【二度目の異世界、三度目の勇者】魔王となった彼女を討つために

南風

文字の大きさ
16 / 27

還章⑥ アリアスタ村Ⅲ

しおりを挟む
 馬の嘶きと蹄音が、かすかに耳を通る。
 薄く、目蓋を開く。
 いつの間にか、仰向けになっていたようだ。
 部屋に差し込む白い光が、顔を照らす。
 日の匂い。

 朝が来たのか。なら、今の物音はリーネが出発した音だ。
 ――無事に辿り着いてほしい。オレにはそう願うことしか出来ない。
 上半身を起こそうとする。
 覚えのない重みがあった。起き上がれん。
 鎧は脱がされているようだが……。
 顎を引き、視線を下に向けると、リリス様がオレの胸にしがみつくようにして眠っていた。
 彼女だけじゃない。さらに視線を下げると、ゴンがオレの腿を枕代わりにしてやがった。どちらも熟睡だ。

「…………」

 悪い気分はしない。
 胸に伝わる彼女の体温が、空になった気力を取り戻してくれる。
 起こすのは気が引ける。オレは静かに、溜息をついた。
 そこで気が付く。オレの顔の近くには、誰かが居た。
 顔を横に向けると、メルルが膝を抱えながら、オレたちを見つめているのに気が付いた。
「……おはよ」
「……おはよう」

 オレは、顔の向きを戻した。
 なんとなく、言葉を紡げなかった。
 リリス様とゴンの寝息だけが聞こえる。

 無理矢理、話題を捻り出した。

「リーネさんは、先ほど出発したぞ」
「うん。少し前に挨拶しに行ったよ。魔除けの呪いを掛けておいた。……ウェルバインドへの書簡を書いてくれて、ありがとう」
「……気にするな」

 また、静かになった。

「あのさ……」

 メルルが口を開く。

「私自身の話を聞いてほしくて――起きるのを待ってた」
「……二人を起こすか?」

 彼女は少し考える素振りをして、首を振った。

「いや、二人に聞かせるには、辛い話だろうから」

 オレは良いのか。

「オレは良いのか」

 しまった。口に出てしまう。

「バルなら大丈夫だよ。君は、乗り越えた人だ」

 メルルは、寂しそうにオレを見た。

「…………そんなことは、無いがな。あいつは、知っているんだろ? 話して良いのか」
 きっと、イサムには話をしているのだ。
 彼らには、オレたちには無い絆があるのだと感じている。
 音が鳴るほど、奥歯を噛みしめる。
 怒りは通り越していた。
 これはきっと、悔恨だ。

 メルルは静かに頷いた。

「そうか。お前が良いのなら……聞こう」

 彼女は、ぽつりぽつりと語り始める。
 メルル・アリアスタという、孤児の話を。

□ □ □
 赤ん坊が、アリアスタ村の門口に捨てられていた。
 その赤ん坊は後にメルルと名付けられた。おくるみに刺繍されていた言葉から取られたのだという。

「それを教えてくれたのは、孤児院で教鞭を振るっていたザイラスという男でね……」
「待て。ザイラスとは、審問官ザイラスか?」
「知ってるの? そう、審問官のザイラス。神について語る時は煩いけど、彼だけが孤児に優しかったんだ」

 
 それに追求はしない。きっと、語られるだろうから。

「……ザイラスは、オレが殺したようなモノだ。奴が炎の児に潰されるのを、止められなかった」

 だが、謝りはしない。 
 彼はオレの護りたいモノに、危害を加えたからだ。

「そっか。死んじゃったのか」

 メルルは少し、口を噤んだ。
 その表情が、オレの記憶を呼び起こす。
 耳にこびりついていた、奴の哄笑が蘇る。
 ザイラスにも、普通の人間のように、誰かを想う心があったのだろうか。

「気にしないで。殺したのは、炎の児だ――というか、炎の児と戦ったのか?」
「戦ったが、去って行った――あのまま戦っていたら、全滅していただろう。……見逃されたのか、それとも……」

 思えば、ザイラスを燃やし潰してから、炎の児は去った。
 奴が何をしたのかは知らんが、助けられたと言っても良いのかもしれない。
 今となっては、その真意は分からないが。

 どう考えても、あの時のザイラスは狂っているようにしか見えなかった。
 オレは、リリス様の頭をそっと撫でる。
 愛する人が、死ななくて良かった。

「ごめんね……側に居られなくて」
「いい……もう、終わった事だ。続きを話してくれ」
「うん――」

 メルルのような孤児は、教会の孤児院で暮らすことになっていた。
 審問官たちが学問と神学、魔術を教えた。
 何故かこの村には、孤児が流れ着く。

 そして、孤児たちはみな、魔導の才能がある女児だった。
 孤児院を卒業すると、アリアスタ村の各施設に送られる。
 メルルの後にも、次々と女児が増えていった。
 女児たちは、メルルを『姉さん』と呼び、慕っていたのだという。

 メルルが九歳になった頃、この村の異常性を知った。
 彼女の上の世代――十歳の少女たちだ。
 その少女たちが毎晩、教会に行くのだという。

 好奇心旺盛なメルルは、彼女らの後ろをつけ、何をしているのかを確かめたのだ。

 窓から覗いた時に見えたのは、聖職者や村の重鎮たちが大勢集まり、一人の少女に覆い被さっている瞬間だった。
 彼らはひとしきり腰を動かしたあと、次の人間に交代する。それを何度も何度も繰り返した。
 当時のメルルは、それが何をしているのか、分からなかった。
 だからザイラスに、あれは何なのかと聞いたのだ。

『……アレは、儀式だ。魔導の才能がある少女たちに、魔力強化を施しているのだ』
『審問官は参加しないのですか? 偉い人たちはみんな、行ってますよ』

 彼はかぶりを振る。

『しない。我にとって、アレは吐き気を催すモノだ。……もう、夜中に教会へ行くな。その時間を、神学の復習に使いなさい』

 メルルは、ザイラスの言葉を守った。


 胃に何も入れていないのに、肚の中から悪心がこみ上げてくる。
 思わず、口を押さえ、頭を上げた。

「メルルッ……! お前、それは――!」
「想像させちゃってごめんね。そう、奴ら教会は――魔力強化という名目で、年端もいかない少女たちを、複数人で囲って強姦していたんだ」

 吐きそうだ。
 喉が灼かれて、片目を細める。
 リリス様の頭に触れて、気持ちを落ち着けようとする。
 だが、吐き気は治まらない。

「『ほどかれよ、悪病を』」

 ――ふいに、楽になる。
 メルルがオレに、解毒魔術を唱えていた。

「……ありがとう」
「……こちらこそ。奴らは、少女に自らの子種を流し込むことで、魔力を増大させられるのだと信じていた。それを信仰だと信じていたんだ。歪な村だよね。正しい意味で神を信仰していたのは、ザイラスだけだったよ」

 歪だなんて、そんな言葉では表せない。


 彼女は言葉を紡ぐ。
 一年が過ぎ、メルルの順番がやってきた。
 助祭クレアスが、メルルの手を引いて教会に連れて行った。
 その時、孤児院から見送ったザイラスの顰め面が、印象的だったらしい。
 奴は、教会の中では下の立場だったのだろう。

 少女だったメルルは、テーブルに押し倒され、衣服を脱がされたのだという。
 当然嫌がって、抵抗した。だけど、大人たちには力で勝てなかった。

 定期的に、メルルは教会に呼ばれることになる。
 もう、抵抗する気力すら失せたのだ。
 自分は人形なのだと、そう思い込んで耐えていた。
 孤児院では、『姉さん』として頼られている。
 それを心の支えとして、生きていた。

 十一歳になる。
 メルルの上の世代が孤児院を出た。教会の奉仕から逃れられた。
 しかしそれは同時に、彼女の『妹たち』が、奉仕に参加するということである。

 メルルは、それだけは嫌だった。彼女たちを護りたかった。
 だから、慰み者として、自ら立候補したのだ。

『毎日、私が行きます。だから、妹たちには手を出さないで』
 と。


 オレはいつの間にか、涙を流していた。
 オレが十一の頃。何をしていた。
 自己満足のために、騎士を志して。家を飛び出して。
 いったい、何をしていたんだ。
 ウェルバインドの近くに、自らを犠牲にしている少女がいたと言うのに。

「バルが泣かなくてもいいだろ……」
「……すまない。オレが、気付いていれば……」

 オレの言葉に、メルルは虚を衝かれたようだった。
 そして、目尻を拭って、笑った。

「ひひ」
「……何を笑っている」
「いや……イサムと、同じようなことを言うんだなって」
「そうか……」
「気持ちだけは受け取っておくよ。それに、あの頃のバルが気付いたところで、どうにも出来なかったさ。だろ?」

 それはそうだが……。

「だけど、すまん。自己満足に過ぎないが、謝らせてくれ」
「……うん、分かった。許す」
「…………」

 オレは、右の掌で、涙を拭った。
 まだ、涙は止まらない。
 鼻を強く啜った。
 ふと、オレの衣服……胸と腿が湿っているのに気が付いた。


 幼少期からそんな生活を強いられ、生気を失うのにそう時間はかからなかった。
 犯される度に、回復魔術を掛けられた。だから、身体は壊れない。
 でも、精神が壊れていった。

 メルルは、神を信じられなくなったのだ。
 神が居るなら、みんなを救ってくれるはずだ。でも、神は見ているだけ。
 私をこの地獄から救い出してくれなかった、と。

「……この村の神は、角を持っていた。イサムが会った神とは、違う神だ。きっと、邪神だろうな」
「だね。でもね、何年か経ったあと、私にはある出会いがあった」

 彼女は発達が早く、十四歳頃には身体が成長しきっていた。
 いつも通り、夜になったら教会に連れて行かれて、犯されて、夜中に教会を出た。
 その時、彼女の頭に重いモノが落ちてきたのだという。

「とんでもなく痛くて、涙が出た。でも、久しぶりに痛みを思い出した。それで、なんなんだよって、落ちてきたモノを見たら――この本だった」

 メルルが見せてくれたのは、彼女がいつも使っている魔導書だ。

「いつも、持っているやつ」
「その通り! なんで本が空から――そう思った私は、本を拾って、読んでみたんだ。そしたら……」

『神は居る! 俺が本物の神だ! でも、この村の神とは別人さ。詳しくは、ボレアス王国まで』
 と、書かれていたのだという。初めての、神託だ。

 村の中しか知らない彼女は、外の世界があるなんて、知らなかった。
 ザイラスが教えてくれた学問は、情報が操作されていた。

 毎晩、教会から戻った後、横になりながら本を開く。
 本にはいつの間にか、ページが増えていた。
『この世界には、デカい国がある。そこに行くためには、ここを通って、こう行って――』
 旅路の詳しい道のりが記されていた。ご丁寧に、地図付きだ。

 メルルは、本に夢中になった。
 知らない事を教えてくれる。知らなかった事を学ばせてくれる。
 まるで、神様と会話しているみたいだったと。

「私はそれから、本の神を信じた。同時に、救われるって信じた。しばらくして、本の記述を頼りに、妹たちと一緒に村を出たんだ」
「そうか……」
「村を出てすぐに、神託が降りた。本に直接、指示が書き込まれていたんだ。あまりに一方的な言い回しで、最初は困ったけどね」

 指示に沿って歩いた道には魔物は居なかったし、何故か安全な食べ物まで置いてあった。
 本には魔術の使い方や、行く先々で必要な知識まで書いてある。覚えたページは消え、また新しいページが増えた。

 村や町を通り、神託に沿って人を助けた。
 妹たちは一人ずつ、優しい人たちに引き取られて去っていった。
 そしてメルルは、いつの間にか預言者と呼ばれるようになった。
 何年もかけて転々とする。もう彼女は、立派な女性に成長していた。

 かつて、教会の連中に負わされた心的外傷が癒えることはない。
 だが、今の彼女のような、さっぱりとした性格になっていった。
 神を名乗る本の語り口を、真似たのだ。

 そうして、ボレアス王国に辿り着く。王国には、ある神が信奉されていた。
 慈愛に満ちた抱擁を誘うような、人型の彫像。それが至るところにある。
 王国に到着して以来、本が更新されることはなかった。
 でも、きっとこの本をくれた神なのだと思った。以降、メルルは信心深くなったらしい。

 しばらくは裏の世界で情報を収集していた。そこで、イサムとオレ、リリス様と出会ったのだ。

「アリアスタ村に行きたいと言ったのは、私なんだ。イサムは止めようとしてくれたけど、私が、のトラウマを乗り越えたかった。ゴンとバルが、自分の過去を超えて、成長していったのを見て――私もそうなりたいって思いが強くなった。だから……夜の教会に集った奴らを全員、殺そうとした」

 ――殺意を込めた言葉。

「それを伝えたくなくて、みんなに睡眠魔術をかけた。……ごめん」

 言えば良かっただろう、そんなことは口に出せなかった。
 自分の過去を晒すことになる。それは、とても勇気のいることだ。

「オレはいい。だが、後で二人には謝っておけ。……なら、教会の惨状は、お前が?」

 かぶりを振るメルル。
 バルムンク・ウェルバインドよ。お前は分かっているのだろう。
 あれは、聖剣の炎だった。

「殺す気だった。でも、実際に司祭や助祭たちに対面してみると、身が竦んで動けなかった。罵声も喉を通らなくて、それで……助祭に襲われて、また、犯されかけた。そんな時、イサムが助けに来てくれた。彼には、睡眠魔術の効きが悪かったんだ。いや、無意識にそうしたのかも」
「…………」
「……イサムには、随分前に私の過去を伝えていたんだ。だから、私の代わりに、全員を殺した。殺してくれたんだ。――悪いのは私だ。バル、君がイサムと仲違いする必要はない。憎むなら、私を憎んでほしい」

 ――――。

「……メルル。それは違う。また、別の話だ、それは」
「じゃあ、なんだよ……彼は――」

 嗚咽と、大きく鼻を啜った音が聞こえて、オレたちの会話は止まる。
 その出所は、オレの胸と腿だった。リリス様とゴンだった。

「……起きていらしたのですか」

 リリス様は、鼻水と涙をオレの胸に垂らしながら、ぐちゃぐちゃとなった顔を上げた。
「メルルざぁん……! 盗み聞ぎじて、ごべんなざぁい……!」

 彼女は、その表情と声のまま、オレの胸に手を付きながら、メルルに謝罪した。
 メルルも呆気にとられている。
 続いて起き上がったのはゴンだ。
 彼の表情も、彼女と大差ない。

「オイラも……ずびまぜん……」

 立て続けに起きた出来事に、メルルは思わず笑った。

「……なんだよもう! 気を遣ったのに! みんなが知ることになっちゃったら、眠らせた意味が無いじゃないか! 全部、全部……無駄になっちゃったよ。……ごめんね、黙ってて」

 オレは姫様を抱き留めながら、上半身をあげる。
 二人は、首を振った。

「もっと、もっと早く話せていれば……私たちこそ……」
「いいんだ。これで良かったんだよ、姫様。――ああ、でも。こうして話をしてみたら、すっきりしちゃった」

 メルルは天を仰いで、息を長く吐いた。

「たぶん私は、この過去を乗り越えたり、トラウマを治したりする事はできない。でも、前に進むことは……できる気がする。過去は変えられなくて、そうするしか無いんだから。竜魔王を倒してからも、まだまだ先は長いんだしね」

 彼女が、決意とも取れるその言葉を口に出すと、魔導書が光り輝いた。
 いや、魔導書だけではない。背表紙に付けられた、『結束の紐飾り』もが強い光を出している。

「これは――」

 メルルは急いで魔導書を開く。
 彼女は文章を、声に出しながら読んだ。途中からその声は、泣き声へと変わっていった。

「『久しぶり。仲間たちの前だから、これしか言えないけど……おめでとう』――なんだよ、それだけ?」

 微かに笑みを浮かべたメルルの頬に、一筋の涙が伝う。
 少しばかり笑い声をあげると、彼女の瞳から、次々と涙が溢れた。

「ありがとう……ございますっ……私は、確かに……! 救われましたっ!」

 彼女は魔導書を強く抱きしめ、嗚咽を堪えず、泣き続けた。
 オレたちは、その姿を見守った。


□ □ □

 リリス様とゴンが、メルルと話をしながら食事をしている。
 オレは干し肉を囓りながら、その光景を眺めていた。

 頭の中は、考えることで一杯だった。
 ――メルルが本来やりたかったことを、代わりにイサムが行動に移した。それは理解している。
 仮に、メルルがリリス様で、イサムがオレだったとしても、そう行動しただろう。

 不可解だったのは、イサムが突然、人が変わってしまったようになったことだ。
 今までのあいつなら、『俺たちは仲間だ』と、言ってくれたはずだ。
 何も相談せずに行動するなど――再び、断続的な閃光のように、記憶が脳裏を駆け巡る。だがそれは、朝靄のように消えていった。

 しばらくして、階段を上る音がする。
 イサムが姿を表した。
 彼は前を向いてはいるが、決して目を合わせようとしなかった。
 ここは、オレから声をかける。

「……おはよう」

 だがオレに、返答することは無かった。
 イサムは淡々とした声色で話す。まるで、業務的にだ。

「教会の地下で、魔王城内部までの転送門を発見した。魔王領を横断する必要は無い。そして、出発するのはオレとメルルだけだ。三人とは、ここまでになる」

 ――は?

 何を、言っているんだ?
 オレだけじゃない、リリス様とゴン、メルルまでもが目を見開いた。
 声を荒げないよう、冷静を装って、言う。

「……どういうつもりだ」

 メルルが立ち上がり、彼の元へと向かう。

「イサム……それは……」

 彼は、何かをメルルに耳打ちした。
 それを聞いてからか、彼女は俯き、部屋を出た。

「――聖剣と魔器がない奴は、足手まといだ。この先の戦いには付いて来れないだろう」
 身体が動いた。

 オレの意思は反映されていなかった。意思が追いついたのは、こいつの胸ぐらを掴んだ直後だ。

「貴様……ふざけているのか?」

 奴は、ようやく、オレと目を合わせた。冷たい瞳だ。

「ふざけていると思うのか?」

 奥歯を噛みしめて、睨み付けた。

「……オレたちは、竜魔王を倒すためにここまでやってきた。ここまで戦ってきた。お前と一緒に!」

 掴む手に力を込める。

「王命だから、だろ? 出立の日に、お前がそう言ったんだ」

 後悔した。
 手が、出てしまったからだ。
 耐えきれなかった。
 イサムの身体が、中空を飛ぶ。
 オレは右腕を振るい、奴の横面を殴りつけていた。

「バルムンク!」「バルムンクさん!」

 リリス様とゴンがオレを押さえた。

「クソッ……! オレたちが……どんな気持ちで……!」

 もう、涙が出そうだった。いや、いつの間にか、目尻には涙が溜まっていた。
 イサムは、ゆっくりと立ち上がる。

「――満足か?」

 そう言いながら。

「お前……! お前が、始めたんだ! イサムッ!!」

 オレには、喚くことしか出来ない。
 奴は唇を切ったのか、流れる血を拭う。

「無理して名前で呼ばなくてもいい。――『勇者』って呼べよ」

 こいつは、『結束の紐飾り』を取り出して――地面に投げ捨てた。

『似合ってるじゃん。俺たち仲間の、結束の証だ』

 もう、限界だった。
 心の決壊する音が聞こえる。耐えきれない。
 喉から迫り上がる言葉が、憤怒を願っていた。

「――――!!」

 声にもならない、声をあげた。
 体勢は崩れて、ゴンに押し倒される形になる。
 良かった。このままだと、『勇者』に何をするか、分からなかったから。


 ――喉が、枯れた。
 声を上げ続けた代償だ。それとも、放った言葉の重みに、押し潰された所為か。
 ひとしきりオレを見つめていた勇者が、短く息を吐いて言った。

「……付いて来たいのなら、来ればいい。ただし、護りたい者を喪うかもしれない、その覚悟があるのならな」

 吐き捨てるように言葉を残して、勇者は階段を下りる。
 メルルの脚がそれを追う。

「イサムには、イサムの考えがある。それを理解してくれ……とは、言えないな……ごめん」

 小さく放った言葉と共に、彼女の姿も消えた。

 頬を伝うモノが、止まらない。
 悔しくて、怒りが湧き出るだけ湧き出て、そんな自分が嫌になって。
 それでも、抱きしめてくれている二人の体温だけが、確かに感じられた。

「バルムンク……」

 目を伏せて、オレの肩を抱くリリス様。彼女の吐息が聞こえる。

「……バルムンクさん。無理して、行かなくてもいいんです。――あんな言い方をするなんて、オイラには信じられません。そうだ! 今から、『戦士の里』に行きませんか? パァっと騒ぎましょうよ! バルムンクさんのおうちでも良いですね……迷う……」

 ゴンが声を明るく、提案してくれた。
 それは、オレを気遣ってくれた、現実逃避だ。

 二人のお陰で、多少、心が落ち着いてくる。
 しばらくして、涙が止まった。
 横隔膜の痙攣も収まる。
 深く息を吸って、長く吐く。
 オレは、目尻を拭う。

「……ありがとう、二人とも。落ち着いたよ。情けないところを見せてしまった」

 二人の腕を軽く叩く。もう、離れても構わないと。
 怖ず怖ずと、ゴンが離れた。
 リリス様は離れない。
 ……なんとなく、確信している。彼女は、魔王城に行くのだろう。

「――行くのですか?」
「……ええ、行きます。父に、会いに行かなくちゃ」

 ゴンが、脚を強く踏み鳴らした。

「なんでですか!? そんな奴に会いに行くって! ……きっと、イサムさんたちがすぐに倒してくれます。危険なところに行く必要なんて、ない!」

 なんだか、ゴンは昔のオレみたいなことを言った。
 気持ちは大いに分かるがな。
 だが、リリス様のお気持ちは違うだろう。

「ゴン。私は、竜魔王に会わなければならないんですよ」

 彼は何かを言おうと口を開き、閉じる。何度かそれを繰り返したあと、声に出した。

「なければ……って、なんでですか。オイラ、馬鹿だから! 分かんないですよっ!」

 彼女は、オレの肩から腕を解いて、決意を込めた瞳で言った。
 ――星を見た。

「……あなたと同じですよ。親に会って、話さないといけない。そこで初めて、私の人生が始まるのです。まぁ、本当に死んでしまうかもしれませんけどね!」

 彼女は少女のように笑った。
 その言葉に、ゴンはショックを受けたようだった。

「だって……」
「ありがとう、ゴン。足手まといだと言われても、私は行きます。それに、バルムンクもですよ。ね? 大好きな私を、護ってくれるんでしょ?」

 いつの間にかオレの心は、一つの結論に達していた。
 先ほどまで、幼児のように泣き喚いていたのに、なんて都合の良い心なんだ。

「ええ……『喪う覚悟』など、持たない。『あなたを護る覚悟』しか、オレには無い。やることは、一つだけです。――ですが、間違っていますよ。大好きではなく、愛している、です」

 むぅ、と。
 彼女は顔を赤らめて、呻いた。

 オレは立ち上がり、鎧を纏って槍を手に取った。
 リリス様もだ。
 もう、大きい荷物は要らない。

「……分かりましたよ。じゃあ、オイラも行きます」

 背中に、その呟きがぶつかった。
 振り向いて、彼の顔を見る。
 眉をしかめて、口を曲げていた。

「ゴン……」
「違いますからね。竜魔王を倒すとか、イサムさんの手伝いをするとかじゃないです。リリス様を護る、バルムンクさんを護ってあげます。――王命には逆らうことになるので、処罰は後ほど受けますよ」

 そう、ふてくされるように言いやがった。

「ふふ……」

 リリス様は、口を押さえて笑っている。
 オレも、笑みがこぼれた。
 ゴンがそう反抗的になるのは、珍しいからだ。

「聞かなかったことにしてやる。……行こう」

 オレたちは、大きく脚を踏み出した。

 当初の目的とは違う。
 『勇者』の考えも分からない。
 だけど、彼女を護るということだけは、成し遂げてみせる。

 自らの胸につけた、『結束の紐飾り』を落としたのに、オレは気がつかなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません

下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。 横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。 偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。 すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。 兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。 この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。 しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。

勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!

よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です! 僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。 つねやま  じゅんぺいと読む。 何処にでもいる普通のサラリーマン。 仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・ 突然気分が悪くなり、倒れそうになる。 周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。 何が起こったか分からないまま、気を失う。 気が付けば電車ではなく、どこかの建物。 周りにも人が倒れている。 僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。 気が付けば誰かがしゃべってる。 どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。 そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。 想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。 どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。 一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・ ですが、ここで問題が。 スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・ より良いスキルは早い者勝ち。 我も我もと群がる人々。 そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。 僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。 気が付けば2人だけになっていて・・・・ スキルも2つしか残っていない。 一つは鑑定。 もう一つは家事全般。 両方とも微妙だ・・・・ 彼女の名は才村 友郁 さいむら ゆか。 23歳。 今年社会人になりたて。 取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。

スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

老衰で死んだ僕は異世界に転生して仲間を探す旅に出ます。最初の武器は木の棒ですか!? 絶対にあきらめない心で剣と魔法を使いこなします!

菊池 快晴
ファンタジー
10代という若さで老衰により病気で死んでしまった主人公アイレは 「まだ、死にたくない」という願いの通り異世界転生に成功する。  同じ病気で亡くなった親友のヴェルネルとレムリもこの世界いるはずだと アイレは二人を探す旅に出るが、すぐに魔物に襲われてしまう  最初の武器は木の棒!?  そして謎の人物によって明かされるヴェネルとレムリの転生の真実。  何度も心が折れそうになりながらも、アイレは剣と魔法を使いこなしながら 困難に立ち向かっていく。  チート、ハーレムなしの王道ファンタジー物語!  異世界転生は2話目です! キャラクタ―の魅力を味わってもらえると嬉しいです。  話の終わりのヒキを重要視しているので、そこを注目して下さい! ****** 完結まで必ず続けます ***** ****** 毎日更新もします *****  他サイトへ重複投稿しています!

おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう

お餅ミトコンドリア
ファンタジー
 パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。  だが、全くの無名。  彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。  若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。  弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。  独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。  が、ある日。 「お久しぶりです、師匠!」  絶世の美少女が家を訪れた。  彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。 「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」  精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。 「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」  これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。 (※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。 もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです! 何卒宜しくお願いいたします!)

処理中です...