ドラゴンに攫われた聖女ですが、このドラゴン、めちゃくちゃ過保護でイケメンです

夏見ナイ

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第七話 この生活は罰ですか?

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穏やかな朝が来た。
三度目となる、天空の城での目覚め。差し込む光の柔らかさも、シーツの肌触りも、昨日と何も変わらない。変わらない、完璧な朝だった。
部屋を出ると、カイザーがいつものように待っていた。
「おはよう、アリア。よく眠れたか」
「……おはよう、ございます」
私は小さく頭を下げた。彼の問いに頷きながらも、顔を上げることができない。
ダイニングへと案内され、テーブルに着く。そこにはまた、温かい湯気の立つ朝食が並べられていた。昨日とは違うメニューだ。ふわふわの卵料理に、こんがりと焼かれたソーセージ。彩りの良い野菜のサラダと、木の実が入ったパン。
何もかもが、私のために用意されている。
私は黙って食事を始めた。もう涙は出なかった。けれど、一口食べるごとに、胸の奥にずしりと重いものが沈んでいくような感覚があった。
美味しい。美味しいのに、苦しい。
この優しさが、私の心をじわじわと蝕んでいく。凍らせて固めていたはずの感情が、無理やり溶かされていくような不快感。それはまるで、凍傷にかかった手足をいきなり熱湯に浸けるような、鋭い痛みを伴っていた。
食事が終わっても、私は椅子から立ち上がれずにいた。
「アリア」
カイザーが私の名前を呼ぶ。
「今日はどうしたい。何か望むことはあるか。書庫で本を読むか、それとも温室の花を見に行くか。あるいは、ただゆっくり過ごしたいのなら、それもいい」
彼は、私に選択を委ねた。
望むこと。
その言葉が、私の心の最後の壁を打ち砕いた。
望むことなど、なかった。望むことなど、許されなかった。聖女はただ、与えられた務めを果たすだけ。自分の意思など、持ってはいけない。そうやって生きてきた。
なのに、彼は。
この竜は、私に「望め」と言う。
まるで、私に普通の人間のような感情や欲求があることが、当たり前だというかのように。
ぷつん、と。
私の中で、何かが切れる音がした。
「……もう、やめてください」
絞り出した声は、自分でも驚くほど冷たく、震えていた。
カイザーがわずかに目を見開く。彼の表情が、初めてはっきりと変わったのを私は見た。
「やめてくれ、とは。何のことだ」
「全てです!」
私は勢いよく立ち上がった。椅子が大きな音を立てて後ろに倒れる。
「こんな食事も、ふかふかの寝台も、優しい言葉も……もう、やめてください!」
息が苦しい。心臓が早鐘のように打っている。今まで押し殺してきた感情が、濁流のように溢れ出してくるのを止められない。
「私は、あなたに感謝などしていません。迷惑です! こんなこと……こんなことされるくらいなら、いっそ、あの場で殺してくれた方がましだった!」
言ってはいけない言葉だと分かっていた。目の前の存在は、その気になれば私など指先一つで消し去れる、伝説の竜なのだ。
けれど、もう限界だった。
このままでは、おかしくなってしまう。この甘い毒に心が慣れてしまったら、私はもう、元の私ではいられなくなる。
カイザーは倒れた椅子を魔法で静かに元に戻すと、ただ黙って私の言葉を聞いていた。その落ち着き払った態度が、私の感情をさらに逆撫でした。
「なぜです……! なぜ、私にこんなことをするのですか!」
私は彼の前に詰め寄り、その胸を力の入らない拳で叩いた。もちろん、彼の体は微動だにしない。
「あなたは、私が憎いのでしょう!? 人間が嫌いなのでしょう!? だったら、なぜ……!」
涙が視界を滲ませる。
「これは、何の罰なのですか……?」
そうだ。これはきっと、罰なのだ。
私を甘やかし、堕落させ、聖女としての矜持も、何もかもを失わせるための。そして、全てに慣れきったところで、奈落の底に突き落とす。そういう、残酷で手の込んだ罰なのだ。そうでなければ、説明がつかない。
「私のような者に、こんな幸福は……似合いません。だから、これは罰なのでしょう……? そう言ってください……!」
嗚咽が漏れる。私はもう一度、彼の胸を叩こうとした。
その腕を、大きな手が優しく掴んだ。
「罰ではない」
静かだが、心の奥まで染み渡るような、深い声だった。
カイザーは私の腕を掴んだまま、もう片方の手で、私の涙に濡れた頬をそっと拭った。その指先は、意外なほど温かかった。
「これは、罰ではない。アリア」
彼は繰り返した。その黒曜石の瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。逃げることは許されない、絶対的な引力があった。
「俺は、お前が過ごしてきた日々を知っている」
「……え?」
「お前が王城で、どれほど不当な扱いを受けてきたか。どれほど心を殺して、聖女という役割を演じてきたか。俺は、全て見ていた」
彼の言葉に、私は息を呑んだ。見ていた? どこから?
「俺がお前にしていることは、罰などではない。お前が今まで耐え、そして奪われてきたものに対する、ほんの僅かな埋め合わせにすぎん」
埋め合わせ。
その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
「お前は、もっと早く、これらを与えられるべきだった。温かい食事も、柔らかな寝台も、誰かに気遣われるという当たり前の日常も。お前は、聖女である前に、一人の人間なのだからな」
彼の言葉の一つ一つが、私の心の氷を、今度は痛みではなく、温かい光で溶かしていくようだった。
「だから、何も恐れる必要はない。何も疑う必要もない。お前はただ、ここで、お前が本来あるべきだった姿を取り戻せばいい。それだけだ」
彼は私の腕を離すと、その手で私の頭を優しく撫でた。あの日、初めて会った時と同じように。
「俺は、そのためにここにお前を連れてきた」
それは、絶対的な肯定だった。
私が今まで否定され続けてきた、私の存在そのものを、彼は全て肯定してくれた。
涙が、また溢れてきた。けれど、それは今までの悲しみや苦しみの涙とは違った。心の奥底に溜まっていた、冷たい澱のようなものが、温かい涙と共に流れ出ていくような、不思議な感覚だった。
私は何も言い返せなかった。
ただ、子供のように彼の胸に顔をうずめ、声を上げて泣いた。
カイザーは何も言わず、ただ静かに、私の背中を優しく撫で続けてくれた。それは、私が落ち着くまで、ずっと。
彼の言葉の全てを、まだ信じられたわけではない。
なぜ彼が私のことを知っていたのか、なぜ私にここまでしてくれるのか。謎は、まだ何一つ解けていない。
けれど、その瞳に宿る光が、その声に込められた響きが、嘘ではないということだけは、痛いほど伝わってきた。
この竜は、本当に、私を傷つけるつもりはないのかもしれない。
警戒と疑念で固まっていた私の心に、ほんの少しだけ。
信じてみたい、という小さな芽が、静かに顔を出した。
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