嫌われ者の悪役貴族、追放されたので好きにすることにした

夏見ナイ

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第9話:嘆きの荒野

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最後の丘を越えた瞬間、世界から色彩が失われた。
目の前に広がっていたのは、まさしく絶望という言葉を絵に描いたような光景だった。どこまでも続く、ひび割れた黒い大地。枯れ果て、天に向かって苦しげに枝を伸ばす木々の残骸。地面のあちこちからは、紫色の不気味な瘴気がゆらゆらと立ち上り、空は鉛色の雲に覆われ、太陽の光さえ届かない。生命の気配が、完全に死滅していた。

「……ここが、嘆きの荒野」
シルヴィアが、馬上で息を呑んだ。その声は、か細く震えている。彼女の青い瞳から、いつもの凛とした光が消え、深い絶望の色が浮かんでいた。無理もない。ここは、生物が生きていくことを拒絶している土地だ。ただそこにいるだけで、魂が削られていくような、陰鬱な空気が満ちていた。
馬も、これ以上進むことを嫌がるように、不安げな嘶きを漏らして足を止めた。瘴気の毒性を、本能で感じ取っているのだろう。

だが、そんな絶望的な光景を前にして、俺の心は高揚していた。
血が沸き立つような、武者震いに似た興奮。シルヴィアが絶望を感じた瘴気は、俺にとって未知のエネルギー源に満ちた研究対象にしか見えなかった。
「アッシュ様……」
シルヴィアが、心配そうに俺の顔を覗き込む。彼女は、俺がこの光景を見て正気を失ったとでも思ったのかもしれない。
「ああ、問題ない。むしろ、最高の気分だ」
俺は馬からひらりと飛び降りると、革鞄からいくつかの道具を取り出した。それは、俺が追放される前に自作した、簡易的な調査器具だった。一つは、方位磁針に似た形状だが、特定の鉱物に反応して針が振れる『鉱脈探知機』。もう一つは、ガラス管の中に特殊な液体が入っており、周囲の瘴気の濃度によってその色が変わる『瘴気濃度計』だ。どちらも魔力を使わない。物理法則と化学反応だけで機能する、純粋な魔導工学の産物だ。

「シルヴィア、お前はここで待っていろ。馬のそばを離れるな」
俺はそう言うと、瘴気が比較的薄い場所を選び、荒野へと足を踏み入れた。ひび割れた大地を踏みしめる。足元から、微かな振動が伝わってきた。地殻が不安定なのか、あるいは地下で何かが活動しているのか。どちらにせよ、興味深い。
鉱脈探知機の針が、微かに揺れている。俺は、針が示す方角へとゆっくりと歩を進めた。
数分歩くと、ごつごつとした岩場に出た。その岩肌のあちこちに、黒く鈍い光を放つ鉱石が、まるで瘡蓋のようにこびりついている。
俺は、その一つを拾い上げ、指先で感触を確かめた。ずしりとした重み。表面に浮かぶ、独特の縞模様。
間違いない。
「……ははっ。やはり、そうか」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
「アッシュ様?」
心配になったのか、シルヴィアが恐る恐る近づいてくる。
俺は、彼女にその黒い石を見せた。
「シルヴィア、これが何か分かるか」
「……ただの、黒い石では?」
「そうだな。普通の人間が見れば、ただの石ころだ。だがこれは、『魔鉱石』の原石だ。それも、純度は低いが、精錬すれば十分に使えるレベルのな」
「ま、魔鉱石……!?」
シルヴィアが、驚愕に目を見開いた。
魔鉱石は、魔道具の動力源となる貴重な資源だ。王国では、産出量が限られており、金と同じ、あるいはそれ以上の価値で取引されている。その貴重な鉱石が、この荒野では、ただの石ころのように地表に転がっているのだ。
「地表にこれだけ露出しているということは、この地下には相当な規模の鉱脈が眠っているはずだ。それも、おそらく純度の高いものがな。これだけで、小国なら数百年はもつほどのエネルギー資源になる」
俺の言葉に、シルヴィアはまだ信じられないというように、黒い石と俺の顔を交互に見ていた。

「驚くのはまだ早いぞ」
俺は、瘴気濃度計に目をやった。ガラス管の中の液体は、淡い紫色に変化している。人体にすぐ影響が出るほどの濃度ではないが、長くいれば確実に蝕まれるだろう。
「この瘴気、ただの毒ガスではない。高濃度の魔素が、大気中の不純物と結合して変質したものだ。普通の生物には猛毒だが、この環境に適応した、特殊な生命体にとっては最高の栄養源になる」
俺は、近くに生えていた枯れ木の根元を指差した。
その薄暗い根元に、ぼんやりと青白い光を放つ、奇妙なキノコがいくつか群生していた。
俺は慎重にそれに近づき、一つを採取した。傘の部分が、まるで夜光塗料を塗ったかのように、自ら発光している。
「これは……『ルミナス・マッシュルーム』。古文書でしか見たことがなかったが、実在したとはな」
「光るキノコ……でございますか?」
「ああ。そして、ただ光るだけじゃない。こいつを乾燥させて粉末にしたものは、高位の回復薬(ハイポーション)を作る際の、強力な触媒になる。これがあるかないかで、ポーションの回復量は数倍も変わってくる。王都の錬金術ギルドが、血眼になって探している代物だ。これが群生しているだと? 信じられん」
魔鉱石に、希少な錬金素材。俺の仮説が、次々と現実のものとなっていく。
この嘆きの荒野は、古代魔導文明が崩壊する際に、膨大な魔力が暴走して大地に溢れ出した場所。その結果、大地は汚染され、普通の生物が住めない死の土地となった。だが、その高濃度の魔素汚染こそが、特殊な鉱物や植物を育む、唯一無二の環境を生み出していたのだ。

俺はさらに奥へと進んだ。瘴気は徐々に濃くなり、濃度計の色も濃い紫色へと変わっていく。
シルヴィアの顔色が悪くなってきたのに気づき、俺は懐から小さな小瓶を取り出して彼女に渡した。
「これを飲め。気休め程度だが、瘴気の毒を中和する効果がある」
「これは?」
「薬草をいくつか調合した、簡易的な解毒薬だ。追放が決まってから、屋敷の薬草庫にあったもので急ごしらえした」
シルヴィアは、ためらいながらもそれを飲み干した。すると、彼女の顔色が少しだけ良くなる。
「……ありがとうございます。楽になりました」
「礼はいい。さあ、行くぞ。とんでもないお宝が、俺たちを待っている」
俺がそう言って視線を向けた先。それは、大地が大きく裂けた、深い亀裂だった。その亀裂の底から、先ほどのキノコとは比べ物にならないほど強く、そして青白い光が漏れ出している。
俺たちは、慎重に亀裂の縁に近づき、その底を覗き込んだ。
「……これは……」
シルヴィアが、言葉を失った。
亀裂の底には、巨大な結晶が、まるで地中から突き出した牙のように林立していた。その一つ一つが、内側から青白い光を放っている。幻想的で、神々しささえ感じる光景だった。
「『浮遊石』の、原石鉱床だ……」
俺の声は、自分でも驚くほど震えていた。
浮遊石。その名の通り、魔力を通すことで反重力作用を発生させる、伝説級の希少鉱物。空飛ぶ船や、城さえも浮かせることができたという、古代魔導文明の力の象徴。その存在は確認されていたが、現代では拳大の大きさのものでさえ、一国の財宝に匹敵すると言われていた。
それが、ここでは山のように、それも剥き出しの状態で眠っている。

俺は、天を仰いだ。鉛色の空が、今は祝福の空に見えた。
「シルヴィア、分かるか?」
俺は、振り返って彼女の肩を掴んだ。
「ここは、死の大地などではない! 未開拓の宝の山だ! エネルギー、錬金素材、そして空を制する力! 俺たちの国、アヴァロンを建国するための全ての資源が、ここに、無限に眠っているんだ!」
俺の興奮が伝わったのだろう。シルヴィアの瞳に宿っていた絶望は、いつの間にか驚愕へ、そして確かな希望の光へと変わっていた。彼女は、俺が語った途方もない計画が、ただの夢物語ではないことを、その目で、肌で、実感したのだ。
「アッシュ様……」

俺は、広大な荒野を改めて見渡した。
ひび割れた大地も、枯れた木々も、毒の瘴気も、全てが愛おしく見えた。
「最高の実験場だ。最高の領地だ。アルフレッドには、心の底から感謝しないとな。こんな素晴らしい土地を、この俺に丸ごとくれたのだからな」
皮肉と、偽らざる本心が入り混じった言葉が、口をついて出た。
奴らが俺から奪ったものは、地位と名誉という、虚飾に過ぎない。
そして、奴らが俺に与えたものは、新しい世界を創造するための、無限の可能性だった。
どちらが得をしたか。答えは、言うまでもない。

「さあ、始めよう、シルヴィア」
俺は、未来の建国王の顔で、ただ一人の忠実な騎士に言った。
「まずは、今夜を快適に過ごすための、俺たちの最初の『城』からだ」
俺の視線の先には、アヴァロンの礎を築くべき、広大で平坦な土地が広がっていた。
反撃の狼煙は、もう上がっている。
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