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第二話 幸福の招き猫
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次の日曜日──その日は2、3人ほどのお客さまがご来店された。かねてより「カクリヨ美容室」をご贔屓にされている近所の奥様方。ほだか先生を目当てにご来店されているのか、店に入ってから出るまで終始ほだか先生を刮目し続け、みな青春期の乙女に戻ったみたく瞳を爛々と輝かせ帰っていった。穏やかな一日。
そして、時刻は午後5時を回ったあたり。
「ほだか先生、ちょっといいですか」
カットチェアに座り蹴伸びの最中だったほだか先生は、首を僅かに横へ傾ける。
「なんでしょう?」
「いやぁ、そのですね。実は、髪を切ってもらいたい人がいるんですが……この後、少しだけお時間大丈夫ですか?」
「これから、ですか?」
不思議そうに訊ね返してくるほだか先生へ、わたしは頭を下げながら、
「はい。いきなりで申し訳ありません」
「いえ、それは別に構いませんけど。結衣くんのお友達か誰かですか」
「えっと、それは……」
「?」
「今回髪を切って欲しいのは、実を言うと、三觜さんなんです」
その瞬間だった。ほだか先生は、あからさまに目を見開き驚いていた。
「……昴、くん? 彼が直接、そう言ってきたんですか?」
わたしは少し迷って「そういうことになります」と答えた。また三觜と連絡をとりあっているみたくスマホを取り出して、「これから来るそうです」と言葉尻に足す。
「なるほど、そうでしたか……」
ほだか先生は思い詰めた表情で俯く。なにを考えているかまでは分からないが、苦渋の選択を迫られているのかもしれない。これは、わたしの予想でしかないけれど。
「では……はい、分かりました。『承りました』と、そのように伝えください」
予想通りの展開──そして、一番重要なのはここからだ。
「そこでなんですが、結衣くん」
ほだか先生は、真っ直ぐわたしへと向き直り、一転して眩いほどの笑顔を見せた。その笑みが、嘘臭く見えなくもない。
「これ以上お客さまも来ないと思いますので、今日は先にあがってもらって結構ですよ」
やはり、ほだか先生はわたしを帰そうとしてきた。これも、予想通りの展開だった。
「あとのことは、僕がやっておきますから」
心臓が、徐々に鼓動を高めていく──全てが予想通りに進むことに、恐怖すら抱かされる。
でも、今更逃げられない。仕掛けたのはわたしだ。
「三觜さんの件はわたしからお願いしたことですし、一応最後まで残ります。仕事は5時にあがったことにしてもらって結構ですので」
「そのことなら、気にしなくても結構ですよ。僕がちゃんと、昴くんにお伝えしておきます」
「個人的に、興味があるんです! だから見てみたいなー、なんて」
「それは、今日である必要がありますか?」
いつも穏やかなほだか先生には似つかわしくない、それは少し強めの口調。その時点で、もうわたしの予想は確信へと変わりつつあった。
「逆に、ダメな理由があるのなら教えてください……わたしがいると、なにか不都合なことでもあるんですか?」
自分に嫌悪感を抱くほどの、かなり嫌味な言い方。実際、ほだか先生は顔をしかめ困っていた。胸の奥が、じくじくと痛む。
でもここまできたら、今更もう引けない──
「間違ってたら、申し訳ありません。ですが、言わせてください……もしかしてほだか先生は、三觜さんに憑いているなにかが見えていたんじゃないですか?」
「……」
「そして、仮にもこれから本当に三觜さんが来ていた場合、ほだか先生は二択を迫られる」
「……」
「曇りなき眼にて、見定めよ……でしたよね」
以前、ほだか先生は言っていた。
──ガラス越しでは、見えるものも見えなくなってしまいますから。ですので、僕が眼鏡を身につけるのはそもそも見えないと分かっている人だけです。
「その言葉に従えば、ほだか先生はきっと眼鏡をつけない。なぜなら、曇ってしまうから。見えるものも、見えなくなる。そして、それをわたしに見られたくなかった。だがらこの場に居たら困る、違いますか?」
ほだか先生は腕組み、鼻息を鳴らす。
「と言いますと、昴くんが髪を切りに来るというのは嘘だった。そういうことでよろしいですか?」
わたしは深々と頭を下げる。罪悪感で押し潰されそうになる。
「騙すような真似をして、本当に申し訳ありませんでした」
「構いません。顔を上げてください」
ほだか先生は、怒っているわけでもなく、だとしても穏やかそうには見えない、つまりよく分からない表情で、
「それで結衣くん、話していただけませんか。どのようにして、そのような結論に至ったのかを……なにも、憶測だけで言っているわけではないのでしょう?」
もはや言い逃れは不可能だろう──わたしは審判を待つ咎人のような心持ちで、自供を開始した──
話は遡ること二日前、金曜日のことである。
わたしはその日、都内某所で行われる「幸福の会」のミーティングへ出席することになっていた。経緯としては、SNSで「幸福の会」を検索。ずらっと並んだ入会者と思しきアカウントのその一つに友達申請を送れば、すぐにもDMが送られてきた──次の金曜日、午後8時、都内で幸福の会の特別ミーティングが行われる。
自分の口添えで参加させてあげるから、気になっているなら来てみないか? とのことだ。
はじめはどうしようか迷ったけれど、三觜について知りたかったわたしは悩んだ末、そのお誘いを承諾。金曜日の学校終わり、ミーティングが行われるという会場へと赴くため都内へと向かった。
そうしてSNSで知り合ったそのアカウント主である二十代後半の男性と落ち合い、とあるビルの地下室へ。中には、わたしと同じくらいか少し上の若者や、スーツを着たサラリーマン風の男、近所にいそうなおばちゃんなどのバラエティ富んだ人たちが五十人くらい集まっていた。
その中へひっそりと混じり、待つことしばらく。眼鏡をかけた小太り男が現れた。そして挨拶も手短に、突然「幸福の洗剤」がいかに優れた商品であるかのレクチャーが始まった──これがA社の洗剤。こっちが「幸福の洗剤」です。そしてここに油まみれの鏡があります。どちらがより優れている商品か試してみましょう。と、結果はお察しである。
その後にも、話は脈絡もなく「お金」や「夢」について──あなたたちは現状の自分に満足していますか? 毎日働いて遊ぶ時間も休む暇もないでしょう。何故だか分かりますか? お金がないからです。夢を追うことも大いに結構。ですが時間は仕事やバイトに奪われる。何故ですか? お金を稼ぐためでしょう。結論、「幸福の会」へと入り我が会の素晴らしい商品を宣伝販売していただければ権利収入を得られ、その後は働かなくとも儲かるシステムとなっております。我々と一緒に、幸せを掴みませんか?
要約すると、そんな感じの内容だった。まず一人が誰かに商品を販売。その誰かがまた他の誰かに商品を販売。そのような構図がピラミッド式に繋がり、最終的に一番はじめに商品を紹介した人へより高いバックが入る。
よくある「ネズミ講」の手口そのものである。その実態としては、商品を紹介する本人も自腹で商品を購入しなければ利益を維持できないため、借金を重ねなければならないらしい。そんな話を、以前学校の先生から聞いたことがあった。
ミーティング後、わたしはSNSで知り合った男に誘われ近くのファミレスへ。聞くところによると、彼は「幸福の会」の広報担当。つまり、搾取する側の人間。会場に集まった彼らとは、彼に誘われた人が殆どだという。わたしもその一人に過ぎない、彼は聞いてもいないのにぺらぺらと語り明かしてくれた。
「結衣ちゃんはさ、今日の話を聞いてバカみたいだって思ったでしょ? キミはそんな目をしていたからね、分かるよ。でもね、他の人はそうじゃない」
否定はしない。実際、その通りだった。わたしは冷め切っていた。でも、周りはそうじゃなかった。皆あのトンデモ話を聞いている間、メモ帳にペンを走らせ、目をキラキラと輝かせていた。
「夢、金、自由……みんな、そういう言葉に弱いからね。しかも楽して稼げると聞けば、尚更に。宝くじと一緒さ。よく言うだろ? 宝くじが当たればってさ。ウチには、ああいうのが沢山集まってくるのさ。まさか、自分たちが利用されているとも知らないでね。あーでも、結衣ちゃんは違うからね? キミは俺と同じ、こっち側。会った瞬間、直感的に分かったよ」
聞くに耐えない内容だった。今すぐにでも帰ってやりたかったけれど、我慢して三觜昴のことを尋ねた。彼の表情が、一瞬にして曇る。
「あれ、まさかあいつと知り合い? 悪いことは言わないからさ、関わるのはやめた方がいいよ。いろいろと痛いやつだし」
わたしはそう思いませんけど──敢えて下手に回れば、彼はあたりをキョロキョロと見回したあとにも、わたしの耳元に口を近づけてくる。囁き声で、言った。
「あいつ、実はかなりの借金があるんだよ。そりゃあもう、とんでもない額さ」
話は続く。
「もともとは先に入会してた由美って子がいたんだけど、その子がウチにとんでもない額の借金を作ってね、そのまま失踪した。三觜はその肩代わりってわけ。連帯保証人ってやつだよ。それと、彼女がいつ帰ってきてもいいように、だとさ。ははは、バカだよなぁ。そんなことしたって、もう無駄なのに。
実はウチに由美と連絡をとってる子がいてね。三觜がダメになったときの保険として、一応は由美とも連絡をとらせてたんだ。ま、由美の方が大概やばい状態だったらしいけどね。鬱病なんだと。それである日、連絡が一切つかなくなった。気になって由美の実家に連絡とらせてみたんだが……案の定だったよ」
知れば知るほどに、真実は残酷だった。
「海に落ちて亡くなりました、だとさ。遺書とかは見つかってないけど、自殺したんじゃないかって話だよ」
その残酷な真実が、鋭利な刃物みたくわたしの心臓へ突き刺さる──途端に怖くなり、「すみません、もう帰ります」と自分の分だけのお金を席に置いて、そのまま帰ろうとした。
「結衣ちゃん、待ってよ」
彼が、わたしの腕首を掴んできた。優しい笑み。だがその笑みの奥にある狂気なるものを、わたしは自然と感じ取ってしまう。優しい笑みであっても、彼はほだか先生とは違う。
彼は、笑いながら言ってきた。
「結衣ちゃんさえ良ければ、ウチに入らない? なんだったら、これから俺の家でじっくり話そうよ。俺が口を利かせたら、キミもすぐにウチで稼げるようになるからさ。それに俺、超タイプなんだよね、結衣ちゃん」
ぞっとした。わたしは逃げるように、その場を後にした。帰りの電車内ですぐ、彼のアカウントはブロック。それが、数日前に起こった出来事。ことの顛末である。
あのときのことを思い出すだけで、全身に寒気が走る──わたしは身震いする体を両手で押さえて、ほだか先生へと向き直る。眉根を寄せるほだか先生を見たのは、今日が初かもしれない。
「結衣くん、僕は本気で怒っています」
そうなのだろう。普段が温厚過ぎるが故に、怒りモードのほだか先生はちょっぴり怖い。仏の顔も三度まで、というやつだ。
「今回は運が良かっただけで、最悪、その男に騙され怖いことに巻き込まれていたかもしれません」
ほだか先生は、これまた特大のため息を吐く。また腰を落として、半ベソ状態なわたしへと目線と合わせてくる。
そうして、お次に見たその表情とは── 切なそうな顔をしていた。
「僕のためにやってくれたこと、そうですよね?」
「! ち、違いますっ!? わたしがただ、そうしたかっただけで」
「なにを、どうしたかったと?」
「だから、それはその、あれでしてっ」
「下手な言い訳は聞きたくありません」
ほだか先生の脳天チョップ。蚊すら殺せないだろう微弱な力だった。
「結衣くん、お願いしますから、もう二度とこういった危ないことはしないでください」
「反省してます……」
「本当ですか?」
「……はい」
「本当に、本当ですね? 二度目はありませんよ」
言って、ほだか先生はじっとりとした眼差しで、小指を差し出してくる。
「もしもまた、このようなことがありましたら、今度は針千本飲んでもらいます。いいですね?」
「ええ、もちろ」
「指切り」
「!? はいっ」
わたしは慌てて、ほだか先生の女性みたくほっそりと綺麗な指へ自身の指を絡める。その後にも「指切りげんまん嘘ついたらナンタラ~」という決まり文句を一緒に唱える。すると表情が一変、ほだか先生は「約束しましたからね」と、普段と変わりない穏やかな笑顔を浮かべていた。
そのとき。ガタンッと、扉の方から、物音が鳴った。多分これは扉を閉める音、お次に足音だ。反射的に視線を入り口扉へ。誰もいなかった。またその後すぐだ。店の前を、見慣れた軽自動車一台が猛スピードで走り去っていった。運転手の顔までは確認できなかった。だが、薄々とは理解している。
「……聞かれてしまいましたか」
そう呟くほだか先生には、尋ね返すまでもなく直感的に悟る。三觜だ。
先ほど、三觜が来ると言ったのはわたしのハッタリである。だがそれはほだか先生に不審がられないよう、三觜が普段から日曜日によく訪れると知った上でのことだった──その結果が、最悪な展開を招くとも知らないで。
「さて、ここからは僕のお仕事です」
ほだか先生は、胸元から取り出した真っ白なすき紐で両肩を縛る。その後に袴を翻し、外へ出て行こうとする。三觜のあとを追いかけるつもりなのだろうか。
「ほだか先生っ!」
声が自然と、その名を叫ぶ。無自覚だった。
「わたしも……ついて行かせてください! もう二度と、勝手なことはしませんからっ! 約束します──」
と言いかけ、はっとする。そうだ、約束だ。
「指切りげんまん!」
わたしは小指を突き出して、ほだか先生へと見せる。無意識だった。
「もしものときは、針千本のみます! だから、お願いします!」
ほだか先生は、扉の取手を押さえたまま、半身だけをわたしへ傾けてくる。唖然としていた。口をぽかーんと開けている。正気を取り戻したのは、それから数秒ほど要して。
「全く、あなたって人は……」
──呆れた笑み。
「結衣くん」
「は、はい……」
「……」
「……」
「……ちゃんと、約束は守れますか?」
「! は、はい!」
「分かりました。では、車を回してきます。ちなみに車酔いなどは」
「ありません!」
「よろしい」
そして。
「では結衣くん。戸締りの方、よろしくお願いします」
ほだか先生の笑顔が、帰ってきた──優しさの揺れるようなその微笑みに。
わたしは、
「はい、ほだか先生っ!」
颯爽と出て行くその背に、力一杯頷いた。
そして、時刻は午後5時を回ったあたり。
「ほだか先生、ちょっといいですか」
カットチェアに座り蹴伸びの最中だったほだか先生は、首を僅かに横へ傾ける。
「なんでしょう?」
「いやぁ、そのですね。実は、髪を切ってもらいたい人がいるんですが……この後、少しだけお時間大丈夫ですか?」
「これから、ですか?」
不思議そうに訊ね返してくるほだか先生へ、わたしは頭を下げながら、
「はい。いきなりで申し訳ありません」
「いえ、それは別に構いませんけど。結衣くんのお友達か誰かですか」
「えっと、それは……」
「?」
「今回髪を切って欲しいのは、実を言うと、三觜さんなんです」
その瞬間だった。ほだか先生は、あからさまに目を見開き驚いていた。
「……昴、くん? 彼が直接、そう言ってきたんですか?」
わたしは少し迷って「そういうことになります」と答えた。また三觜と連絡をとりあっているみたくスマホを取り出して、「これから来るそうです」と言葉尻に足す。
「なるほど、そうでしたか……」
ほだか先生は思い詰めた表情で俯く。なにを考えているかまでは分からないが、苦渋の選択を迫られているのかもしれない。これは、わたしの予想でしかないけれど。
「では……はい、分かりました。『承りました』と、そのように伝えください」
予想通りの展開──そして、一番重要なのはここからだ。
「そこでなんですが、結衣くん」
ほだか先生は、真っ直ぐわたしへと向き直り、一転して眩いほどの笑顔を見せた。その笑みが、嘘臭く見えなくもない。
「これ以上お客さまも来ないと思いますので、今日は先にあがってもらって結構ですよ」
やはり、ほだか先生はわたしを帰そうとしてきた。これも、予想通りの展開だった。
「あとのことは、僕がやっておきますから」
心臓が、徐々に鼓動を高めていく──全てが予想通りに進むことに、恐怖すら抱かされる。
でも、今更逃げられない。仕掛けたのはわたしだ。
「三觜さんの件はわたしからお願いしたことですし、一応最後まで残ります。仕事は5時にあがったことにしてもらって結構ですので」
「そのことなら、気にしなくても結構ですよ。僕がちゃんと、昴くんにお伝えしておきます」
「個人的に、興味があるんです! だから見てみたいなー、なんて」
「それは、今日である必要がありますか?」
いつも穏やかなほだか先生には似つかわしくない、それは少し強めの口調。その時点で、もうわたしの予想は確信へと変わりつつあった。
「逆に、ダメな理由があるのなら教えてください……わたしがいると、なにか不都合なことでもあるんですか?」
自分に嫌悪感を抱くほどの、かなり嫌味な言い方。実際、ほだか先生は顔をしかめ困っていた。胸の奥が、じくじくと痛む。
でもここまできたら、今更もう引けない──
「間違ってたら、申し訳ありません。ですが、言わせてください……もしかしてほだか先生は、三觜さんに憑いているなにかが見えていたんじゃないですか?」
「……」
「そして、仮にもこれから本当に三觜さんが来ていた場合、ほだか先生は二択を迫られる」
「……」
「曇りなき眼にて、見定めよ……でしたよね」
以前、ほだか先生は言っていた。
──ガラス越しでは、見えるものも見えなくなってしまいますから。ですので、僕が眼鏡を身につけるのはそもそも見えないと分かっている人だけです。
「その言葉に従えば、ほだか先生はきっと眼鏡をつけない。なぜなら、曇ってしまうから。見えるものも、見えなくなる。そして、それをわたしに見られたくなかった。だがらこの場に居たら困る、違いますか?」
ほだか先生は腕組み、鼻息を鳴らす。
「と言いますと、昴くんが髪を切りに来るというのは嘘だった。そういうことでよろしいですか?」
わたしは深々と頭を下げる。罪悪感で押し潰されそうになる。
「騙すような真似をして、本当に申し訳ありませんでした」
「構いません。顔を上げてください」
ほだか先生は、怒っているわけでもなく、だとしても穏やかそうには見えない、つまりよく分からない表情で、
「それで結衣くん、話していただけませんか。どのようにして、そのような結論に至ったのかを……なにも、憶測だけで言っているわけではないのでしょう?」
もはや言い逃れは不可能だろう──わたしは審判を待つ咎人のような心持ちで、自供を開始した──
話は遡ること二日前、金曜日のことである。
わたしはその日、都内某所で行われる「幸福の会」のミーティングへ出席することになっていた。経緯としては、SNSで「幸福の会」を検索。ずらっと並んだ入会者と思しきアカウントのその一つに友達申請を送れば、すぐにもDMが送られてきた──次の金曜日、午後8時、都内で幸福の会の特別ミーティングが行われる。
自分の口添えで参加させてあげるから、気になっているなら来てみないか? とのことだ。
はじめはどうしようか迷ったけれど、三觜について知りたかったわたしは悩んだ末、そのお誘いを承諾。金曜日の学校終わり、ミーティングが行われるという会場へと赴くため都内へと向かった。
そうしてSNSで知り合ったそのアカウント主である二十代後半の男性と落ち合い、とあるビルの地下室へ。中には、わたしと同じくらいか少し上の若者や、スーツを着たサラリーマン風の男、近所にいそうなおばちゃんなどのバラエティ富んだ人たちが五十人くらい集まっていた。
その中へひっそりと混じり、待つことしばらく。眼鏡をかけた小太り男が現れた。そして挨拶も手短に、突然「幸福の洗剤」がいかに優れた商品であるかのレクチャーが始まった──これがA社の洗剤。こっちが「幸福の洗剤」です。そしてここに油まみれの鏡があります。どちらがより優れている商品か試してみましょう。と、結果はお察しである。
その後にも、話は脈絡もなく「お金」や「夢」について──あなたたちは現状の自分に満足していますか? 毎日働いて遊ぶ時間も休む暇もないでしょう。何故だか分かりますか? お金がないからです。夢を追うことも大いに結構。ですが時間は仕事やバイトに奪われる。何故ですか? お金を稼ぐためでしょう。結論、「幸福の会」へと入り我が会の素晴らしい商品を宣伝販売していただければ権利収入を得られ、その後は働かなくとも儲かるシステムとなっております。我々と一緒に、幸せを掴みませんか?
要約すると、そんな感じの内容だった。まず一人が誰かに商品を販売。その誰かがまた他の誰かに商品を販売。そのような構図がピラミッド式に繋がり、最終的に一番はじめに商品を紹介した人へより高いバックが入る。
よくある「ネズミ講」の手口そのものである。その実態としては、商品を紹介する本人も自腹で商品を購入しなければ利益を維持できないため、借金を重ねなければならないらしい。そんな話を、以前学校の先生から聞いたことがあった。
ミーティング後、わたしはSNSで知り合った男に誘われ近くのファミレスへ。聞くところによると、彼は「幸福の会」の広報担当。つまり、搾取する側の人間。会場に集まった彼らとは、彼に誘われた人が殆どだという。わたしもその一人に過ぎない、彼は聞いてもいないのにぺらぺらと語り明かしてくれた。
「結衣ちゃんはさ、今日の話を聞いてバカみたいだって思ったでしょ? キミはそんな目をしていたからね、分かるよ。でもね、他の人はそうじゃない」
否定はしない。実際、その通りだった。わたしは冷め切っていた。でも、周りはそうじゃなかった。皆あのトンデモ話を聞いている間、メモ帳にペンを走らせ、目をキラキラと輝かせていた。
「夢、金、自由……みんな、そういう言葉に弱いからね。しかも楽して稼げると聞けば、尚更に。宝くじと一緒さ。よく言うだろ? 宝くじが当たればってさ。ウチには、ああいうのが沢山集まってくるのさ。まさか、自分たちが利用されているとも知らないでね。あーでも、結衣ちゃんは違うからね? キミは俺と同じ、こっち側。会った瞬間、直感的に分かったよ」
聞くに耐えない内容だった。今すぐにでも帰ってやりたかったけれど、我慢して三觜昴のことを尋ねた。彼の表情が、一瞬にして曇る。
「あれ、まさかあいつと知り合い? 悪いことは言わないからさ、関わるのはやめた方がいいよ。いろいろと痛いやつだし」
わたしはそう思いませんけど──敢えて下手に回れば、彼はあたりをキョロキョロと見回したあとにも、わたしの耳元に口を近づけてくる。囁き声で、言った。
「あいつ、実はかなりの借金があるんだよ。そりゃあもう、とんでもない額さ」
話は続く。
「もともとは先に入会してた由美って子がいたんだけど、その子がウチにとんでもない額の借金を作ってね、そのまま失踪した。三觜はその肩代わりってわけ。連帯保証人ってやつだよ。それと、彼女がいつ帰ってきてもいいように、だとさ。ははは、バカだよなぁ。そんなことしたって、もう無駄なのに。
実はウチに由美と連絡をとってる子がいてね。三觜がダメになったときの保険として、一応は由美とも連絡をとらせてたんだ。ま、由美の方が大概やばい状態だったらしいけどね。鬱病なんだと。それである日、連絡が一切つかなくなった。気になって由美の実家に連絡とらせてみたんだが……案の定だったよ」
知れば知るほどに、真実は残酷だった。
「海に落ちて亡くなりました、だとさ。遺書とかは見つかってないけど、自殺したんじゃないかって話だよ」
その残酷な真実が、鋭利な刃物みたくわたしの心臓へ突き刺さる──途端に怖くなり、「すみません、もう帰ります」と自分の分だけのお金を席に置いて、そのまま帰ろうとした。
「結衣ちゃん、待ってよ」
彼が、わたしの腕首を掴んできた。優しい笑み。だがその笑みの奥にある狂気なるものを、わたしは自然と感じ取ってしまう。優しい笑みであっても、彼はほだか先生とは違う。
彼は、笑いながら言ってきた。
「結衣ちゃんさえ良ければ、ウチに入らない? なんだったら、これから俺の家でじっくり話そうよ。俺が口を利かせたら、キミもすぐにウチで稼げるようになるからさ。それに俺、超タイプなんだよね、結衣ちゃん」
ぞっとした。わたしは逃げるように、その場を後にした。帰りの電車内ですぐ、彼のアカウントはブロック。それが、数日前に起こった出来事。ことの顛末である。
あのときのことを思い出すだけで、全身に寒気が走る──わたしは身震いする体を両手で押さえて、ほだか先生へと向き直る。眉根を寄せるほだか先生を見たのは、今日が初かもしれない。
「結衣くん、僕は本気で怒っています」
そうなのだろう。普段が温厚過ぎるが故に、怒りモードのほだか先生はちょっぴり怖い。仏の顔も三度まで、というやつだ。
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ほだか先生は、これまた特大のため息を吐く。また腰を落として、半ベソ状態なわたしへと目線と合わせてくる。
そうして、お次に見たその表情とは── 切なそうな顔をしていた。
「僕のためにやってくれたこと、そうですよね?」
「! ち、違いますっ!? わたしがただ、そうしたかっただけで」
「なにを、どうしたかったと?」
「だから、それはその、あれでしてっ」
「下手な言い訳は聞きたくありません」
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「結衣くん、お願いしますから、もう二度とこういった危ないことはしないでください」
「反省してます……」
「本当ですか?」
「……はい」
「本当に、本当ですね? 二度目はありませんよ」
言って、ほだか先生はじっとりとした眼差しで、小指を差し出してくる。
「もしもまた、このようなことがありましたら、今度は針千本飲んでもらいます。いいですね?」
「ええ、もちろ」
「指切り」
「!? はいっ」
わたしは慌てて、ほだか先生の女性みたくほっそりと綺麗な指へ自身の指を絡める。その後にも「指切りげんまん嘘ついたらナンタラ~」という決まり文句を一緒に唱える。すると表情が一変、ほだか先生は「約束しましたからね」と、普段と変わりない穏やかな笑顔を浮かべていた。
そのとき。ガタンッと、扉の方から、物音が鳴った。多分これは扉を閉める音、お次に足音だ。反射的に視線を入り口扉へ。誰もいなかった。またその後すぐだ。店の前を、見慣れた軽自動車一台が猛スピードで走り去っていった。運転手の顔までは確認できなかった。だが、薄々とは理解している。
「……聞かれてしまいましたか」
そう呟くほだか先生には、尋ね返すまでもなく直感的に悟る。三觜だ。
先ほど、三觜が来ると言ったのはわたしのハッタリである。だがそれはほだか先生に不審がられないよう、三觜が普段から日曜日によく訪れると知った上でのことだった──その結果が、最悪な展開を招くとも知らないで。
「さて、ここからは僕のお仕事です」
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「ほだか先生っ!」
声が自然と、その名を叫ぶ。無自覚だった。
「わたしも……ついて行かせてください! もう二度と、勝手なことはしませんからっ! 約束します──」
と言いかけ、はっとする。そうだ、約束だ。
「指切りげんまん!」
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「もしものときは、針千本のみます! だから、お願いします!」
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「全く、あなたって人は……」
──呆れた笑み。
「結衣くん」
「は、はい……」
「……」
「……」
「……ちゃんと、約束は守れますか?」
「! は、はい!」
「分かりました。では、車を回してきます。ちなみに車酔いなどは」
「ありません!」
「よろしい」
そして。
「では結衣くん。戸締りの方、よろしくお願いします」
ほだか先生の笑顔が、帰ってきた──優しさの揺れるようなその微笑みに。
わたしは、
「はい、ほだか先生っ!」
颯爽と出て行くその背に、力一杯頷いた。
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