無能と蔑まれ敵国に送られた私、故郷の料理を振る舞ったら『食の聖女』と呼ばれ皇帝陛下に溺愛されています~今さら返せと言われても、もう遅いです!

夏見ナイ

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第14話:陛下の失踪事件

皇帝執務室は、ガルディナ帝国の中枢である。国中から集められた情報がここで精査され、皇帝の決裁によって帝国の明日が形作られていく。本来であれば、そこは常に張り詰めた緊張感に満ちているはずだった。

しかし、ここ最近の執務室の空気は、少しばかり奇妙なものに変わっていた。

「……で、今日も陛下は?」

低い声で尋ねたのは、帝国宰相エリオット・ワイズマンだった。書類の山に埋もれ、ここ数日まともに眠れていないのだろう。その整った顔には、隈が深く刻まれている。

その問いに、苦虫を噛み潰したような顔で答えたのは、帝国騎士団長ギルバート・エアクハルトだ。鍛え上げられた鋼のような体躯を持つ、実直な男である。

「面目ない。今朝も、夜明けと共にお姿が……。我が騎士団の精鋭をもってしても、陛下の足取りを掴むことができなかった」

ギルバートの言葉に、執務室にいた他の文官たちからも深いため息が漏れた。

これが、帝国中枢を悩ませる、ここ二週間で最大の懸案事項だった。

『陛下の、定時失踪事件』である。

事の発端は、あの日だった。リンドブルム王国から人質の王女が到着して、しばらく経った頃からだろうか。皇帝レオンハルト・フォン・ガルディナの様子に、明らかな変化が現れ始めたのだ。

まず、顔色が驚くほど良くなった。政務と策謀に明け暮れ、常に氷のような仮面を貼り付けていた彼の表情に、微かだが血の気が戻ってきた。臣下への当たりも、以前の刺すような厳しさが少しだけ和らいだように感じる。

それは喜ばしい変化だった。しかし、同時に不可解な行動が始まったのだ。

毎朝、決まった時刻になると、護衛もつけずに一人でふらりと城のどこかへ姿を消してしまう。そして小一時間もすると、何事もなかったかのように執務室へ戻ってくる。その時の陛下は、決まってどこか満ち足りた、穏やかな表情をされているのだ。

「侍従長。陛下は、朝食はきちんと召し上がられているのか?」

エリオットが、部屋の隅に控えていた老侍従長に問う。老侍従長は、困り果てたように首を横に振った。

「それが、ほとんどお手をつけになりません。厨房が腕によりをかけて準備した食事も、スープを一口お飲みになるかどうか。それなのに、日に日にご壮健になられている。全くもって、不可解としか…」

執務室は、再び重い沈黙に包まれた。

帝国の若き支配者、レオンハルト。彼は、その冷徹さと完璧主義で知られている。そんな彼が、国の誰にも行き先を告げず、日課のように姿を消す。これは、異常事態だった。

「どこかの貴族の令嬢と、密会でもされているのでは?」

若い文官が恐る恐る口にした憶測を、エリオットは即座に切り捨てた。

「陛下が色恋に現を抜かすお方ではないことは、我々が一番よく知っているはずだ。それに、もしそうならあのような満ち足りたお顔はされんだろう。もっとこう、疲れた顔をされるはずだ」

妙に説得力のある言葉に、皆が頷く。

「では、秘密の訓練か? あるいは、敵国の密偵と…?」

ギルバートの口から物騒な言葉が飛び出すと、執務室の空気はさらに冷え込んだ。宰相として、そして皇帝の幼馴染でもあるエリオットは、その可能性が一番ないと信じてはいた。しかし、万が一ということもある。皇帝の身に何かあってからでは遅いのだ。

「いずれにせよ、この状況は看過できん。国の頂点たる陛下のご所在を、我々が把握できていないなど、あってはならんことだ」

エリオットはこめかみを押さえながら、深くため息をついた。心労で、胃がキリキリと痛む。

その頃、側近たちの深刻な憂慮など露知らず、話題の中心人物であるレオンハルトは、いかにして執務室を抜け出すか、その一点に全神経を集中させていた。

(今日の朝食は何だろうか)

彼の頭の中は、それだけでいっぱいだった。

(昨日の生姜焼きというものは、衝撃的だった。あの黒い液体…『しょうゆ』と言ったか。あれを使えば、料理は無限の可能性を秘めるのではないか。今日は、あれを使った別の料理が食べられるのだろうか。それとも、全く新しい何かなのか)

考えただけで、腹の虫がぐぅ、と鳴った。いかん、いかん。皇帝たるもの、人前で腹を鳴らすなど。

彼は咳払いで誤魔化すと、すっと立ち上がった。

「少し、中庭の空気を吸ってくる」

その一言に、エリオットとギルバートの体がぴくりと反応する。来た。いつもの合図だ。

「陛下、護衛をおつけします!」

ギルバートが即座に立ち上がるが、レオンはそれを手で制した。

「いらん。一人で考えたいことがある。誰もつけるな」

有無を言わせぬ皇帝の命令。しかし、ギルバートも今回は引き下がれない。彼は部下の一人に、目だけで合図を送った。「決して見失うな」と。

レオンはそんな側近たちの動きを全て読んでいた。彼は悠然と執務室を出ると、見通しの良い廊下をゆっくりと歩き始める。しかし、角を一つ曲がった瞬間。

彼の姿は、掻き消えるように消え失せていた。

「なっ…!?」

後を追ってきた騎士は、絶句した。どこにも陛下の姿はない。秘密の通路か? いや、この区画にそんなものはないはずだ。まるで、風にでもなったかのように、完璧に気配が消えている。

しばらくして、「陛下を、見失いました!」という悲痛な報告が、再び皇帝執務室に響き渡った。

エリオットは天を仰ぎ、ギルバートは己の拳を強く握りしめた。

帝国の頭脳と武力が、たった一人の食いしん坊な皇帝に出し抜かれている。これが、帝国の小さなミステリー、『陛下の失踪事件』の日常風景だった。

そして、その頃。

帝国の中心で起きている大騒動など全く知らないアリアは、離宮の小さな厨房で、今日の朝食の準備をしていた。

今日の献立は、出汁をたっぷり含んだ卵焼きと、初めて作る味噌もどきを使ったお味噌汁だ。

昨日完成した味噌もどきは、醤油もどき以上に素晴らしい出来だった。大豆の豊かな香りと、麹の優しい甘み。塩気もまろやかで、まさしく日本の味だ。

私が卵を焼いていると、厨房の扉がいつものように、静かに開いた。

「おはようございます、レオン様。お待ちしておりました」

「ああ。腹が減った」

いつも通りの挨拶を交わす。私は、炊き立ての白米もどきと、焼きあがったばかりの黄金色の卵焼き、そして湯気の立つお味噌汁をお盆に乗せて、彼に差し出した。

「さあ、どうぞ」

帝国の重鎮たちが血眼になって探している皇帝陛下は、今、私の目の前で、世界で一番幸せそうな顔をして、日本の朝ごはんを味わおうとしていた。

この小さな厨房が、帝国の最大のミステリーの現場であることを、私と彼はまだ知らない。
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