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【星の聖女編】
07. 薔薇姫の秘密
しおりを挟む「 ……『侯爵令嬢が土いじりなんて』」
クリスティーナが発した言葉に、ヴォルフガングの歩みが止まる。彼が半歩後ろに立つ彼女を見ると、憂いを含んだ紫色が、ただ真っ直ぐに花たちを見つめていた。
「まだわたくしが社交界に出る前、母に連れられて行ったお茶会で、同年代の令嬢にそう言われました。その時初めて、貴族の令嬢は、庭師と花の世話をしたり、魔法陣を描いたり魔導具に興味を持ったりしてはいけないのだと知ったのです」
一瞬強く吹いた風によって、クリスティーナのフードが外され柔らかな髪が揺れる。
風の音が静かになると、クリスティーナはまた話し始めた。
「それからわたくしは、ローテントゥルム家の娘として両親に恥をかかせないためにレッスンを頑張りました。建前を上手く使いこなすのは貴族の常識です。それでも、わたくしは人前に出ている自分が、まるで嘘をついているようで、嫌いなのです。ですから星の聖女のお役目を終えたら、王都ではなく、ローテントゥルム領の邸で過ごす事を両親にお願いしました」
ヴォルフガングはクリスティーナの話を静かに聞いていた。
「わたくしの箱庭の利益を狙う者も多いという理由があったので、父が承諾してくれたことも理解しています」
星の聖女の役割が魔力奉納という事だけは世間に知られている。侯爵も彼女も、休養の為になどと理由をつけて領地に引っ込むのには丁度いいと考えたのだろう、とヴォルフガングは推察した。
「女性の役割が決められているこの社会で、わたくしは小公爵様のように国民のために働くことができません。ですから信頼できる相手に託すことしかできないのです」
クリスティーナの声色はしっかりしたものだったが、庭園の花を見つめるその瞳が寂しげだった事にヴォルフガングは気づいていた。
「……貴女と父は似ています」
「え?」
ヴォルフガングの言葉を聞いたクリスティーナが顔を上げると、社交界で見るのと同じ氷の小公爵の整った顔があった。しかしそこには、ほんの僅かな悲哀の色が浮かんでいた。
「シュネーハルトは極寒の地です。あの街の光が灯る前……特に祖父の代には領民たちの魔力量が減り、冬にはたくさんの死者が出ていたそうです。それでもこの地でしか育たない作物や木材を代々生業にしている者が多い。シュネーハルト家は、北の神殿とここに暮らす民をなんとしてでも守らねばなりません」
向かい合っていたふたりはシュネーハルトの街の方へ体を向けた。視線の先には空の星と同じくらい多い魔導具の光が街中を輝かせていた。
標高の高い場所に建てられた公爵邸からは、それらがまるで光の海のよに見える。
その光景を眺めながら、クリスティーナは彼の次の言葉を待っていた。
「……父の作った魔導具は、魔力の少ない者でも安全に使え、何より安価でした。領民たちの衣食住から始まり、歩道を整備し、より仕事がしやすい環境をたった数年で整えました。領民にとって父は最高の領主であり魔術師でした」
ヴォルフガングの声色がそれまでより少しだけ暗くなる。
「しかし、二十年前の帝国の侵攻で、父は王国の英雄になってしまった」
ヴォルフガングの手がギュッと強く握られる。
「父がこの国を守ったことは事実です。ですがその裏に魔術師団や王家にとって、公爵家の父が魔術師として名を馳せるのは都合が悪かったのでしょう。一日でも早く、私が魔術師団長と爵位を引き継ぎ、父には魔導具の作成に専念してほしいのです」
強い意思ある眼差しの中に、少しばかりのヴォルフガングの悲しみとも怒りとも取れる感情が見て取れた。
それを感じ取ったクリスティーナは、コートの内側にしまわれていた杖を取り出す。プラチナの細長い等身に蔓が絡みつき、持ち手には薔薇の装飾が施されていた。
そしてそれを足元に咲くスノーストームの花に向ける。
「……わたくしの名はクリスティーナ。自然の理に介する者」
クリスティーナがそう唱えるとスノーストームの花から青い光が空中に漂い始めた。それが次第に細い糸のようにまとまり、クリスティーナの持つ杖の先に集まってくる。
「あなたの力を使う術をわたくしに」
杖を横に振ると、その流れに沿って青い光が魔法式に変わった。
ヴォルフガングは驚きのあまり、口から白い息を吐きながら、ただその美しい光景を眺めているしかできなかった。
「ああ、やっぱり。この花は月の光を吸収して発光するようです。今夜は満月ですから」
クリスティーナにそう言われてヴォルフガングが庭園の花に目を向けてみると、普段は白いはずの花たちが、確かに青白く輝いていることに気が付いた。
「あと、気温も関係あるようですね。マイナス二十度以下でないといけないそうです」
「待ってください! クリスティーナ嬢……!」
淡々と魔法式の説明をするクリスティーナを止めるヴォルフガング。
「この魔法式は一体どこから……」
「このスノーストームという花のものです。満月の寒い日に青白く光るのを、小公爵様はご存知ありませんでしたか?」
「それは気づいていましたが、そういう種類の花なのだとばかり」
「これが、わたくしの箱庭の秘密です。シュネーハルト公爵様は、この事をご存知だと思いますよ」
ヴォルフガングは瞳を見開いた。
そして、かつて自分の父の言っていた言葉を思い出す。
『”薔薇姫の箱庭”には、この世の理が詰まっている。国にも魔術師団にも利用されてはいけない』
初めて父の言った言葉の意味を理解したのと同時に、今までにヴォルフガングが感じたことのないほどの焦りや驚きに、彼の心はかき乱されていた。
「クリスティーナ嬢、なぜ私にその魔法を見せてしまったのですか……?」
宙に描かれた魔法式からヴォルフガングへ視線を移したクリスティーナは、にこりと微笑んで言った。
「小公爵様も、現シュネーハルト公爵様と同じ、領民の事を真に想う素晴らしい公爵様になられると思ったからです」
ヴォルフガングは頭をかかえた。国家機密レベルの魔法を自分に見せてしまった彼女をどう守ればいいかと。
「この事を、私が利用するかもしれないとは思わなかったのですか?」
そう言ったヴォルフガングを、クリスティーナは不思議そうに丸い目をさらに丸くして言った。
「……わたくしの勝手な推測ですが、小公爵様は、本当は魔術師として領民に尽くすことをお望みなのではないですか? そうでなければ、第一騎士団を取りまとめていらっしゃるお方が領民のための安価な魔導具を作ったりなさいません」
「……」
「この魔法式は小公爵様にお渡しします。きっと何かのお役に立つと思いますわ」
彼女の言う通り、魔法式を見た時からヴォルフガングの頭の中には様々なアイデアが浮かんでいた。
「あの光のひとつひとつに、人の人生があるのです。その光をどうかお守りくださいませ」
クリスティーナは魔法式から人々の生活する街へと視線を移す。その紫色の瞳の中にもう憂いはなく、ロゼの称号に相応しい美しい横顔にヴォルフガングは目を奪われた。
「……受け取れません」
ヴォルフガングからの返事にクリスティーナは驚いて彼の方を見ると、真剣な金色の瞳と視線がぶつかる。
「クリスティーナ嬢と話をしたのは今日が初めてです。私はまだ貴女からの信頼されるだけのことをしていません」
そう言われたクリスティーナは、自分も彼から信頼されるだけの理由がないと言われているように感じた。頭では理解できるが少しだけ心が痛んでいた。
「なので、私と友人になってください」
「……友人、ですか?」
拒絶されたのだと思っていたクリスティーナだったが、ヴォルフガングから出てきた言葉は予想外のもので、紫色の瞳が少しだけ大きさを増した。
「友人として貴女の事を知り、私の事も知ってもらうのです。貴女が私を信頼に足る人物だと心から思った時、またその魔法を見せてください」
クリスティーナが感じていた心の痛みはいつの間にか消え、代わりにあたたかい感情が彼女の中に芽生えていた。
「分かりました。小公爵様」
杖を振り、魔法式を消したクリスティーナは笑顔で返事をした。
その様子を見て、同じようにヴォルフガングも顔をほころばせる。
「その呼び方も変えましょう。友人なのですから。ヴォルフと呼んでください」
「では、わたくしのことはティーナと。よろしくお願いいたします。ヴォルフ様」
美しい青と金の光を反射したふたりの瞳は、その後もしばらくお互いを映し続けていた。
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