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第30話:シルフィリアの過去
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幻惑の回廊を抜けた先、巨大な扉の前で俺たちはしばし足を止めていた。死に戻りを繰り返した俺の肉体的な疲労はなかったが、精神的な消耗は激しい。シルフィリアもまた、俺が何度も死ぬ光景を目の当たりにし、緊張を強いられ続けたことで、その顔には疲労の色が浮かんでいた。
「……少し、休憩しましょう」
シルフィリアが、壁に背を預けながら提案した。俺もそれに頷く。次の階層に何が待ち受けているか分からない。万全の状態で臨むに越したことはない。
俺たちは扉の前の広間に腰を下ろした。シルフィリアが杖の先の光を少し弱めると、周囲は落ち着いた明るさに包まれる。不思議なことに、この階層には魔物の気配が一切なかった。まるで、侵入者に休息を与えるために用意された場所であるかのようだった。
沈黙が、俺たちの間に流れる。
それは、以前のような気まずいものではなく、過酷な試練を共に乗り越えた者同士の、穏やかな沈黙だった。
やがて、シルフィリアがぽつりと口を開いた。
「……あなたの故郷は、どこなの?」
それは、唐突な質問だった。これまで、彼女は俺の個人的なことには一切触れてこなかった。
「……別に、大した場所じゃない。大陸の西にある、小さな村だ」
「そう……。ご両親は?」
「物心つく前に、魔物に殺されたと聞いている。俺を育ててくれたのは、村の教会にいた神父様だ」
俺は、これまで誰にも話したことのない身の上を、淡々と語っていた。なぜだろう。このエルフになら、話してもいい。そんな気がした。
「……そうだったのね」
シルフィリアは、少し悲しそうに瞳を伏せた。
「あんたは? エルフの里かどこかで、大事に育てられたお姫様なんだろう」
俺が少し意地悪く言うと、彼女はムッとした表情でこちらを睨んだ。
「お姫様なんかじゃないわ。……まあ、王族の端くれではあるけれど」
「ほう。やっぱりな」
「でも、私はそんな窮屈な暮らしが嫌で、故郷を飛び出してきたのよ」
彼女は、膝を抱えながら、静かに自分の過去を語り始めた。
シルフィリアは、エルフの国でも由緒正しい王家の血を引く生まれだった。幼い頃から、その類稀なる魔術の才能を見出され、次代の宮廷魔術師長として、英才教育を施されてきたという。
だが、彼女が求めていたのは、そんな決められた将来ではなかった。
古い伝統と格式に縛られた王宮での暮らし。政略結婚の道具として扱われる未来。そして何より、彼女の魔術が、国を守るための「力」としてしか見られないことへの反発。
「私が学びたかったのは、世界そのものだったの。古代の魔法、失われた知識、まだ誰も見たことのない風景……。でも、王宮ではそんな自由は許されなかった。私の力は、国の利益のためだけに存在すると、誰もがそう言ったわ」
彼女の声には、深い孤独と、自由への渇望が滲んでいた。
「だから、私は逃げ出したの。百年以上も生きてきたけれど、本当の意味で『自分の人生』を生きてみたいと思ったから。この迷いの森に隠れ住んでいたのも、人間や、故郷の追っ手から逃れるためだった」
百年。彼女の口から出た言葉に、俺は内心驚いた。見た目は俺と変わらない少女が、一世紀以上の時を生きている。エルフという種族の、時間の感覚の違いを改めて思い知らされた。
「……そうか。あんたにも、色々あったんだな」
俺に言えるのは、それだけだった。追放された俺と、自ら故郷を捨てた彼女。境遇は違えど、孤独を抱え、自分の居場所を探しているという点では、どこか似ているのかもしれない。
俺の言葉に、シルフィリアは少し驚いたような顔をした。そして、ふっと、柔らかい笑みを浮かべた。それは、彼女が初めて見せた、心からの笑顔だった。
「あなたにそんな顔をされるなんて、心外だわ」
「どんな顔だ」
「……優しい顔よ」
彼女はそう言うと、恥ずかしそうに顔を伏せた。俺たちの間に、少しだけ甘い空気が流れる。
その空気を破ったのは、俺の腹の虫だった。
ぐううう、と情けない音が、静かな広間に響き渡る。
途端に、シルフィリアが噴き出した。
「ぷっ……あははは! 何よ、あなたもお腹が空くのね! てっきり、霞でも食べて生きてるのかと思ってたわ!」
腹を抱えて笑う彼女を見て、俺もつられて苦笑した。
「悪いか。死に戻りを繰り返すと、腹が減るんだ」
俺は革袋から、街で買っておいた干し肉と硬いパンを取り出した。その半分を、彼女に差し出す。
「……いいの?」
「ああ。食わないと、次の戦いは乗り切れないぞ」
シルフィリアは、少し躊躇いながらも、それを受け取った。そして、小さな口で、硬いパンを少しずつかじり始めた。その姿は、気高いエルフというよりも、年相応の可愛らしい少女に見えた。
俺たちはお互いの過去を少しだけ知り、同じパンを分け合った。
それは、ささやかな時間だった。だが、俺たちにとっては、何よりも大きな意味を持つ時間だった。
孤独だった二つの魂が、この古代遺跡の底で、確かに触れ合ったのだ。
休息は、終わりだ。
俺たちは立ち上がり、互いの顔を見合わせた。その目には、もう以前のような警戒心はない。あるのは、互いへの絶対的な信頼だけ。
「行くか」
「ええ」
俺たちは、次の階層へと続く巨大な扉に、二人で手をかけた。
扉の向こうに、どんな絶望が待ち受けていようとも、もう恐れることはない。
俺には、最高のパートナーがいるのだから。
扉は、俺たちの未来を祝福するかのように、静かに、そして重々しく開いていった。
「……少し、休憩しましょう」
シルフィリアが、壁に背を預けながら提案した。俺もそれに頷く。次の階層に何が待ち受けているか分からない。万全の状態で臨むに越したことはない。
俺たちは扉の前の広間に腰を下ろした。シルフィリアが杖の先の光を少し弱めると、周囲は落ち着いた明るさに包まれる。不思議なことに、この階層には魔物の気配が一切なかった。まるで、侵入者に休息を与えるために用意された場所であるかのようだった。
沈黙が、俺たちの間に流れる。
それは、以前のような気まずいものではなく、過酷な試練を共に乗り越えた者同士の、穏やかな沈黙だった。
やがて、シルフィリアがぽつりと口を開いた。
「……あなたの故郷は、どこなの?」
それは、唐突な質問だった。これまで、彼女は俺の個人的なことには一切触れてこなかった。
「……別に、大した場所じゃない。大陸の西にある、小さな村だ」
「そう……。ご両親は?」
「物心つく前に、魔物に殺されたと聞いている。俺を育ててくれたのは、村の教会にいた神父様だ」
俺は、これまで誰にも話したことのない身の上を、淡々と語っていた。なぜだろう。このエルフになら、話してもいい。そんな気がした。
「……そうだったのね」
シルフィリアは、少し悲しそうに瞳を伏せた。
「あんたは? エルフの里かどこかで、大事に育てられたお姫様なんだろう」
俺が少し意地悪く言うと、彼女はムッとした表情でこちらを睨んだ。
「お姫様なんかじゃないわ。……まあ、王族の端くれではあるけれど」
「ほう。やっぱりな」
「でも、私はそんな窮屈な暮らしが嫌で、故郷を飛び出してきたのよ」
彼女は、膝を抱えながら、静かに自分の過去を語り始めた。
シルフィリアは、エルフの国でも由緒正しい王家の血を引く生まれだった。幼い頃から、その類稀なる魔術の才能を見出され、次代の宮廷魔術師長として、英才教育を施されてきたという。
だが、彼女が求めていたのは、そんな決められた将来ではなかった。
古い伝統と格式に縛られた王宮での暮らし。政略結婚の道具として扱われる未来。そして何より、彼女の魔術が、国を守るための「力」としてしか見られないことへの反発。
「私が学びたかったのは、世界そのものだったの。古代の魔法、失われた知識、まだ誰も見たことのない風景……。でも、王宮ではそんな自由は許されなかった。私の力は、国の利益のためだけに存在すると、誰もがそう言ったわ」
彼女の声には、深い孤独と、自由への渇望が滲んでいた。
「だから、私は逃げ出したの。百年以上も生きてきたけれど、本当の意味で『自分の人生』を生きてみたいと思ったから。この迷いの森に隠れ住んでいたのも、人間や、故郷の追っ手から逃れるためだった」
百年。彼女の口から出た言葉に、俺は内心驚いた。見た目は俺と変わらない少女が、一世紀以上の時を生きている。エルフという種族の、時間の感覚の違いを改めて思い知らされた。
「……そうか。あんたにも、色々あったんだな」
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俺の言葉に、シルフィリアは少し驚いたような顔をした。そして、ふっと、柔らかい笑みを浮かべた。それは、彼女が初めて見せた、心からの笑顔だった。
「あなたにそんな顔をされるなんて、心外だわ」
「どんな顔だ」
「……優しい顔よ」
彼女はそう言うと、恥ずかしそうに顔を伏せた。俺たちの間に、少しだけ甘い空気が流れる。
その空気を破ったのは、俺の腹の虫だった。
ぐううう、と情けない音が、静かな広間に響き渡る。
途端に、シルフィリアが噴き出した。
「ぷっ……あははは! 何よ、あなたもお腹が空くのね! てっきり、霞でも食べて生きてるのかと思ってたわ!」
腹を抱えて笑う彼女を見て、俺もつられて苦笑した。
「悪いか。死に戻りを繰り返すと、腹が減るんだ」
俺は革袋から、街で買っておいた干し肉と硬いパンを取り出した。その半分を、彼女に差し出す。
「……いいの?」
「ああ。食わないと、次の戦いは乗り切れないぞ」
シルフィリアは、少し躊躇いながらも、それを受け取った。そして、小さな口で、硬いパンを少しずつかじり始めた。その姿は、気高いエルフというよりも、年相応の可愛らしい少女に見えた。
俺たちはお互いの過去を少しだけ知り、同じパンを分け合った。
それは、ささやかな時間だった。だが、俺たちにとっては、何よりも大きな意味を持つ時間だった。
孤独だった二つの魂が、この古代遺跡の底で、確かに触れ合ったのだ。
休息は、終わりだ。
俺たちは立ち上がり、互いの顔を見合わせた。その目には、もう以前のような警戒心はない。あるのは、互いへの絶対的な信頼だけ。
「行くか」
「ええ」
俺たちは、次の階層へと続く巨大な扉に、二人で手をかけた。
扉の向こうに、どんな絶望が待ち受けていようとも、もう恐れることはない。
俺には、最高のパートナーがいるのだから。
扉は、俺たちの未来を祝福するかのように、静かに、そして重々しく開いていった。
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