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還章③ 出立
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オレと姫様はいま、都市門で待機をしている。
戴剣式からひと月が経過した。
その間の出来事は……色々なことが起きた。
勇者が時折、理解の出来ない行動を始めて、オレたちの誰かが巻き込まれる。
オレはやはり、勇者が怪しいと踏んで調査をするのだが、なにも問題は無かった。むしろ、全てはオレたちのための行動のようにも思えた。
オレは何故、出会ったときから勇者に苛ついているのだろう。
そう思いながら、隣に立っている姫様を見る。
彼女はオレの視線に気がつき、おもむろにオレの顔を見た。咲いたのは笑顔だ。
ふっと、口が綻ぶ。彼女が笑顔であれば、なんでもいい。
「あー! バルムンク、なに笑ってるんですか! 私の顔に何かついてます……?」
ぺたぺたの自身の顔を触る姫様。角から頬に、鼻にと。素早く手を動かす。
オレは心から湧き上がる嬉しさを抑えきれなかった。
「……ふふ。いいえ、姫様。何もありませんよ。あなたの行動が面白くて」
ああ――と、細めた目蓋を開くと、目の前にあったのはぽかんとした表情だった。
彼女はそっと、オレの頬に手を伸ばす。
俺はそれを受け入れた。
「バルムンク……あなたやっぱり。……変わりましたね!!」
笑顔でオレの頬を撫でてくる。なんだか、こそばゆい。
「そ、そうでしょうか?」
「そうですよ! 柔らかくなりました。前までは、イサム様のことを嫌って無視していたり、私たちが何か言っていても、常に仏頂面だったりしたでしょう? 最近は、バルムンクのほうから話しかけに行ってます。それに私、いまのほうが好きですよ!」
好きだと。彼女にそう言われると、オレの心臓は跳ね上がる。
「や、やめてください! オレはそんな、変わったとか……そもそも、勇者のことは今でも……!」
えへへと漏らして、一歩下がる姫様は、右脚を軸にしてその場でくるりと回転した。尾が空を回る。
「私、嬉しいんです。小さい頃から、この国を護るための鍛錬だけをしてきました。そんな私に、少ないながら友人が居てくれても、仲間は居ませんでした。仕方ないですよね、こんな見た目ですから」
自身が、魔物と人の子だから。と言いたいのだろう。
「でも」
回転を止めて、オレを見上げた。
「いまは寂しくないです! バルムンクも、側に居てくれますしね!」
「――――」
オレのことを変わったと言っていましたが、きっと違いますよ。
「……ええ。私はいつまでも、あなたの側にいます」
あなたが変わったんです。それを言葉にはしないですけれどね。
「おおい!」
クラッドの声がする。振り向くと、両肩に大きな荷物を載せたクラッドとエリーナが向かってきている。
その後方には、同じく荷物を抱えた勇者とゴンザレス、メルルがヘロヘロの脚で走っている。鍛錬の足りない連中だ。
「エリーナ様!」
姫様が飛び出して、エリーナの荷物を請け負った。
「なんだよぉ、バル。姫さんは率先してやってくれてんのに、おめぇは手伝ってくんねーのかよ」
準備期間の間、リリス様は自身が王族の血であることを、勇者一行と彼ら夫婦に明かしていた。
というのも、彼女の正体を看破していたメルルが、新しい禁忌の魔術を創ってやる! と豪語した際、声量増幅魔術を暴発し、全国民に言い触らしかける……そんな一大事件があったからなのだが。
それを思い出すのは頭が痛い。またの機会としよう。
「お前、オレが手伝おうとしたらいつも怒るだろう」
「へっ、違えねえや」
クラッドは重量のある大荷物を、オレの前に降ろした。
その動作に無駄はなく、軽々とこなしている様子を見ると、やはりこいつも元騎士団だということが窺える。
「まだ、同期意識が抜けてねえのかもな、俺ぁ。負けてらんねえっつーな」
走ってくる三人組の方を向きながら言う。
「オレは、今でも同期だと思っているぞ」
というか一体何だ、同期意識って。同期であることは、変わらない事実だ。
……何も返答がない。
「?」
何事かとクラッドを見ようとした時、パァン! と、大きな音。同時に背中に衝撃が走って一歩分、身体が前進する。
「うおっ!?」
「なに照れくせぇこと言ってんだぁ!?」
クラッドに背中を叩かれていた。こいつの琴線がどこにあるのかさっぱり分からん。言い返してやろうとしたところで、
「二人とも、仲、良い、な……」
息も絶え絶えな勇者が到着した。
ゴンザレスとメルルもだ。ゴンザレスは平気そうだが、その他二人が今にも倒れそうな勢いだ。
「……お前たち。これから出立だというのにその体たらく、先が思いやられるぞ」
「なん、で、私、が、力、仕事、を……」
一番息を荒くしていたのはメルルだ。彼女は荷物を降ろしたあと、魔術で土製の椅子を作り、座り込む。大きく溜息をつきやがる。
「オイラにはちょうど良い負荷だったです。『鍛え上げるモノは全て、戦士の道に続く』ですなぁ」
勇者は肩を竦める。まだ、この国の慣用句が理解できていないようだ。
「メルルは少し体力を付けたほうがいいぞ」
と、オレは提案した。魔導に通じている者も、体力があって損はあるまい。
「ええぇぇ? これでも、少、しは、鍛えて、るんだがな……。ま、見た目の保守目的だけど」
メルルは息を整えながら突然、ニヤリと笑って勇者を見た。不意を突かれたのか、勇者はすぐに顔を逸らす。
そう。こいつはたまに、横目で彼女の身体を舐め回していることがある。それは大体、当のメルルにはすぐに看破され、『なにを見ていたんだ?』と弄られるというのがこのひと月で分かった流れだ。
女性の体つきを性的に搾取する――まるで道具のように扱うというのは、オレの主義に反する考えだ。
上級貴族の中では、女性を道具のように扱う奴らもいて、オレはそういった連中と話すのが心底不快だった。父上はいつも、そんなオレを不思議な眼で見ていた。
ただ、勇者に関しては不可解な点が一つある。
客観的にだぞ? 客観的に言えば、見た目だけで言うのであれば、姫様もメルルとそうは変わらないのだ。一部分の大小はあるが、美しさという点では変わらない。
補足だが、王国は豊かな土地だ。食事が食べられないという民は殆ど居ないと言っても良い。だから、容姿端麗な女性は多く存在している。
このひと月で、勇者の視線を観察していた時期があった。だが、不思議な話で、奴は姫様の――他の女性に対してもだが――身体に皆目興味がないようだった。
ということは、奴はメルルにだけ気があるということである。それほどまでに、彼女の肉体しか見ていなかった。
姫様に邪な感情を抱かなければ、オレとしてはそれでいい。
……何をオレは、こんなに長々と女性の体に関して考察を並べているのだ。これではオレまでも好色家みたいじゃないか。
オレは大きくため息をつく。
勇者の肩に腕を回し頭を小突くメルルの傍、ゴンザレスは荷物の中身が気になっているようだ。
「イサムさん。この中はなんですか?」
「おお、そうだったな。クラッドにお願いした時、ゴンはいなかったか」
姫様とエリーナも寄ってくる。
エリーナの肩を寄せるクラッド。
「おうおう! これはよ、俺たち夫婦が製作した、勇者御一行の装具だ。鎧の鍛造は俺っち。革と布は、愛する妻の製作だぜ。素材はウェルバインド銀山の銀鉱石を中心として硬化反応を――って、興味無ぇか。んで、勇者様が指定した、耐氷・耐火の施しは完了している。残りのは賢者様にお願いしな」
オレは置かれた装具に触れる。
……確かに、その言葉に偽りはなかった。
鈍色の鎧は軽く、そして堅い素材で出来ている。そこらの魔物の一撃くらいでは響かないだろう。命を護るには充分、いや充分すぎる。
クラッドとエリーナが尽力して製作したものだ。間違いはない。
そして装具と共に支給されたのは――
「武器まで用意してくれたのか」
長槍、大斧、細剣の三本だ。
「魔導書は必要ねぇだろ? 賢者の姉ちゃん」
「ああ、要らないよ。私にはこの一冊だけで十分さ」
メルルに用意されたのは装具だけのようだ。そして、勇者には聖剣がある。用意されたのは、姫様とゴンザレス、そしてオレのものだった。
「いいのか? クラッド。ここまでしてくれて」
「当たり前ぇだろ。世界の危機だぜ? 俺っちの装具で世界を救って貰えるなら、作り甲斐があるってもんよ。だけどよ、武器にも良いモンを使ったが、『魔器』には遠く及ばねえからな。もし、敵が『魔器』を使ってきたんなら対抗できねえ。『魔器』を手に入れたのならそれを使え。ま、聖剣があるから、やべえ奴は勇者様に任せればいいんだけどよ」
勇者は聖剣の柄に手を添える。
「任せてくれ。俺が仲間たちを護るよ」
「逆だ。お前が居なければ竜魔王は倒せない。オレたちが勇者を護るのだ」
つい突っ込んでしまう。
オレは槍を手にして、その場で回してみせる。軽く、動かしやすい。
「フン。変わらず、お前のことは気に食わないが、仕事は全うしよう」
このひと月で、オレは勇者を護ってもいいと、そう思ったのだ。
「わー! バルムンク! この剣、凄く使いやすいです!」
姫様は早速、細剣で中空を刺すように素振りをしている。
彼女の尾は、喜びを表すように大きく跳ねている。
「……クラッド。お前の装具は最高だ」
「だろぉ?」
鼻を擦るクラッド。
ゴンザレスが大斧を背中に収めながら、首を傾げる。
「あれ。バルムンクさんって、剣のイメージがあったんですけど、槍も使えるんですか?」
ほう。よく気がついたな。
「バルは元々、槍兵なんだぜ。騎士団に入団した頃はよ、剣のクラッド、槍のバルムンクって呼ばれてたんだから」
「ゴンザレス。こいつは少なくとも、そんな大した二つ名を持っていないから真に受けるなよ」
「がははは! バレちまったな! ま、剣も用意してやりたかったんだけどよ。そっちには優秀な剣士がいるからいらんだろっつーことで」
クラッドは勇者の背中を叩く。
「いてっ」
「前にも言ったけどよ。お前ぇ、よく装具の数とか必要な武器とか分かったよな? どんな手品を使ったんだい?」
オレも、そこだけが不思議だった。
ひと月前、クラッドの家では、『勇者に選ばれたからかな? 勘だよ』と言っていたが。
勇者は眼を泳がせている。
「んなこと言われてもなぁ……な? バルムンク」
オレに振ったのが運の尽きだな。
「いいや、こちらもずっと気になっていたんだ。答えてもらおうか」
詰め寄ったオレたち王国騎士団同期組――ぬるりと、メルルが勇者の前に立ちはだかる。
「簡単な話だ。彼は神のギフトによって、一時的に予言者の権能を一部分、行使できたんだよ。ね?」
「ああ、その通りだ。見破られちゃったな」
あんなに渋っていたのに軽く答えやがった。
「予言者たる私の仕事が奪われるところで、ヒヤヒヤしましたよ騎士団長殿。今はもう、予言の力を使えないんだっけね?」
腕を組みながら、うんうんと頷く勇者。何故、他人事のような反応をする?
「ま、そういうことだよ。俺にはもう予言の力はないから、あとはこの身一つで頑張るだけさ」
メルルに感謝を伝え、手のひらを合わせるように叩き合う勇者。
薄々感じていたが、彼らの仲は異様なほど良い。だが、仲が悪いよりかは、良い方がいいだろう。輪が乱れて、姫様を不安にはさせたくない
出会ってすぐの頃の、自分自身の態度が思い起こされる。
すぐに振り払う。
オレはまだ、奴を認められないのだ。悪く思う必要は無い。
黙って、装具を身に付ける作業に取りかかる。
□ □ □
クラッド夫妻と、王国騎士団に見送られながら、オレたちは国を出立した。
丘を登る。
先頭にオレと姫様、二列目にゴンザレスとメルル、そして最後尾に勇者だ。
後列の三人組が、装具の良さを語り合っている中、姫様はふと、都市門の方面を振り向いていた。
眉が垂れ下がっている。
彼女がその表情をするときは――
「寂しいのですか? 姫様」
「えっ!? そ、その……」
姫様は俯いて、不安げに頭部の角に触れた。
「……はい。寂しいです」
「……」
思えば、姫様はボレアス直轄領から出たことがない。ヴァルキリーとしての任をこなしている際も、直轄領内の任がほとんどだった。考えてみると、国王の計らいだったのだろう。
「すぐに終わらせて、みんなで帰りましょう。あなたの為に……オレは全力を尽くします」
今、伝えられる精一杯を口にした。
姫様は俯いて、何も言わない。
顔を隠している。どうされたんだ?
「姫様?」
覗き込もうとしたが、顔を逸らされる。
「い、いえ! なんでもないです……はい、頑張りましょうね!」
と、かぶりを振って言った。
「……?」
何かしてしまったのか? オレは自分の行動を思い返す――そこで、
「おい~? バルムンク~?」
音もなく忍び寄っていたのは、勇者だった。
「何の用だ」
「姫様を困らすんじゃないよ~このこの」
勇者は右肘でオレの脇腹を突いてくる。鬱陶しい……。
「変なこと言わないでください! イサム様!」
もっと言ってやってください。
「悪い悪い。さっきゴンとメルルとも話してたんだけどさ、旅路の変更を提案したくて」「? 事前に決めていただろう。なぜ突然変更をする」
長い旅になることに備え、安全な順路を決定した。魔王城までの到着時間は、一年の予定だった。
「時間を掛けすぎるのは良くないんじゃないかと思って。当然の話だけど、危険な旅になる。時間を使えば使うほど、怪我のリスクが増える。だろ? 下手すれば、誰かが脱落しても不思議じゃない。魔王軍だって馬鹿じゃない。今は俺たちが先行しているが、いつか対策をとって、闇討ちをしてくるかもしれない……旅の間に、魔王軍は領土を広げるかもしれない。幸い、うちには予言者が居るんだ。多少の魔物が立ち塞がる程度の予言なら、倒して進もう」
腕を組み、睨み付ける。
「その方が危険だ。物資はいずれ尽きる。常に街と村、砦を経由して進む方が安全だ」
「まあな。そうなんだけどさ、これを見てくれ」
立ち止まって、地図を広げる勇者。
癪だが、魔王軍が領土を広げる、という言葉には同意する。
『ウェルバインド領』は、現魔王領に近い。いずれ、魔物の進軍があるかもしれない。 家はどうでもいいが、民は別だ。あの父上の手腕では、それを抑えきれないだろう。
オレと姫様はタイミングを同じくして、地図を覗き込む。
「最短距離で、こう行く」
その指が差したのは、ボレアス王国。王国に置いた指は推定魔王城――魔王領の詳細は地図に記載されていない。数ヶ月前に進軍され、一部が魔王領となってしまった『ボー領』だけが記載されている――までを、最短距離の線で伸ばす。
「んで、道中にある『戦士の里』、『ウェルバインド領』、『アリアスタ村』で補給する。補給地点で困りごとがあったら解決して、次に進む。これなら大体、四ヶ月で行けるぜ」
ふむ……。その言い分は理に叶っている。だが。
「だが、断る。姫様を危険に晒す可能性は減らしたい。オレはお前の隣で戦う必要があるからな。不服だが」
「むっ、バルムンク! 私だって戦えますよ!?」
姫様は頬を膨らませて抗議した。万一の可能性は潰しておきたい。
ぽんと手のひらを打つ勇者。
「じゃあさ、バルムンク。お前、俺じゃなくて姫様専属の護衛をしろよ!」
と、王命に逆らうことを言いやがった。
オレはこいつの胸ぐらを掴む。
「貴様ッ! 不敬だぞ!? いくら勇者とはいえ、王命に背くなど……!」
だが勇者は、笑って誤魔化すことも、冗句だと言うこともなく、真面目な瞳をして答えた。
「本当に護りたいものを護れ。喪ってからじゃ、遅いんだ」
オレは思わず、目を見開いた。
同年齢のこいつは、この世界に来て高々ひと月程度のこいつは、まるで歴戦の兵士のような気概で、ひるむこともなく、臆することもなく、そう言ったのだ。
気圧されて、手を離す。
「俺たち以外、誰も見てないから安心しろって。それに、役割が姫様になっただけだ。王様もどうこう言わないだろ。本当に危なかったら、ゴンとメルルに助けてもらうよ」
迷ってしまった。いや、どちらにしろこの順路だと、危険が多いことには変わりはしない。だが……。
「まあまあ、争うことなかれ。神託が下りてきたらすぐに共有するよ。イサムのことはお姉さんに任せなさい」
「メルルさん、あなた同い年でしょ」
ケラケラと笑いながら割り込んでくるメルルに、勇者が突っ込む。
「オイラも、里のみんなに仲間たちを紹介したいなぁ」
「それ、いいじゃないですか! 私も久しぶりに会いたいです!」
飛び上がる姫様。順路変更に肯定的な空気が流れてしまう。
姫様が変更に乗った時点で、オレの敗北は決定していた。
「……いったんはその順路で行くことにするぞ。何か問題があればすぐに変更する。それでいいな? 勇者」
「よっしゃ」
勇者はオレに拳を突き出した。
オレはそれに応じず、突き出された拳をはたき、大きくため息をついた。
「バルムンク! ほら行きましょう! 護ってくれるんでしょ?」
すでに走り出した姫様は、オレに向かって手を差し伸べる。
「ほら、待ってるぜ」
背中を押される。
ふっ、と……視界が晴れたようだった。
「いま行きます」
今度こそ、成し遂げることが出来るのだろうか。
いいや、成し遂げるのだ。
この声は、オレの脳みそが発した声ではない。もっと奥の、心の底からの声だった。 オレは、脚を大きく踏み出した。
□ □ □
旅に出て、初めての夜だ。
オレは短剣で、肉を捌きながら目の前を眺めていた。
勇者とメルルは天幕の設置をしている。
ゴンザレスはと言うと、嬉々として焚き火を点けていた。それを後ろから覗き込んだ姫様が声をかける。
「ねえ、ゴンザレス? どうして魔術で火を点けないのですか?」
「おっ、姫様。忘れちまったんですかい? 『戦士の里』のしきたりを!」
しきたり……と呟き、顎に手を置いた姫様は、愛らしいお顔を傾けた。
そして、思い出したかのか、大きな声を出す。
「あっ! 『戦士ロイヤーの起こす火は、聖なる光』! 魔避けの炎ですね!」
なんだそれは。
「姫様、なんですか? そのしきたりというのは」
ピンと指を立てて、片眉を吊り上げた姫様はご説明された。国の宰相の真似だ。
特徴は捉えているのだが、姫様が真似されるというのが面白くて、微笑んでしまう。
「小さい頃に教わったことなので、すっかり忘れていました! ふふふ……しきたりと言うのはですね~……」
彼女はチラリとオレを見ながら、言葉を溜めた。
オレは腕を組み、続きを待つ。
刹那、
「選ばれし戦士が火を焚き、炎に照らされる者たちが踊ると、魔物が避けていくのです!」
と、得意満面の表情で言った。
どう考えても、踊るのは余計なのでは?
いや、絶対に余計だ。
「オイラがお手本を見せましょう……!」
嬉々としてゴンザレスが立ち上がる。
姫様はそれを猫のように爛々とした目で追う。
足でリズムを取ったゴンザレスは、踊り始めた。合わせて、姫様も踊り出す。
思わず、オレは短剣を取り落とした。
奇っ怪な踊りだった。いや、民族舞踊的な良さはあるが……。
「姫様……踊れるのですね……」
手脚を乱雑に振る踊りを、姫様が……。
膝から崩れ落ち、オレは地を叩いた。
「なんだそれ!? 面白そうだな!」
勇者の声だ。おもむろに顔を上げると、奴も奇妙な振り付けをして踊り始めていた。
横を向き、親指を上げたままの右腕を、顔の前で振っている。合わせて、左足一本で立ち、右脚を蹴るように繰り返して小さく跳ねている。
【ゆー】だの【えす】だのと、意味の分からないことを言っている。
騒ぎを聞きつけたのか、天幕からメルルが現れ、勇者の真似をした。
「バルムンクさんもどうですか!」
「一緒に踊りましょう!」
息も絶え絶えな姫様の声が聞こえる。
オレは地に伏したまま、初日の夜を過ごしたのだった。
戴剣式からひと月が経過した。
その間の出来事は……色々なことが起きた。
勇者が時折、理解の出来ない行動を始めて、オレたちの誰かが巻き込まれる。
オレはやはり、勇者が怪しいと踏んで調査をするのだが、なにも問題は無かった。むしろ、全てはオレたちのための行動のようにも思えた。
オレは何故、出会ったときから勇者に苛ついているのだろう。
そう思いながら、隣に立っている姫様を見る。
彼女はオレの視線に気がつき、おもむろにオレの顔を見た。咲いたのは笑顔だ。
ふっと、口が綻ぶ。彼女が笑顔であれば、なんでもいい。
「あー! バルムンク、なに笑ってるんですか! 私の顔に何かついてます……?」
ぺたぺたの自身の顔を触る姫様。角から頬に、鼻にと。素早く手を動かす。
オレは心から湧き上がる嬉しさを抑えきれなかった。
「……ふふ。いいえ、姫様。何もありませんよ。あなたの行動が面白くて」
ああ――と、細めた目蓋を開くと、目の前にあったのはぽかんとした表情だった。
彼女はそっと、オレの頬に手を伸ばす。
俺はそれを受け入れた。
「バルムンク……あなたやっぱり。……変わりましたね!!」
笑顔でオレの頬を撫でてくる。なんだか、こそばゆい。
「そ、そうでしょうか?」
「そうですよ! 柔らかくなりました。前までは、イサム様のことを嫌って無視していたり、私たちが何か言っていても、常に仏頂面だったりしたでしょう? 最近は、バルムンクのほうから話しかけに行ってます。それに私、いまのほうが好きですよ!」
好きだと。彼女にそう言われると、オレの心臓は跳ね上がる。
「や、やめてください! オレはそんな、変わったとか……そもそも、勇者のことは今でも……!」
えへへと漏らして、一歩下がる姫様は、右脚を軸にしてその場でくるりと回転した。尾が空を回る。
「私、嬉しいんです。小さい頃から、この国を護るための鍛錬だけをしてきました。そんな私に、少ないながら友人が居てくれても、仲間は居ませんでした。仕方ないですよね、こんな見た目ですから」
自身が、魔物と人の子だから。と言いたいのだろう。
「でも」
回転を止めて、オレを見上げた。
「いまは寂しくないです! バルムンクも、側に居てくれますしね!」
「――――」
オレのことを変わったと言っていましたが、きっと違いますよ。
「……ええ。私はいつまでも、あなたの側にいます」
あなたが変わったんです。それを言葉にはしないですけれどね。
「おおい!」
クラッドの声がする。振り向くと、両肩に大きな荷物を載せたクラッドとエリーナが向かってきている。
その後方には、同じく荷物を抱えた勇者とゴンザレス、メルルがヘロヘロの脚で走っている。鍛錬の足りない連中だ。
「エリーナ様!」
姫様が飛び出して、エリーナの荷物を請け負った。
「なんだよぉ、バル。姫さんは率先してやってくれてんのに、おめぇは手伝ってくんねーのかよ」
準備期間の間、リリス様は自身が王族の血であることを、勇者一行と彼ら夫婦に明かしていた。
というのも、彼女の正体を看破していたメルルが、新しい禁忌の魔術を創ってやる! と豪語した際、声量増幅魔術を暴発し、全国民に言い触らしかける……そんな一大事件があったからなのだが。
それを思い出すのは頭が痛い。またの機会としよう。
「お前、オレが手伝おうとしたらいつも怒るだろう」
「へっ、違えねえや」
クラッドは重量のある大荷物を、オレの前に降ろした。
その動作に無駄はなく、軽々とこなしている様子を見ると、やはりこいつも元騎士団だということが窺える。
「まだ、同期意識が抜けてねえのかもな、俺ぁ。負けてらんねえっつーな」
走ってくる三人組の方を向きながら言う。
「オレは、今でも同期だと思っているぞ」
というか一体何だ、同期意識って。同期であることは、変わらない事実だ。
……何も返答がない。
「?」
何事かとクラッドを見ようとした時、パァン! と、大きな音。同時に背中に衝撃が走って一歩分、身体が前進する。
「うおっ!?」
「なに照れくせぇこと言ってんだぁ!?」
クラッドに背中を叩かれていた。こいつの琴線がどこにあるのかさっぱり分からん。言い返してやろうとしたところで、
「二人とも、仲、良い、な……」
息も絶え絶えな勇者が到着した。
ゴンザレスとメルルもだ。ゴンザレスは平気そうだが、その他二人が今にも倒れそうな勢いだ。
「……お前たち。これから出立だというのにその体たらく、先が思いやられるぞ」
「なん、で、私、が、力、仕事、を……」
一番息を荒くしていたのはメルルだ。彼女は荷物を降ろしたあと、魔術で土製の椅子を作り、座り込む。大きく溜息をつきやがる。
「オイラにはちょうど良い負荷だったです。『鍛え上げるモノは全て、戦士の道に続く』ですなぁ」
勇者は肩を竦める。まだ、この国の慣用句が理解できていないようだ。
「メルルは少し体力を付けたほうがいいぞ」
と、オレは提案した。魔導に通じている者も、体力があって損はあるまい。
「ええぇぇ? これでも、少、しは、鍛えて、るんだがな……。ま、見た目の保守目的だけど」
メルルは息を整えながら突然、ニヤリと笑って勇者を見た。不意を突かれたのか、勇者はすぐに顔を逸らす。
そう。こいつはたまに、横目で彼女の身体を舐め回していることがある。それは大体、当のメルルにはすぐに看破され、『なにを見ていたんだ?』と弄られるというのがこのひと月で分かった流れだ。
女性の体つきを性的に搾取する――まるで道具のように扱うというのは、オレの主義に反する考えだ。
上級貴族の中では、女性を道具のように扱う奴らもいて、オレはそういった連中と話すのが心底不快だった。父上はいつも、そんなオレを不思議な眼で見ていた。
ただ、勇者に関しては不可解な点が一つある。
客観的にだぞ? 客観的に言えば、見た目だけで言うのであれば、姫様もメルルとそうは変わらないのだ。一部分の大小はあるが、美しさという点では変わらない。
補足だが、王国は豊かな土地だ。食事が食べられないという民は殆ど居ないと言っても良い。だから、容姿端麗な女性は多く存在している。
このひと月で、勇者の視線を観察していた時期があった。だが、不思議な話で、奴は姫様の――他の女性に対してもだが――身体に皆目興味がないようだった。
ということは、奴はメルルにだけ気があるということである。それほどまでに、彼女の肉体しか見ていなかった。
姫様に邪な感情を抱かなければ、オレとしてはそれでいい。
……何をオレは、こんなに長々と女性の体に関して考察を並べているのだ。これではオレまでも好色家みたいじゃないか。
オレは大きくため息をつく。
勇者の肩に腕を回し頭を小突くメルルの傍、ゴンザレスは荷物の中身が気になっているようだ。
「イサムさん。この中はなんですか?」
「おお、そうだったな。クラッドにお願いした時、ゴンはいなかったか」
姫様とエリーナも寄ってくる。
エリーナの肩を寄せるクラッド。
「おうおう! これはよ、俺たち夫婦が製作した、勇者御一行の装具だ。鎧の鍛造は俺っち。革と布は、愛する妻の製作だぜ。素材はウェルバインド銀山の銀鉱石を中心として硬化反応を――って、興味無ぇか。んで、勇者様が指定した、耐氷・耐火の施しは完了している。残りのは賢者様にお願いしな」
オレは置かれた装具に触れる。
……確かに、その言葉に偽りはなかった。
鈍色の鎧は軽く、そして堅い素材で出来ている。そこらの魔物の一撃くらいでは響かないだろう。命を護るには充分、いや充分すぎる。
クラッドとエリーナが尽力して製作したものだ。間違いはない。
そして装具と共に支給されたのは――
「武器まで用意してくれたのか」
長槍、大斧、細剣の三本だ。
「魔導書は必要ねぇだろ? 賢者の姉ちゃん」
「ああ、要らないよ。私にはこの一冊だけで十分さ」
メルルに用意されたのは装具だけのようだ。そして、勇者には聖剣がある。用意されたのは、姫様とゴンザレス、そしてオレのものだった。
「いいのか? クラッド。ここまでしてくれて」
「当たり前ぇだろ。世界の危機だぜ? 俺っちの装具で世界を救って貰えるなら、作り甲斐があるってもんよ。だけどよ、武器にも良いモンを使ったが、『魔器』には遠く及ばねえからな。もし、敵が『魔器』を使ってきたんなら対抗できねえ。『魔器』を手に入れたのならそれを使え。ま、聖剣があるから、やべえ奴は勇者様に任せればいいんだけどよ」
勇者は聖剣の柄に手を添える。
「任せてくれ。俺が仲間たちを護るよ」
「逆だ。お前が居なければ竜魔王は倒せない。オレたちが勇者を護るのだ」
つい突っ込んでしまう。
オレは槍を手にして、その場で回してみせる。軽く、動かしやすい。
「フン。変わらず、お前のことは気に食わないが、仕事は全うしよう」
このひと月で、オレは勇者を護ってもいいと、そう思ったのだ。
「わー! バルムンク! この剣、凄く使いやすいです!」
姫様は早速、細剣で中空を刺すように素振りをしている。
彼女の尾は、喜びを表すように大きく跳ねている。
「……クラッド。お前の装具は最高だ」
「だろぉ?」
鼻を擦るクラッド。
ゴンザレスが大斧を背中に収めながら、首を傾げる。
「あれ。バルムンクさんって、剣のイメージがあったんですけど、槍も使えるんですか?」
ほう。よく気がついたな。
「バルは元々、槍兵なんだぜ。騎士団に入団した頃はよ、剣のクラッド、槍のバルムンクって呼ばれてたんだから」
「ゴンザレス。こいつは少なくとも、そんな大した二つ名を持っていないから真に受けるなよ」
「がははは! バレちまったな! ま、剣も用意してやりたかったんだけどよ。そっちには優秀な剣士がいるからいらんだろっつーことで」
クラッドは勇者の背中を叩く。
「いてっ」
「前にも言ったけどよ。お前ぇ、よく装具の数とか必要な武器とか分かったよな? どんな手品を使ったんだい?」
オレも、そこだけが不思議だった。
ひと月前、クラッドの家では、『勇者に選ばれたからかな? 勘だよ』と言っていたが。
勇者は眼を泳がせている。
「んなこと言われてもなぁ……な? バルムンク」
オレに振ったのが運の尽きだな。
「いいや、こちらもずっと気になっていたんだ。答えてもらおうか」
詰め寄ったオレたち王国騎士団同期組――ぬるりと、メルルが勇者の前に立ちはだかる。
「簡単な話だ。彼は神のギフトによって、一時的に予言者の権能を一部分、行使できたんだよ。ね?」
「ああ、その通りだ。見破られちゃったな」
あんなに渋っていたのに軽く答えやがった。
「予言者たる私の仕事が奪われるところで、ヒヤヒヤしましたよ騎士団長殿。今はもう、予言の力を使えないんだっけね?」
腕を組みながら、うんうんと頷く勇者。何故、他人事のような反応をする?
「ま、そういうことだよ。俺にはもう予言の力はないから、あとはこの身一つで頑張るだけさ」
メルルに感謝を伝え、手のひらを合わせるように叩き合う勇者。
薄々感じていたが、彼らの仲は異様なほど良い。だが、仲が悪いよりかは、良い方がいいだろう。輪が乱れて、姫様を不安にはさせたくない
出会ってすぐの頃の、自分自身の態度が思い起こされる。
すぐに振り払う。
オレはまだ、奴を認められないのだ。悪く思う必要は無い。
黙って、装具を身に付ける作業に取りかかる。
□ □ □
クラッド夫妻と、王国騎士団に見送られながら、オレたちは国を出立した。
丘を登る。
先頭にオレと姫様、二列目にゴンザレスとメルル、そして最後尾に勇者だ。
後列の三人組が、装具の良さを語り合っている中、姫様はふと、都市門の方面を振り向いていた。
眉が垂れ下がっている。
彼女がその表情をするときは――
「寂しいのですか? 姫様」
「えっ!? そ、その……」
姫様は俯いて、不安げに頭部の角に触れた。
「……はい。寂しいです」
「……」
思えば、姫様はボレアス直轄領から出たことがない。ヴァルキリーとしての任をこなしている際も、直轄領内の任がほとんどだった。考えてみると、国王の計らいだったのだろう。
「すぐに終わらせて、みんなで帰りましょう。あなたの為に……オレは全力を尽くします」
今、伝えられる精一杯を口にした。
姫様は俯いて、何も言わない。
顔を隠している。どうされたんだ?
「姫様?」
覗き込もうとしたが、顔を逸らされる。
「い、いえ! なんでもないです……はい、頑張りましょうね!」
と、かぶりを振って言った。
「……?」
何かしてしまったのか? オレは自分の行動を思い返す――そこで、
「おい~? バルムンク~?」
音もなく忍び寄っていたのは、勇者だった。
「何の用だ」
「姫様を困らすんじゃないよ~このこの」
勇者は右肘でオレの脇腹を突いてくる。鬱陶しい……。
「変なこと言わないでください! イサム様!」
もっと言ってやってください。
「悪い悪い。さっきゴンとメルルとも話してたんだけどさ、旅路の変更を提案したくて」「? 事前に決めていただろう。なぜ突然変更をする」
長い旅になることに備え、安全な順路を決定した。魔王城までの到着時間は、一年の予定だった。
「時間を掛けすぎるのは良くないんじゃないかと思って。当然の話だけど、危険な旅になる。時間を使えば使うほど、怪我のリスクが増える。だろ? 下手すれば、誰かが脱落しても不思議じゃない。魔王軍だって馬鹿じゃない。今は俺たちが先行しているが、いつか対策をとって、闇討ちをしてくるかもしれない……旅の間に、魔王軍は領土を広げるかもしれない。幸い、うちには予言者が居るんだ。多少の魔物が立ち塞がる程度の予言なら、倒して進もう」
腕を組み、睨み付ける。
「その方が危険だ。物資はいずれ尽きる。常に街と村、砦を経由して進む方が安全だ」
「まあな。そうなんだけどさ、これを見てくれ」
立ち止まって、地図を広げる勇者。
癪だが、魔王軍が領土を広げる、という言葉には同意する。
『ウェルバインド領』は、現魔王領に近い。いずれ、魔物の進軍があるかもしれない。 家はどうでもいいが、民は別だ。あの父上の手腕では、それを抑えきれないだろう。
オレと姫様はタイミングを同じくして、地図を覗き込む。
「最短距離で、こう行く」
その指が差したのは、ボレアス王国。王国に置いた指は推定魔王城――魔王領の詳細は地図に記載されていない。数ヶ月前に進軍され、一部が魔王領となってしまった『ボー領』だけが記載されている――までを、最短距離の線で伸ばす。
「んで、道中にある『戦士の里』、『ウェルバインド領』、『アリアスタ村』で補給する。補給地点で困りごとがあったら解決して、次に進む。これなら大体、四ヶ月で行けるぜ」
ふむ……。その言い分は理に叶っている。だが。
「だが、断る。姫様を危険に晒す可能性は減らしたい。オレはお前の隣で戦う必要があるからな。不服だが」
「むっ、バルムンク! 私だって戦えますよ!?」
姫様は頬を膨らませて抗議した。万一の可能性は潰しておきたい。
ぽんと手のひらを打つ勇者。
「じゃあさ、バルムンク。お前、俺じゃなくて姫様専属の護衛をしろよ!」
と、王命に逆らうことを言いやがった。
オレはこいつの胸ぐらを掴む。
「貴様ッ! 不敬だぞ!? いくら勇者とはいえ、王命に背くなど……!」
だが勇者は、笑って誤魔化すことも、冗句だと言うこともなく、真面目な瞳をして答えた。
「本当に護りたいものを護れ。喪ってからじゃ、遅いんだ」
オレは思わず、目を見開いた。
同年齢のこいつは、この世界に来て高々ひと月程度のこいつは、まるで歴戦の兵士のような気概で、ひるむこともなく、臆することもなく、そう言ったのだ。
気圧されて、手を離す。
「俺たち以外、誰も見てないから安心しろって。それに、役割が姫様になっただけだ。王様もどうこう言わないだろ。本当に危なかったら、ゴンとメルルに助けてもらうよ」
迷ってしまった。いや、どちらにしろこの順路だと、危険が多いことには変わりはしない。だが……。
「まあまあ、争うことなかれ。神託が下りてきたらすぐに共有するよ。イサムのことはお姉さんに任せなさい」
「メルルさん、あなた同い年でしょ」
ケラケラと笑いながら割り込んでくるメルルに、勇者が突っ込む。
「オイラも、里のみんなに仲間たちを紹介したいなぁ」
「それ、いいじゃないですか! 私も久しぶりに会いたいです!」
飛び上がる姫様。順路変更に肯定的な空気が流れてしまう。
姫様が変更に乗った時点で、オレの敗北は決定していた。
「……いったんはその順路で行くことにするぞ。何か問題があればすぐに変更する。それでいいな? 勇者」
「よっしゃ」
勇者はオレに拳を突き出した。
オレはそれに応じず、突き出された拳をはたき、大きくため息をついた。
「バルムンク! ほら行きましょう! 護ってくれるんでしょ?」
すでに走り出した姫様は、オレに向かって手を差し伸べる。
「ほら、待ってるぜ」
背中を押される。
ふっ、と……視界が晴れたようだった。
「いま行きます」
今度こそ、成し遂げることが出来るのだろうか。
いいや、成し遂げるのだ。
この声は、オレの脳みそが発した声ではない。もっと奥の、心の底からの声だった。 オレは、脚を大きく踏み出した。
□ □ □
旅に出て、初めての夜だ。
オレは短剣で、肉を捌きながら目の前を眺めていた。
勇者とメルルは天幕の設置をしている。
ゴンザレスはと言うと、嬉々として焚き火を点けていた。それを後ろから覗き込んだ姫様が声をかける。
「ねえ、ゴンザレス? どうして魔術で火を点けないのですか?」
「おっ、姫様。忘れちまったんですかい? 『戦士の里』のしきたりを!」
しきたり……と呟き、顎に手を置いた姫様は、愛らしいお顔を傾けた。
そして、思い出したかのか、大きな声を出す。
「あっ! 『戦士ロイヤーの起こす火は、聖なる光』! 魔避けの炎ですね!」
なんだそれは。
「姫様、なんですか? そのしきたりというのは」
ピンと指を立てて、片眉を吊り上げた姫様はご説明された。国の宰相の真似だ。
特徴は捉えているのだが、姫様が真似されるというのが面白くて、微笑んでしまう。
「小さい頃に教わったことなので、すっかり忘れていました! ふふふ……しきたりと言うのはですね~……」
彼女はチラリとオレを見ながら、言葉を溜めた。
オレは腕を組み、続きを待つ。
刹那、
「選ばれし戦士が火を焚き、炎に照らされる者たちが踊ると、魔物が避けていくのです!」
と、得意満面の表情で言った。
どう考えても、踊るのは余計なのでは?
いや、絶対に余計だ。
「オイラがお手本を見せましょう……!」
嬉々としてゴンザレスが立ち上がる。
姫様はそれを猫のように爛々とした目で追う。
足でリズムを取ったゴンザレスは、踊り始めた。合わせて、姫様も踊り出す。
思わず、オレは短剣を取り落とした。
奇っ怪な踊りだった。いや、民族舞踊的な良さはあるが……。
「姫様……踊れるのですね……」
手脚を乱雑に振る踊りを、姫様が……。
膝から崩れ落ち、オレは地を叩いた。
「なんだそれ!? 面白そうだな!」
勇者の声だ。おもむろに顔を上げると、奴も奇妙な振り付けをして踊り始めていた。
横を向き、親指を上げたままの右腕を、顔の前で振っている。合わせて、左足一本で立ち、右脚を蹴るように繰り返して小さく跳ねている。
【ゆー】だの【えす】だのと、意味の分からないことを言っている。
騒ぎを聞きつけたのか、天幕からメルルが現れ、勇者の真似をした。
「バルムンクさんもどうですか!」
「一緒に踊りましょう!」
息も絶え絶えな姫様の声が聞こえる。
オレは地に伏したまま、初日の夜を過ごしたのだった。
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