バグズ・グリモワール・オンライン 〜エラー報告が趣味の俺、バグを喰らう魔書(グリモワール)を授かり最強のイレギュラーになる〜

夏見ナイ

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第10話 知略のソロプレイ

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ダンジョンガーディアン・スコルピウス。
黒いバグが消えたことで解放された、この水道橋の正規の番人。
その巨大なハサミが威嚇するように打ち鳴らされ、俺の鼓膜を不快に震わせる。MPはゼロ、体力は風前の灯火。初期装備のショートソードでは、あの分厚い甲殻に傷一つつけられないだろう。

絶望的な戦力差。
だが、俺の思考は不思議なほど澄み切っていた。
プログラマーにとって、リソースが限られている状況は、むしろ腕の見せ所だ。最小限のコストで、最大限の結果を出す。それが、美しいコードというものだ。

「まずは、情報収集からだ」

俺はスコルピウスから距離を取り、広間を大きく回り込むように走り出した。
AGIに振ったステータスが、ここで活きてくる。
スコルピウスは巨体に似合わぬ速度で俺を追尾し、射程に入ったと判断するや、その巨大なハサミを薙ぎ払ってきた。

ブォン!と、空気を切り裂く重い音。
俺は身を屈めてそれを回避する。ハサミが通り過ぎた後、すぐさま距離を取る。
「攻撃パターンA:近距離での大ぶりなハサミによる薙ぎ払い。予備動作が大きく、回避は容易だが、範囲が広い」

俺が距離を取ったのを見て、スコルピウスは行動を切り替えた。
尾の先にある毒針が、不気味な紫色の光を放つ。
シュッ!と短い音を立てて、毒液の弾丸が三発、俺に向かって飛来した。
俺は左右へのステップでそれを回避する。毒液が着弾した床の石畳が、ジュウ、と音を立てて溶けていった。

「攻撃パターンB:中距離での毒液射出。弾速はそこそこだが、直線的。着弾点に持続ダメージのある地形効果を発生させる、か」

回避に専念しながら、俺はスコルピウスのAI(思考ルーチン)を分析していく。
正規のボスモンスターである以上、その行動には必ず法則性がある。開発者が設定した、優先順位とトリガーが存在するはずだ。

数分間、鬼ごっこを繰り返す。
その中で、俺は一つの確信を得た。
このスコルピウスのAIは、ひどく「直線的」だ。ターゲットである俺との間に障害物がない場合、最短距離での攻撃を最優先するようプログラムされている。回り込んだり、フェイントをかけたりといった、複雑な思考は持ち合わせていない。
おそらく、この閉鎖されたダンジョンでの運用を前提に、処理負荷を軽くするために簡略化されたAIなのだろう。

「……見つけたぞ、お前の『仕様書』を」

俺はニヤリと笑うと、走りながら広間の構造を改めて確認する。
この広間は、かつて巨大な水道橋を支えていた名残で、天井を支える太い石柱が何本も立っている。そのほとんどは頑丈そうだが、中にはひび割れ、明らかに耐久度が低そうなものが数本混じっていた。

作戦は決まった。
俺は、最も脆そうな石柱を目がけて一直線に走る。
そして、その柱の影にピタリと身を隠した。

俺の姿が視界から消えたことで、スコルピウスの動きが止まる。索敵モードに入ったのだろう、キョロキョロと辺りを見回している。
だが、その索敵ルーチンも単純なものらしかった。最後にターゲットを見失った地点を中心に、一定範囲を捜索するだけ。
俺は息を殺し、スコルピウスが俺の潜む柱に近づいてくるのを待った。

やがて、スコルピウスが柱のすぐそばまでやってきた。
――今だ!
俺は柱の影から飛び出し、再びその巨体を晒す。
「こっちだ、ブリキのサソリ!」

俺を再認識したスコルピウスのAIは、即座に最も効率的な攻撃を選択した。
至近距離にいる俺に対し、巨大なハサミを振りかぶる。
攻撃パターンA。予備動作の大きい、薙ぎ払い。

俺は、ハサミが振り下ろされる直前に、バックステップで柱の背後へと再び退避した。
スコルピウスのAIは、俺の回避行動を予測できない。ただ、目の前のターゲットを攻撃することしか頭にない。
結果、振り下ろされた巨大なハサミは、俺ではなく、俺が隠れていた石柱へと叩きつけられた。

ゴッ!と、鈍い衝撃音。
そして、メキメキと石が砕ける嫌な音。
ひび割れていた石柱が、スコルピウスの一撃によって半ばからへし折れる。

ギシギシ、と天井が軋む音を立て、バランスを失った天井の一部が、轟音と共に崩落した。
大量の瓦礫が、攻撃を放った直後で硬直していたスコルピウスの頭上へと降り注ぐ。

――ガッ、ガガガガガッ!

「ギシャアアアアッ!」
スコルピウスが、初めて苦痛の叫び声を上げた。
分厚い甲殻も、天井からの無数の瓦礫の直撃には耐えられなかったらしい。そのHPゲージが、一気に三割ほど削り取られたのが見えた。

「よし、狙い通りだ」

俺は内心でガッツポーズをした。
俺は一切、攻撃していない。ただ、ボスのAIの穴を突き、その攻撃を「利用」して、ダンジョンの環境そのものを武器にしただけだ。
これはチートでも、バグ利用でもない。観察眼と発想力、そしてほんの少しの知識があれば誰にでも可能な、純粋な「知略」だ。

怒りに燃えるスコルピウスが、瓦礫の中から身を起こし、俺を睨みつける。その赤い複眼は、憎悪で爛々と輝いていた。
俺は再び走り出し、次の脆い柱へと向かう。

同じことの繰り返しだった。
俺は柱の影に隠れ、スコルピウスをおびき寄せ、その攻撃を柱に誤爆させる。
二本目の柱が砕け、天井が崩落した時、スコルピウスのHPは残り半分を切っていた。
三本目の柱が崩れた時、そのHPは残り一割、瀕死の状態に陥っていた。

スコルピウスは、もはや満身創痍だった。甲殻のあちこちは砕け散り、動きも明らかに鈍くなっている。
だが、その目はまだ死んでいなかった。
最後の力を振り絞るように、天に向かって咆哮する。

「ギシャアアアアアアアアアッ!」

AIが、最終行動パターンに移行したのだろう。
スコルピウスは、ハサミも毒も使わず、ただひたすらに、俺に向かって猛然と突進を始めた。全てを賭けた、最後の突撃だ。
その直線的な軌道の先、俺の背後にあるのは、この広間の固い壁。回避する場所はない。

「……これで、チェックメイトだ」

俺は、迫り来るスコルピウスから目を離さず、ゆっくりとショートソードを構えた。
MPは、この数分間でほんの僅かだけ回復している。【テクスチャ・ウォーク】を使うには、全く足りない。
だが、それでいい。

スコルピウスの巨体が、数メートル先まで迫る。
その突進が俺の身体を貫く、まさに0.1秒前。
俺は、ただ真横に、半歩だけ、ステップした。

俺の身体を掠めるようにして通り過ぎたスコルピウスは、その勢いを殺すことができない。
単純で、直線的なAIは、最後の最後まで、俺の最小限の動きに対応できなかった。

――ゴオオオオオオンッ!!

凄まじい衝突音と共に、ダンジョン全体が再び揺れた。
スコルピウスの巨体は、広間の壁に激突し、その反動で跳ね返ると、ぐったりと動かなくなった。
HPゲージがゼロになり、その巨大な身体が、ゆっくりと青い光の粒子となって霧散していく。

【ダンジョンガーディアン・スコルピウスを討伐しました】
【経験値2000を獲得しました】
【称号:ボススレイヤー(ソロ)を獲得しました】

静寂が戻った広間の中心に、ボスモンスターがドロップした宝箱が出現した。
俺はその場にへたり込み、大きく息を吐いた。
「……疲れた」
MPも体力も、精神も、全てを使い果たした。だが、心地よい達成感が、その疲労を上回っていた。

俺はゆっくりと立ち上がり、宝箱に近づいて蓋を開ける。
中に入っていたのは、数本のポーションとそこそこの金額のG、そして、一冊の古びた本だった。

──────────────
【アイテム名】古びた設計図
【種別】重要アイテム
【説明】
かつて、『アルモニカ大水道』の建設を指揮した技師が遺した設計図の一部。特殊なインクで書かれており、普通の人間には読むことができない。
──────────────

「設計図……?」

何に使うものかは分からないが、ユニークアイテムではなさそうだ。俺はそれをアイテムストレージに放り込むと、ダンジョンの出口へと向かって歩き出した。
目的は果たした。そろそろ、この薄暗い場所から出たい。

数十分後、俺は再び、あの古井戸から這い出してきた。
降り注ぐ太陽の光が、やけに目に染みる。

俺はそのまま、何気なくフォーラム(掲示板)を開いた。
自分の行動が、何か騒ぎになっていないか確認するためだ。
そして、目に飛び込んできたスレッドのタイトルに、俺は思わず目を見開いた。

【【速報】最強ギルド『ラグナロク』、隠しダンジョンで謎のプレイヤーに敗走か!?】
【【目撃情報】『始まりの街』に現れたチーター? プレイヤー『マコト』の謎】
【【考察】黒いノイズのモンスターの正体とは? 新イベントの前触れか?】

スレッドは、凄まじい勢いで伸びていた。
そこには、俺と『ラグナロク』の遭遇、そして俺が「黒いバグ」を消し去った(ように見えた)一部始終が、尾ひれを付けて書き連ねられていた。
俺は、いつの間にか、この世界の誰もが注目する、謎のプレイヤーになっていた。

「……噂になる、ね」

ヴォルフガングの言葉が、脳裏に蘇る。
どうやら、俺の平穏なバグ探しの旅は、もう終わりを迎えたらしい。
俺は空を見上げ、不敵な笑みを浮かべた。
望むところだ。この世界の謎、そして『ノア』という存在。その全てを、この手で解き明かしてやる。
俺の、本当の冒険が、今、始まった。
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