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第73話 要塞陥落
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俺が一人、鐘楼の上で答えの出ない問いに苦悩している間にも、世界の崩壊は無慈悲な速度で進行していた。
◆
王国北方、王都アークライトへの最後の防衛線、『鉄壁』と謳われた城塞都市ガレリア。
分厚い花崗岩で築かれた三重の城壁。城壁の上には最新鋭の魔導カノン砲が百門以上も並び、城内には王国騎士団の中でも最も屈強な北伐軍と呼ばれる一万の兵士が常駐している。たとえ魔王軍の本隊が攻めてきたとしても、数年は持ちこたえることができると誰もが信じていた難攻不落の要塞。
その城壁の上に、北伐軍の司令官であるグランヴィル将軍が立っていた。歴戦の古強者である彼の顔には、深い疲労と隠しきれない焦りの色が浮かんでいた。
眼下に広がる平原を黒い津波が埋め尽くしている。呪詛の魔将ヴラドの軍勢だ。彼らはガレリアの城壁を前にして進軍を止めていた。だが、それは攻城兵器の準備のためでも、陣形を整えるためでもない。ただ、不気味に静かにこちらを窺っているだけだった。
「……何を企んでいる、奴らは」
グランヴィル将軍が忌々しげに呟く。
ヴラドの呪詛の恐ろしさは報告で嫌というほど聞かされていた。だが、このガレリアには王都の大聖堂から派遣された高位の神官たちが、城塞全体を覆う強力な対呪詛用の防護結界を展開している。物理的な城壁と魔法的な結界。二重の守りがある限り、この要塞が落ちることはない。そう彼は自分に言い聞かせていた。
その時だった。
敵陣の中心から漆黒の翼を持つヴラド本人が、ゆっくりと空へと舞い上がった。その姿は遥か遠くにあったが、不思議とその場にいる全ての兵士が彼の姿を鮮明に認識することができた。
ヴラドは難攻不落の要塞を、まるで子供の砂の城でも見るかのように面白そうに見下ろしていた。
そして、その唇が嘲るように動いた。
『――聞こえるか、人間どもよ』
その声は物理的な音波ではなく、直接城内の全ての者たちの脳に響き渡った。兵士たちがざわめき、恐怖に顔を引きつらせる。
『その結界、見事なものだ。我が下級の呪詛であれば、あるいは防げたやもしれぬな。だが……』
ヴラドは楽しそうに続けた。
『お前たちは根本的な間違いを犯している。呪いとは外から来るものだけではないのだと。本当の恐怖とは、お前たち自身の内側から生まれるのだということを』
彼はゆっくりと、その指を一本ぱちんと鳴らした。
そのあまりにも些細な合図。
だが、それが鉄壁の要塞を内側から崩壊させる破滅の引き金となった。
城塞都市ガレリアの内部で。
何の前触れもなく、異変は始まった。
まず、城壁の上で魔導カノンを構えていた砲兵の一人が、突然喉を押さえて苦しみだした。
「か……はっ……。み、水……」
彼は激しい喉の渇きを訴え、その場に倒れ込んだ。だが、彼がいくら水を飲んでもその渇きは癒えない。彼の身体はまるで干上がるかのように急速に水分を失い、やがてミイラのように変わり果てて動かなくなった。
その異常事態は伝染病のように次々と兵士たちの間に広がっていった。
「目が……目が見えない!」
突然視力を失いパニックに陥る者。
「足が……足が動かん!」
自分の意思とは関係なく身体が石のように硬直していく者。
「寒い……寒い……寒い……」
真夏のような日差しの中で凍えるように震えながら絶命する者。
それらは全て、兵士たちが心の奥底で無意識に抱えていた、ごく些細な『不安』だった。
『矢が目に当たったらどうしよう』『高所から足を踏み外したらどうしよう』『この北の寒さで凍え死んだらどうしよう』。
ヴラドの呪いはそれらの微細な不安の種を強制的に芽吹かせ、現実のものとして彼らの肉体に顕現させたのだ。
「こ、これは……一体……」
グランヴィル将軍は目の前で次々と倒れていく部下たちの姿に言葉を失った。対呪詛用の結界は何一つ反応を示していない。呪いは外から来たのではない。兵士たちの内側から発生したのだ。
阿鼻叫喚の地獄。
だが、本当の地獄はこれからだった。
ヴラドは満足げにその光景を眺めると、今度は砦の中心にある最も強固な結界が張られた神殿へとその意識を向けた。
神殿の中では十数人の高位神官たちが必死に祈りを捧げ、防護結界を維持していた。
「聖なる光よ、我らを守りたまえ……!」
その時、彼らの中の一番若い神官がふと疑問を口にした。
「……本当にこの祈りで我々は守られるのでしょうか……?」
それは極限状態の中で生まれた、ほんの僅かな信仰への疑念だった。
その瞬間を、ヴラドは見逃さなかった。
『――そうだ。お前たちの神など無力だ』
声が若い神官の脳に直接響く。
「ひっ……!」
神官の瞳に恐怖の色が浮かんだ。その一瞬の動揺が完璧だったはずの結界に、針の穴ほどの小さな亀裂を生んだ。
そして、その亀裂からヴラドの本格的な呪詛が濁流となって神殿の中へと流れ込んできた。
「ぐ……あああああっ!」
神官たちが次々と血を吐いて倒れていく。彼らの信仰心そのものが呪いによって汚染され、彼らを内側から破壊していったのだ。
やがて、結界を維持する者が一人もいなくなった。
ブツン、と糸が切れるような音がして、城塞都市ガレリアを覆っていた聖なる結界が完全に消滅した。
守りを失った。
「……終わりだ」
グランヴィル将軍は絶望に膝をついた。
空に浮かぶヴラドが最後の宣告を下す。
『――さて、仕上げだ。お前たちの心に巣食う最後の感情。『絶望』を、たっぷりと味わわせてやろう』
彼が手を振るうと、城内に残っていたまだ正気を保っていた最後の兵士たちの心から、希望という感情が完全に抜き取られた。
彼らは剣を捨てた。盾を捨てた。そして、生きる意志そのものを捨てた。
ただ虚ろな目で、ゆっくりと開かれていく城門を眺めているだけだった。
魔王軍は一人の犠牲者も出すことなく、血を一滴も流すことなく、難攻不落の『鉄壁』の要塞をその手中に収めた。
陥落までに要した時間は、わずか一日。
その衝撃的なニュースは王国中に絶望の雷となって轟いた。
ガレリアが落ちた。
王都までの道筋には、もはや魔王軍を阻むものは何も無い。
王国の滅亡は、もはや時間の問題となった。
◆
王国北方、王都アークライトへの最後の防衛線、『鉄壁』と謳われた城塞都市ガレリア。
分厚い花崗岩で築かれた三重の城壁。城壁の上には最新鋭の魔導カノン砲が百門以上も並び、城内には王国騎士団の中でも最も屈強な北伐軍と呼ばれる一万の兵士が常駐している。たとえ魔王軍の本隊が攻めてきたとしても、数年は持ちこたえることができると誰もが信じていた難攻不落の要塞。
その城壁の上に、北伐軍の司令官であるグランヴィル将軍が立っていた。歴戦の古強者である彼の顔には、深い疲労と隠しきれない焦りの色が浮かんでいた。
眼下に広がる平原を黒い津波が埋め尽くしている。呪詛の魔将ヴラドの軍勢だ。彼らはガレリアの城壁を前にして進軍を止めていた。だが、それは攻城兵器の準備のためでも、陣形を整えるためでもない。ただ、不気味に静かにこちらを窺っているだけだった。
「……何を企んでいる、奴らは」
グランヴィル将軍が忌々しげに呟く。
ヴラドの呪詛の恐ろしさは報告で嫌というほど聞かされていた。だが、このガレリアには王都の大聖堂から派遣された高位の神官たちが、城塞全体を覆う強力な対呪詛用の防護結界を展開している。物理的な城壁と魔法的な結界。二重の守りがある限り、この要塞が落ちることはない。そう彼は自分に言い聞かせていた。
その時だった。
敵陣の中心から漆黒の翼を持つヴラド本人が、ゆっくりと空へと舞い上がった。その姿は遥か遠くにあったが、不思議とその場にいる全ての兵士が彼の姿を鮮明に認識することができた。
ヴラドは難攻不落の要塞を、まるで子供の砂の城でも見るかのように面白そうに見下ろしていた。
そして、その唇が嘲るように動いた。
『――聞こえるか、人間どもよ』
その声は物理的な音波ではなく、直接城内の全ての者たちの脳に響き渡った。兵士たちがざわめき、恐怖に顔を引きつらせる。
『その結界、見事なものだ。我が下級の呪詛であれば、あるいは防げたやもしれぬな。だが……』
ヴラドは楽しそうに続けた。
『お前たちは根本的な間違いを犯している。呪いとは外から来るものだけではないのだと。本当の恐怖とは、お前たち自身の内側から生まれるのだということを』
彼はゆっくりと、その指を一本ぱちんと鳴らした。
そのあまりにも些細な合図。
だが、それが鉄壁の要塞を内側から崩壊させる破滅の引き金となった。
城塞都市ガレリアの内部で。
何の前触れもなく、異変は始まった。
まず、城壁の上で魔導カノンを構えていた砲兵の一人が、突然喉を押さえて苦しみだした。
「か……はっ……。み、水……」
彼は激しい喉の渇きを訴え、その場に倒れ込んだ。だが、彼がいくら水を飲んでもその渇きは癒えない。彼の身体はまるで干上がるかのように急速に水分を失い、やがてミイラのように変わり果てて動かなくなった。
その異常事態は伝染病のように次々と兵士たちの間に広がっていった。
「目が……目が見えない!」
突然視力を失いパニックに陥る者。
「足が……足が動かん!」
自分の意思とは関係なく身体が石のように硬直していく者。
「寒い……寒い……寒い……」
真夏のような日差しの中で凍えるように震えながら絶命する者。
それらは全て、兵士たちが心の奥底で無意識に抱えていた、ごく些細な『不安』だった。
『矢が目に当たったらどうしよう』『高所から足を踏み外したらどうしよう』『この北の寒さで凍え死んだらどうしよう』。
ヴラドの呪いはそれらの微細な不安の種を強制的に芽吹かせ、現実のものとして彼らの肉体に顕現させたのだ。
「こ、これは……一体……」
グランヴィル将軍は目の前で次々と倒れていく部下たちの姿に言葉を失った。対呪詛用の結界は何一つ反応を示していない。呪いは外から来たのではない。兵士たちの内側から発生したのだ。
阿鼻叫喚の地獄。
だが、本当の地獄はこれからだった。
ヴラドは満足げにその光景を眺めると、今度は砦の中心にある最も強固な結界が張られた神殿へとその意識を向けた。
神殿の中では十数人の高位神官たちが必死に祈りを捧げ、防護結界を維持していた。
「聖なる光よ、我らを守りたまえ……!」
その時、彼らの中の一番若い神官がふと疑問を口にした。
「……本当にこの祈りで我々は守られるのでしょうか……?」
それは極限状態の中で生まれた、ほんの僅かな信仰への疑念だった。
その瞬間を、ヴラドは見逃さなかった。
『――そうだ。お前たちの神など無力だ』
声が若い神官の脳に直接響く。
「ひっ……!」
神官の瞳に恐怖の色が浮かんだ。その一瞬の動揺が完璧だったはずの結界に、針の穴ほどの小さな亀裂を生んだ。
そして、その亀裂からヴラドの本格的な呪詛が濁流となって神殿の中へと流れ込んできた。
「ぐ……あああああっ!」
神官たちが次々と血を吐いて倒れていく。彼らの信仰心そのものが呪いによって汚染され、彼らを内側から破壊していったのだ。
やがて、結界を維持する者が一人もいなくなった。
ブツン、と糸が切れるような音がして、城塞都市ガレリアを覆っていた聖なる結界が完全に消滅した。
守りを失った。
「……終わりだ」
グランヴィル将軍は絶望に膝をついた。
空に浮かぶヴラドが最後の宣告を下す。
『――さて、仕上げだ。お前たちの心に巣食う最後の感情。『絶望』を、たっぷりと味わわせてやろう』
彼が手を振るうと、城内に残っていたまだ正気を保っていた最後の兵士たちの心から、希望という感情が完全に抜き取られた。
彼らは剣を捨てた。盾を捨てた。そして、生きる意志そのものを捨てた。
ただ虚ろな目で、ゆっくりと開かれていく城門を眺めているだけだった。
魔王軍は一人の犠牲者も出すことなく、血を一滴も流すことなく、難攻不落の『鉄壁』の要塞をその手中に収めた。
陥落までに要した時間は、わずか一日。
その衝撃的なニュースは王国中に絶望の雷となって轟いた。
ガレリアが落ちた。
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