【二度目の異世界、三度目の勇者】魔王となった彼女を討つために

南風

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三章 『それを言葉にはしないけれど』

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 しばらく、歩き続けた。
 何日経ったのか。
 たぶん、一週間くらいか。

 俺たちは、村というには広く、街というには狭い――そんな廃村に辿り着いた。
 靄がかかった記憶のような、暗い空気が流れている。

「バルムンク……ここって?」
「……まだ言っていなかったか。ボレアス王国は、魔物に襲撃されて滅びた。最初に王城、次に城下町が……沢山の民が亡くなった。だが、生き延びた人たちで、ここに隠れ住んでいる。ほら」

 俺は王国が滅びたことを聞いて、心に重くのしかかるようなショックを受けていた。
 しかし、廃屋に近くなった建物から出てきたそのお姿を見て、ほんの少しだけど、ほっとした。

「おお! 勇者ではないか!? この世界から去ったと聞いたが……!」
「王様!」

 ボレアス国王……いや、元ボレアス国王ということになるのか。
 彼の後ろには、王妃様と王姫様がいる。三人ともやつれ、汚れていた。
 かつては綺羅びやかな格好で、民たちに羨望の眼差しで見つめられていたが、今は見窄らしい庶民的な格好をしている――王族だけではない。
 辺りを見渡すと、かつては兵士だった者、商人だった者、酒場で働いていた娘――が、同じ様な格好をしていた。
 ある者は道の隅で寝ていたり、ある者は布で簡単に設えた居住区に住んでいたりしている。

「驚いたかな、勇者よ。かつての栄光はもう無い。今はこうして、細々と生きていくのみだ」
「そんな……」

 そんなことは。と言いたかった。言えなかった。
 王姫様が王に耳打ちをする。

「お父様。私はこのまま、皆様に配給をして参ります。」
「おお、すまないな。頼んだぞ」

 町娘のような装いをしていた彼女は、俺に一礼を残し、静かに去っていった。

「王よ。騎士バルムンク、只今戻りました。現状の報告をさせていただきます」

 背後に控えていたバルムンクが、一歩前に出て王の前に膝をつく。

「バルムンク! おぬし、腕が……」
「お気になさらず。勇者の処置もあり、なんとかなっております」
「俺は何も……」

 その後は言わせて貰えなかった。バルムンクの眼がそう訴えかけていた。

「まずは、無断で王の元を離れたことを謝罪いたします。大変申し訳ありませんでした。処遇は何なりとお受けいたします」

 独断で動いていたのか……。だが、仕方のない話だ。
 彼女が竜魔王かもしれないなんて、言えないだろう。

「良い。おぬしを信頼しておる。……それで、なにか分かったのだろう?」
「……ええ。私の目的は二つ。戦士ゴンザレスの遺体を回収すること。そして、姫様の行方を追うことでした。途中、幸いにも勇者イサムと再会できましたが……。結論を申し上げます。まず、ゴンザレスの遺体は回収できませんでした。遺品は現在、勇者の腕に装着されております」

 俺は急いで戦士の腕輪を外し、王に差し出した。

「……そうじゃな。『戦士の里』の、戦士ロイヤーの腕輪……間違いないだろう」
「……そして、姫様ですが……その」

 バルムンクは言い淀む。
 俺はバルムンクの前に出る。

「バルムンク……俺が――王様、彼女は……。……ッ!」

 彼女が竜魔王となったことを伝えなければならないと、俺は思った。
 それが、勇者の責任だと。
 しかし、王の顔を見た瞬間、言葉が喉に引っかかって、出てこなくなった。

「あ……お、俺……俺の、せいでっ……」

 俺は、最後まで言うことができなかった。
 王の表情には、既に全てを悟ったような陰りがあった。
 言葉にする必要すらないと、告げるように。

「……勇者よ。もう、それ以上は良い。面をあげよ」

 その静かな声に顔を上げた時、王の頬には一筋の涙が流れた。

「……俺が、俺が彼女を、連れ戻します。王よ」

 その言葉に、王は頷いた。かつて、勇者の称号を授けた瞬間のように。


□ □
「今後はどうするつもりじゃ?」
 俺たちは、王族の住まいに招かれていた。
 この廃村の中では特に立派な住居だ。
 しかし、かつての城下町の壮麗さと比べてしまう。もう、見る影もない。

「驚いたかな? 勇者よ。私は道端で良かったのだが。だがしかし、民たちにどうしてもと譲られたのだ」

 王の眼には、深い悲しみが宿っていた。
 バルムンクは踵を返し、マントを揺らす。

「私は、鍛冶職人から剣を一本、調達して参ります」

 そう言い残して、出ていく。おそらく、俺に気を使ってのだろう。
 俺は王と向かい合って、座っていた。

「俺は……少しここを見て回ってから、賢者の捜索に向かうつもりです」

 王は俯き、小さく息をつく。

「王様……?」
「のう。ずっと、ここに残ってはくれまいか?」

 そう呟く王の疲れ切った眉間の皺が、彼を年老いて見せた。
 俺は言葉を飲み込み、言葉の続きを待つ。

「もう、ワシらにはな。おぬしたちしかおらぬ。このまま、悉くを滅ぼされるというのであれば、おぬし達と最期を共にしたい。……分かっておる。分かっておるよ。イサムとバルムンクは、決して諦めないと。けれど、ワシらの精神は、限界なのだ……」
 
 自嘲気味に、王は笑った。
 きっと、民たちには一切見せなかった表情を、俺に見せた。
 ずっと耐え抜いてきたのだ。魔物からの侵略と、民の絶望を請け負って。
 けれど、俺にはまだ、やらなくちゃいけないことがある。
 果たさなければならないことを。彼女を、連れ戻すのだ。

「……王よ。俺は――」
「――よい、分かっておる。すまなかった。……一瞬の、気の迷いじゃ。泡沫の夢のようなもの。忘れてくれ」

 彼の言葉が途切れると、かつての思い出が脳を走る。
 王が顔を見せると、民は笑顔になった。
 彼のことが、みんな好きだったのだ。
 城下町で食べ歩きをする王――。
 採れたての果物を受け取る王――。
 産まれたばかりの赤ん坊をあやす王――。
 子どもたちと走り回る王――。
 思い出される情景の中にはどれも、それを笑顔で見守る民たちが居た。

「……民を信じてあげてください。彼らは絶対に、支えてくれます。皆に、その心中を話してみてください」
「イサム……」
「……俺たちも、帰ってきます。そしたら、その輪の中に加えてください」
「……ああ、約束しよう」

□ □
 しばらくして、バルムンクと王妃様、王姫様が帰ってくる。
「そこでお会いしてな。一緒に戻ってきたのだが……どんな状況だ? イサム」
「いやあ……はは……」

 バルムンクたちは困惑する。それはそうだろう。
 王は国に伝わる宝酒を飲んで、潰れていたからだ。

「ちょっと感傷的な話になっちゃってさ、湿っぽいのもあれだからって飲みまくっちゃったんだよ」

 怒り顔の王妃様が、容赦なく王を叩いていた。
 久々な喧騒の中、俺はバルムンクに尋ねる。

「……腕はどうだ?」
「ああ、大丈夫だ。……いや、正直に言うと、大丈夫ではないが、戦えないわけじゃない。ただ、両手剣は振るえないからな。軽い大剣を見繕ってきた。見ろ」

 バルムンクは、腰に吊るした中肉の長剣を抜いた。それを片腕で軽々と回す。

「良い剣だろう」
「だな。それもクラッドの剣だろ? あいつ、元気にしてたか?」

 剣を腰に戻すバルムンク。その顔が曇った。

「……いいや、既に死んでいた。オレが遠征に行っている間、周囲にいる魔物を打ち倒すと意気込んで、挑み、殺されたようだ。エリーナがそう言っていた。……本当に、残念だ」

 クラッドも、死んだのか。
 彼の家で騒いだ夜のことが頭をよぎる。
 俺の涙は枯れていたのか、もう、何も出てこなかった。

「後で、エリーナさんに会いにいくよ」
「そうだな……そうした方がいい。彼は、オレたち勇者一行に武具を用意してくれていた。何かあったら使ってくれ、とな。それが彼の遺言だったようだ」
「……寂しいな」
「……ああ。だが、想いは受け取った」

 バルムンクは、軽大剣の柄にそっと触れる。
 王妃様たちに解放された王が、立ち上がった。

「そうじゃ。お主らに渡したいものがあるのだ。以前、この村の門に落ちていたモノなのだが。これが何か、知っておるか?」

 王は、引き出しから一つの品を取り出し、俺たちに手渡した。
 それは、煌びやかな首飾りだった。
 俺とバルムンクは一瞬視線を交わす。
「王よ。こちらには見覚えがあります。そして、賢者の行方が分かりました」
「俺たちはすぐに発ちます。彼女が居れば、状況は逆転する。……はやく、以前の暮らしに戻れるよう、尽力いたします」

□ □
 エリーナと話した後、住居の裏手にある小さな墓碑――クラッドの墓前で、俺はバルムンクに語りかけた。

「クラッド、良いやつだったよな……」

 俺の言葉に、バルムンクは鼻を鳴らすように短く息を吐いた。

「フン。だが、莫迦な奴だった。……本当に、どうしようもない莫迦だった」

 その声色には、優しさが滲んでいる。
 かつての二人は、騎士団の同期だった。
 クラッドは早々に辞めてしまったらしいが、面倒焼きのバルムンクは、時間を作ってよく会いに行っていたらしい。

 俺たちは、彼に近況を話した。
 クラッドとエリーナの家で、飲み明かした日のように。


 旅支度を整えながら、バルムンクに問いかける。
「……なんで戦姫は、俺を『愛している』、なんて言ったんだろう。俺は彼女に、何もしていないのに」
 きっとバルムンクは、その答えを持っている。

「…………」

 だが、彼の答えは沈黙だった。

「バルムンク?」

 呼びかけに応じず、バルムンクはしばらく、彼方を見つめていた。

「――お前は、鈍感だ。憎たらしいほどに。……もう一度、ゆっくり考えてみろ。それでも分からなければ、オレに相談しろ」

 鈍感――か。そんなつもりは無いのだけど。

「……分かった。考えてみるよ」

□ □
 隻腕の騎士を支えながら、丘を登る。
 民から託された物資が、背中に重くのしかかる。
 振り返れば、王の村が遠くに見えた。

「取り戻そう。世界を」
「当然だ」

 バルムンクは、首飾りを太陽にかざし、光を反射させる。

「向かう場所は、ボー領のアリアスタ村だな?」

 アリアスタ村。
 賢者メルルが育った場所。
 そして、預言者を輩出した伝統ある村だ。

 かつて俺たちは、アリアスタ村に立ち寄り、ある事件を解決した。
 その際にメルルが見せてくれたのが、この首飾りだ。
 ただの伝統の御守……ではない。
 実態は、魔力を貯蔵し増幅させる機能を持つ『魔導器』だ。
 これが王の村に落ちていた。
 まるで、勇者一行に宛てた、メルルからのメッセージのように思えた。

「本当に、途中でお前の実家に寄らなくてもいいのか?」

 俺の問いに、バルムンクは鼻で笑った。

「ウェルバインド領は陥落した。父上は、ウェルバインド家の総力を懸け、最後まで魔王軍に抵抗したそうだが。焼け野原を見に行っても、意味はあるまい」
「……そっか。『ボー領』までは、馬でも一週間はかかるよな?」
「『ボー領』は既に、魔王領となっている。慎重を期するのであれば、三倍はかかるだろう」
「そっか。でもまあ」

 なんとかなるだろ。
 丘の頂上に辿り着く。頭上には、碧々とした空が広がっている。
 翠の風が吹いて、俺たちの背を押した。
 バルムンクの金髪が靡く。

「……このような晴天は、久しぶりだな。『ボー領』に辿り着いたらもう見れんぞ」
「見納めか。じゃあ、この空が続くよう頑張ろう。俺たちなら、最速で『ボー領』にまで辿り着けるだろ」
「……慎重にいくのではないのか?」
「いいや、出し惜しみは無しだ。立ち塞がる魔物は俺が全部倒す。バルムンクの右腕になるよ。お前はサポートと指示に回ってくれ。メルルと合流さえすれば、あとは消化試合みたいなもんだろ? ……彼女なら、竜魔王を元に戻す術があるだろうし」
「確かにな。……全く、あいつも何か伝えたいことがあるのなら、直接言えばいいものを」
「多分、村から出られない理由とか、他の人に悟られたくない事情とかがあるんだろ。いつも秘密主義だったじゃんか」

 俺たちは晴天に背を向ける。先に見えるのは、禍々しい赤紫色の空。

「真っ直ぐだ。ただ真っ直ぐ。最速で全部をなんとかする。それが、今の俺の、責任の果たし方だ」
「……久しぶりに聞いたな。それ」
「そうか?」
「ああ、ずっと言っていただろ? 竜魔王征伐遠征の時から。いや、お前がこの世界に来てからだったか。もしかして、以前居た場所からそうだったのか?」

 振り返る。
 日本に居た頃も……そうだったかな?

「……そうかも?」

 バルムンクは天を仰いで目を細めたあと、小さく笑った。

「何笑ってんだよ!」
「……いいや、悪い。そんなことより、オレが前線じゃなくて良いのか? 前線を張るのは、いつもオレとゴンザレスだった」
「大丈夫だろ。俺は勇者だぜ?」

 そう言った瞬間、バルムンクは俺の肩に回していた腕を使い、軽く頭を小突いてきた

「お前の剣筋は、甘いのだ」
「……騎士団長様のお陰でございます。いや、本当だぜ? バルムンクの指導がなければここまで使いこなせなかったさ。改めて、ありがとな。……師匠って呼んだほうが良いなら呼ぶけど?」

 言葉を交わしながら、決意を胸に、魔王領への歩みを始める。
 次に帰ってくるときは、全てを終わらせてからだ。
 バルムンクと、メルルと一緒に。そして――彼女も。
 罪を精算させてから、一緒に帰ってくる。

 ゴンザレスの腕輪が、日の光に照らされて、煌めいた。

「はは! 『勇者』に師と謳われるなんてな。オレもまだまだこれからか。腕の一本くらい、名誉の負傷と言うものだろう。イサムには悪いが、この戦いが終わった後、オレが勇者の称号を継いでやる」
「負けらんないな」

 ――でも、バルムンク。
 俺にとっては、お前が一番の勇者だよ。
 なんとなく照れくさいから、それを言葉にはしないけれど。
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