追放された”お荷物”の俺がいないと、聖女も賢者も剣聖も役立たずらしい

夏見ナイ

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第55話 毒と結界

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悪徳領主バルカスの第二の刺客、『黒犬傭兵団』はエデンの村にたどり着くことすらできずに壊滅した。

その報告を受けた時、バルカスの館は嵐のような怒声に包まれたという。

「役立たずどもが! たった一人のエルフの女に、五十人がかりで捻られるとは何事だ!」

バルカスは報告に来た傭兵団の生き残りを、その場で斬り捨てたと言われている。彼のプライドはズタズタに引き裂かれていた。そしてようやく彼は理解したのだ。エデンという村が、ただの小金を持つ農民の集まりではないということを。

「面白い。実に面白いではないか」

怒りの嵐が過ぎ去った後、バルカスの執務室には不気味なほどの静寂が戻っていた。彼の濁った瞳にもはや怒りの色はない。代わりに獲物を嬲り殺しにしようとする、蛇のような冷酷な光が宿っていた。

「力で押し潰せぬのなら、内側から腐らせてやればよい。あの楽園とやらを、疑心暗鬼と恐怖の毒で満たしてやるのだ」

彼の次なる一手は、これまでで最も陰湿で卑劣なものだった。

一方、エデンでは。

傭兵団を退けたことで、村の結束はさらに強固なものになっていた。ルナリエルは村の子供たちから英雄として崇められ、その姿を真似て木剣を振るう子供が後を絶たなかった。

だが、俺たちの心は決して浮かれてはいなかった。

その日の午後、俺はソフィアと共に完成したばかりの防壁の上を歩いていた。

「リアムさん。今回の件でエデンの物理的な防御力は証明されました。ですが同時に、新たな脆弱性も露呈したと考えるべきです」

ソフィアはいつものように冷静な口調で、村の防衛システムを分析していた。

「脆弱性?」

「はい。敵の次の手は、おそらく直接的な武力行使ではないでしょう。もっと狡猾な……例えば、毒や呪いを用いた内部からの破壊工作です」

彼女の指摘は、俺が漠然と感じていた不安を的確に言語化したものだった。

「特に村の生命線である『水』は最も狙われやすい標的です。湖は広大すぎて完全な監視は難しい。そして村の中心にあるあの井戸。あそこは村人全員が利用する、まさにエデンの心臓部です」

彼女の言葉に俺は頷いた。確かに、あの井戸に毒でも流し込まれたら村は一瞬で壊滅的な被害を受けるだろう。

「そこで提案があります」

ソフィアは俺に向き直ると、その紫色の瞳に強い意志を宿して言った。

「この村全体を目に見えない魔法の盾で覆うのです。特に水源には、悪意あるもの全てを浄化し無力化する、強力な結界を張り巡らせるべきです」

「結界か。そんなことが可能なのか?」

「私一人では難しいでしょう。ですが……」

彼女は俺の目をまっすぐに見つめた。

「リアムさん。あなたの力があれば可能です。あなたが術者である私の『代償』を肩代わりしてくださるなら、王都の王城を覆うものよりも遥かに強力で、持続性のある結界をこのエデンに築くことができます」

その提案を俺が断る理由はなかった。

その日の夕方、俺たちは村の中心にある井戸の前に立っていた。ソフィアは井戸の周囲の地面に、銀色の粉末で複雑な魔法陣を描き出していく。その一つ一つの紋様が、古代の叡智に基づいた強力な意味を持っているのが分かった。

準備が整うと、ソフィアは俺の手を固く握った。

「リアムさん、始めます。これから私の魔力のほとんどを消費します。もし私が倒れそうになったら……」

「分かってる。君のことは俺が支える」

俺の言葉に彼女は安心したように微笑んだ。そして目を閉じ、古代語の呪文を厳かに詠唱し始めた。

彼女の身体から膨大な魔力が溢れ出し、地面に描かれた魔法陣へと流れ込んでいく。魔法陣はまばゆい光を放ち始め、その光は透明なドームとなって村全体をゆっくりと覆っていくようだった。

同時に、俺の身体にソフィアの『代償』が流れ込んできた。それは自らの魔力を根こそぎ吸い上げられるような強烈な虚脱感と、精神をすり減らすような疲労感だった。俺は、その全てを自分のスキルで受け止め浄化し、逆に自分の魔力を彼女へと供給し続けた。

やがて光が収まった時、村には何の変化も起きていなかった。ただ、ソフィアが疲労で俺の肩に寄りかかっているだけだ。

「……完了しました」

彼女は息を切らしながらも満足げに微笑んだ。

「これでこの村は聖なる結界に守られます。悪意を持つ者はこの地の清浄な空気に耐えられず、そしてどんな毒物も井戸に触れる前に浄化されるでしょう」

その言葉通り、目に見えない魔法の盾が俺たちの楽園を守り始めていた。

それから数日が過ぎた。

その夜、エデンは静かな闇に包まれていた。月も隠れた、まさに暗殺にうってつけの夜だった。

一人の男が闇に紛れてエデンの森を進んでいた。彼はバルカスが金で雇った、王都でも名の知れた暗殺者だった。特殊な魔法の道具を使い、ルナリエルの鋭い感覚さえも欺き、彼は音もなく緑の城壁を乗り越えた。

彼の目的はただ一つ。村の中心にある井戸に、バルカスから渡された即死性の猛毒を投げ込むこと。

暗殺者は息を殺して村の中を進み、やがて目的の井戸へとたどり着いた。周囲には人っ子一人いない。完璧な状況だった。

彼はほくそ笑みながら、懐から黒い液体で満たされた小さなガラス瓶を取り出した。蓋を開けると、ツンとした死の匂いがした。

「楽な仕事だ」

彼はそう呟くと、その小瓶を井戸の暗い水面に向かって投げ込もうとした。

その瞬間だった。

井戸の縁に描かれていた、今はもう見えない魔法陣がまばゆい蒼い光を放った。

「なっ……!?」

暗殺者が驚く間もなく、光は彼の投げようとした小瓶を包み込んだ。小瓶は水面に触れることなく、空中で蒸発するようにシュッと音を立てて消滅した。毒は一滴たりとも井戸を汚すことはなかった。

だが、ソフィアの結界はそれだけでは終わらなかった。

悪意ある毒物を検知した結界は、その発生源である暗殺者自身に反撃の牙を剥いたのだ。

井戸から放たれた浄化の光が、一条の光線となって逆流し、暗殺者の身体を貫いた。

「――がっ!?」

彼の身体に異変が起きた。彼がこれまでの暗殺稼業でその身に浴び、蓄積してきた無数の人々の怨念、血の穢れ、そして殺意。それら全ての『毒』が浄化の光によって、彼の体内で強制的に活性化させられたのだ。

「あ……が……あ……ああ……」

彼は自らが内包していた毒によって、内側からその身を焼かれ溶かされていく。断末魔の悲鳴を上げる間もなく、その身体は黒い染みとなって地面に崩れ落ちた。

自業自得。因果応報。彼がこれまで他者に向けてきた悪意が、そっくりそのまま彼自身に返ってきた瞬間だった。

翌朝。
井戸の前に残された見慣れない男の衣服と、不自然な黒い染み。村は一時騒然となった。

だが現場を検分したソフィアが、冷静に事の次第を村人たちに説明した。

「昨夜、何者かがこの井戸に毒を盛ろうとしました。ですが私が張った結界がその企みを阻止し、実行犯は自らの悪意によって滅び去ったのです。この井戸の水は安全です」

その言葉に村人たちは息を呑んだ。そして自分たちが眠っている間に、知らないうちに命を救われていたという事実に震えた。

彼らのソフィアへの視線はもはやただの尊敬ではなかった。それは自らを守護してくれる賢神を見るかのような、絶対的な信頼と感謝の眼差しへと変わっていた。

バルカスの第三の嫌がらせもまた失敗に終わった。それどころか、彼の悪意はエデンの結束をさらに強固なものにしただけだった。

俺は清らかな水を汲み上げる村人たちの笑顔を見ながら、静かに気を引き締めていた。

小細工はもう通用しない。次にあの男が打ってくる手は、おそらく最後の、そして最大の一手だろう。

エデンに本当の戦いが訪れる日は、もう間近に迫っていた。
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