私、ヒロインではなく悪役令嬢のお母様に転生したみたい。娘を全力で幸せにします!

夏見ナイ

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第57話 母の教え

黒幕の真の目的が判明して以来、エルグランド公爵邸は静かな嵐の中枢と化していた。
レオナルドは来るべき学園祭での決戦に向け、水面下で周到な準備を進めていた。
公爵家の私兵部隊が密かに王都近郊へと集結する。諜報部隊「影」はウロボロスの紋章に関する情報を求め、大陸中の闇社会へとその触手を伸ばしていた。
その全てが極秘裏に、そして恐るべき速度で進行していく。夫が外堀を埋める間、私にもまた母親として、そしてこの戦いの当事者として果たさねばならない役目があった。

私は何も知らないイザベラを週末利用して屋敷へと呼び戻した。
表向きの理由は学園祭で着るドレスの仮縫い。だが、本当の目的は別の場所にあった。それは娘に自らの身を守るための最後の「武器」を授けることだった。

「まあ、素敵ですわ、お母様。この青、わたくしの瞳の色と同じですね」
客間で新しいドレスのデザイン画を前に、イザベラは無邪気な笑顔を浮かべていた。
学園での騒動の傷は友人たちの支えもあって、すっかり癒えているように見える。その屈託のない笑顔を見ていると、これから私が彼女に課そうとしている試練の重さに胸が締め付けられた。
だが、やらなければならない。甘いだけの愛情は時として毒になる。真の愛とは時に非情なまでの強さを相手に求めることでもあるのだから。

「ええ、きっと似合うわ。ですが、イザベラ。その前に少しお母様のお話を聞いてちょうだい」
私はデザイン画をそっと脇に置くと、娘の目を真っ直ぐに見つめた。
そのただならぬ雰囲気に、イザベラも真剣な表情へと変わる。私たちは場所を書斎へと移した。そこはかつて私が『お母様先生』として彼女に世界の成り立ちを教えた、思い出の場所だった。

「イザベラ。あなたは、この国で最も強大な魔力を持つ人間の一人よ。その力は多くの人を救うこともできれば、多くの人を傷つけることもできる諸刃の剣」
私は静かに切り出した。
「そしてその強すぎる光は時として、闇に蠢く者たちの欲望を惹きつけてしまう。あなたのその力を己の邪な目的のために利用しようと企む者たちが、この世には存在するの」
私は黒幕の存在を直接的に語りはしなかった。まだその重すぎる真実を彼女に背負わせるわけにはいかない。だが、漠然とした脅威がすぐそこに迫っていることは伝えなければならなかった。

イザベラは黙って私の話に耳を傾けていた。その聡明な瞳は私の言葉の裏にある、深刻な意味を正確に読み取ろうとしていた。
「わたくしは……どうすればよろしいのでしょうか」
「自分を守りなさい」
私はきっぱりと言った。
「魔法の力だけでは人は自分を守りきれないわ。真に恐ろしい敵は、人の心の隙間に甘い言葉や偽りの同情と共に忍び込んでくるものだから」
私は本棚から一冊の、何の変哲もない歴史書を取り出した。そしてそのページを開く。
「今日はあなたに、人の嘘を見抜く術を教えます」

それは心理学と交渉術。前世で私がビジネスという名の戦場で生き抜くために身につけた、人間観察の技術だった。
「いい、イザベラ。人が嘘をつく時、その体には必ず微細な変化が現れるわ。視線が不自然に彷徨ったり、逆に相手を射抜くように凝視したり。無意識に鼻や口元に触れる回数が増えたりもする」
私は具体的な例を挙げながら、非言語コミュニケーションの重要性を説いた。
「言葉そのものよりも、その言葉が発せられる時の相手の呼吸のリズム、声のトーン、瞳の奥の微かな揺らぎ。そこにこそ真実が隠されているのよ」

イザベラは食い入るように私の話を聞いていた。その目は新しい知識を吸収しようとする、知的な探究心で輝いている。
「ですが、お母様。それだけでは相手がただ緊張しているだけなのか、嘘をついているのか見分けるのは難しいのでは?」
「その通りよ。だから次に必要なのが『質問』の技術」
私は指を一本立てた。

「相手を追い詰めてはいけないわ。あくまで自然な会話の中で核心に触れる質問を、さりげなく投げかけるの。そして、その質問に対する相手の反応を注意深く観察する。特に有効なのは、相手の答えをわざと少しだけ間違えて言い返してあげることよ」
「間違えて?」
「ええ。『あなたは、あの時Aという場所にいたとおっしゃいましたわね』と。もし相手が本当にAにいたのなら、すぐに『いいえ、Bです』と訂正するでしょう。でももし嘘をついているのなら、その咄嗟の訂正ができず一瞬思考が停止するはずよ。そのコンマ数秒の遅れこそが、嘘のサインなの」

それは私が前世で何度も使ってきた尋問にも似たテクニックだった。
こんな術を、まだ十五歳の純粋な娘に教えることへの罪悪感がなかったわけではない。だが、これから彼女が生き抜いていかなければならない世界は、お伽話のように美しいだけの場所ではないのだ。彼女の純粋さを守るためにこそ、彼女は人の心の闇を知る必要がある。

その日の午後、私たちは一日中書斎に籠った。
私は様々な状況を想定したロールプレイングで、彼女に実践的な訓練を施した。私が嘘つきの貴族になり、彼女がそれを見抜く。最初は戸惑っていたイザベラもその驚異的な学習能力で、みるみるうちにコツを掴んでいった。彼女の聡明な頭脳は魔法理論だけでなく、人の心の機微を読み解くことにおいても天才的な才能を発揮したのだ。

夕暮れ時、最後の訓練を終えた時。イザベラの瞳には以前とは質の違う、強い光が宿っていた。それはただ純粋なだけではない、世界の複雑さと人の心の闇を理解した上で、それでもなお人を信じようとする真の強さを秘めた光だった。
「……ありがとうございました、お母様」
彼女は深々と私に頭を下げた。
「今日わたくしが学んだことは、どんな魔法よりもわたくしを守る力になるでしょう。決して忘れません」
その凛とした姿に私は胸がいっぱいになった。
ああ、この子ならきっと大丈夫だ。どんな困難が待ち受けていようと、彼女は自分の力で未来を切り拓いていける。

「いいえ。礼を言うのは私の方よ」
私はそっと娘を抱きしめた。
「こんなに聡明で強い娘に育ってくれて、ありがとう」
その腕の中で、イザベラはこくりと頷いた。
母から娘へ。それはただの知識の伝達ではなかった。一つの魂が次の世代の魂へと、生き抜くための知恵とそして何よりも深い愛を受け継いだ瞬間だった。この教えがやがて来る決戦の日に彼女の命を救う一筋の光となることを、私はただ静かに祈るだけだった。
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