レベル1の死に戻り英雄譚 ~追放された俺の【やりなおし】スキルは、死ぬほど強くなる~

夏見ナイ

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第41話:【視点変更】アランの焦り

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静まり返った闘技場に、俺の声だけが響いた。
「お前は、もう自由だ。ヴォルフガング」

破り捨てられた奴隷契約書の羊皮紙が、ひらひらとリングの床に舞い落ちる。ヴォルフは、その光景を信じられないといった目で見つめていた。彼の銀色の瞳に、長い間凍てついていた何かが、静かに溶け出していくのが見えた。

「ま、待て……! い、今のはノーカンだ! 無効だ!」

我に返ったオーナーのリベリオが、金切り声を上げた。その顔は恐怖と怒りで醜く歪んでいる。

「そうだ! こいつは何かイカサマを使ったに違いない! やれ、お前たち! あの小僧と、裏切り者の獣人を捕まえろ!」

リベリオが叫ぶと、リングの周囲に控えていた十数人の屈強な用心棒たちが、一斉に武器を抜いて俺たちを取り囲んだ。観客たちは、新たな騒乱の始まりに息を呑む。

だが、俺が動くより先に、ヴォルフが動いた。
彼は、砕けた大剣の柄を握りしめたまま、傷ついた体でゆっくりと立ち上がると、俺の前に立ちはだかった。その大きな背中が、俺を守るように。

「……手出しはさせん」

低い、だが鋼のような意志のこもった声だった。

「この勝負、俺の完全な敗北だ。そして、こいつは俺の魂を解放してくれた恩人だ。この命に代えても、お前たちの好きにはさせん」

ヴォルフの言葉に、用心棒たちの動きが一瞬ためらう。無敗のチャンピオンが放つ気迫は、手負いの状態であっても健在だった。

「何をためらっている! やれ! やらないと、お前たちの給料はないぞ!」

リベリオが金で煽る。欲望に目がくらんだ用心棒たちが、再びじりじりと距離を詰めてきた。

「……やれやれ。下衆な真似はやめなさい」

その時、闘技場に凛とした声が響き渡った。
観客席の一角。シルフィリアが、いつの間にかそこに立ち、白木の杖を構えていた。

「風よ、愚か者たちに戒めの鉄槌を! ゲイルハンマー!」

彼女が短く詠唱すると、不可視の風の塊が生まれ、用心棒たちを薙ぎ払った。彼らは悲鳴を上げる間もなく、まるで巨人に殴り飛ばされたかのように吹き飛び、壁や金網に叩きつけられて気を失った。

一瞬の出来事だった。
リベリオは、口をあんぐりと開けたまま、その光景に呆然としている。

「……さて、と」

俺はミスリルの剣を構え直し、ゆっくりとリベリオへと歩み寄った。

「まだ、何か文句はあるか?」

俺の静かな問いに、リベリオは腰を抜かし、その場にへたり込んだ。

「ひっ……! け、契約は有効だ! あんたの勝ちだ! だから、命だけは……!」

彼は、もはや何の威厳もなく、ただ命乞いをする哀れな男に成り下がっていた。
俺はそんな彼を一瞥すると、興味を失くしたように背を向けた。

「行くぞ、ヴォルフ」
「……ああ」

俺は、まだ状況が飲み込めていないヴォルフの肩を貸し、シルフィリアが待つ観客席へと向かった。
俺たちがリングを去るまで、観客たちは誰一人として声を発することができなかった。彼らは、ただ伝説が生まれる瞬間を、その目に焼き付けていた。



闘技場の外に出ると、ザラームの涼しい夜気が火照った体を冷ましてくれた。俺たちは、人目を避けるように裏路地を進む。

しばらく歩いたところで、ヴォルフが立ち止まり、俺に向き直った。そして、彼は何の躊躇もなく、その場に深く膝をついた。

「……礼を言う。あんたは、俺の命と魂の恩人だ。この身は、今日からあんたのものだ。好きに使ってくれ」

その言葉に、嘘はなかった。彼の銀色の瞳は、まっすぐに俺を射抜いている。

俺はため息をついた。

「よせ。俺は誰の主にもなるつもりはない」
「だが……!」
「お前は、仲間だ。対等な仲間として、俺の隣に立て。それで十分だ」

俺の言葉に、ヴォルフは目を見開いた。そして、やがて、その口元に豪快な笑みを浮かべた。それは、俺が初めて見る、彼の心からの笑顔だった。

「……はっ、ははは! 気に入った! あんた、最高に面白い奴だな! 分かった、大将! これから、このヴォルフガングの剣は、あんたのために振るおう!」

彼は立ち上がると、大きな手で俺の肩をばんばんと叩いた。その腕力に、俺の体が少しよろめける。

「私の許可なく、勝手にリーダーぶるのはやめなさい。それに、その『大将』という呼び方も、品がないわ」

いつの間にか隣に来ていたシルフィリアが、腕を組んで不満そうに口を挟む。

「お? なんだ、そっちのお嬢ちゃんが仕切ってるのか?」
「お嬢ちゃんじゃないわ! シルフィリアよ! それに、私がこのパーティの頭脳なんだから、当然でしょ!」
「がっはっは! 威勢のいい嬢ちゃんだな! よろしく頼むぜ、シルフィリア!」

こうして、俺のパーティに三人目の仲間、ヴォルフが加わった。
不死身のレベル1剣士、カイル。
ツンデレなエルフの天才魔術師、シルフィリア。
そして、豪快な狼獣人の兄貴分、ヴォルフガング。
奇妙で、ちぐはぐで、それでいて最強のパーティが、この闘技都市ザラームの夜に、静かに産声を上げたのだった。



【視点変更:アラン】

「くそっ! またか!」

俺、アラン・ゲイルは、薄暗いダンジョンの通路で、苛立ち紛れに壁を殴りつけた。聖剣に選ばれた勇者である俺が率いるパーティ「暁の剣」は、今、深刻なスランプに陥っていた。

カイルを追放してから、一月が経つ。
あんなレベル1の荷物持ちがいなくなったところで、何も変わらない。むしろ、足手まといが消えて、攻略のペースは上がるはずだった。

だが、現実は違った。

「アラン、大丈夫かよ。そんなにイライラするなよ」

戦士のゴードンが、額の汗を拭いながら声をかけてくる。彼の背中には、以前カイルが背負っていたものと同じくらい、パンパンに膨れ上がったバックパックが乗っていた。

「うるさい! お前こそ、さっきの罠になぜ気づかなかった! 斥候役も満足にできないのか!」
「無茶言うなよ! 俺は戦士だぜ!? 罠の発見なんざ、専門外だ!」

ゴードンの反論に、俺はさらに苛立ちを募らせる。そうだ。カイルは、戦闘能力こそ皆無だったが、斥候としての能力だけは妙に優れていた。あいつがいれば、今のような初歩的な罠にかかることもなかっただろう。

「もう、二人ともやめてよ……」

魔術師のレナが、うんざりしたようにため息をついた。彼女も、連日の過酷な行軍で、自慢の化粧は崩れ、その表情には疲労の色が濃く浮かんでいる。

「大体、なんで私が食事の準備までしなきゃいけないのよ。魔法の練習をする時間もないじゃない」
「我慢しろ! 文句ばかり言うな!」

雑用の一切を担っていたカイルがいなくなり、その負担は俺たち全員に分散されていた。野営の準備、食事の支度、見張り。そのどれもが、戦闘で疲弊した体に重くのしかかる。

パーティの雰囲気は、最悪だった。
以前はあったはずの、連携や信頼はどこにもない。ただ、互いに不満をぶつけ合い、責任をなすりつけ合うだけの日々。

そんな険悪な空気の中、ただ一人、黙って俯いている少女がいた。
神官のエリナだ。俺の、そしてカイルの幼馴染。

「……エリナ」

俺が声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせ、おずおずと顔を上げた。その顔は、以前の快活さが嘘のように、青白くやつれている。

「次の戦闘、回復を頼むぞ。お前だけが頼りだ」
「……うん」

彼女は、力なく頷くだけだった。
分かっている。彼女が、カイルの追放を誰よりも悔やんでいることを。俺がカイルを罵るたびに、彼女が心を痛めていることを。

だが、俺にはもう、どうすることもできなかった。
カイルがいない不便さを認めることは、俺自身の判断が間違っていたと認めることになる。勇者である俺が、間違うことなど、あってはならないのだ。

「……カイル君、今頃どうしているかな……」

エリナが、ぽつりと呟いた。
その名を聞いただけで、俺の腹の底から黒い感情がせり上がってくる。

「あいつの話はするな! レベル1の寄生虫のことなど、どうでもいいだろう!」

俺の怒声に、エリナの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

ああ、まただ。俺は、また仲間を傷つけてしまった。
こんなはずじゃなかった。聖剣に選ばれた俺は、仲間を導き、世界を救う、光り輝く勇者になるはずだった。

なのに、今の俺はなんだ?
仲間に当たり散らし、苛立ちを隠せない、ただの小さな男じゃないか。

俺は、自分の不甲斐なさに、ギリ、と奥歯を噛み締めた。
カイルを追放したあの日から、俺たちの歯車は、確実に狂い始めていた。

そのことに気づいていながら、俺はプライドが邪魔をして、後戻りすることができずにいた。
「暁の剣」が、ゆっくりと崩壊へと向かっていることを、まだ誰も、知る由もなかった。
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