神様スイッチボックス

葦元狐雪

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バスジャック

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 聞き憶えのある音が聞こえる。

その軽やかな音は、物心つく前から飽きるほど聞いてきた。

ホーム下の避難スペースで尻もちをついている男は、幼少期に祖母に連れられ、駅へ電車を見に行ったことを思い出していた。
幼いころ、男はたくさんの人を乗せようとも顔色ひとつ変えない、そのたくましい姿に興奮し、憧れた。
銀色の輝く体に、一本の真っ直ぐな歪みのない赤い線が入れられた外観は、幼い男心を揺さぶり、さらに昂らせた。

「守ちゃん、電車好き?」

老女は、数え切れないほど多くの皺が刻まれた顔を、さらに皺を増やしながら、にっこりと笑いかけて
言う。

「うん!電車好き!僕、将来は電車になる!」

彼は濁りなく透き通るような瞳をキラキラと輝かせ、電車に目を向けたまま言う。
老女は「あらあら」と、また皺を増やしながら嬉しそうに言った。
駅員の吹き鳴らす笛がホームに響き渡り、おきまりのアナウンスが聞こえて来る。階段の方からは、何人か急いでいる人が目に入る。

空気を吐き出し、ドアが閉まる。銀色の鉄塊は、ゆっくりと動きだす。
しっかりと前方を見据えながら、金属の擦れる音を奏でながら進む姿を、老女は人差し指で差しながら言う。

「ほら、守ちゃん。電車さんにバイバイは?」

幼い日の男は電車の進む音に負けないよう、声を力一杯張り上げ、まるで今生の別れのように、別れの言葉を叫ぶ。

「電車さん!バイバイ!僕、電車になるから!絶対、絶対なるから!」

電車は、少年の覚悟に応えるかのように汽笛を鳴らし、スピードを上げながら、線路の彼方へ走り去って行った。

男は、あの日と同じ銀色の車体に、赤い線が入った電車が走り去っていくのを見ていた。
何気なく懐に手を入れてみると、拳銃を持っていないことが分かる。バスの中で落としたのだろうか。
電車が過ぎ去ると、向かいのホームには、下を向きながら携帯電話を見つめる人々が現れる。

階段の奥から次々とやって来る人々は、既に並んでいた人の後ろに立ち、勝手に列を形成していく。誰も不平不満を口にせず、律儀に並ぶ。それは誰も不思議に思うわけでもなく、はるか昔から受け継がれてきた、人間同士のいざこざを防ぐための先人の知恵なのだろうな、と勝手に考える。

男はサングラスを外し、人差し指の側面で目蓋を擦る。
まだ誰もこちらには気づいてはいないようだ。皆、手元にある文明の利器に夢中で、周りの事は見えていない様子だった。
周囲をよく観察してみると、空は薄暗く、ホームにはスーツを着た人や、学校の制服を着た人が多くいることが分かる。
その人々を眺めていると、その集団の中にいる1人の、黒縁のメガネをかけたスーツ姿の男性と目があった。
男性はギョッとした顔を見せたが、まるで残虐超人顔負けの体格をした男を見ると、ばつが悪そうに目を伏せた。

ふと、何の前触れもなく唐突に、男の目の前に幼い男の子が落ちてきた。
幼い男の子は落ちた痛みに顔を歪ませると、線路の上に座り、大声で泣き始めた。
なぜ、この男の子はわざわざ線路の上に座り込んでしまうのだろうか、と男は思った。

ほどなくして、「危険ですから黄色い線より内側へおさがりください。間もなく18時45分発、□□行き、8両編成の列車が参ります。」

という、感情のない駅員の声がスピーカーから流れた。異変に気付いたホームにいる人々は、ざわつきだす。
線路からは、電車の走る音が聞こえ始めてきた。幼い男の子の泣き声は金切り声に近いものになり、その声に混じって、多くのシャッター音が聞こえる。

男は、アナウンスの告げた時間に違和感を感じる。
たしか、この時間はまだ自宅にいたはずだ。その後、駐在の警官から拳銃を奪い取り、バスジャックを決行した。
まるで映画の出来事のような、非常識な現象に脳が混乱する。果たして、本当にこれは現実なのだろうか、夢ではないのか。

苦悶の表情で視線を上げると、幼い男の子に向けてカメラを向ける人々が見えた。
しかし一体何を考えているのだ、あのホームにいる人々は。あの泣き噦る子供を助けよう、守ろうとは考えないのか?
男は、自身が口にした『助ける』という言葉にかつての友人の姿が脳裏に浮かぶ。
その辺に転がっていた小石を掴むと、力一杯握りしめた。

タバコの火を消す無精髭の生えた痩せた男は、遠慮がちに言う。

「なあ、守。ちょっと相談があるんだがね」
「どうした。なんでも言ってみろよ」

守はジョッキに残ったビールを飲み干すと、テーブルの端にある呼び出しボタンを押す。

「非常に言いにくいんだけどねえ...借金の保証人になってくれないかな?」
「なんだそんなことか。どうした、何か欲しいものでもあるのか。マンションか?車か?」

守は太ましい片腕をテーブルの上に乗せて、前のめりに乗り出して言う。

「いや、そういうわけじゃないんだけどね...」
痩せた男は気まずそうに言うと、理由を話そうと口をもごもごと動かすが、その言葉はウイスキーに流し込まれた。

「まあ、お前のことだから何か特別な理由があるんだろうが。いいだろう!なってやるよ、保証人。その代わり、ここの代金はお前持ちってことでよろしくな!ああ、お姉さん、生・大1つちょうだい!」
「ははは。うん、恩にきるよ」

痩せた男は遠慮がちに笑うと、皿に盛られた枝豆に手を伸ばした。

「谷口守さんですね?早く借金返してよ」
早朝に鳴り響いたベルに叩き起こされ、まだ醒めない目を擦りながら玄関のドアを開けると、そこには金髪と銀髪の若い男が立っていた。

「借金?何のことです?」
「あんたこいつの保証人だろ?いいからとっとと金払ってくれよ」
「保証人...?あ」

守は以前、友人の借金の保証人になったことを思い出す。金髪の男が見せてきた書類には、友人と、自分の名前が記載されてあった。

「理解したならとっとと払ってくれ、な?こっちも取り立てなんかしたくないわけよ。わかる?お兄さん」

金髪の男が困ったような顔で睨んでくる傍、銀髪の男は一言も発することなく、フランクフルトを食べ続けていた。

「わ、わかりました。なんとかお金は用意しますから。しかし、今すぐにというわけには...」
「ああ、いいよ。払ってくれるなら問題ない。でも、きっちり完済しろよ!それまでしつこく催促するぜ。いいな?」
「はい...」
力なく返事をすると、2人は守を一瞥し、アパートの階段へと向かう。
途中、銀髪の男は、フランクフルトに刺してあった棒を無造作に投げ捨てて行った。
男は、借用書に書いてある金額を見ると、力なく壁にもたれかかった。こんな額、どうすりゃいいんだよ。金利も暴利にもほどがある、返済は不可能だ。

守は携帯電話を取り出し、友人に電話をかけようと試みるが、女性の無機質な声が聞こえるだけであった。
非情な現実に絶望し、うなだれる男は黙々と考える。
これからの一生を借金返済のために費やすくらいなら、いっその事死ぬか、投獄された方がましだ。どうせやるなら、朝刊に一面載るくらいの事件がいいだろう。
そう決めた守は借用書を細かく破き、頭上へばら撒いた。紙吹雪舞う中、守の目は爛々と、怪しく輝いていた。

突然、男の目の前に黒いスーツを着た男が飛び降りてきた。
砂利と靴底の擦れる音にハッとした男は、落ちてきたスーツの男を見る。

スーツの男は泣き噦る子供を抱きかかえると、子供をホームに向かって放り投げた。慣れないことをして肩を痛めたのか、肩を押さえるスーツの男の顔は、苦しそうに歪んでいる。
ホームからは、若い男が手を差し伸べている。その手へ掴りに行こうと足を動かすが、男の目の前で倒れてしまった。
電車の汽笛と、人々の悲鳴で鼓動が早くなり、呼吸が乱れる。
銀色の鉄塊は、金属音を出しながら、すぐそこまで迫っていた。
男は、目の前に倒れてきたスーツの男の襟首を掴むと、ホーム下の避難スペースへと引きずり込む。

人々の悲鳴と歓声が、駅全体を包み込んだ。
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