追放された”お荷物”の俺がいないと、聖女も賢者も剣聖も役立たずらしい

夏見ナイ

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第56話 領主軍、出陣

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悪徳領主バルカスの館は、死のような静寂に包まれていた。

執務室の床には割れた高級陶器の破片や、引き裂かれた高価な絵画が散らばっている。昨夜、暗殺失敗の報告を受けたバルカスが癇癪を起こして破壊の限りを尽くした名残だった。

そして今、その部屋の主であるバルカスは不気味なほど落ち着き払っていた。贅沢な椅子に深く腰掛け、その濁った瞳はただ一点、壁に飾られた領地の地図を見つめている。地図の端に小さく記された『エデン』という文字を、まるで憎い仇を睨むかのように。

「……面白い」

彼の唇から乾いた声が漏れた。

「実に面白いではないか。俺の仕掛けた罠をことごとく打ち破るとは。あの村には俺の想像を超える何かがいるらしい」

彼の前には腹心の代官が、震えながら直立していた。

「ば、バルカス様……。これ以上は危険かと。あの村にはエルフの剣士や竜、そして強力な結界を張る魔術師までおります。下手に手を出せば我々の損害も……」

代官の臆病な進言を、バルカスは冷たい一瞥で黙らせた。

「損害? それがどうした。俺はこの地の領主だぞ。俺の所有物である領民が俺に逆らうことなど、あってはならんのだ。これはもはや金の問題ではない。俺のプライドの問題だ」

彼の顔に狂気じみた笑みが浮かんだ。

「小細工はもう終わりだ。奴らが力を見せつけるというのなら、こちらも圧倒的な力でその全てを蹂躙してやればいい。虫けらを潰すのに遠慮はいらん」

彼は椅子からゆっくりと立ち上がった。そのたるんだ身体が、かつてないほどの威圧感を放っている。

「全軍に通達しろ。我が領地の私兵、三百全てを招集する。目的はただ一つ。反乱分子の巣窟、エデンの村の完全なる殲滅だ」

その言葉に代官は血の気が引いた。私兵三百。それはバルカスが持つ全ての軍事力だった。辺境の一つの村を潰すためだけに全戦力を投入するなど、正気の沙汰ではない。

「ぜ、全軍でございますか!? しかし、それでは領内の警備が……」

「黙れ!」

バルカスの怒声が部屋を震わせた。

「俺の命令が聞けんのか。男は皆殺し。女子供は奴隷として売り払い、村には火を放て。あの生意気な楽園とやらを草一本残さず、この地上から消し去るのだ。俺に逆らった者たちがどうなるのか、見せしめとして領内の全ての民に知らしめてやる」

その瞳にもはや理性の光はなかった。あるのは傷つけられた自尊心を満たすためだけの、破壊衝動だけだった。

その日の午後、バルカスの領都ではけたたましい鐘の音と共に兵士たちの招集が始まった。

集められたのは正規の訓練を受けた騎士などではなかった。そのほとんどが金で雇われた流れ者の傭兵や、食い詰めたゴロツキたちだ。彼らの装備はバラバラで、その目には忠誠心ではなく略奪への欲望だけがぎらついていた。

だが、三百という数は純粋な暴力として圧倒的な脅威だった。

鋼の鎧がぶつかり合う音。馬のいななき。そして男たちの野卑な鬨の声。それらが一つになり、不吉な戦争の序曲となってエデンの方向へと進み始めた。



一方、エデンでは。

暗殺未遂事件の後、村は一見するといつも通りの穏やかな日常を取り戻していた。だが、その水面下では来るべき戦いへの備えが着々と進められていた。

「敵の総兵力はおよそ三百。騎馬隊が五十、残りは歩兵と弓兵の混成部隊。明日にはエデンの麓に到着するでしょう」

教会の作戦司令室と化した談話室で、アイリスが上空からの偵察報告をしていた。彼女とフレアは交代で常に領主の館の動向を監視していたのだ。

その報告に、村長や村の男たちの顔に緊張が走る。三百という数は彼らの想像を遥かに超えていた。

だが、俺たちの表情は冷静だった。

「……三百か。思ったより少ないな」

俺のその一言に村長が目を丸くした。

「り、リアム様……! 三百人が少ないと……!?」

「ええ。寄せ集めの統率の取れていない三百人など、烏合の衆です」

俺の言葉をソフィアが引き継いだ。

「こちらの防衛設備と地形の利を考えれば、戦力差は十分に覆せます。問題はいかに味方の損害を最小限に抑え、効率的に敵の戦意を削ぐか、ですわね」

机の上に広げられたエデンの詳細な地図を俺たちは囲んでいた。そこには俺が考案し、ソフィアとルナリエルが改良を加えた完璧な防衛計画が記されている。

「計画通りいきましょう」

俺は仲間たちの顔を見回した。

「まず、敵を村の麓にある『狭間の谷』まで誘い込みます。アイリスとフレアが上空から軽い挑発を仕掛けて敵の陣形を乱してください」

「はい! お任せください!」

「谷に敵が侵入した瞬間、ソフィアが仕掛けた魔法の罠を発動。土砂崩れを起こし、敵の前衛と後衛を分断します。同時に村の弓兵部隊が崖の上から一斉に火矢を放つ」

「了解したわ」
「いつでもいけます」

地図を指さしながら俺は冷静に指示を続ける。

「混乱した敵の前衛に対して、ルナリエルが側面から突撃。敵の指揮官を狙い、指揮系統を麻痺させてください。村の男たちはあなたの援護を」

「ふん。指揮官の首だけでいいの? 全員斬り捨ててきてもいいのだけど」

「ダメだ。目的は敵を殲滅することじゃない。戦意を喪失させ、追い返すことです。無用な殺生は避ける」

俺の言葉にルナリエルは少し不満そうだったが、黙って頷いた。

「そしてセレスティア。あなたは後方で待機。負傷者が出た場合の治療拠点をお願いします。あなたの存在が皆の心の支えになる」

「はい、リアム様。お任せください」

完璧な布陣。役割分担。そして揺るぎない信頼。俺たちの間には、かつての『光の剣』にはなかった本物の絆があった。

その夜、俺は村人たちを広場に集め、最後の演説を行った。

「皆、聞いてくれ。明日、この村に領主の軍隊が攻めてくる」

俺の言葉に村人たちは息を呑んだ。だがその顔にもはや恐怖の色はなかった。あるのは覚悟を決めた者の静かな闘志だけだった。

「奴らの目的はこのエデンから全てを奪い去ることだ。俺たちが血と汗と涙で築き上げてきたこの穏やかな暮らしを、家族の笑顔を、未来への希望を根こそぎ奪い去ろうとしている」

俺は集まった一人一人の顔を見ながら続けた。

「だが、俺たちはもう無力ではない。俺たちには守るべきものがある。そして守り抜くための力がある!」

俺の声が夜の広場に響き渡る。

「思い出せ! 俺たちは死の大地を蘇らせた! 呪われた湖をその手で浄化した! 俺たちの楽園は誰かから与えられたものじゃない! 俺たち自身の手で掴み取ったものだ!」

「「「おおおおおっ!」」」

村人たちから地鳴りのような雄叫びが上がった。

「ならば答えは一つだ! 俺たちの楽園は俺たちの手で守る! 武器を取れ! 戦う覚悟を決めろ! エデンの民の底力を見せてやろう!」

俺の言葉が村人たちの心に最後の火を灯した。

夜が明けた。
東の空が血のように赤く染まり始めている。

俺たちは完成したばかりの防壁の上に立っていた。その眼下には地平線の向こうから、黒い蟻の行列のようにゆっくりとこちらへ近づいてくるバルカスの軍勢が見えた。土埃が朝日に照らされて不吉にきらめいている。

戦いの火蓋が切られようとしていた。

俺は隣に立つ仲間たちの顔を見た。セレスティア、ルナリエル、アイリス、ソフィア。彼女たちの瞳には何の迷いもなかった。

「……さあ、始めようか」

俺は静かに呟いた。

「俺たちの、最初の防衛戦を」
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