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第22話 領民との対面
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目指す古城は、険しい岩山の頂にそびえ立っていた。
麓から城へと続く、かろうじて道と呼べる程度の獣道を進んでいく。馬車の車輪が、凍った地面と擦れて軋む音を立てた。
やがて、道が開け、小さな集落が姿を現した。
城の麓に、へばりつくようにして存在する、粗末な家々の集まり。おそらく、このヴァルハイト領に残された、数少ない領民たちが暮らす村なのだろう。
家々の壁はひび割れ、屋根には穴が空いている。畑らしき場所は、黒い土が剥き出しになったまま放置され、雑草すら生えていない。村全体が、長い時間をかけてゆっくりと死に向かっているような、そんな静かな絶望に満ちていた。
私たちの馬車が村に近づくと、その気配を察したのか、家々から人々がおずおずと顔を覗かせた。
彼らの服装は粗末なぼろ布で、寒さを凌ぐのがやっとのようだ。顔は痩せこけ、その瞳には希望の色などどこにもなかった。ただ、見慣れぬ来訪者に対する警戒と、諦めに似た恐怖だけが浮かんでいる。
そして、彼らの視線は、馬車の横を悠然と走るシロの姿を捉え、凍り付いた。
「ま、魔獣……!」
「なんて巨大な狼だ……」
「終わりだ……俺たちは、食い殺されるんだ……」
村人たちの間に、絶望的な囁きが広がる。何人かの子供は、母親のスカートの後ろに隠れてわなわなと震えていた。
(あら、人がいたのね)
私は、そんな彼らの様子を馬車の中から眺めていた。
てっきり、この土地には誰も住んでいないとばかり思っていた。これでは、完全な引きこもりとはいかないかもしれない。
(まあ、仕方ないわ。ご近所さんがいるなら、挨拶くらいはしておかないと)
前世での経験上、ご近所トラブルは非常に面倒だ。最初ににこやかに挨拶をしておけば、大抵のことは丸く収まる。スローライフを円滑に進めるためには、最低限のコミュニケーションも必要だろう。
「ゼノ、馬車を止めて」
「アシュリー様?このような者たちに、関わる必要はございません」
ゼノは、村人たちを虫けらでも見るかのような冷たい目で一瞥し、そう言った。
「いいから。最初の挨拶は肝心よ」
私はゼノを制し、馬車の扉を開けて外に出た。
私が姿を現すと、村人たちの間に、さらに大きな動揺が走った。
「お、女……?」
「なんて綺麗な……いや、それよりもあの髪の色……血のような赤……」
「まさか……あの噂は本当だったのか……?『紅姫』様が、この地に……?」
彼らは、私の悪名をどこかで聞き知っていたらしい。恐怖は、先ほどよりも数倍に膨れ上がっていた。
私は、そんな彼らの反応を気にすることなく、にこやかに微笑みかけた。
「皆さん、こんにちは」
鈴を転がすような私の声が、静かな村に響き渡る。
その声と、私の絶世の美貌と、そして隣に控える伝説の魔獣の威圧感。そのあまりのミスマッチさに、村人たちは完全に思考を停止させていた。
やがて、集団の中から一番年嵩であろう老人が、震える足で一歩前に進み出た。彼は私の足元にたどり着くと、まるで崩れ落ちるようにその場にひれ伏した。
「よ、ようこそおいでくださいました、新たなる領主様。わ、私は、この村の長を務めております、ボルツと申します」
老人の声は、死を覚悟した者のそれだった。
彼らは、自分たちがこれからどうなるのか、恐怖に震えている。新たな領主は、あの残忍で知られる『紅姫』。自分たちは、気まぐれに皆殺しにされるか、あるいは奴隷のように扱われるか。そんな絶望的な未来しか、思い描けていなかった。
(うーん、すごく怖がられているわね)
私は、その空気を和ませようと、できるだけ優しく、フレンドリーな笑顔を心がけた。
未来の引きこもり生活への期待感で、私の心はウキウキしている。その内なる喜びが、私の笑顔をさらに輝かせた。太陽のように明るく、春風のように穏やかな笑み。
それは、絶世の美少女が浮かべるには、あまりにも完璧な笑顔だった。
「ボルツさん、ですね。顔を上げてください。そんなにかしこまらないで」
私は、できるだけ親しみやすい声で言った。
「今日から、私もこの土地の住民になります。アシュリーと申します。これから、どうぞよろしくお願いいたしますね」
私は、優雅にスカートの裾をつまみ、軽くお辞儀をしてみせた。貴族としての作法ではなく、もっと庶民的な、親しみを込めた挨拶のつもりだった。
しかし、私のその振る舞いは、領民たちに想像を絶する衝撃を与えた。
ひれ伏していた村長のボルツは、顔を上げたまま、石のように固まっている。その目は大きく見開かれ、信じられないものを見る目で私を見つめていた。
他の村人たちも同様だった。
恐怖に歪んでいた彼らの顔は、今や純粋な困惑と、理解不能なものに直面した際の混乱に染まっていた。
なんだ?
何が起きている?
新たなる領主、『虐殺の紅姫』が、我々の前に降り立った。
そして、伝説の魔獣を傍らに従え、にこやかに、我々のような卑しい民草に、自ら名乗り、頭を下げて見せた。
威圧も、命令も、罵倒もない。
ただ、穏やかな挨拶があっただけ。
その笑顔は、あまりにも美しく、そしてあまりにも、底が知れない。
『……どういうことだ?』
『我々は、試されているのか……?』
『あの笑顔の裏には、一体何が隠されているのだ……』
『あれほどの絶対者が、我らに媚びを売る必要などない。ならば、あの笑顔は……慈悲……?いや、まさか……』
彼らの頭脳は、必死にこの状況を理解しようと試みるが、答えは見つからない。ただ、目の前の少女が、自分たちのちっぽけな常識では到底測ることのできない、規格外の存在であるということだけを、骨の髄まで理解させられていた。
「さて、と」
私は、挨拶が済んだことに満足し、彼らに背を向けた。
「これからお城の掃除がありますので、私はこれで。何か困ったことがあれば、いつでも声をかけてくださいね」
私は軽く手を振り、再び馬車へと乗り込んだ。
残された村人たちは、私が去っていく後ろ姿を、呆然と見送るだけだった。
「……行った……」
誰かが、ぽつりと呟いた。
「……我々は、殺されなかった……」
「それどころか……『よろしく』と……」
「あの笑顔……まるで、聖女様のようだった……」
彼らは、互いに顔を見合わせた。
その瞳には、まだ困惑の色が濃い。だが、その奥底に、ほんのわずか。
長い間忘れていた、『希望』という名の小さな光が、灯り始めたのを、彼ら自身はまだ気づいていなかった。
馬車の中で、私は満足げに頷いていた。
(よし。ご近所付き合いの第一関門は、完璧にクリアね)
これで、彼らが私の引きこもり生活を邪魔しに来ることもないだろう。
私のスローライフ計画は、最高の滑り出しを見せていた。
麓から城へと続く、かろうじて道と呼べる程度の獣道を進んでいく。馬車の車輪が、凍った地面と擦れて軋む音を立てた。
やがて、道が開け、小さな集落が姿を現した。
城の麓に、へばりつくようにして存在する、粗末な家々の集まり。おそらく、このヴァルハイト領に残された、数少ない領民たちが暮らす村なのだろう。
家々の壁はひび割れ、屋根には穴が空いている。畑らしき場所は、黒い土が剥き出しになったまま放置され、雑草すら生えていない。村全体が、長い時間をかけてゆっくりと死に向かっているような、そんな静かな絶望に満ちていた。
私たちの馬車が村に近づくと、その気配を察したのか、家々から人々がおずおずと顔を覗かせた。
彼らの服装は粗末なぼろ布で、寒さを凌ぐのがやっとのようだ。顔は痩せこけ、その瞳には希望の色などどこにもなかった。ただ、見慣れぬ来訪者に対する警戒と、諦めに似た恐怖だけが浮かんでいる。
そして、彼らの視線は、馬車の横を悠然と走るシロの姿を捉え、凍り付いた。
「ま、魔獣……!」
「なんて巨大な狼だ……」
「終わりだ……俺たちは、食い殺されるんだ……」
村人たちの間に、絶望的な囁きが広がる。何人かの子供は、母親のスカートの後ろに隠れてわなわなと震えていた。
(あら、人がいたのね)
私は、そんな彼らの様子を馬車の中から眺めていた。
てっきり、この土地には誰も住んでいないとばかり思っていた。これでは、完全な引きこもりとはいかないかもしれない。
(まあ、仕方ないわ。ご近所さんがいるなら、挨拶くらいはしておかないと)
前世での経験上、ご近所トラブルは非常に面倒だ。最初ににこやかに挨拶をしておけば、大抵のことは丸く収まる。スローライフを円滑に進めるためには、最低限のコミュニケーションも必要だろう。
「ゼノ、馬車を止めて」
「アシュリー様?このような者たちに、関わる必要はございません」
ゼノは、村人たちを虫けらでも見るかのような冷たい目で一瞥し、そう言った。
「いいから。最初の挨拶は肝心よ」
私はゼノを制し、馬車の扉を開けて外に出た。
私が姿を現すと、村人たちの間に、さらに大きな動揺が走った。
「お、女……?」
「なんて綺麗な……いや、それよりもあの髪の色……血のような赤……」
「まさか……あの噂は本当だったのか……?『紅姫』様が、この地に……?」
彼らは、私の悪名をどこかで聞き知っていたらしい。恐怖は、先ほどよりも数倍に膨れ上がっていた。
私は、そんな彼らの反応を気にすることなく、にこやかに微笑みかけた。
「皆さん、こんにちは」
鈴を転がすような私の声が、静かな村に響き渡る。
その声と、私の絶世の美貌と、そして隣に控える伝説の魔獣の威圧感。そのあまりのミスマッチさに、村人たちは完全に思考を停止させていた。
やがて、集団の中から一番年嵩であろう老人が、震える足で一歩前に進み出た。彼は私の足元にたどり着くと、まるで崩れ落ちるようにその場にひれ伏した。
「よ、ようこそおいでくださいました、新たなる領主様。わ、私は、この村の長を務めております、ボルツと申します」
老人の声は、死を覚悟した者のそれだった。
彼らは、自分たちがこれからどうなるのか、恐怖に震えている。新たな領主は、あの残忍で知られる『紅姫』。自分たちは、気まぐれに皆殺しにされるか、あるいは奴隷のように扱われるか。そんな絶望的な未来しか、思い描けていなかった。
(うーん、すごく怖がられているわね)
私は、その空気を和ませようと、できるだけ優しく、フレンドリーな笑顔を心がけた。
未来の引きこもり生活への期待感で、私の心はウキウキしている。その内なる喜びが、私の笑顔をさらに輝かせた。太陽のように明るく、春風のように穏やかな笑み。
それは、絶世の美少女が浮かべるには、あまりにも完璧な笑顔だった。
「ボルツさん、ですね。顔を上げてください。そんなにかしこまらないで」
私は、できるだけ親しみやすい声で言った。
「今日から、私もこの土地の住民になります。アシュリーと申します。これから、どうぞよろしくお願いいたしますね」
私は、優雅にスカートの裾をつまみ、軽くお辞儀をしてみせた。貴族としての作法ではなく、もっと庶民的な、親しみを込めた挨拶のつもりだった。
しかし、私のその振る舞いは、領民たちに想像を絶する衝撃を与えた。
ひれ伏していた村長のボルツは、顔を上げたまま、石のように固まっている。その目は大きく見開かれ、信じられないものを見る目で私を見つめていた。
他の村人たちも同様だった。
恐怖に歪んでいた彼らの顔は、今や純粋な困惑と、理解不能なものに直面した際の混乱に染まっていた。
なんだ?
何が起きている?
新たなる領主、『虐殺の紅姫』が、我々の前に降り立った。
そして、伝説の魔獣を傍らに従え、にこやかに、我々のような卑しい民草に、自ら名乗り、頭を下げて見せた。
威圧も、命令も、罵倒もない。
ただ、穏やかな挨拶があっただけ。
その笑顔は、あまりにも美しく、そしてあまりにも、底が知れない。
『……どういうことだ?』
『我々は、試されているのか……?』
『あの笑顔の裏には、一体何が隠されているのだ……』
『あれほどの絶対者が、我らに媚びを売る必要などない。ならば、あの笑顔は……慈悲……?いや、まさか……』
彼らの頭脳は、必死にこの状況を理解しようと試みるが、答えは見つからない。ただ、目の前の少女が、自分たちのちっぽけな常識では到底測ることのできない、規格外の存在であるということだけを、骨の髄まで理解させられていた。
「さて、と」
私は、挨拶が済んだことに満足し、彼らに背を向けた。
「これからお城の掃除がありますので、私はこれで。何か困ったことがあれば、いつでも声をかけてくださいね」
私は軽く手を振り、再び馬車へと乗り込んだ。
残された村人たちは、私が去っていく後ろ姿を、呆然と見送るだけだった。
「……行った……」
誰かが、ぽつりと呟いた。
「……我々は、殺されなかった……」
「それどころか……『よろしく』と……」
「あの笑顔……まるで、聖女様のようだった……」
彼らは、互いに顔を見合わせた。
その瞳には、まだ困惑の色が濃い。だが、その奥底に、ほんのわずか。
長い間忘れていた、『希望』という名の小さな光が、灯り始めたのを、彼ら自身はまだ気づいていなかった。
馬車の中で、私は満足げに頷いていた。
(よし。ご近所付き合いの第一関門は、完璧にクリアね)
これで、彼らが私の引きこもり生活を邪魔しに来ることもないだろう。
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