悪役貴族? いえ、ただの合理主義者ですが何か? ~冷徹と呼ばれる俺の改革が、いつの間にか国を豊かにし聖女にまで懐かれる件~

夏見ナイ

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第85話:最大の非合理

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「……決めました?」
ゼノンはリリアナのその唐突な言葉を、訝しげに繰り返した。
彼の頭脳は即座にいくつかの可能性をシミュレーションし始めた。
(王立病院の運営方針に関する新たな提案か? それとも教会との連携強化プランか? あるいは、まさか新たな疫病の兆候でも掴んだのか?)
彼の思考は常に合理的で、生産的な範疇を超えない。

だが、リリアナが次に口にした言葉は、彼のあらゆる予測を遥か彼方へと吹き飛ばすものであった。

「はい。……私、聖女を辞めようと思います」

「……は?」
ゼノンの思考が完全にフリーズした。
聖女を辞める?
何を言っているんだ、こいつは。
それは例えるなら、国王が「明日から農民になる」と言い出すようなものだ。
あまりにも突拍子がなく、非合理的で、理解不能な発言。

ゼノンは生まれて初めて他人の言葉の意味を処理できずに、ただ黙り込んでしまった。
そんな彼の混乱をよそに、リリアナは頬をわずかに上気させながら、その決意の理由を語り始めた。

「私、ずっと考えていたのです。聖女としての私の本当の使命とは何なのか、と」
彼女の瞳は潤み、そして熱っぽくゼノンを見つめていた。
「人々を癒し、導くこと。それが私の役目だと信じてきました。ですが、あなた様と出会って分かったのです。……本当にこの世界を救うのは、私の小さな奇跡ではないと」
「……」
「世界を救うのは、あなた様のその気高き知性と、誰にも理解されない孤独な魂です。……そして、そのあまりにも重すぎる宿命をたった一人で背負っておられるあなた様をお支えすること。……それこそが神が私にお与えになった真の使命なのだと気づいたのです」

ゼノンはもはや何も言えなかった。
(……駄目だ。こいつの思考回路は完全に異次元に接続されている。俺の理解の範疇を超えている)
彼はただ、この非合理な会話を一刻も早く終わらせることだけを考えていた。

だが、リリアナの暴走はまだ止まらない。
彼女は一歩、ゼノンへと近づいた。
甘い花の香りが、ふわりと彼の鼻腔をくすぐる。
それは彼のパフォーマンスを低下させる、あの紅茶の香りとも似ていた。

「ですが、聖女という立場は時に足枷となります。公の存在として常に民の模範であらねばならない。……それではあなた様の一番近くであなた様をお支えすることはできません」
彼女はそこで一度言葉を切った。
そして深呼吸を一つすると、その瞳にありったけの想いを込めてゼノンに告げた。

「だから私、決めたのです」
「一人の、ただの女として。……あなたの側にいさせてください、と」

その言葉が何を意味するのか、さすがのゼノンも理解した。
そしてその瞬間、彼の頭の中で何かが焼き切れる音がした。

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結婚。
それは彼がこれまで生きてきた中で最も縁遠く、最も非合理的で、最もコストパフォーマンスの悪い人間関係だと断じてきたものだった。
データ化できない感情。
計算できない未来。
コントロール不能な変数。
彼の完璧なシステムの中にあってはならない最大のバグ。

その最大の非合理が、今、目の前で自分に向けられている。
その事実に、ゼノンは生まれて初めて本当の意味での『恐怖』を感じた。

「……ええと」
彼は何か言おうとした。
だが、言葉が出てこない。
彼の優秀な頭脳は、この予測不能な事態への最適な対処法を導き出せずにいた。
論理で反論するか?
いや、相手は論理が通じない。
無視するか?
いや、この状況で無視すれば、さらに面倒なことになるだろう。

彼の額に一筋の冷や汗が伝った。
王国軍三万を相手にした時も、これほどのプレッシャーは感じなかった。

リリアナはそんなゼノンの沈黙を肯定的な意味に捉えていた。
(……驚いていらっしゃるのね。……でも、拒絶はなさらない。……ということは)
彼女の頬がさらに赤く染まる。

「……もちろん、今すぐお返事をいただこうとは思いません」
彼女は恥ずかしそうに俯いた。
「ですが、私のこの気持ちだけはお伝えしたかったのです。……あなた様が背負う重荷をほんの少しでも私が代わりに背負うことができたなら。……それ以上の幸せはありませんから」

その純粋で、あまりにも真っ直ぐな想い。
それはゼノンにとって魔導砲の直撃よりも遥かに破壊力のある攻撃だった。
彼の築き上げてきた合理性の鎧がガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。

「……少し考えさせてくれ」
ゼノンは絞り出すように、それだけを言うのが精一杯だった。
それは彼が生まれて初めて使った、『時間稼ぎ』という非合理的な交渉術だった。

「……はい」
リリアナは幸せそうに微笑んだ。
その微笑みは、ゼノンには悪魔の微笑みにしか見えなかった。
彼女は深く一礼すると、夢見るような足取りで部屋を退出していった。

一人残された執務室。
ゼノンはよろよろと自分の椅子まで歩くと、そこに崩れ落ちるように座った。
そして両手で顔を覆った。

(……終わった)
彼の口から絶望の声が漏れた。
(……俺の静かで平穏な日常が完全に終わった……)

ようやく手に入れたはずの穏やかな日々。
それは聖女がもたらした、たった一つの『恋』という名の最大の非合理によって、あまりにもあっけなく破壊されてしまった。
彼の人生最大の危機。
それは帝国との戦争でも、貴族との政争でもなかった。
一人の少女の純粋すぎる恋心だったのだ。
そのあまりにも皮肉な事実に、彼はただ頭を抱えることしかできなかった。
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