悪役貴族? いえ、ただの合理主義者ですが何か? ~冷徹と呼ばれる俺の改革が、いつの間にか国を豊かにし聖女にまで懐かれる件~

夏見ナイ

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第16話:輪作と品種改良

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試験農場での圧倒的な結果は、領内全土に衝撃と共に伝わった。
頑固な村長たちがゼノンの前でひれ伏したという事実は、何より雄弁な説得材料となった。抵抗の声は急速に鳴りを潜め、領内のほとんどの村が、競うようにしてゼノンの提唱する新農法を導入し始めた。

領地代官補佐のマルクは、人生で最も多忙な日々を送っていた。
彼は領内を馬で駆け回り、村から村へと移動しながら、石灰の正しい散布量や、効果的な堆肥の作り方を指導して回った。農民たちの目は、以前の疑心暗鬼に満ちたものから、期待と、そしてゼノンへの畏怖が入り混じった複雑な色へと変わっていた。

「マルク様! 本当に土が、土が柔らかくなりました!」
「この堆肥とやらは凄い。今まで捨てていた雑草が、宝の山に見えてきたぞ」

農民たちの喜びの声を聞くたび、マルクの胸は熱くなった。
ゼノン様の改革は、間違っていない。このお方についていけば、我々は長年の貧しさから抜け出せる。その確信が、彼の疲労を忘れさせていた。

その日、ようやく屋敷に戻ったマルクは、すぐにゼノンの執務室へと呼び出された。
「ご苦労。領内の様子は報告書で読んだ。計画は概ね順調のようだな」
ゼノンは、山のような書類に目を通しながら、労いの言葉とも事務連絡ともつかない口調で言った。
「はっ! 全てはゼノン様のご指導の賜物です!」

マルクが感激した様子で頭を下げると、ゼノンはペンを置き、彼に向き直った。
「だが、現状に満足するな。今のやり方は、あくまでマイナスをゼロに戻したに過ぎない。ここからは、ゼロをプラスに、それも最大値にまで引き上げるフェーズだ」
「……と、おっしゃいますと?」

ゼノンは一枚の新しい羊皮紙をマルクの前に差し出した。
「お前に問う。毎年同じ畑で、同じ小麦を作り続けること。これの何が問題か、説明してみろ」
突然の問いに、マルクは戸惑った。
「え……それは、先祖代々受け継がれてきた、当たり前のやり方ですが……」
「だから、その当たり前が非効率だと言っているんだ」

ゼノンは、呆れたようにため息をついた。
「いいか、よく聞け。作物にはそれぞれ、土から特定の養分を多く吸収するという性質がある。毎年同じ小麦を植え続ければ、土の中の小麦が必要とする養分だけが、集中的に失われていく。だから土地が痩せる。堆肥で補うにも限界がある」
その説明は、マルクにとって目から鱗が落ちるような衝撃だった。
言われてみれば、当たり前の理屈だ。だが、何百年もの間、誰もそのことに気づかなかった。

「では、どうすれば……」
「答えは簡単だ。作る作物を、毎年変えればいい」
ゼノンは羊皮紙に、三つの区画に分かれた畑の絵を描いた。
「畑を三つに分け、一年目は小麦、二年目は大麦、三年目は豆類の作物、そして四年目にまた小麦に戻す。このように作物を循環させる。これを『輪作』と呼ぶ」

「豆類、ですか?」
「そうだ。豆類の植物は、他の作物が消費した土の養分を、逆に増やしてくれるという特殊な性質を持っている。これを利用しない手はない」
さらに、ゼノンは一つの区画を指さした。
「そして、もう一つの畑では、一年間何も作らずに土地を休ませる。これを『休耕地』とする。休ませている間、家畜を放牧すれば、その糞が新たな肥料となる」

輪作、そして休耕。
マルクの頭は、その革命的な発想に殴られたような衝撃を受けていた。
土地を休ませる。それは農民にとって、収穫を諦めるに等しい、ありえない選択だった。
だが、ゼノンの説明は、その行為が長期的に見れば、土地の生産性を維持し、結果として全体の収穫量を安定させるための、極めて合理的な『投資』であることを示していた。

「なんと……なんと素晴らしいお考えだ……」
マルクは、感動に打ち震えた。
だが、ゼノンの改革案は、それだけでは終わらなかった。

「次に、これを見ろ」
ゼノンはアークライト領の地図を広げ、北部の山沿いの地域を指さした。
「この一帯は、標高が高く冷涼だ。小麦の栽培にはあまり適していない。収穫量も、南の平野部に比べて常に二割は低い」
「はい。それは昔からのことで、どうしようもないと……」
「『どうしようもない』と考えるのをやめろ。それは思考停止だ。環境に適応できないのなら、環境に適応できるものを選べばいい。つまり、小麦以外の、寒さに強い作物を導入する」

ゼノンはそう言うと、グレイに命じていくつかの奇妙な野菜を持ってこさせた。
ごつごつとした、土くれのような塊。そして、丸々とした白い根菜。
「これは……ポテトと、ターニップ、ですな。どちらも硬くて味も薄く、主に家畜の飼料にするくらいで、人間様が好んで食べるものでは……」
マルクが訝しげに言うと、ゼノンは鼻で笑った。

「それは、お前たちがこれらの作物の真の価値を理解していないからだ。こいつらは痩せた土地でも、寒い気候でも、驚くほどよく育つ。そして、何より腹持ちがいい。食糧危機に対する、これ以上ない保険だ」
彼はポテトの一つを手に取った。
「だが、現状の品種では商品価値が低いのも事実だ。だから、改良する」
「改良、ですか?」

「そうだ。領内の全ての村から、最も大きく、最も形の良いポテトとターニップを集めさせろ。そして、それらだけを種芋、種として使い、交配を繰り返す。優れた個体だけを選別し、何世代もかけて育てていくんだ。いずれ、今のものとは比べ物にならないほど大きく、美味い品種が生まれるはずだ。これを『品種改良』と呼ぶ」

輪作による持続可能な農業。
品種改良による、新たな特産品の開発。
ゼノンが示した二つの計画は、マルクの農業に対する常識を、再び粉々に打ち砕いた。
一つ一つの改革が、全て繋がっている。土を改良し、水を確保し、土地の力を最大限に引き出し、さらには気候という弱点すら、新たな強みへと変えようとしている。
このお方は、一体どこまで先を見ているのか。
マルクは、もはやゼノンを人間とは思えなかった。まるで、農業の神が、人の姿を借りて地上に降り立ったかのようだった。

「マルク。お前の仕事は、この二つの計画を領内に普及させることだ。もちろん、また抵抗があるだろう。『先祖代々の小麦畑に、家畜の餌など植えられるか』とな」
ゼノンの予測に、マルクははっと顔を上げた。
「だが、もうお前も分かっているはずだ。どうすれば、彼らを黙らせることができるのかを」

「……はい」
マルクは、力強く頷いた。
「『結果』で、示すのですね」

「その通りだ。西の試験農場の隣に、新たな区画を設けろ。そこで輪作と品種改良の効果を、再び彼らの目の前に突きつけてやる」

ゼノンの改革は、終わらない。
一つの問題を解決すれば、また新たな課題が見えてくる。
その無限のサイクルを、彼は少しも億劫がらず、むしろ楽しんでいるかのようだった。
アークライト領という名の、巨大で非効率な企業を、最高の優良企業へと作り変える。
その知的ゲームに、ゼノンは完全に没頭していた。
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