バグズ・グリモワール・オンライン 〜エラー報告が趣味の俺、バグを喰らう魔書(グリモワール)を授かり最強のイレギュラーになる〜

夏見ナイ

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第9話 歪みの捕食者

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脳を直接かき混ぜられるような激痛。
視界を埋め尽くす、意味をなさない文字列とノイズの嵐。
『バグズ・グリモワール』を通して逆流してくる破損データの奔流は、俺の精神を限界まで削り取っていく。もはや立っているのがやっとだった。歯を食いしばる音だけが、やけに大きく耳に響く。

だが、俺はグリモワールを離さなかった。
それどころか、さらに強く、黒い魔書を握りしめる。
痛い。苦しい。意識が飛びそうだ。
しかし、それ以上に、俺の全身を駆け巡るこの感覚――未知のシステムが解明されていく、この抗いがたいほどの快感が、俺を支えていた。

「おおおおっ!」

俺の叫びに呼応するように、グリモワールから放たれる黒い影の勢いがさらに増した。
これまで抵抗を続けていた人型のバグが、悲鳴のようなノイズを上げた。その崩壊したポリゴンの体が、影に喰われる端からボロボロと崩れていく。
背後で脈動していた黒い沼もまた、急速にその体積を失い、俺の魔書の中へと吸い込まれていった。

数分にも、数時間にも感じられた攻防。
やがて、最後のノイズが断末魔のように響き渡ると、人型のバグと黒い沼は跡形もなく消え去っていた。
後に残されたのは、崩れた壁の向こうに広がる、ダンジョンの本来の石造りの通路と、絶対的な静寂だけだった。

「はぁ……っ、はぁ……」

俺は膝から崩れ落ち、荒い息を繰り返した。全身が鉛のように重く、MPゲージも完全に底をついている。もし、あの黒いバグがもう少しだけしぶとかったら、俺の方が精神崩壊を起こしていただろう。

呆然と、その光景を見つめていた『ラグナロク』のメンバーたちが、ようやく我に返ったようにざわめき始める。
「消えた……?」
「一体、何が起こったんだ……」
彼らの視線は、もはや俺を「不届き者」としてではなく、理解不能な「何か」として見ていた。
ヴォルフガングだけが、険しい表情のまま、俺と、俺が手に持つ黒い魔書を、食い入るように見つめていた。

俺が息を整えていると、手の中のグリモワールが再び光を放ち始めた。
これまでとは違う、深く、そして禍々しい光。
俺はふらつく体でページを開く。
新たに描き込まれていたのは、スキルではなかった。
それは、断片的な映像と、キーワードの羅列だった。

【Trace Log: "Noah"】
【Keyword: "System cleansing" "False paradise" "Vengeance"】

そして、脳裏に流れ込んできたのは、明確な「悪意」の奔流だった。
憎悪。絶望。そして、この世界そのものに対する、底なしの復讐心。
あの黒いバグは、自然発生したエラーなどではない。
『ノア』と名乗る何者かが、意図的に、この世界を破壊するために創り出した、呪いのプログラムだ。

「……そういうことか」

俺は、全てを察した。
このグリモワールは、ただのバグハント用のチートアイテムではない。
おそらくは、この『ノア』が生み出す悪性のバグに対抗するために、この世界の自浄作用か、あるいは別の誰かが用意した、唯一の「ワクチン」なのだ。

俺が世界の真実に一歩近づいた、その時だった。
「――貴様は、何者だ」
ヴォルフガングが、ゆっくりと俺に歩み寄ってきた。彼の声には、先ほどまでの怒りや軽蔑ではなく、純粋な問いと、わずかな警戒の色が混じっていた。
彼の背後では、ギルドメンバーたちが【データ汚染】の状態異常に苦しむ仲間を介抱している。

「……見ての通り、ただのプレイヤーだ」
「嘘をつけ。プレイヤーに、あのような真似ができるものか。あの黒い化け物を消し去ったその力、その魔書は、一体何なのだ」
彼の問いは、もっともだった。
だが、俺にそれを説明する義理はない。そもそも、俺自身、このグリモワールの全てを理解しているわけではないのだ。

「あんたたちに教える必要はない。それより、仲間を連れてとっとと街に戻った方がいいんじゃないか? その状態異常、普通の回復魔法じゃ治らないんだろう」
俺が指摘すると、ヴォルフガングはぐっと唇を噛んだ。
彼のプライドが、俺に助言されることを許さない。だが、仲間の危機という現実も、彼を苛んでいた。

ヴォルフガングはしばらく俺を睨みつけていたが、やがて、苦渋の決断を下したようだった。
「……撤退する」
彼は部下たちに短く命じた。
「ヴォルフ!」
「しかし!」
反対の声を上げる者もいたが、彼はそれを手で制した。
「命令だ。負傷者の治療を最優先する。こいつのことは、後でいい」
その言葉には、王としての決断の重みがあった。ギルドメンバーたちは、不満げながらもその命令に従い、撤退の準備を始める。

ヴォルフガングは、去り際に再び俺の方を向いた。
その瞳は、もはや俺を単純な敵とは見ていなかった。解き明かすべき、巨大な謎として捉えている。
「マコト、と言ったか。今日のところは見逃してやる。だが、忘れるな。貴様のその異質な力が、この世界の秩序にとって益となるか、害となるか、我々『ラグナロク』が常に見定めさせてもらう」
それは、一方的な監視の宣言だった。
「好きにすればいい」
俺は肩をすくめて答えた。

彼らがダンジョンから去っていく足音を聞きながら、俺は大きく息を吐いた。
面倒な連中に目をつけられたものだ。だが、今はそれどころではない。
俺は改めて、手の中の『バグズ・グリモワール』を見つめた。

歪みを喰らう魔書。
『ノア』という謎の存在。
意図的にばらまかれる、世界を蝕む黒いバグ。

俺はただ、自分の知的好奇心を満たすために、バグを探していただけのはずだった。
だが、どうやら、俺はこの世界の、もっと根深い問題に首を突っ込んでしまったらしい。

「……面白い」

俺の口元に、自然と笑みが浮かんだ。
面倒だ。危険だ。そう思う一方で、プログラマーとしての俺の魂が、これ以上ないほどの挑戦者を前にして、歓喜に打ち震えていた。
『ノア』。そいつがどれほどの天才かは知らないが、俺の探求の対象として、不足はないだろう。

俺が立ち上がろうとした、その時。
黒いバグが消え去った場所、その空間がぐにゃりと歪み、中から一体の巨大なモンスターが姿を現した。
全身が鎧のような甲殻で覆われた、巨大なサソリ。その尾の先には、毒々しい紫色の針が鈍く光っている。HPバーには【ダンジョンガーディアン・スコルピウス】と表示されていた。レベルは30。このダンジョンの、本来のボスだろう。

スコルピウスは、突如として現れた俺を敵と認識し、威嚇するように巨大なハサミを打ち鳴らした。
シャキィィン!という甲高い音が、静まり返った広間に響き渡る。

MPは空っぽ。体力も限界に近い。
絶体絶命の状況。
だが、俺は不敵に笑った。

「あんたはバグじゃない。正規のデータだ。なら、倒し方も正規のやり方でいい」

俺の視線は、スコルピウスそのものではなく、その周囲の環境――壁の構造、天井の高さ、床の材質――を、舐めるように分析していた。
プログラマーの戦いは、まだ始まったばかりだ。
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