには案の定、春香がいて、
「あっ、外部さん……」
と若干気まずそうな表情をしている。
たった今の、智樹とのやりとりを聞かれたかどうかが気になっているのだろう。
ここで聞いていないフリをするのはわりと簡単であるし、そうした方が気楽に生活できる気はする。
ただ、これをなかったことにすると何かまずい予感もするので正直に言うことにした。
「スミマセン。間ガ悪クテ色々聞コエテシマイマシタ」
「……そうでしたか」
そして、無言になる春香。
気まずい静寂が俺と春香の間を行き過ぎる。
流石に耐えられなくなって、俺は尋ねる。
「エエト、モシカシテ涼石サント近藤サンハオ付キ合イヲ……」
してるんですか、と言いかけたところで、
「違いますっ!」
と強めの否定が返ってくる。
まぁそりゃそうだよなぁ、と思っていたので驚きはない。
あの会話は恋人同士の可愛らしいお話にはとてもではないが聞こえなかった。
「……デスヨネ。デモダッタラ断レバ良カッタノデハ? 気ガアルノナラ……」
別ですが、と言う前に、やはり、
「気なんてありませんよ……」
と返ってくる。
うーん、地雷を踏みまくっている自分のコミュ力のなさにちょっと寂しくなってくる。
そんな俺に流石の春香も業を煮やしたのか、とうとう自分から話し出す。
「あの人、このホームの経営者の親族なんですよ」
「エッ。ト言ウト……経営シテイルッテ言ウ医療法人ノ……?」
「そうです。理事の一人に関係があるらしくて」
「ソレデソノ力ヲ振リカザシテキタト」
近藤の言っていたアレの意味がはっきり分かってなんだかすっきりした俺だった。
春香は頷いて、
「はい。誘いを断るなら裏から手を回して首にすると……」
「首ニサレテ困ルンデスカ?」
「えっ? そりゃあ、困るに決まってるじゃないですか」
意外そうな顔でそう言ってきた春香だったが、俺としては本当にそうなのか少し疑問だった。
まぁ、他人の事情だ。
あんまり首を突っ込みすぎるのもそれこそあれというやつか。
そのまま素直に受け取っておくことにしよう。
「ソウデスカ……。ジャア、日曜日、近藤ノ誘イヲ受ケルンデスカ?」
「それなんですけど……あの、外部さん。こんなことお願いできる立場ではないのは分かってるんですが……」
「ハイ?」
「私と日曜日、一緒に出かけてくれませんか? 先約があるって、断ればなんとかなると思うので……」
どんな職業でも、どんな職場でも、ある程度は仕方がないとはいえ、非常に困った現場に立ち会うことになってしまったのだ。
それはいそいそと自販機でコーヒーを購入し、外で飲もうとした時のことだった。
「……ねぇ、いいじゃん、ハルカちゃん? 今度の日曜さぁ……」
そんな声が聞こえてきた。
春香ね。
涼石春香しかこの施設にはハルカという名前の人は……いや、山田ハルカさん(89)もいるか。
しかしまさかそっちのハルカさんに今度の日曜日どう?なんて聞くような剛の者はこの施設にはいないと思う。
そもそも施設の規則で外出には許可がいるからこんなにフランクに誘うことはないだろう。
爺さん婆さんでそんな話を冗談まじりにしている時はあるけれどな。
「そう言われましても、困ります……」
次に聞こえてきた声は聞き覚えのある、鈴の鳴るような声であり、ただいつもとは違って若干か細い。
明らかに涼石春香のものだった。
一瞬、出ていこうかと思ったが、俺が今出て行って恋人たちの逢瀬を邪魔した感じになってはどうかなと思ってとりあえず足を止める。
もう少し様子見をしてもいいだろう。
決してデバガメ的なアレではないのだ。
春香の言葉に、男の方が言う。
「いやぁ、正直さぁ、断らない方がいいよ? わかってるでしょ。俺ってさ……ほら、あれじゃん」
あれってなんだ。
ちゃんと明確な単語を言え。
そう突っ込みたくなったがそれをしては俺がここにいるとバレてしまう。
黙ってまだ聞く。
春香が困ったような声で、
「それは……」
と言い、それに若干の優越感を満たしたような声で、男が、
「……ま、考えておいて。まだ何日かあるしね。後でメッセ送ってくれればいいから」
「……」
そしてスタスタと人が歩いてくるような音がしたので、俺もまた、音を出して歩き始めた。
すると、向こう側から来た人物の顔が明らかになる。
あれは……近藤智樹《こんどうともき》、だったかな。
俺と同じく介護職員で、数ヶ月先輩になる。
働きぶりは……何とも言えない。
全然何もしないという訳ではないのだが、勤勉かと言われると首を傾げざるを得ない。
そんな感じなのだ。
やる気はあまり感じられない人物だな。
そんな彼が俺とすれ違った時、
「……ッチ。ゴブリン野郎が……」
と、あからさまな敵意と共に舌を鳴らしてきた。
そしてそのまま施設の方に戻っていく。
俺はそんな近藤の反応をちょっと面白く感じた。
何せ、今の時代そこまでの反応は珍しいからだ。
向こうの世界だと大抵の人間が俺たちに対してそんな感じだったから、懐かしさを感じるまである。
まぁ、もちろん腹が立つ、というのもあるが、近藤はあれでそこそこ賢い。
誰も聞いているような人間がいないところでしかあんな態度で振る舞わない。
だからやる気はそこまで感じられないが態度もそこそこ普通の人物、という風に見えている。
一番いないで欲しいタイプだな、職場において。
普通なら一瞬で殴り合いが発生するぞ。
ともあれ、俺はトコトコとそのまま進んでいき、そして施設の外、ベンチの設置してある空間にまで行った。
そこには案の定、春香がいて、
「あっ、外部さん……」
と若干気まずそうな表情をしている。
たった今の、智樹とのやりとりを聞かれたかどうかが気になっているのだろう。
ここで聞いていないフリをするのはわりと簡単であるし、そうした方が気楽に生活できる気はする。
ただ、これをなかったことにすると何かまずい予感もするので正直に言うことにした。
「スミマセン。間ガ悪クテ色々聞コエテシマイマシタ」
「……そうでしたか」
そして、無言になる春香。
気まずい静寂が俺と春香の間を行き過ぎる。
流石に耐えられなくなって、俺は尋ねる。
「エエト、モシカシテ涼石サント近藤サンハオ付キ合イヲ……」
してるんですか、と言いかけたところで、
「違いますっ!」
と強めの否定が返ってくる。
まぁそりゃそうだよなぁ、と思っていたので驚きはない。
あの会話は恋人同士の可愛らしいお話にはとてもではないが聞こえなかった。
「……デスヨネ。デモダッタラ断レバ良カッタノデハ? 気ガアルノナラ……」
別ですが、と言う前に、やはり、
「気なんてありませんよ……」
と返ってくる。
うーん、地雷を踏みまくっている自分のコミュ力のなさにちょっと寂しくなってくる。
そんな俺に流石の春香も業を煮やしたのか、とうとう自分から話し出す。
「あの人、このホームの経営者の親族なんですよ」
「エッ。ト言ウト……経営シテイルッテ言ウ医療法人ノ……?」
「そうです。理事の一人に関係があるらしくて」
「ソレデソノ力ヲ振リカザシテキタト」
近藤の言っていたアレの意味がはっきり分かってなんだかすっきりした俺だった。
春香は頷いて、
「はい。誘いを断るなら裏から手を回して首にすると……」
「首ニサレテ困ルンデスカ?」
「えっ? そりゃあ、困るに決まってるじゃないですか」
意外そうな顔でそう言ってきた春香だったが、俺としては本当にそうなのか少し疑問だった。
まぁ、他人の事情だ。
あんまり首を突っ込みすぎるのもそれこそあれというやつか。
そのまま素直に受け取っておくことにしよう。
「ソウデスカ……。ジャア、日曜日、近藤ノ誘イヲ受ケルンデスカ?」
「それなんですけど……あの、外部さん。こんなことお願いできる立場ではないのは分かってるんですが……」
「ハイ?」
「私と日曜日、一緒に出かけてくれませんか? 先約があるって、断ればなんとかなると思うので……」
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読んでみたら面白かった。
でもまー、魔剣釘バット交渉を本人が顔出しで本名名乗ってやる事だろか?とは思った。
(博とバットだけ行って、画面越し音声のみ仮名とかが普通でわ? 何か政府側にも裏が?)