カクリヨ美容室の奇譚

泥水すする

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第二話 幸福の招き猫

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 それからまた数日が過ぎた、午後5時過ぎ。もはや汚れている箇所を探す方が難儀な店内を眺め困っていた頃合い。

 雨が降り出しそうな、曇天。

「うぃーす。超絶人気な話題のホスト、天童薫さまのご来店だよー、って。あれ、ほだかは?」

 お決まりのパターン。新宿歌舞伎町からワープしてきたかの如し天童さんがやって来る。わたしは肩を竦めた。

「今日はあまり体調が優れないようなので二階で休んでますよ。お客さまが来たら呼ぶよう言われてますけども」
「あーそう。ならいいよ。単なる暇つぶしで来ただけだしね」
「でも仕事は? 大丈夫なんですかそれで。それに、その髪」

 と、わたしは天童さんの髪へ目線を移した。くすみ一つない、透き通るような金髪。ここへ来るときはいつも髪のセットはされていない。営業時にはスーパーサイヤ人みたいな頭になるのだろうが……間に合うのかな?

「もしあれでしたら、ほだか先生を呼んできますけど」
「別にいいよ、自分でもセットできるし。もちろんほだかにやってもらった方が上手だけど、違いの分かる客もそういないしさ」

 夜の世界を知らないわたしには、なんとも言えない問題である。にしたってだよ。仕事前にわざわざ美容室へ寛ぎにくるって、そんなんでいいのかなぁ。

「じゃ、結衣にゃん。ほだかの代わりにキミでやってみたりする?」
「……へ? いやいや。出来ませんから。それにわたし、資格持ってないので施術自体やったらいけないことになってますし」
「やっちゃいけないことはないよ」

 と、天童さんはセット面に座る。耳にかかった髪の毛先を指でくるくると弄りながら言った。

「それは美容師としてお金をもらう場合でしょ。だったらお金さえ取らなければいいわけ。練習台みたいな口実でさ」

 あー、なるほど。それなら確かにアリなのか。

「だからほら、やってやって。肩叩き。俺さ、あの美容師がシャンプーあとにやってくれるパンパンパンパンッて音の鳴る肩叩き、好きなんだよねー」

 いや肩叩きかい!

「それっぽいこと言って……結局わたしを肩叩きに利用しようとしてるだけじゃないですか。それに、わたしあれのやり方も分かりませんから。残念でしたね」

 呆れた調子で言えば、天童さんはとぼけた顔で言ってくる。

「じゃあ、今日はフツーに肩揉み。それでいいや」
「もうそれ趣旨すら変わってますから!」
「はははは! 冗談だって! それに俺、肩なんて凝った経験ないし」
「もう……ぷ」

 あまりにバカバカし過ぎて、不意に笑みが溢れる。そんなわたしを和やかそうに眺めながら、天童さんは聞いてくる。

「少しはリラックスした?」
「へ?」
「だから、なにかあったんでしょ? なんだか今日の結衣にゃん、元気が無いように見えたから」

 元気がない──わけではないと思う。むしろほだか先生のもとで働き出してからというもの、毎日活力に満ち溢れている。そうではなくて、仮にもわたしが元気なく見えるのであれば、それは考え事をしているからだろうか。

「結衣にゃんさ、悩んでることがあったらなんでもお兄さんに話してみー」

 その言葉に、つい指圧が緩んでしまう。唇が自然と開く。

「わたし、そんな思い詰めた顔してましたかね……」
「俺にはそう見えただけで、他のやつには分からないだろうけど。俺ってほら、ホストじゃん? だから商売柄、女の変化には敏感なんだよね」

 などと、チャラそうに言った天童さん。彼が言うと、本当にどんなことも軽い感じに聞こえてしまう。だけど、悪い感じは一切しなかった。むしろ彼になら話してもいいかなって、心を許しかけている自分がいるくらいだ。ホストクラブへハマっていくのは、こういった些細なキッカケから始まるのかもしれない。

「実は……」

 結局、わたしは天童さんに三觜の件について話してしまう。その間、天童さんは相槌を打ちながら黙って話を聞いてくれた。適当に聞き流している感じはしない、落ち着いた態度で。

「なるほどねえ。あの三觜が、まさかそんなことをねぇ」

 話し終えた後、天童さんは開口一番そう言った。あれ? と、その言い方には引っかかる。

「えーと……もしかしてですけど、三觜さんのこと知ってます?」
「うん、もちろん知ってるよ。ここで何度か見かけたことがあるからさ。ほだかとは同級生の」
「そうです。ただ同級生と言っても、小学生の頃の話ですよ。大体、その同級生を騙して物を売りつけるなんて……はっきり言ってどうかしてます」
「そこだけに焦点をあてれば、確かにその通りかもしれないね。でも実際のところはどうなんだろう。ほだかは、本当に騙されているのかなぁ」
「それはどういう意味ですか?」

 天童さんは足を組み換える。「別に深い意味はないけどさ」と前置きに。

「まだ見えない部分があるんじゃないのかなって、漠然とそう思っただけ。少なくとも俺の知ってるほだかは、ただ黙って騙されるような男じゃない。そういうときは決まって、なにかある。ほだかが泥をかぶるときは、いつも誰かのためだから」

 そう言った天童さんの「なにかある」も、またその後に続いた「泥をかぶるとき」「いつも誰かのため」という言葉にしても、同意見だった。

 もしかしたら、ほだか先生はわたしが知らない三觜の秘密を、自分だけ知り得ているのかも。その上で、あえて騙された消費者の役を演じている。そう仮定した場合、やはりキーとなってくるのは三觜だ。彼が、なにか大きな秘密を抱えていのかもしれない。

 わたしは考え過ぎて、つい黙り込んでしまう。そんなわたしに代わり、天童さんは変わらない調子で、

「それと……三觜は、本当にその由美って子と付き合っているのかな」
「? どういう意味ですか?」
「いやね、これはホストである俺の勘に過ぎないけど、どうも三觜からは女っ気が伝わってこないんだよねえ。それにさ、その彼女は美容師なんでしょ? で、三觜の髪を切ってた」

 わたしは頷いた。天童さんも頷き返し、話を続けた。

「俺が三觜をはじめて見たのは、半年前くらいかな。少なくとも、三觜はその間一切髪を切ってないと思うよ。あの頃はもっと長さが短くて、メンズショートとでも言うのかな。ジェルでガチガチに固めてオールバック。セットの仕方自体は、今と同じだね」

 その後にも、三觜の髪は伸び続けた。半月、一ヶ月……そうして二ヶ月が経った、ある日のことだったという。

「そのとき俺もいて、三觜も店に来ていつもの営業トークをはじめようとしたんだけど、ほだかが突然言ったんだ。『その前に、髪を切りませんか?』って。ほだかがそう言うのも当然でさ、その頃の三觜の髪は、まあ伸びてたからね。然程酷くは見えなかったけど、あんまり長いとねぇ」
「……でも、切らなかった?」
「そう。あいつ、いきなり血相を変えてさ、『余計なお世話だ』つって飛び出していったんだ。ほだかもなんだか様子が変だったから、よく覚えてるよ。それが数ヶ月前の話。で、今だよ。結衣にゃんの話を聞いて、変だと思ったんだ。仮にそのときは忙しかったから切れなかったにしても、三觜がデートだからって駅にいたのはここ最近の話でしょ? そしてデートをするくらい余裕のある彼女が、そんな三觜の髪を放置したりするかな?」
「でも、あれじゃないですか? 髪を伸ばしてたとか」

 なんの考えもなしに言ったわたしに、すかさず「どうかな」と懐疑的な声を上げる天童さん。

「三觜のスーツはいつもシワ一つない。爪だって常に短く切り整えられている。彼の性格上か、もしくは営業マンだからか。いずれにせよ、見た目をすごく気にしている。そんな男が、ただ髪を伸ばしたいという理由だけで放置するとは思えないけど。伸ばすにしたって、少しくらいは整えるよね、普通」

 返す言葉もなかった。全く持ってその通りである。洞察力が極まっている。

「よく見てますね……」
「客商売をしている身として、自分の身なりはそうだけど、ひとの身なりにもちゃんと気を配ってるからね。それに相手の変化を見抜く能力は、売れるホストの必須条件。よく言うよね、身なりはその人の性格、精神状態をよく表しているって。だから例えばの話、いつも髪型に気を遣ってた人が、あるときを境に髪を切らなくなった。仮にもそんな人がいたとして……結衣にゃんは、どうしてだと思う?」

 どうしてだろうか──わたしは顎に手を添えて、考える素振りを見せる。だがそんなものは、単なるポーズに過ぎなかった。答えは、既に喉のすぐ側で待機中だったのだ。

 わたしは、その解を吐き出すように、言った。

「もしかして……三觜さんは、もう彼女と別れている、とか。もはや気を配る必要がなくなったって、そんな感じですかね」

 天童さんは肩を竦めて、

「単純に考えれば、そうかもしれない。ただ三觜の場合はもっと重篤な、妄想に取り憑かれているのかもね。自分にとって都合が良いように、事実を取捨選択しているとか」

 曖昧な口調で。

「こういう人を、俺は知ってる。別れた事実を認めたくなくて、未だ付き合っているようかのような行動を繰り返す。そのうち未だに付き合っているかのような勘違いを起こして……妄想の彼女を作り出す。それだけなら本人の中で完結するからまだいいけど、中には相手の子に付き纏ってストーカーしたり、最悪の場合は……」

 と、天童さんはそこまで言ったあたりで口を閉ざした。確信がないことだから、結論付けるのはまだ早いと思ったのかもしれない。わたしもそう思う。

決めつけるには、まだ早い。それに、胸の奥でざわめきたつそれは、ほだか先生に対する違和感だった。仮にもほだか先生が三觜についてなにか知っているとするならば、そういったことではない気がした。

 曇りなき眼にて見定めよ──ほだか先生の言ったその言葉が、脳内に反芻される。

 胸騒ぎは、その日眠るまで治ることはなかった。
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